酔雲庵

時は今‥‥石川五右衛門伝

井野酔雲





山の砦




 おつたに連れられて、マリアと勘八は安土の北東にある霊仙山(りょうせんざん)の山中へと入って行った。

「ネエ、どこ、行くの?」と薄暗い山道を見上げながら、マリアが聞いた。

「お頭の所に決まってるでしょ」とおつたはサッサと山道を登って行った。

「どうして、五右衛門様はこんな山の中にいるの?」

「盗っ人が町中にいるわけないでしょ」

 おつたの言う事はもっともだが、マリアは何となく不安になっていた。

「奴に捕まったら、終わりじゃ、ヒッヒッヒ」と言った夢遊の言葉が思い出された。

 盗賊一味の荒くれ男どもに囲まれて、乱暴されるのではないかと恐ろしくなった。

 マリアは急に足を止めると、後ろから来る勘八を振り返った。

「大丈夫だよ」と勘八は自信ありげに言ったが、勘八一人で盗賊を相手に逃げられるとは思えなかった。

「お前の事は俺が命懸けで守る。それに、石川五右衛門はお前の親父さんの事を知ってるんだろ。大丈夫だよ」

「そうネ、大丈夫よネ」とマリアは自分に言い聞かせた。

 勘八はマリアの手を引くと、おつたの後を追って行った。

 道がなくなっても、おつたは草をかき分けて、どんどん登って行った。

 ここまで来たら、もうどこまでも付いて行ってやるとマリアは覚悟を決め、汗を拭きながら後を追った。

 途中、危険な岩場があった。おつたは身が軽く、ヒョイヒョイと岩をよじ登って行った。マリアは負けるものかと必死になって岩にしがみついた。

「あんた、なかなか、やるじゃない」とおつたは笑った。

「五右衛門様に会うためなら、こんな事くらい‥‥‥」マリアは額の汗を拭うと岩壁を見上げた。

「もうすぐよ」

 岩場を抜けると後は比較的平坦な道が続いた。しばらく行くと鬱蒼(うっそう)とした木立の中に、空堀と土塁に囲まれた砦が現れた。まさに、大盗賊、石川五右衛門の砦を思わせる不気味さが漂っていた。

「この中に、五右衛門様がいるのネ」とマリアはポツリとつぶやいた。

 おつたが門の前で、「ピピッピ、ピーピー」と口笛を鳴らすと、土塁の上に若い男が顔を出し、「おつたか?」と聞いてきた。

「お土産、持って来たわ」とおつたは言った。

「よくやった」と若い男はマリアをチラッと見てから消えた。

 しばらくして、分厚い門扉(もんぴ)が開いた。

 土塁に囲まれた中は以外に広く、若者たちが武術の稽古に励んでいた。

 土塁から顔を出した男が、「おつた、お頭が待ってる」と言って、右側にある屋敷を(あご)で示した。

 その男は猟師の格好をして鉄砲を持ち、ニヤニヤしながら、マリアを眺めていた。

 おつたはうなづき、マリアと勘八を屋敷に案内した。

 屋敷の中は薄暗く、奥の部屋に人影が見えた。

 おつたはマリアと勘八を手前の部屋に座らせると、奥の人影に声を掛けた。

「あれが五右衛門様なの?」とマリアは人影をジッと見つめた。

 黒っぽい帷子(かたびら)を着て、文机(ふづくえ)に向かっているようだった。後ろ姿は逞しく、マリアが想像していた通りの五右衛門だった。

「おう、無事じゃったか?」と低い声で言うと五右衛門はゆっくりと振り返った。

 期待と不安に揺れながら、マリアは五右衛門の顔を見つめた。その顔を見て、今にも悲鳴を上げそうになる程、驚いた。

 目の前のいるのは、我落多屋の大旦那、夢遊に間違いなかった。

 マリアは気を落ち着けると、「どうして、夢遊様がこんな所に?」と聞いた。

「わしがお前の捜していた石川五右衛門じゃ」と夢遊はハッキリと言って、こっちの部屋に入って来た。

 マリアの前に座り込むと、「しばらくじゃったな」と笑った。

「なによ、これ。信じられない」とマリアは勘八を見た。

 勘八はマリアに向かって、うなづいた。

「あなた、あたしを騙してたのネ? みんなして、あたしを騙してたんだ、モウ。みんな、信じられない」

「別に騙していたわけじゃないのよ」とおつたが言った。「あなたを盗っ人の世界に引き込みたくなかっただけよ。あなたが思っている以上に、この世界は残酷なの」

「わしは夢遊のままでいるつもりじゃった」と夢遊こと五右衛門は言った。「五右衛門捜しなど諦めてもらうつもりでいた。親父の仇討ちの事もな」

「いいえ。あたしは諦めないモン、絶対に諦めないモン」マリアは強い口調で言った。

「その事は後で考えるとして、お前をここに連れて来たのはお前の身を守るためじゃ」

「あたしの身を?」

「うむ。あれから、わしもお前の親父の死を調べてみた。初めは単なる物取りの仕業じゃと思ってたが、どうやら、そんな生易しいもんではなさそうじゃ。お前の親父を殺したのは何者かに雇われた浪人者じゃった」

