酔雲庵

時は今‥‥石川五右衛門伝

井野酔雲





飛んでる娘




 琵琶湖に突き出た丘の上に華麗な楼閣(ろうかく)がそびえている。

 その豪華さは、この世のモノとは思えない程、素晴らしく、とても、言葉では表現できない程、美しかった。

 五年前まで、人家もまばらな辺鄙(へんぴ)な土地が今、誰もが注目する都となっていた。

 安土(あづち)である。

 尾張(愛知県)出身の英雄、織田信長は破竹の勢いで、群がる敵を打ち倒し、清須から岐阜、岐阜から京都へと進出したが、京都に留まる事なく、琵琶湖畔の安土の地に本拠地を置き、城下町を建設した。丘の上に石垣を積み上げ、五層建ての豪華な御殿を築き、それを天主と命名した。

 城下には家臣たちの屋敷が並び、各地から集まって来た商人や職人たちが、新しい町を作っていた。町々は活気に溢れ、人々は城下の象徴である輝く天主を見上げながら、信長のお陰でようやく、戦乱の日々も終わったと安堵の日々を送っていた。

 梅雨の上がった夏晴れの朝、職人たちの町への入り口に当たる鎌屋の辻と呼ばれる大通りの四つ角で、見るからに変わった二人の娘が深刻そうな顔付きで話し込んでいた。

 二人共、足丸出しの(たけ)の短い単衣(ひとえ)を着て、腰に巻いた白い帯の結び目を横に垂らしている。長い髪には蝶々のようなリボンを結び、旅支度をしているつもりか、小さな包みを背負って、(つえ)を持っていた。

 一人は赤い朝顔模様の単衣に赤いリボン、もう一人は青い朝顔模様の単衣に青いリボンを付け、好みの色は違うが、顔付きも体付きもそっくりだった。

「じゃア、気イ付けてネ」と赤いリボンの娘が跳びはねた。

「あんたもネ」と青いリボンの娘も跳びはねた。

「うまくやりましょ、ネ」

 二人はうなづくと、天主を見上げてから、手の平をポンとたたき合って別れた。

 青いリボンの娘は京都へと続く街道に向かい、赤いリボンの娘はしばらく、青いリボンの娘を見送っていたが、首から下げた十字架をそっと握るときびすを返した。

 赤いリボンの娘が青いリボンの娘を見送った後、少し離れて立ち話をしていた二人の山伏が、何気ない仕草で、一人は青いリボンの娘を追い、もう一人は赤いリボンの娘を追って行った。さらに、荷物をかついだ旅の薬売りが二手に分かれて、山伏を追っていた。

 鎌屋の辻を二(ちょう)(約二百メートル)程、北上するとまた大通りにぶつかる。その大通りは城と港を結ぶ主要道で、通りの両側には商人たちの屋敷や蔵、そして店が並んでいた。

 東に行けば、百々(どど)橋を渡って城内へと入る。石段を登って仁王門をくぐり、さらに登ると建築中のハ見寺(そうけんじ)がある。さらに登って、黒鉄(くろがね)門を抜けると二の丸、本丸、天主へと続いていた。

 西に行けば、大きな船がいくつも浮かぶ、賑やかな港へと出る。港に面して納屋(なや)と呼ばれる倉庫が幾つも建ち並び、各地から様々な物資が集まっていた。羽柴(はしば)藤吉郎秀吉の城下、長浜や明智十兵衛光秀の城下、坂本へ向かう船もそこから出航していた。

 赤いリボンの娘は大通りに出ると東に曲がり、両側に並ぶ店をキョロキョロ眺めながら歩いていた。

「あっ、アレだ!」と飛び上がると『我落多(がらくた)屋』と書かれた看板のある店へと向かった。

 この大通りにはふさわしくない、みすぼらしい店構えだったが、店の後ろに建つ屋敷は対照的に素晴らしかった。二階もあり、欄干(らんかん)の付いた廊下と瓦葺(かわらぶ)きの屋根が目立っていた。

「ヘンなの‥‥‥」と言いながら、娘は薄汚れた暖簾をくぐって店内に入った。

 娘を追っていた山伏は、我落多屋に入って行った娘をチラッと見ながら、我落多屋の前を通り過ぎて曲がり角で姿を消した。それを追っている薬売りは何気なく、我落多屋を覗くと首をかしげてから、山伏が隠れている反対側の曲がり角を曲がって行った。

