酔雲庵

時は今‥‥石川五右衛門伝

井野酔雲





遅い春




 抜け穴の事も、狂った信長の事も、帰って来ないお澪の事も、しばらく忘れて、一ケ月間、夢遊は淡路島で暴れ回っていた。暴れたと言っても、人殺しをしていたのではない。信長の大量殺戮を見た後、夢遊はその反発もあって、絶対に人を殺すなと命じていた。

 十一月の半ば、めぼしい財宝を奪って夢遊は安土に帰って来た。

 紅葉も枯れ落ち、荒涼とした冬景色の中、天主だけが憎々しげに輝いていた。天主を眺めながら、夢遊は穏やかな顔をして、いつものようにフラフラと歩いていたが、いつものように、娘たちに声を掛ける事もなく我落多屋へと帰った。

 夢遊の帰りを首を長くして待っている男がいた。

 新堂の小太郎だった。小太郎は夢遊が淡路島に向かった二日後、我落多屋に現れ、それからずっと、近くにある大津屋という旅籠屋に滞在しながら、夢遊の帰りを待っていた。

 夢遊が帰って来た事を知るとさっそく、小太郎はやって来た。人が変わったのか、遊び人という格好で酒をぶら下げていた。

「景気よさそうじゃの」と夢遊はその姿に呆れた。

 花柄模様の派手な(あわせ)に白(さや)の刀を差して、丈の長い羽織を引っかけ、夢遊の格好とそっくりだった。

「伊賀の掟が消えたからのう。掟なしの生き方がこんなにも面白えとは知らなかったわ。遅すぎた春を今、存分に楽しんでるというわけじゃ」

「仲間があれだけ殺されたというのに、いい気なもんじゃ。無一文じゃなかったのか?」

「ナニ、柏原の砦から銀を少々、拝借した」

「ふん。盗っ人の真似か?」

「いや。柏原まで助っ人に出掛けた報酬じゃ」

「その銀で遊び惚けてるのか?」

「そうよ。毎晩、若え娘っ子に囲まれてな、飲めや歌えと浮かれてるのよ」

 おさやがお椀とちょっとした(さかな)を持って来た。

「セニョリータ、なかなかの別嬪(べっぴん)じゃのう」と小太郎はおさやを見て、ニタッと笑った。

「ありがとうございます。でも、そんなお世辞は大旦那様から毎度、聞かされて慣れてますので、何とも思いませんわ。どうぞ、ごゆっくり」

「くノ一か?」と小太郎はおさやの後ろ姿を眺めながら小声で言った。

「ただの奉公娘じゃ」

「わしに隠す事はねえ。あの足の運びは素人じゃねえわ。まあ、いいか、まず、一献じゃ」

 二人は酒を酌み交わした。

「信長を殺るんじゃなかったのか?」

 夢遊は酒を飲みながら、小太郎のニヤけ面に言った。

「失敗したわ。信長は悪運の強え奴じゃ。道順の奴は捕まって、殺されちまったわ」

「楯岡の道順が死んだのか‥‥‥他の連中はどうした?」

「口ではみんな、仇を討つと言ってるが、実際問題として国を奪われ、家族を連れて食うのもままならん状況じゃ。百地丹波は本願寺を頼って雑賀に向かったわ。南伊賀の奴らは丹波を信じて従って行きおった。わしは伊賀に行く前、雑賀にいたので知ってるが、本願寺ももう終わりじゃな。あっちこっちから門徒が集まって来ている。しかも、下っ端じゃねえ。皆、地方で威張ってた坊主どもじゃ。上人様の機嫌を取るため、毎日、喧嘩しておるわ。それに上人様も親子喧嘩を続けておるしのう。このままじゃ、分裂するな。今の本願寺は信長と敵対する力などまったくねえわ。仲間を蹴落とす事しか考えておらんからの。当然、孫一の奴も本願寺の内部争いに巻き込まれているんじゃ。丹波と一緒に雑賀に行った連中も下らん争いに巻き込まれるわ」

「そうか、本願寺も終わりか‥‥‥」

「北伊賀の奴らはな、頭を失って、バラバラになっちまった。お陰で、わしはこうして、おぬしと酒を飲んでるんじゃが、あの時はわしもこれからどうしたらいいのか分からず、目の前が真っ暗じゃった。家族もみんな殺されちまったしな。死ぬのを覚悟で信長を狙ったんじゃが失敗した。道順は殺され、わしはやっとの思いで逃げ、ここに来たというわけじゃ。おぬしの仲間に入れてもらおうと思ってのう」