「浪人者? 何者って誰なの?」

「まだ、分からん。その何者かはお前の親父を殺しただけでは飽き足らず、お前ら姉妹まで殺そうとした」

「エッ、あたしたちを?」

「高槻でジュリアは殺された」

「まさか‥‥‥そんな‥‥‥」マリアは口を手で押さえて、五右衛門をジッと見つめた。

「幸い、人違いで済んだ。それも雇われた山伏の仕業じゃ。そいつらはジュリアの顔を知らなかったんじゃろう。同じ名前の若い娘が手籠めにされた上で殺され、河原に捨てられた。一歩間違ってれば、それはお前の妹、ジュリアじゃったかもしれん。その後、お前が高槻に行った時も奴らはお前を狙っていたが、わしの手下に捕まった」

「あたしが来るのを待ってたの? 高槻で」

 五右衛門はうなづいた。

「その山伏たちも編み笠を被った侍に雇われたというだけで、何も知らん。お前らの命を狙ってるのが何者かは分からんが、お前らがまだ、生きてる事を知れば、必ず、命を狙うじゃろう。その何者かを突き止めるまでは、お前にはここにいてもらう事にする」

「そんな‥‥‥」

「まだ、死にたくはあるまい」

「でも‥‥‥こんな山の中で、あたしに何をしろって言うのよ」

「しばらくは辛抱せい。ジュリアはどこに行ったんじゃ?」

 マリアは首を振った。

「ジュリアも危険なんじゃぞ」

「だって、ほんとに知らないんだモン。高槻に帰ってるはずなのよ。自分が狙われてる事を知って、どこかに隠れてるんじゃないの」

「どこに?」

「知らないったら」

「まあ、いいじゃろ。ところで、お前の親父は安土の天主の図面を書いたそうじゃの?」

 マリアはうつむいてから、顔を上げると、「五右衛門様、お父様の仇を討ってくれると約束してくれたら、みんな、話すよ」と言って、口を堅く結んだ。

「うむ、約束しよう」

「ほんと?」

「ああ。やり方が汚な過ぎるからな。仇は必ず、討ってやる」

「さすが、五右衛門様。お父様が言ってた通りの人だった」

 マリアは喜んで、勘八の方を見た。

 勘八も嬉しそうに笑っていたが、マリアは、「嘘つき!」と言って、フンと鼻を鳴らした。

「善次郎は何と言っていた?」と五右衛門が聞いた。

「五右衛門様はただの盗っ人じゃない。やり方は手荒いけど世直しをしてるんだって」

「まあ、そういう事じゃ。善次郎は、わしの事を理解してくれておったわ。さあ、全部、隠さず話してくれ」

 マリアは荷物をほどくと中から紙包みの束を出し、五右衛門に渡した。

「お父様は殺される三日前、もしも、わしに何かあったら、それを持って五右衛門様の所に行けって言ったの。その人どこにいるのって聞くと、我落多屋さんで聞けば分かるって言ったのよ。その時、我落多屋さんの大旦那様が五右衛門様だって言ってくれれば、こんな苦労しなかったのに。お父様も一言足りないよ」

 五右衛門は紙束をほどいて広げて眺めた。安土城の天主の図面は一番上にあった。

「それが殺された原因でしょ?」と勘八が身を乗り出した。

「いや」と五右衛門は首を振った。「こんな図面を書いたからといって、殺されるとは思えんな」

「どうしてです? 安土城の天主の図面ですよ」

「信長はな、気にいった客が来ると自慢気に天主を見せて歩くんが好きなんじゃ。現に、わしも天王寺屋の旦那と一緒に、隅から隅まで見せてもらったわ。この四階にある黄金の山も拝ませてもらった。多分、善次郎も信長の案内で天主の中を見て歩いたんじゃろう。あの天主は素晴らしい建物じゃ。大工の善次郎なら、見取り図を書くのは当然の事じゃ。見取り図を書いたからといって、まさか、殺すような事はあるまい」

「そうですか‥‥‥でも、これがもし、敵に渡ったら大変な事になりますよ」

「いや。この図面を見たからといって、あの天主には簡単に忍び込めはせん。守りは厳重じゃ。それとな、あの安土の城はな、今までの城とは全然、違うんじゃよ。本来、城というものは戦をするために作る。敵が攻めて来た場合、守り易く、攻め易いように作るもんじゃ。ところがあの城は違う。大手門から二の丸まで広い道がずうっと続いておる。二の丸の下には今、立派な寺を建てている。もうすぐ、完成するらしいが、信長はその寺に一般の者たちが大勢、参拝に来る事を願ってるんじゃ。という事は二の丸の下まで、誰でもが自由に行き来できるという事なんじゃ。もし、敵の大軍が攻めて来たら、あんな城はすぐに落ちてしまうじゃろう。信長はな、安土の城に敵が攻めて来る事はあるまいとの絶対の自信を持って、あの城を建てたんじゃよ。実際に、今の信長の敵は遥か彼方にいるからな。信長があの城を建てたのは自分の力というものを世間に見せつけるためなんじゃ。あの華麗な天主を見れば、田舎の大名たちは腰を抜かしてしまうじゃろう。信長は安土城の素晴らしさを宣伝してもらうために、京や堺の商人たちに城内を見せびらかしているんじゃ。商人たちはあっちこっちに行って、天主の中がどうなっているのかを話す事じゃろう。山のようにある黄金の事もな。信長にとって天主の内部がどうなってるかなんて、秘密にしておくべきものでもなんでもねえんじゃ。あの城の役目は敵の攻撃から守るのではなく、ただ、信長自身の命を守るために作られたといってもいい」