 我落多屋の店内は名前が示す通り、まるで、ゴミ溜めのように、所狭しとガラクタが積み重なっていた。

 娘がボンヤリと立ち尽くしていると、店の奥から番頭らしい男が現れて、ニコニコしながら近づいて来た。

「いらっしゃいませ、お嬢様」

 番頭は笑顔を浮かべたまま、ジロジロと娘の姿を上から下まで眺め回した。

 肌が透けるように白く、目鼻立ちがクッキリしていて、長い髪と瞳は朽葉(くちば)色だった。髪に南蛮(なんばん)渡りのリボンを結び、着物の襟元(えりもと)からは十字架が覗いている。キリシタンに違いないが、それだけでなく、南蛮人との混血のようだった。

 キリシタンは安土では珍しくなかった。信長自身はキリシタンにならなかったが、キリシタンを保護し、城下にはセミナリオ(学校)まであり、奇妙な鐘の音と異国の音楽が城下に鳴り響いていた。キリシタンは珍しくなかったが、混血娘は珍しかった。

「アノ、売れるの、このガラクタ?」と娘は首をかしげながら、ガラクタの山を指差した。

 ボロボロになった(よろい)(かぶと)、穴の開いた菅笠(すげがさ)、ヒビの入った(かめ)や食器類、破れた着物、錆び付いた農具、割れた石仏など、あらゆる物が無造作に積んであった。しかし、すべてがまともではなかった。

「はあ?」と娘の白くスラッとした足を眺めていた番頭は顔を上げた。

「アラ、ごめんなさい。ガラクタだなんて」娘は申し訳なさそうな顔をして番頭を見た。

「いえ、いいんですよ。誰が見てもガラクタです、こんなモン」番頭はニヤニヤしながら、ガラクタを蹴飛ばした。

「売れるの、ほんとに?」

「こんなガラクタでも、喜んで買ってくれる人がいるんですよ」

「ふーん、ヘンなの」

「世の中は様々ですからね。捨てる神もいれば、拾う神もいるんです。怒る神もいるし、泣く神もいるし、笑う神もいるんですよ」

 番頭は急に笑いだし、急に真顔に戻ると、「ところで、御用とは?」と聞いて来た。

「あたしネ、噂を聞いて来たんだよ」

 娘は手にした杖で、壊れた(つづみ)をたたいた。

 ポコンと情けない音がした。

「ほう、どんな?」

「このお店に持ってけば、どんなガラクタでも買ってくれるって。お足(銭)に困ったら、高利貸しのトコなんか行かないで、どんなモンでもいいから我落多屋さんに持ってけば、思ってた以上のお足に替えてくれるっていうのよ」

「はい、その噂は本当ですよ。お足に困っておられるんですか? 御立派なお足を持ってらっしゃるのに」

 番頭はニタニタしながら、娘の足を見ていた。

「今年の流行(はや)りですかな? その短い着物は」

「そうよ。涼しくっていいの」

 娘は得意気に腰を振りながら、一回りして見せた。

「お見事。で、何を買い取りましょうか?」

「あたし、違うのよ。売りに来たんじゃないの」と娘はまた、杖で鼓をたたいた。

「アノ、もう一つの噂、アレも本当なの?」

「何ですかな、アレとは?」

「このお店がネ、裏でネ、コッソリとネ、盗品を扱ってるっていう‥‥‥」

「ちょっと、ちょっと、待って下さい」番頭は手を上げて、娘の言葉をさえぎった。

「まったく困ったもんですな。一体、誰が、そんな噂を流すんでしょうか? うちは盗品など一切、扱っておりません」

「でも、みんな言ってるモン。我落多屋さんの御主人、夢遊(むゆう)様の暮らし振りはハデ過ぎるって。遊んでばっかいるって。お店も安土だけじゃなくて、あっちこっちにあって、一流の商人や偉いお侍さんたちとも付き合ってるんはおかしいって。ガラクタだけを扱って、あんな贅沢できるはずないって。きっと、裏で高価な盗品の取り引きしてるに違いないって言ってるモン」