「盗っ人嫌えのおぬしが、盗っ人の仲間に入るのか?」

「今の世はな、武士が女子供を平気で殺す時代じゃ。忍びの者が盗っ人になろうと問題あるめえ」

「ほう、考えを変えたのか?」

「変えた。所詮、短え人生じゃ。面白おかしく生きた方がいいと悟ったわ。おぬしの事をふざけた野郎じゃと思っていたが、ようやく、わしにも、おぬしの生き方が分かって来た。こんな格好して、昼間から酒を食らって、娘たちをからかってヘラヘラしてるのも面白え。だがな、わしの目的はあくまでも信長を倒す事じゃ。信長から何かを盗むのなら加わるが、信長の敵から物は盗まん」

「ふん。その前におぬしに聞きてえ事がある。伊賀で聞こうと思ったが、場所柄を考えてやめたんじゃ」

「分かってる。ジュリアの事じゃろ?」

 小太郎は酒を飲み干して、溜め息を付いた。

「どうして、ジュリアの後を追ったんじゃ?」

 夢遊は小太郎のお椀に酒を注いでやった。

「すまんのう。わしはずっと、信長を見張ってたんじゃ。藤林長門に命じられてのう。長門が誰に信長暗殺を頼まれたのかは知らん。あんな奴に文句も言わずに従っていたわしが愚かじゃった。奴は湯舟の砦が落ちたら、どこかに消えちまったわ、わしらを見捨ててな。わしに信長の暗殺を命じておいて、裏では信長と通じていたのかもしれん」

「未だに行方知れずなのか、長門は?」

「完全に消えちまった。もしかしたら、死んだのかもしれん」

「わしは長門に会った事はねえが、どんな男なんじゃ?」

「どんな男と言われてものう、いつも、薄暗え部屋にいて、ハッキリと面を見た事もねえ。掟を破った者は必ず、殺すと恐れられていたからの。まともに顔を見る事もできなかった」

「そうか‥‥‥配下の者にも顔を見せんとなると余程の忍びじゃな。案外、この城下に潜んでいるかもしれんぞ」

「まさか‥‥‥」と一瞬、小太郎の顔が青くなった。酒を一口、飲むと、「脅かすな」と笑った。

「それで、ジュリアの方は?」と夢遊は聞いた。

「ああ。たまたま、夜中にハ見寺の普請場に行った時、天主の方から土を運んでるのを見つけたんじゃ。おかしいと思って土を調べてみると、その辺の土とは違う。そこで、しばらく見張っていたんじゃよ」

「それはいつの事じゃ?」

「去年の末じゃ。土は毎日のように運ばれ、ハ見寺の普請に使われたんじゃ。信長が抜け穴を掘ってるに違えねえと思ったが、確信は持てなかった。抜け穴は天主とハ見寺をつないでるに違えねえとハ見寺を捜したが見つからなかった。思い違えだったかと諦めかけた頃、善次郎が殺されたんじゃ。善次郎が信長に呼ばれて、城内で仕事をしてたのは知ってたが抜け穴と関係あるとは思っていなかった。しかし、善次郎が殺されたと聞いて、わしはピンと来たんじゃ、何かあるとな。それで、善次郎の娘を見張った。思った通り、娘を狙ってる山伏がいたといわけじゃ」

「山伏を殺したのは、おぬしか?」

「そうじゃ。捕まえたが何も知らんので殺した」

「マリアの方もか?」

「ああ、わしの手下が殺った。しかし、奴ももういねえ」

「戦死したのか?」

「ああ。みんな、殺されちまったわ」小太郎は舌を鳴らすと酒を飲んだ。「わしはジュリアを追って雑賀に行き、孫一が動くのを待っていた。孫一がジュリアの話に乗って来れば、奴が黄金を盗んでる隙に、信長を殺ろうと思ったんじゃ」