「信長自身の命を守るため?」とマリアがよく分からないという顔をして聞いた。

「そうじゃ。大軍を率いて安土まで攻めて来る者などおらん。安土にたどり着く前に信長の家臣たちにやられてしまうからの。しかし、信長に滅ぼされた残党どもはひそかに信長の命を狙っている。それは信長自身が一番知っている。何度も暗殺されかかったからな。信長が恐れているのは忍びじゃ。忍びから身を守るために、あの天主に隠れているんじゃよ。信長は忍びが絶対に忍び込めねえように、あの天主を作ったんじゃ」

「天主には絶対に忍び込めないんですか?」とおつたが聞いた。

「うむ、難しい。わしも案内された時、色々と考えてみたが不可能じゃと思ったわ」

「そうなんですか‥‥‥」

「五右衛門様でも、安土の天主には忍び込めないの?」とマリアが聞いた。

「残念じゃがな‥‥‥そういう事じゃ。善次郎が殺された原因はこの図面じゃねえ」

「さすがネ」とマリアが手を上げた。

「まだ、何か隠しておるな?」と五右衛門はマリアの目を見つめた。

 マリアは帯の中から布切れにくるまれた紙切れを出して、五右衛門に渡した。

「本当はそれなの。お父様が五右衛門様に見せろと言ったのは」

 紙切れを広げて見ると道のようなものが書いてあったが、左半分が切られていた。

「安土の天主の抜け穴よ」とマリアは言った。

「ナニ、抜け穴‥‥‥」五右衛門は紙切れをジッと見つめた。

「成程、天主の下に穴を掘ったのか‥‥‥二の丸の下を通ってるようじゃが、左側の図がなければ、どこに通じてるのか分からんな。こっち側はどうしたんじゃ?」

「ジュリアが持ってるよ」

「なんじゃと? ジュリアはどこじゃ?」

 マリアは首を振った。

 勘八が紙切れを覗き込んでいたので、五右衛門は勘八に渡した。

「知ってるはずじゃ。全部、話すんじゃなかったのか?」

「お父様は殺される前、その紙切れをあたしとジュリアに半分づつ渡して、もしもの事があったら、五右衛門様にその紙を見せろと言ったの。でも、ジュリアは盗賊なんか信じられないって高槻に帰っちゃったのよ」

「善次郎は城内で抜け穴を掘っていたのか?」

「違うよ。お父様は最後の仕上げをしただけだって言ってた」

「最後の仕上げ?」

「そう言っただけ。何をしてたのか教えてくれなかったの」

「お前の親父さんは、この抜け穴を使って、お頭に天主に忍び込めって言ったのか?」と勘八が聞いた。

 マリアはうなづいた。

「わしに黄金を盗ませる気じゃったのか?」

「お父様はお殿様から仕事を頼まれた時、何かイヤな予感がするって言ってた。行きたくなかったけど、自分の腕を認めてくれたのに断る事はできないって、お城に行ったの。お父様がいつまでも帰って来ないんで、あたし、心配だった。もしかしたら、殺されてしまったんじゃないかって思ったよ。でも、お父様は無事に仕事を終えて戻って来たの。あたし、ほんとにホッとしたよ。お父様は遊女を身受けして、妻にすると言っていい気になってたけど、ほんとは、お殿様の事を恐れてたの。抜け穴の仕事に関わってしまったため、いつか、お殿様に殺されるかもしれないって恐れてたのよ。お殿様は恐ろしいお人よ。有岡城(伊丹市)のお殿様(荒木村重)が謀叛した時、あたしたちキリシタンはみんな捕まって、もう少しで殺される所だったの。あたしたちは助かったけど、有岡城のお殿様の奥方様や御家来衆の奥方様や子供たちまでみんな、殺されちゃった。恐ろしい事よ」

「そうか、あの時、お前らは高槻にいたんじゃったな。あの事件に巻き込まれたのか‥‥‥確かに、あれはひどかった。信長は六百人余りもの女子供を平気で殺してしまった。しかも、残酷なやり方でのう。あれを見たら、信長を恐れるのも無理はねえな」

「はい」とマリアは神妙な顔をしてうなづいた。「お父様はとても恐れてたの。もし、殺されちゃったら、五右衛門様に抜け穴を使って、お城に忍び込んでもらって、黄金を盗んでもらおうと思ったんだと思うよ」

「なぜ、そう思うんじゃ? わしに仇を討ってもらうというのなら話は分かるが、どうして、黄金を盗むんじゃ?」

「お父様はお城の中にある黄金の山を見て、その黄金を世の中のために使うべきだと思ったのよ。オスピタルを建てて、貧しい病人たちを救ってやりたいと思ったのよ」

「あの黄金で貧しい者たちを救うのか‥‥‥確かに、善次郎の考えそうな事じゃ」

「やってくれますか?」

「善次郎の気持ちは分かるが無理じゃ」

「どうして?」

「城の中には一万枚以上の金の小判がある。お前はそれが、どの位の重さだか分かるか?」

「いいえ。そんなの見た事ないモン」

「一枚の小判の重さが四十四(もんめ)(約百六十五グラム)じゃ。一万枚じゃと‥‥‥」

「四百四十貫(約千六百五十キログラム)」とおつたが答えた。

「うむ、四百四十貫じゃ。一人で二十貫を運んだとしても、二十二人も必要じゃ。たとえ、抜け穴を通って城内に忍び込んだとしても、二十二人もゾロゾロと入って行ったら、すぐに見つかってしまうわ」