「嘘つくな。そんな事、誰も言っておらんわ」

 番頭はとうとう怒ってしまい、ガラクタを思い切り蹴飛ばした。ガラクタの山が崩れ、娘の足元に土瓶(どびん)が落ちて来て粉々に砕けた。

「キャッ!」と悲鳴を上げながら、娘は跳びはねた。

 店の奥から、手拭いを被った娘が顔を出し、「久六(ひさろく)さん、何やってんの?」と聞いて来た。

「また、売り物を壊したんでしょ?」と娘は番頭の久六とリボンの娘を見比べた。

「違うわ。このお嬢さんがな、ムチャクチャな事を言いよるんじゃ」

 久六はリボンの娘をジロッと睨んだ。

 娘はうつむき、小声で謝った。

「可哀想じゃない。泣いちゃうわよ」

「おさや、お前に任せるわ。わしゃ、若え娘っ子は苦手じゃ」

 おさやと呼ばれた娘はリボンの娘に近づき、「どうしたの?」と優しく聞いた。

 久六は壊れた土瓶を片付けながら、娘の足をチラチラと見ていた。

「ある人を捜してほしいの」と娘はおさやに言っていた。

「人捜し?‥‥‥ごめんなさい。うちでは、そういう事はやってないのよ」

「いえ、違うの。アノ‥‥‥実はネ、このお店が盗品を扱ってると聞いて」

「誰から、そんな嘘っぱちを聞いたんじゃ?」と久六が口を出した。

「そうよ。誰がそんな事を言ったの?」

 娘は黙ってしまった。

「おさや、おめえはそういう流行りの着物は着ねえのか?」と久六はおさやの足元を見ながら言った。

「なに言ってんのよ」

「おめえの足は太えからダメか?」

「なんですって?」

「涼しいらしいぞ、な」

 リボンの娘はうなづいた。

「今、そんな事、話してたんじゃないでしょ。何を話してたか忘れちゃったじゃない」

「アノー、実はネ、盗賊なの。捜したい人って」娘は何でもない事のように言った。

「トーゾク?」とおさやは聞き直した。

「はい。イシカワゴエモン様」

 娘は大きな目をして、おさやと久六を交互に見つめていた。

 久六はたまげた顔をして、わけもなく首を揺らせていた。

「石川五右衛門か‥‥‥確かに、盗賊じゃ」と言うとおさやに目配せした。

「確かにネ、有名な盗賊だわ」とおさやも言って、娘のリボンを見つめていた。

「どうしても、捜さなくちゃなんないの」娘は強い口調で言った。右手は胸元の十字架を握り締めていた。

「何か、深いわけがありそうネ?」とおさやは心配そうに言い、

「まあ、噂は噂として、何やら困ってるようじゃな」と久六はニカッと笑った。

「とりあえず、上がってもらえ」

 おさやに案内されて娘は奥の客間に移った。

 畳が敷いてあり床の間もあり、花入れにはシャガの花が一輪、飾ってあった。

「へえ、お店と大違い」

 娘は部屋の中を眺め回し、窓から外を覗いた。

 ちょっとした庭があり、紫陽花(あじさい)の花が見事に咲いていた。裏の方からセミの声が聞こえて来る。今日も暑くなりそうだった。

 鼻歌に合わせて尻を振りながら、娘が庭を眺めていると、久六がこの店の主人である藤兵衛という男を連れて来た。年は四十前後で背は低いが、ガッシリとした体格の男で、娘に向かって丁寧に頭を下げた。

「アノ、このお店の旦那様は夢遊様だと聞いてるけど‥‥‥」と娘は不思議そうに聞いた。

「確かに、我落多屋の大旦那は夢遊様です。大旦那様は何かと忙しいのでな、わたしがこの店を任されているというわけです」

「遊ぶのに忙しいの?」

 藤兵衛はニヤリと笑って、「まあ、そういう事じゃな」と腰を下ろした。

「石川五右衛門を捜してるそうじゃの?」

 久六は娘に笑いかけ、腰を振りながら店の方に消えて行った。

「はい。見つけてもらえます?」

 娘は藤兵衛の前に座り、期待を込めて身を乗り出したが、藤兵衛は首を振った。

「ほう」と言いながら、藤兵衛は目を丸くして娘を眺めた。

 見るからに変わった娘だった。目の色が違った。髪の色も違う。そして、着ている着物は短か過ぎた。膝を丸出しにして、チョコンと座っている。藤兵衛は慌てて、膝から視線をそらすと、「そなた、どっから来たんじゃ?」と堅苦しい顔をして聞いた。

「どっからって、安土に住んでるもん。前は高槻(たかつき)にいたけど」

「成程、キリシタンじゃな」

「ネエ、五右衛門様、捜してくれるの?」

「難しいな。五右衛門が京都を中心に盗賊を働いていたのは、もう十年以上も昔の事じゃ。ここのお殿様(信長)が京都を治めるようになってから、五右衛門も身の危険を感じて姿を消してしまった。多分、今、京都の近辺にはおらんじゃろう」

 藤兵衛は眉間(みけん)にしわを寄せて、手に持った扇子(せんす)で肩をたたいていた。

「どこ、行っちゃったの?」

 娘は急に心配顔になって、うなだれた。

「分からんのう。そなた、まだ若いようじゃが、五右衛門の事を知っておるのか?」

 娘は顔を上げると首を振った。

「じゃろうの。五右衛門が暴れ回っていた頃はまだ、子供じゃったからの。しかし、また、どうして、五右衛門を捜してるんじゃ?」

「お仕事、頼みたいの」と娘は思いつめたような顔をして言った。

「なんじゃと、五右衛門に仕事? 盗みでも頼むのか?」

 娘は大きくうなづいた。

「一体、そなた、何を考えてるんじゃ?」

「父の(かたき)討ち」

 娘の名はマリアと言った。

 番頭の久六が思った通り、南蛮人との混血だった。父親は善次郎といい、南蛮流の技術を身に付けた大工で、母親はクララといい、ポルトガル人の商人と日本人の娘との間に生まれた混血娘だった。マリアは四分の一、ポルトガル人の血が入っている混血だった。

 マリアの父親は京都の宮大工だったが、二十年前、親方と共に京都で最初の南蛮寺を建ててから、キリスト教に惹かれて改宗し、南蛮の技術を身に付けた。その熱心さは宣教師たちに認められ、各地に教会を建てる時、常に善次郎が中心になって活躍した。五年前に新しく建てられた京都の南蛮寺を建てたのも善次郎で、安土のセミナリオを建てたのも善次郎だった。

 マリアはセミナリオの近くにある孤児院で働いていた。その孤児院は高槻から来たキリシタン、ドミニカが始めたもので、戦によって孤児になった幼い子供たちが収容されていた。朝から晩まで、マリアは休む間もなく、孤児たちの面倒を見ていた。

 セミナリオが完成すると善次郎はその腕を見込まれて、信長に呼ばれ、城内での仕事を頼まれた。城内でどんな仕事をしていたのか、マリアに話してくれなかったが、多額の報酬を貰ったと喜んでいた。ところが、三日前、何者かに殺されてしまった。その仇を石川五右衛門に討って貰いたいと言う。

「どうして、そこに石川五右衛門が出て来るのか、わしにはどうも分からんが」と藤兵衛は鼻の脇をかきながら、マリアの白い膝をチラッと見た。

「五右衛門様は昔ネ、パードレ(宣教師)様をお助けになったの。京都に最初の南蛮寺を建てる時、五右衛門様は色々と助けてくれたってお父様がいつも話してくれたよ。それにネ、五右衛門様は毎年、必ず、南蛮寺に多額の寄付をしてくれるのよ。あたしは五右衛門様に会った事ないけど、お父様は会った事あるの。五右衛門様ならきっと、仇を討ってくれると思って、それでネ、捜してるの」

「ほう、五右衛門がヤソ教に寄付をしていたとはのう、初耳じゃ」

「本当の事よ。ここのお殿様が助けてくれるまで、パードレ様はまるで、乞食のような暮らし、してたんだって。もし、五右衛門様が助けてくれなかったら、南蛮寺を建てる事はできなかっただろうってお父様は言ってたよ」

「成程のう。五右衛門がそんな奴じゃったとは知らなかったわ。世間の噂ほど、悪い奴じゃなさそうじゃの」

「ステキな人だと思うわ、きっと」

 マリアは夢見るような目をして、床の間に掛けられた水墨画を眺めていた。掛け軸には、ひょうきんな顔をした二人の坊さんが山奥で睨めっこをしている絵が描かれてあったが、マリアにはステキな五右衛門の姿が見えるようだった。

「うむ。ところで、そなたの父親はなぜ、殺されたんじゃ?」

「分かんないの」とマリアは首を振った。

「城内で仕事をしていたと言ったのう。城内で何かがあったんじゃないのか?」

「分かんない。でも、お殿様から御褒美として黄金の小判をいただいたって言ってたよ。でも、その小判は盗まれちゃった」

「物取りの仕業か‥‥‥」

「はい‥‥‥五右衛門様なら分かるかも」

「もしかしたらな」

「お願い、五右衛門様を捜して」

「うーむ。捜してやりたいがの」

 マリアはすがるような目で藤兵衛を見つめていた。その目は涙であふれていた。気が強そうに見えても、まだ、父親の死から立ち直っていないようだった。

「そなたがどうしてもと言うのなら、京都の我落多屋に行ってみるといい。京都の店は五右衛門が活躍していた頃からあったからのう。あそこに行けば何か分かるかもしれん」

「京都‥‥‥」

 マリアは不安そうにうつむいた。目から涙がポトリとこぼれ落ちた。

「心配しなくも、うちの若い者が明日、京都に行く事になっておる。一緒に行けばいい」

「はい‥‥‥お願いします」

 マリアは南蛮渡りの洒落(しゃれ)たハンカチで涙を拭くと、目を輝かせて喜んだ。




 朝から日差しが強かった。

 琵琶湖はキラキラと輝き、船は気持ちよさそうに湖上を走っていた。

「あたしネ、初めてよ、お船に乗るの」

 琵琶湖から望む天主を眺めながら、マリアはキャッキャッとはしゃいでいた。

「ステキねえ、スッゴク綺麗」と何度も言っては溜め息を付いた。

 琵琶湖から眺める天主はまた格別だった。青空の中、強い日差しを浴びて、神々しく輝いている。まさに、全能の神が住んでいる御殿を思わせた。

 マリアと共に京都に向かうのは勘八(かんぱち)という若者だった。

 勘八は我落多屋の使い走りで、年中、安土と京都、あるいは堺を行ったり来たりしていた。足が速いのが自慢で、革の鉢巻をして、腰に脇差を差し、縦縞模様の帷子(かたびら)の裾をはしょっていた。