「なにも一度に全部取らなくても、少しづつ取ればいいんじゃないの?」

「いや。抜け穴は一度しか使えん。五、六枚ならなくなっても分からんが、一遍に二、三百もなくなれば、すぐに分かる。抜け穴はすぐに塞がれてしまうわ。それにな、五右衛門としては、そんなセコイ仕事はせんのじゃ。やると決めれば、すべてをいただく」

「何か、うまい方法を考えて下さい」とマリアは言ったが、五右衛門は首を振って、「ジュリアはどこに行ったんじゃ?」と聞いて来た。

 今度は、マリアが首を振った。

「教えない。五右衛門様が黄金を盗むと言ってくれるまで、絶対に教えない」

「ジュリアの身も危険なんじゃぞ」

「仕方ないよ。お父様が殺された時から、そんなの覚悟してるモン」

 マリアは勘八から抜け穴の描いてある紙切れを奪うとまた、帯の中にしまった。

「五右衛門様がやってくれないなら、あたし、一人でも黄金を奪い取る」

「それもいいじゃろう。だがな、しばらくはここに隠れていろ。お前の死に顔を見たくはねえからな」

 マリアはプイとふくれながら、荷物をまとめ部屋から出て行った。

 五右衛門が勘八に合図をすると、勘八はマリアの後を追って行った。

「安土の天主に抜け穴があったとは驚きだわ」とおつたは信じられないという顔をした。

「あの信長が抜け穴など掘ったとは以外じゃな。前に進む事ばかり考えてる男じゃと思っておったが、逃げ道もちゃんと用意しておく男じゃったのか‥‥‥」

「それで、お頭、ジュリアの事はどうします? マリアに吐かせますか?」

「いや。マリアの事は勘八に任せておこう」

「安土の黄金は?」

「今はまだ、時期が早え。信長を敵に回すより、信長の敵を相手にしていた方が稼げるからの」

「そうですネ。でも、ジュリアはどこに行ったんでしょう? 抜け穴の図の半分を持ってるとしたら、黄金を盗んでもらうために、どこかの盗賊の所に行ったのかしら?」

「じゃろうの‥‥‥ただ、何らかの形で善次郎とつながりのある奴に違えねえ」

「善次郎はキリシタンの大工さんでしょ。お頭以外の盗賊とも付き合っていたのかしら?」

「さあな。高槻に行ってからの奴の事はあまり知らんからのう」

「ジュリアは京都から高槻を通って堺に行って、そこから行方不明なんでしょ?」

「らしいな」

「堺まで行ったという事は、船に乗って、どこかに行ったのかしら?」

「分からん。ただ、一緒にいる薬売りはジュリアの敵じゃねえようじゃ、誰だか分からんがの。ジュリアの命を狙ってた山伏の一人が、その男にやられてる。それに、マリアの後を付けてた山伏を消したのも薬売りの仲間らしいな」

「その薬売りですけど、堺からずっと、マリアの後を追って来ました。安土に寄った時、藤兵衛様に頼みましたから、今頃は捕まってると思います」

「そうか。そのうち、知らせが来るじゃろう‥‥‥後は、新五の奴がジュリアをうまく見つけてくれるといいがのう」

「新五さんなら大丈夫でしょ、うまくやりますよ。ところで、お頭、今度はいつ、西の方に行くんです?」

「しばらくは休養じゃ。怪我人も出たしな、戦力の補強をしなければならん。今度の獲物は淡路島じゃ。来月になったら、一足先に、おめえたちに行ってもらう事になろう」

「淡路島ですか‥‥‥それじゃア、あたしはひとまず、安土に帰ります」

「御苦労じゃった」

 おつたが消えると五右衛門は文机の所に戻り、因幡(いなば)の国(鳥取県)で奪い取った戦利品の中でも一番値打ちのある虚堂(こどう)墨蹟(ぼくせき)を眺めながら、誰に売ろうかと考えた。

 マリアは話に乗ってくれない五右衛門に腹を立て、砦から早く出ようとしていた。ところが、勘八に案内されて、砦の中を見て歩くうちに考えは変わった。

 入って来た時から、砦内で若者たちが武術の稽古をやっている事は分かっていた。しかし、その中にマリアと同じ位の娘たちがいる事は知らなかった。娘たちは揃いの稽古着を着て、汗と泥にまみれて真剣に武術の稽古に励んでいた。

 マリアは娘たちの稽古振りを見て驚き、足を止めて、ジッと見入った。

「お前にだってできるさ」とすかさず、勘八は言った。

「ほんと?」マリアは興味深そうに聞いて来た。

「ほんとさ。あいつらだって、半年前は何も知らない素人だった。半年であれだけの腕になったんだ。お前は身が軽いから、素質は充分にある」

「そうなの‥‥‥でも、あの娘たちは何なの? 何のために武術を身に付けてるの?」

「あいつらはみんな、盗賊の卵だ。修行を積んで強くなったら、各地に飛んで、盗賊働きをするんだ」

「女の子が?」

女子(おなご)には女子の仕事がある」

「どんな?」

「盗みをするには、まず、獲物を選ばなければならねえんだ。どこにどんな高価な物があるかをな。獲物が見つかったら、今度は、忍び込むために色々な事を調べなければならねえ。俺たちが狙うのはあくどい事をして儲けている商人とか、民衆の事も考えずに贅沢な暮らしをしている武士たちだ。奴らは豪勢な屋敷に住んでいて警備も厳重だ。そんな所に忍び込むんだから、敵の兵力とか、敵の弱点とか、色々と調べなければならねえんだよ」