 勘八は珍しそうにマリアを眺め、しきりにヤソ教の事やマリアの身の上を聞いて来た。

「あたしが十歳の時、お母様は亡くなったの」とマリアは琵琶湖を眺めながら言った。

「それじゃア、一人ぼっちなのか?」

 勘八は風に揺れるマリアの朽葉(くちば)色の髪を眺めながら聞いた。今日は黄色いリボンで髪を縛っていた。

 マリアはうなづいた。

「でもネ、あたしにはデウス(神)様がついてるモン。一人ぼっちじゃないの」

「そうか‥‥‥デウス様か」

「京都で生まれたのよ、あたし。でも、生まれてすぐ、堺に移ったから、全然、覚えてないの」

「へえ、京都で生まれて、堺で育って、そして、安土に来たのか?」

 マリアは首を振った。

「堺にいたのは五つまでよ。その後、また京都に戻って来たの‥‥‥それから、八つの時、高槻に行ったの。お母様が亡くなったのは高槻だった。高槻には去年の春までいたの。それからよ、安土に来たのは」

「へえ、高槻にもいたのか、俺も一度、あそこに行った事がある。あそこは、まさにキリシタンの都だな。安土以上に南蛮人が多くいたのは驚いたわ」

「お殿様(高山右近)がキリシタンだから、大勢のキリシタンが集まって来るの。お父様はあそこで、教会堂やパードレ様のお屋敷をいっぱい建てたのよ。安土のセミナリオだって、お父様が建てたんだから」

「大したもんだな。そういえば、セミナリオに双子の混血娘がいるって噂を聞いた事あるけど、お前の事じゃないのか?」

 マリアは驚いたように勘八を見たが、すぐに琵琶湖の方に目をやり、「違うよ」と否定した。

「あたしじゃない。確かに双子の娘がいたけど、九州の方に行ったはずよ」

「九州か、そいつはまた遠くに行ったもんだな。九州の方にはキリシタンが大勢いるらしいな。混血娘っていうのも大勢いるのか?」

「いるよ。高槻にもいっぱいいるの。パードレ様はネ、大勢の南蛮人を連れて、この国にやって来るの。何年か過ごして帰ってくけど、必ず、混血の子を残して行くのよ。あたしのお母様もそうだった」

「南蛮人は日本の女子(おなご)に子供を産ませて、ほったらかしにして去って行くのか?」

「仕方ないのよ。長い船旅は危険が多いし、連れてきたいけど、連れてけないのよ」

「南蛮の国か‥‥‥遠いんだろうな」

「あたしも行ってみたい。お爺様のお国へ」

 船は坂本の港で荷物の積み降ろしを済ませてから、大津へ向かった。

 大津で船を降りると二人は京都へと歩いた。ここまで来れば、京都は目と鼻の先だった。

 二人の後を例の山伏と薬売りが追っていたが、二人はまったく気づかなかった。

 逢坂(おうさか)山を越える時、山伏が突然、二人を襲って来た。たまたま、辺りに旅人の姿はなく、突然の襲撃に驚いたが、勘八は冷静だった。相手が一人だけだったので、勘八はマリアを守りながら、山伏の錫杖(しゃくじょう)を避け、腰の脇差を抜いて相手をした。

 マリアは杖を振り回しながら、勘八がやられてしまうと悲鳴を上げて助けを求めたが、以外にも勘八は強かった。錫杖を弾き飛ばしてしまうと、山伏は悪態をついて逃げ去って行った。

 勘八は山伏を追おうとしたが諦め、しゃがみ込んでいるマリアの所にもどると、「あいつは何者だ?」と聞いた。

 マリアは荒い息をして、首を振るだけだった。

「奴は同じ船に乗っていた。俺たちを付けていたのかもしれん」

「あたし、知らない。そんなの知らないモン」

「そうか‥‥‥まあ、いい」

 背負っていた荷物が脇にずり落ちて、着物の胸がはだけ、ピンと張った乳房が顔を出していた。

 勘八は眩しそうに乳房を眺めながら、「お前に用があれば、また、現れるだろう」と言った。

「そんな‥‥‥」

「大丈夫だ。もうすぐ、京に入る。人目のある中で襲って来る事はあるまい」

「そうネ‥‥‥」

「直した方がいい」と勘八が指さすとマリアは慌てて胸を隠して立ち上がった。

「勘八さんがあんな強いなんて知らなかった」

 マリアはニコッと笑うと、着物を直して、荷物を背負い直した。

「俺は使い走りだからな。時には大事な書状を持って走る事もあるんだ。これでも、一応、武芸の心得はあるんだよ」

「そうなの‥‥‥見直しちゃった」

「見直したついでに、惚れてくれればありがたいがな」

「エッ?」

「冗談だ」

 粟田(あわた)口から京都に入った二人は通玄寺(つうげんじ)脇の木戸を抜けて、三条通りを西へと向かった。

 何度も戦乱を経験して来た京都の町人たちは、自らの力で都を守るため、町全体を囲むように堀を掘り土塁(どるい)を築き、非常時に備えていた。しかし、信長が将軍足利義昭を京都から追い出してからは平和が続き、堀と土塁は無用の長物と化しつつあった。

「まあ、綺麗!」とマリアが叫んだ。

 右手に安土の天主に負けない程、華麗な御殿が見えた。

「二条御所だ」と勘八は言った。

「安土のお殿様が親王(しんのう)様のために建てたんだ」

「凄いネ」

「確かに凄い。今のお殿様は怖い物なしじゃ。何でもできる」

 二条御所を右に眺めながら、二人は歩いた。

 新町通りを左に曲がると、通りの両側に小さな店がいくつも並び、道行く人も多くなった。

 勘八は目を光らせて、さっきの山伏の姿を捜していたが、見つける事はできなかった。山伏に代わって、目付きの悪い薬売りが後を付けているのに気づいた。警戒していたが、いつの間にか消えていまい、何でもなかったのかと胸を撫で下ろした。

「あたし、知ってるよ、この通り」とマリアが勘八の手を引いた。

「高槻から安土に行く時ネ、京都に寄ったの。その時、ここ、通ったような気がする。確か、この先に南蛮寺があるんでしょ?」

「当たり‥‥‥寄ってくか?」

「当然よ‥‥‥南蛮寺もお父様が建てたのよ。完成した時はモウ凄かったよ。大勢の信者さんたちが集まってネ、お祈りを捧げたの。その頃、あたし、高槻にいたんだけど、お殿様(高山右近)に連れられてネ、大勢の信者さんたちと一緒に京都に来たの。あの時はほんと、素晴らしかったよ」

 マリアはそう言うと南蛮寺の方に駈け出して行った。勘八は慌てて後を追った。

 最後まで付き合うつもりでいたが、マリアはいつまでもひざまづいたまま、祈りを続けていた。勘八はマリアを残して礼拝堂から外に出ると、中庭にある椅子に腰を下ろした。

 南蛮寺は三階建てで、一階に礼拝堂があり、二階と三階は宣教師たちの住まいになっていた。

 勘八が扇子をあおぎながら南蛮寺を見上げていると、二階の欄干(らんかん)から赤ひげの南蛮人が顔を出して勘八を見つめた。何か文句あるのかと睨むと、南蛮人はニヤッと笑い、「ボア・タルデ」と手を振った。

 相手が何を言ったのか分からず、「暑いのう」と勘八は答えて、扇子をあおいだ。

 赤ひげの南蛮人は、さらに、わけの分からない事を言うと姿を消した。

「まるで、異国だな」と勘八は一人つぶやいた。

「ここなら、あの山伏も出て来るまい」

 流れる汗を拭きながら、急にニヤニヤして、「マリアはいい女子(おなご)だ」とうなづいた。

 一時(いっとき)(約二時間)後、マリアが涼しい顔をして礼拝堂から出て来た時、勘八は椅子に持たれたまま、居眠りをしていた。

「アラ、待っててくれたの?」とマリアは驚いた。

 マリアの声にビクッとして起きると勘八は寝ぼけた顔で、「終わったのか?」と足に止まった蚊をたたいた。

「ええ。ずっと、待っててくれたの? 我落多屋さんで待ってればよかったのに」

「お前、我落多屋の場所、知ってるのか?」

「知ってるよ。この通りを真っすぐ行って、四条通りの所にあるんでしょ」

「なんで、知ってるんだ?」

「あそこの我落多屋さんの旦那様は宗仁(そうにん)様っていうんでしょ。いつも、絵を描いてるお坊さんみたいな人でしょ。お父様の知り合いなの。宗仁様はネ、この南蛮寺を建てる時も色々と協力してくれたらしいよ」