「へえ、盗っ人も大変なのネ」

「戦と変わらねえ。失敗すれば全滅する事もあるからな。女子の仕事っていうのは、獲物に近づいて、敵の情報を探る事なんだよ。時には体を武器にして情報を得る事もある。だから、みんな、いい女子だろ?」

「そういえば、みんな、綺麗な娘ばかりネ‥‥‥もしかしたら、おつたさんもここで修行したの?」

「勿論さ。俺だってそうだし、我落多屋にいる者たちはみんな、そうだ」

「エッ、そうだったの?」

「そうさ。商人の振りをしているだけで、皆、武術の腕は一流なのさ」

「京都の宗仁様も?」

「宗仁様とか、安土の藤兵衛様とか、我落多屋の主人になってる人たちは皆、二十年前にお頭が京都で暴れ回っていた頃の猛者(もさ)たちだよ。今は皆、商人に成り切ったような顔をしてるけど、怒らせたら、そりゃもうおっかねえ人たちだ」

「へえ、そうだったの‥‥‥という事は藤兵衛様も宗仁様も堺の宗雪様もみんな、あたしのお父様を古くから知ってたのネ?」

「まあ、そういう事だな」

「うまく、騙されちゃった‥‥‥ネエ、あたしも武術、習いたい。五右衛門様に頼んでくれる?」

「俺たちの仲間に入るのか?」

「それはまだ、分かんないけど‥‥‥五右衛門様が安土の天主に忍び込むんなら、仲間になってもいいよ」

「黄金をどうしても盗む気か?」

「そりゃそうよ。オスピタルを建てるんだモン。安土だけでなく、あっちこっちにネ」

「頼んでやるよ」

 マリアの修行は五右衛門に許された。

 マリアは修行している八人の娘たちと一緒に長屋に入って、朝から晩まで、汗びっしょりになって稽古に励んだ。

 勘八はマリアを見張るために砦に残り、師範代として男の修行者たちを鍛えていた。

 この砦で修行している者たちは男も女も皆、十六、七歳の若さだったが、一人だけ変わった男がいた。年は二十五歳前後で、みんなから黒助と呼ばれている大柄の黒人だった。片言の日本語しか話せないが、陽気な性格で熱心に修行に励んでいた。

 黒助は堺の我落多屋に売られて来たのだった。南蛮人の商人の奴隷(どれい)として日本に来たが、その商人が博奕(ばくち)に負けて、銭を得るために黒助を売り飛ばした。我落多屋では人間までは買い取らないと言ったが、その商人は聞かなかった。黒人は人間ではなく、物と同じだと主張した。仕方なく、宗雪はその黒人を買い取った。後で、宣教師の所に連れて行くつもりだったが、黒人は片言の日本語でサムライになりたいと言う。五右衛門に相談すると、わしらの仲間に黒人がいるのも面白えと言って、砦に連れて来たのだった。砦に来て、まだ三ケ月だったが日本人以上に体力もあり、勘も鋭いので上達は速かった。




 マリアが武術の修行に熱中しているのを見て安心した五右衛門は、夢遊に戻って安土に帰った。お澪は帰っているかと小野屋に顔を出したが、まだ帰っていなかった。

 マリアの後を付けていた薬売りもいなかった。相手を甘く見過ぎてしまい、逃げられてしまったという。

「ただの薬売りではない事は確かです。奴は一流の忍びに間違いありません」と藤兵衛は首の後ろをかきながら言った。

「一流の忍びが、どうして、マリアを追っていたんじゃ?」

「それは分かりませんが、善次郎が殺された頃、新堂の小太郎が安土から消えています。もしかしたら、奴がからんでいるかも」

「小太郎じゃと? 奴は信長の命を狙ってるんじゃろう」

「奴は信長を殺すため、この安土に来て、天主を毎日、睨んでいたに違いありません。そして、抜け穴に気付いたのかもしれません。どれだけの規模の抜け穴か知りませんが、抜け穴を掘るには(かね)掘りが必要です。金掘りが城に入るのを見たのかもしれませんね」

「うむ、あり得るな」と夢遊は渋い顔をしてうなづいた。「抜け穴などそう簡単に掘れるもんじゃねえからの。穴を掘れば土が出る。天主から土を運び出す所を見たのかもしれん」

「小太郎は抜け穴に気付き、何とかして抜け穴の入り口を捜そうとしていた。善次郎が城に呼ばれた事も知っていたでしょう。その善次郎が何者かに殺され、抜け穴に関係あると感づいたんでしょう。そこで、娘が何か知っているのではないかと追ってみる事にした。そしたら、娘の命を狙っている山伏がいたので、何かあると確信を持ったんでしょう」