「早く、それを言え。このクソ暑い中、待ちくたびれたわ」

「ごめんなさい」

 マリアは素直に謝った。

 可憐なマリアの顔を見ながら、「いいんだ」と勘八は笑った。

 マリアもニコッと笑った。

「なあ、さっき、南蛮人から、ボア・タルデって言われたけど、どういう意味なんだ?」

「挨拶よ。こんにちわって言ったの」

「なんだ、そうか。俺は馬鹿にされたんかと思った」

「違うよ。日本人は南蛮人が近づいてくと怖がって逃げちゃうけど、同じ人間なのよ。南蛮人はネ、もっと日本の事を色々と知りたいと思ってるの。言葉が通じなくても、気持ちは通じるのよ。もっと、親しくした方がいいと思う」

「同じ人間か‥‥‥うちの大旦那様はいい加減な南蛮言葉を使って、南蛮人とよく話をしてるんだ。そばで聞いてても俺にはサッパリ分かんねえ。後で、大旦那様に聞いてみると、大旦那様もほとんど分かんねえって。でも、気持ちは分かるって言ってたっけ」

夢遊(むゆう)様が?」

「そう。面白え人だよ」

「そうネ。安土にいなかったけど、今、どこにいるの?」

播磨(はりま)の国(兵庫県)だよ」

「フーン、忙しいのネ」

「忙しいんだか、どうだか。いつも、フラフラ遊んでるようだ」

「みたいネ」

 京都の我落多屋も安土の我落多屋と同じく、店の中はガラクタだらけだった。家の作りは間口が狭く奥行きの長いウナギの寝床で、安土のように二階はなく、建物はずっと古かった。最近、隣の土地を買い取ったため、台所の奥が広くなっていて、中庭には茶室と離れが建っていた。

 マリアは去年の春、この店に来た事があった。父親に連れられて、八年間暮らした高槻を後にして安土に向かう時だった。

 我落多屋の主人、宗仁はマリアの父親が殺されたと聞くと、「信じられん」と何度も坊主頭をたたいていた。

「何があったんじゃ?」

 マリアは説明した。

「勿体ない事じゃ。あれだけの腕を持ちながら、物取りに殺されてしまうとはのう。安土の仕事が終わったら、善次郎殿にこの店を直して貰おうと思っていたんじゃ‥‥‥惜しい事をした」

「この店を南蛮風にするつもりだったんですか?」と勘八が首をかしげながら聞いた。

「ああ。二条御所に負けない位、立派な店にしようと思っていたんじゃ」

「何を言ってるんです。こんな狭い土地にあんな物が建てられるわけないじゃないですか」

「土地は狭いが、立派な屋敷を建てるつもりじゃった。せめて、安土に負けん程のな」

「安土のお屋敷は綺麗だったよ」とマリアは言った。「でも、お店の方はみすぼらしいよ」

「まあ、それは商売柄仕方がない。立派な店構えにすると、貧しい者たちは遠慮して入って来なくなるからの」

「そうネ‥‥‥宗仁様、五右衛門様を捜してくれるよネ?」

「石川五右衛門か‥‥‥捜すのは難しいがの。善次郎殿の仇を討つとなれば、捜さなくてはならんの」

「石川五右衛門は善次郎さんを知ってるんでしょ」と勘八は言った。「それなら、殺された事を知れば、どこかから現れるんじゃないんですか?」

「うむ。知れば現れるじゃろうが、五右衛門が今、この辺りにいる気配はないからの」

「宗仁様は五右衛門様を知ってるの?」とマリアが目を輝かせた。

「わしらがこの店を始めた頃、五右衛門はこの京都で暴れておったんじゃ。奴に直接会った事はないが、奴の手下がこの店に盗品を持って来た事はある。五右衛門の手下と名乗ったわけじゃないがの。盗まれた物を見れば、すぐに分かった」

「そう。それじゃア、宗仁様も五右衛門様の顔は分かんないのネ?」

「ああ、分からん。五右衛門の人相書は何度も目にしたが、その度に顔が違っておった。どれが本当の顔なのか、一向に分からんわ」

「お父様は五右衛門様に会った事あるよ。お父様が生きてれば、五右衛門様の顔が分かるのに‥‥‥」

「確かにそうじゃが、お父様が生きていれば、五右衛門を捜す事もあるまい」

「そりゃそうだけど‥‥‥」

「すぐにとは言えんが、手掛かりくらいはつかめるじゃろう。しばらく、待っていてくれ」

「お願いします」

 マリアは我落多屋の客間に滞在して、店の仕事を手伝っていた。朝と晩、南蛮寺に通ってお祈りをする以外、外出する事もなく、店に奉公しているおはるという娘と一緒に店番をしていた。