「成程。となるとジュリアを追って行ったのは小太郎か?」

「可能性はあります」

「新五は小太郎の顔を知ってたな?」

「はい。新五がジュリアの行方を突き止めれば、それも分かるでしょう」

「当然、小太郎の隠れ家は探ったんじゃな?」

「モヌケの殻でした」

「そうか‥‥‥相変わらず、奴はわしらを嫌ってるらしいの」

「小太郎も今では中忍(ちゅうにん)として、何人もの下忍(げにん)を使ってる身分じゃからな。わしらの存在を認めたら、下忍たちに示しが付かなくなるからでしょう」

「まあな」と夢遊は力なく笑うと二階に上がった。

 大の字のなって昼寝をしていると銀次がやって来た。銀次は夢遊の(いびき)を聞きながら、そっと足音を忍ばせて近寄った。

 鼾が急に止まり、「階段を駈け上って来た者が、そんな所で足音を消しても遅えわ」と目を開けた。

「失礼しました」と浪人姿の銀次は刀を腰からはずして、かしこまった。

「何か分かったか?」

「はい。信長の側近を片っ端から当たってみて、目ぼしい奴は見つけましたが、まだ、はっきりとは」

 夢遊は体を起こして、あくびをすると、「誰じゃ?」と聞いた。

「長谷川藤五郎か大沢弥三郎のどちらか」

「理由は?」

「天主に抜け穴を掘るという仕事は極秘の事でしょう。それを奉行(ぶぎょう)するとなると信長の側近の中でも限られた者になります。常に信長の側に仕えている者です。その中で、善次郎が殺された先月、安土にいなかった者は消えます。堀久太郎は検地奉行として、和泉(大阪府南部)にいました。菅屋(すがや)九右衛門と福富(ふくずみ)平左衛門の二人は北陸にいました。まず、その三人は関係ありません。そして、今度は抜け穴を掘り始めた時期が問題となります。穴の規模が分からないので何とも言えませんが、なぜ、信長が抜け穴の事を思いついたのかを考えてみました。安土の天主が完成したのは一昨年(おととし)の五月です。その時点で信長が抜け穴の事を考えていたとは思えません。もう二年も前ですからね。今頃、善次郎を呼んで、抜け穴の仕事をやらせるとは思えません。それでは、一体、何が信長に抜け穴を掘らせたか?」

「うむ。わしもその事が気になっておった。あの男が抜け穴など掘るとは思えんのじゃ。で、分かったんじゃな?」と夢遊は身を乗り出して来た。

「はい。原因は石山本願寺の火災です」

「本願寺の火災? あの三日三晩、燃え続けた大火事か?」

「そうです。信長は上人(しょうにん)様を追い出した後、本願寺をそのまま、毛利攻めの拠点とするつもりだったはずです。また、数々の財宝も残されていました。それが、火災によって、一瞬の間に灰燼(かいじん)と化してしまった。信長は本願寺の火災を見て、安土の天主も火災には勝てないと思い、逃げ道である抜け穴を作ろうと考えたに違いありません」

「成程のう、信長は火事を恐れたか‥‥‥」

「信長が去年の八月から抜け穴を掘り始めたとすると、矢部善七郎が消えます。奴は本願寺が燃えた後、大坂の目付として後始末に行っています。そうやって、側近の者たちを調べて行くと長谷川藤五郎と大沢弥三郎の二人が残りました。二人共、セミナリオを建てる時の奉行をやっており、善次郎との接点もあります」

「長谷川と大沢か‥‥‥山伏は確か、多賀神社の山伏じゃったな。二人と山伏のつながりはあるのか?」

「多賀神社は早いうちから信長に味方したため、信長に保護されています。城下にも宿坊があり、二人があの山伏を銭で雇う事は簡単な事です」

「大した山伏じゃねえしな。奴らは処分したのか?」

「二人の浪人者は善次郎を直接、殺した奴ですから処分しましたが、高槻にいた三人の山伏の方はまだ、穴蔵に閉じ込めてあります。殺す程の事もないと思いましてね。山伏なら一月位、飲まず食わずで我慢しろと言ってやりました」

「うむ、いいじゃろう。ただ、逃げられんようにしろよ。奴らが、本物の下手人(げしゅにん)と会ってしまうとまた、マリアとジュリアが狙われるからな。ところで、銀次、抜け穴の事じゃが、穴を掘って出て来た土はどうしたんじゃ? 天主から土など運び出してたようには思えんがのう」

「それは簡単です。抜け穴を掘り始めた頃からハ見寺(そうけんじ)普請(ふしん)が始まってます。掘り出した土は夜中にハ見寺の普請現場まで運び込んだんでしょう」

「成程、そういう事か。やっと、納得できたわ。よく調べたな」

「後もう一息です。ただ、二人共、城内にいる事が多く、出て来たとしても、いつも、信長と一緒です。本人と直接、会う機会がなかなかありません」

「ナニ、焦る事はねえ。二人を見張ってれば、いつか、必ず、ボロを出す」

 それから三日後、ハ見寺が完成し、城下に鐘が鳴り響いた。

 夢遊も店の者たちと一緒に見物に出掛けたが、あまりの人出に途中で引き返し、我落多屋の二階から遠眼鏡で眺める事にした。

 山門があり、三重の塔があり、本堂や庫裏(くり)、書院もある立派な寺院が天主の下の丘の中腹に見えたが、それらの建物は天主に比べると派手さは全然なく、普通の禅宗寺院のようだった。

「なんじゃ、期待はずれじゃな」と夢遊は遠眼鏡から目を離して、藤兵衛に渡した。

「どれどれ」と藤兵衛も遠眼鏡を覗いた。

「ほう、凄い人手じゃのう。怪我人が出なければいいがのう」

 しばらくして、ハ見寺を参拝して来たという者が次々に我落多屋にやって来て、その模様を話して聞かせた。

 夢遊は酒を飲みながら、興味なさそうに聞いていたが、本堂に仏像がなく、不思議な石が置いてあると聞くと、急に耳をそばだてた。

「すると、ナニか、ハ見寺というのは殿様の菩提寺(ぼだいじ)じゃねえのか?」

「はい。あれは菩提寺なんかじゃないねえ。殿様自身を(まつ)ったお寺ですよ」

 夢遊は信長の菩提寺として黄金の仏像を安置した豪華な寺院を想像していた。しかし、ハ見寺はまったく違う性質の寺院だった。信長はハ見寺の本堂に仏像を置くかわりに『ボンサン』と称する大きな石を置き、それを信長の化身として、民衆に拝ませているという。

 信長は生きながらして、自らを万能の神として祀り、人々に拝む事を命じていたのだった。

「信長はとうとう、自分の事を神じゃと宣言したのか‥‥‥」

 夢遊は信長の心の中に狂気を感じずにはいられなかった。

 次の日もハ見寺は参拝客で賑わっていた。そして、十五日の盂蘭盆会(うらぼんえ)の夜に、それは最高潮に達した。

 信長はハ見寺と天主のいたる所に提灯(ちょうちん)をつるし、琵琶湖に松明(たいまつ)をかかげた船を浮かべて、豪華絢爛(けんらん)な見世物を演出した。各地から集まって来た見物人が群れをなして暗くなるのを待ち、この世のモノとは思えない光の競演に、ウットリと見とれた。

 夢遊はその晩、大勢の遊女を引き連れて琵琶湖に船を漕ぎ出し、湖上から、その素晴らしい眺めを楽しんだ。お澪がまだ帰って来ないのが残念だった。お澪がいれば、二人きりで、この素晴らしい眺めを楽しんだのに残念でたまらなかった。

 お盆も過ぎ、安土の城下に静けさが戻って来た頃、夢遊は明智十兵衛光秀の城下、坂本へ向かった。因幡の国で手に入れた虚堂の墨蹟を十兵衛に見せるためだった。

 夢遊の思った通り、十兵衛は目を輝かせて墨蹟を見つめた。

「こいつは凄い。確かに掘り出し物じゃ。これ程の掛け物は上様でさえ、持ってはいまい。我落多屋、是非とも、このわしに譲ってくれ、頼む」

 十兵衛はそう言うと、頭を下げた。

 夢遊は喜んで十兵衛に譲り、多額の礼金を手にした。

 十兵衛はさっそく、夢遊を茶室に誘うと床の間に虚堂の墨蹟を掛け、嬉しそうに自慢のお茶道具でお茶を点ててくれた。

 夢遊が初めて十兵衛に会ったのは六年程前の事だった。堺の天王寺屋宗及(そうぎゅう)の供として、夢遊は坂本城のお茶会に参加した。

 当時、茶の湯を始めたばかりだった十兵衛は、夢遊が掘り出し物のお茶道具を扱っている事を知ると、是非、お茶道具を売ってくれと言って来た。夢遊は手頃なお茶道具を持って坂本城を訪れ、十兵衛に目利き(鑑定)を教えながら、数点のお茶道具を売った。その後も十兵衛の好みそうな物が手に入ると坂本城を訪れ、十兵衛に喜ばれていた。

 十兵衛は真面目な男で、茶の湯に対しても真剣な態度で学んでいた。難しい書物を色々と読んでいるらしく知識も豊富で、武辺者の多い信長の武将の中では異例の存在だった。和歌や連歌にも詳しく、夢遊が連歌師の牡丹花肖柏(ぼたんかしょうはく)を尊敬していると言うと、「肖柏を御存じか、わしも肖柏は好きじゃ」と手を打ち、一晩中、連歌の事を語り明かした事もあった。

 十兵衛は虚堂の墨蹟が余程、気に入ったとみえて、茶の湯の後、夢遊を御馳走責めにしながら、細川藤孝に招かれて丹後の国(京都府北部)を旅した時の様子を楽しそうに話してくれた。その旅には天王寺屋宗及と連歌師の里村紹巴(じょうは)も同道していたので、二人から聞いて知っていたが、同じ旅でも三者三様の見方があるものだと面白く聞いていた。

 次の日、夢遊は他の戦利品を処分するために京都に向かった。

 京都の我落多屋にて、ジュリアを追っていた新五と会った。新五はようやく、ジュリアの居場所を突き止めていた。

「なんと、雑賀(さいか)の孫一の所にいました」と新五は驚いた顔をして結論を言った。

「なんじゃと、雑賀(和歌山市)にいたのか‥‥‥孫一といえば鉄砲と水軍で有名じゃな。しかも本願寺の門徒じゃ。キリシタンのジュリアがどうして、そんな所にいるんじゃ?」