 勘八は安土に帰る事なく、マリアの身辺を守っていた。

「親父さんを殺した奴は、お前の命も狙ってるかもしれん。この前の山伏がそうだったのかもしれん。お前にもしもの事があったら俺は店にいられなくなる」

 そう言って、勘八はマリアのそばを離れなかった。山伏と出会う度に警戒していたが、あの時の山伏が現れる事はなかった。

 マリアは店番をして、実際に我落多屋がやっている事を知った。

 貧しい者がガラクタを持ってやって来ると、番頭の彦一は品定めをして銭に替えてやるわけだが、ガラクタその物の値打ちよりも相手の事情によって銭を渡しているようにしか思えなかった。

 乞食のようなお婆さんが、そこらで拾った石コロを持って来た時も追い返す事なく、真面目な顔をして石コロを眺め、事情を聞きながら、銭を十枚も渡していた。お婆さんは何度もお礼を言って帰って行った。

「この石コロが十(もん)の価値があるの?」とマリアは不思議そうに聞いた。

「あのお婆さんはなかなかの目利きでな。この石も磨いて飾っておくと、百文くらいで売れる事もあるんだよ」

 彦一は石コロをおはるに渡した。

「でも、ほとんど、売れないわ」とおはるは笑って、ガラクタの山に石を投げ捨てた。

「ネエ、こんな事してて儲かるの?」

「物を買い取るばかりじゃ儲からん。買い取った物を売らなくてはな」

「このガラクタが売れるとは思えない」

「ここに並べてあるのは、ハッキリ言って飾りだよ」

「飾り? これが?」

「うむ。そこに並べてある物を見て、貧しい者たちは自分の持っている物も売れると思って、店にやって来るんだ」

「それじゃア、このお店は貧しい人たちを助けるためにやってるの?」

「そうだよ。知らなかったのか?」

「だって、そんな事をしてたら、いくらお足(銭)があっても足らないじゃない」

「だから、裏で盗品を扱ってるんだよ、内緒だがな。おはる、向こうの物を見せてやれ」

 マリアはおはるに連れられて土間の隣にある板の間の部屋に入った。そこにも所狭しと様々な品が並んでいたが、それらは皆、まともな品々だった。

「これもみんな、貧しい人たちから買い取った物なの?」とマリアは品物を眺めながら聞いた。

「そうよ。でも、ここにある物も安く売っちゃうから、儲けなんて全然ないのよ。値打ちのある物は蔵の中にしまってあるの」

「蔵の中に?」

「そう。かなり高価な物がネ。そういう物はお店に並べても売れないわ。一流の商人や武将たちが相手ネ。旦那様がお茶会などにお呼ばれした時、それとなく、相手にこんな物が手に入ったけど、どうかって言って話をまとめるのよ。あたしなんかには価値が分からないけど、こんな小さなお茶入れが、何百(かん)もする事があるわ」

「何百貫も‥‥‥」とマリアを大きな目をさらに大きくして驚いた。

「そう。全然、(けた)が違うのよ。そんな取り引きをしてるから、貧しい人たちにお足をばらまいても平気なの」

「へえ、凄いネ‥‥‥そういう値打ち物って盗品なの?」

「そうよ」

「泥棒がここに売りに来るの?」

「こそ泥みたいな人なら直接来るけど、大した物は持って来ないわ。値打ちのある物を持って来るのはかなりの大物よ」

「石川五右衛門みたいな?」

「そう。そういう人は、手下の者をよこして、旦那様を呼び出すの。旦那様はどこかで、その大物と会って話をつけるのよ」

「怖くないの? そんな所に出掛けて行って」

「怖いと思うけど、旦那様はいつも、平気な顔して出掛けて行くわ」

「へえ‥‥‥」

「ああ見えても、昔はお侍だったらしいから、結構、強いのかもしれないわ」

「そう‥‥‥もしかしたら、宗仁様は五右衛門様と会った事あるんじゃないの?」

「さあ、分からないわ。最近、石川五右衛門の名前は聞かないもの。もしかしたら、大旦那様なら会った事あるかもしれないわネ」

「夢遊様が?」

 おはるはうなづいた。

「夢遊様は今、播磨の国にいるんでしょ。いつ、帰って来るの?」

「分からないわ。でも、月末近くにはここに来るはずよ。上京の大文字屋さんとお茶会をするとか言ってたわ」

「月末か‥‥‥」

「待ってみたら?」

「そうネ」

 マリアは毎日、おはると一緒に店番をしていたが、盗っ人が盗品を売りに来る事はなかった。






安土城跡




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