「分かりませんが、薬売りと一緒の若い娘を追って行ったら、孫一の屋敷に着いたというわけです」

「その薬売りは新堂の小太郎じゃな?」

「アレ、御存じでしたか」

「ジュリアが消えたのと同じ頃、小太郎の奴も安土から消えたんじゃよ。やはり、奴じゃったか‥‥‥どうして、奴がジュリアと一緒にいるのか、つきとめたか?」

 新五は首を振った。「直接、本人から聞こうと思ったんですが、ジュリアの身に危険が迫る可能性もあったのでやめました」

「そうか‥‥‥しかし、どうして、孫一の所に行ったのか理解できんのう。善次郎と孫一は付き合いがあったのか?」

「その点はどうも‥‥‥」

「おめえに聞いても無理じゃったな。それで、ジュリアの身は今の所は安全なんじゃな?」

「大丈夫だと思います。孫一の客人として大事に扱われています」

 夢遊はうなづき、「ジュリアは安土の天主の抜け穴の図面を持ってるはずじゃ」と言った。

「なんですって、安土の天主の抜け穴?」

「マリアの奴が、その図面の半分をわしに見せて、天主の黄金を盗んでくれと言ったわ。ジュリアはその事を孫一に頼むために雑賀まで行ったんじゃ」

「天主の黄金ですか‥‥‥あの娘がそんな事をたくらんでいたとは驚きです。もし、見せたとすれば、孫一は本願寺門徒として長年、信長に敵対して来ましたから、当然、その話に乗って来るでしょうね。ただ、今の孫一はすぐに動ける状態ではありません。本願寺の上人様が石山から雑賀に移って来て以来、各地から門徒たちが集まって来て、派閥争いを始めています。孫一も土橋若大夫(わかだゆう)とかいう奴と争い続け、今すぐ、安土に行く事はできないでしょう」

「そうか、本願寺門徒は内輪もめを始めたか‥‥‥今、向こうに誰かいるのか?」

「伝吉の奴が見張ってます」

「伝吉は小太郎に顔を知られてなかったな?」

「はい、大丈夫です」

「よし。マリアの方はな、今、山にいる。おめえ、一旦、山に帰って、マリアから善次郎と孫一のつながりを聞いて、その事をちょっと調べてくれ」

 新五はうなづいた後、「大旦那様は当分、こちらに?」と聞いた。

「いや、二、三日したら堺に行く。当分、堺にいるかもしれん。安土に帰っても面白くねえからな」

「あれ、小野屋の女将さんはまだ、お帰りではないんですか?」

「まだじゃ」

「それはそれは‥‥‥」

「おめえ、例の後家はどうした?」

「なに言ってるんですか。あの日以来、ジュリアに振り回されて、安土に帰ってないですよ」

「そいつは御苦労じゃったな。山に行ってから安土に戻って、後家を口説いてもいいぞ」

「本当ですか。ありがとうございます」

「ヘマをするなよ」

 山伏姿の新五は浮き浮きしながら、山の砦に向かった。

 その夜、忍び装束(しょうぞく)の銀次が血相を変えてやって来た。

「お頭、大変です」と夢遊の顔を見るなり叫んだ。

「馬鹿め、ここで、お頭と呼ぶな」

「アッ、すみません」

「何があったんじゃ?」

「はい。大沢の奴が(さら)し首になりました」

「大沢というのは、おめえが追っていた奴じゃな?」

「はい。善次郎を殺したかどで、信長に殺されました」

「なんじゃと? 信長も善次郎殺しを追ってたのか?」

「どうもそうではないようで。奉行所に忍び込んで、奴らの話を盗み聞きして分かったんですが、信長が突然、善次郎を呼べと言ったらしいんです。信長は善次郎が殺された事を知らなかったんですよ。善次郎が殺された事を知ると信長は怒り、殺した奴は絶対に許さんと言ったらしいです。信長は大沢に善次郎を殺した奴を見つけろと命じました。大沢は大勢の兵を引き連れて城下を捜し回りましたが、見つかるはずはありません。信長は絶対に捜せと言い張る。大沢は例の浪人二人がすでに死んでるのを知りません。もし、あの浪人が捕まって、編み笠の侍に頼まれたと言い出したら、自分の事がばれてしまうと恐れたんでしょう。信長に睨まれたら、もう逃げる事は不可能だと諦め、自害した模様です」

「自害したのか‥‥‥自分がやったと白状してか?」

「はい。抜け穴の事は隠し、ただ、善次郎を殺したのは自分だと」

「殺した理由は?」

「善次郎が自分の命令に従わなかったとか」

「そうか‥‥‥信長はどうして、急に善次郎を呼び出したんじゃ?」

「信長は石山本願寺の跡地に安土城以上に華麗な城を建てる予定なんです。ハ見寺も完成したので、いよいよ、それを始めるつもりだったんでしょう。そこで、善次郎にもその仕事に加わってもらおうと思って呼び出したらしいです」

「成程のう‥‥‥信長のそんな思いも知らずに、大沢は善次郎を独断で殺してしまった。自害して詫びるしかなかったんじゃろうの。とりあえず、これで善次郎殺しは一件落着という事じゃな。善次郎の仇を信長が討ってくれたというわけか」

「マリアに知らせますか?」

「そうじゃな。ありのままを知らせた方がいいじゃろう」

「例の山伏たちは?」

「二度と悪さができんように腕でも斬って逃がしてやれ」

「分かりました。マリアも山から出しても構いませんね?」

「ああ、好きにさせてやれ」

 翌朝、銀次が帰ると夢遊は久し振りに南蛮寺に顔を出した。パードレに善次郎を殺した下手人が捕まった事を話し、善次郎のための鎮魂(ちんこん)のミサに加わった。





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