「孫一が動く前に信長の方が先に動いたというわけじゃな」

「そうじゃ。わしはジュリアを雑賀に残したまま、伊賀に帰った‥‥‥別れがたかったがのう」

「別れがたかった?」

「いい年して、ジュリアに惚れちまったらしい」

「おぬしがジュリアに惚れたのか?」夢遊は急に腹を抱えて大笑いした。

「おぬしだって、わしの事を笑えめえ。聞いたぞ、小野屋の若女将に夢中だそうじゃの」

「まあな。最高の女子じゃ」

「ジュリアだって最高じゃ」

「若えし、日本人離れした顔してるからのう。おい、アソコの毛も赤えのか?」

「おう、柔らけえ赤毛じゃった‥‥‥足がスラッと長くてのう。腰がキュッとしまってるんじゃ」

「うむ、いい体じゃな‥‥‥残念じゃが、ジュリアは消えちまった」

「銀次から聞いた。わしも捜し回ったが無駄じゃった。一体、何者の仕業なんじゃ? まさか、信長に捕まったんじゃあるめえな?」

「その事は銀次に任せてある。わしは今、帰って来たばかりじゃ」

「そうじゃったな。アッ、そうじゃ、忘れておった。土産があったんじゃ」

 小太郎は左手で脇差の(つか)を握ると右手で柄頭をはずして、中から紙切れを取り出した。

「土産じゃ」と得意気に差し出したのはジュリアが持っていた抜け穴の図面の写しだった。

「遅かったのう。伊賀に行く前に持って来てくれれば大歓迎じゃったが、抜け穴の事はもう調べたわ」

「ナニ、調べたじゃと? 穴の中に入ったのか?」

「入った。が、途中までしか行けなかった」

「クソッ! 先を越されたか。わしも信長の奴を殺そうと入ってみたが抜けられなかった」

「おぬしも入ったのか?」

「ああ、ここまでじゃった」

 小太郎は図面の中の南蛮文字の所を示した。

「どうやって、池を渡った?」

「苦労したぜ。最初の池は何とか渡れたが、次の池は足場がなくてな。仕方なく、また戻って、奥の方に何かねえかと捜したら、うめえ具合に竹竿があった。孫一の奴が置いて行ったなと思って、そいつを使って、やっと渡ったんじゃ。一人で入るべきじゃなかったとつくづく思ったわ」

「弓矢の仕掛けはどうした?」

「仕掛けは分かったさ。またいで行けば大丈夫だとは思ったが、何かの弾みで飛び出して来たらかなわねえからな、竹竿で紐を押して、矢を全部出した」

「出る時にはちゃんと元に戻したんじゃろうな?」

「当然じゃ。信長の奴に気付かれたら、元も子もねえからな」

「それならいい」

「あの扉の仕掛けは分からねえ、どうするつもりなんじゃ? あれを何とかしねえと天主には行けねえぞ」

「分かってる」

「おぬしの事じゃ、何か考えてるんじゃろ?」

「いや。まだ、何も考えてはおらん」

「まあ、いい。とにかく、わしを仲間にいれてくれ。一人じゃどうしょうもねえ」

「いいじゃろう。だが、当分は仕事をやらん。のんびりしていろ」

「そうじゃな。まだ、懐は暖けえしな。一文無しになったら、よらしく頼むぜ」

 小太郎はいい機嫌になって、鼻歌を歌いながら帰って行った。

 小太郎が帰ると入れ違いに、職人姿の銀次がやって来た。

「あれが新堂の小太郎ですか?」

 銀次は二階から大通りをフラフラ歩いている小太郎を見下ろしながら言った。

 小太郎は道行く娘に、「セニョリータ、一緒に遊ぼうぜ」と大声で声を掛けていた。

「あいつ、大旦那様の真似ばかりしてますよ。信長じゃなくて大旦那様をずっと見張ってたんじゃないですか」

「放っておけ。ジュリアの事を奴に話したのか?」

「ええ。でも、抜け穴の事は話してませんよ」

「うむ。それで、何か分かったのか?」

「はい。ちょっと一杯いいですか?」

「ああ」

 銀次は小太郎が置いて行った酒をお椀に注ぐと、一息で飲み干した。

「ホッ、うまい酒ですねエ」

「遅い春を謳歌してるんじゃと、あの馬鹿が。ジュリアに惚れたとぬかしおった。色惚けじゃな」

「そういえば、小野屋の女将さんが大旦那様の事をずっと待ってますよ」

「おお、そうじゃ。あの馬鹿が来たせいで、お澪殿の事を忘れてしまったわ。何が分かったんじゃ? 早く、話せ」

「はい。こいつはうめえ」と銀次はまた、酒を注いだ。

「酒は全部、おめえにやるから、早く話せ」

「はい。抜け穴の扉の鍵の事ですが、マリアも知りませんでした。鍵がないと扉が開けられないというと大口を開けて驚いてましたよ。それじゃア、黄金は取れないのって泣きつかれましてね。可愛い女子ですよ、マリアは。勘八が惚れるのも無理ねえですね」

 銀次は酒を飲み干すと、また注いだ。夢遊がお椀を差し出すと、「大旦那様もいきますか?」と注いでくれた。

「マリアはいい女子です。色が白くて、顔もいいし、オッパイもピンと張ってて形いいんですよ」

「おめえ、マリアのオッパイ、見たのか?」

「ちょっと、汗を流してるとこを覗きましてね」

「このスケベ野郎が」

「アレ、大旦那様からスケベ呼ばわりされるとは思ってもいませんでした」

「馬鹿野郎!」と夢遊は銀次から酒のとっくりを奪い取った。「そんな事はいいから、肝心な事をさっさと言わねえか」

「えーと、マリアはね、鍵の事なんか、ほんとに知らないんですよ。それでね、マリアから親父さんが親しかった職人を紹介してもらったんです。そして、職人を調べてみたら、なんと、鋳物師(いもじ)が一人、善次郎が殺された同じ日に殺されてたんですよ。驚きましたね。多分、その鋳物師が鍵に関係してますよ。鋳型が残ってないかと捜しましたがダメでした。見つかりません」

「鋳物師も殺されてたのか‥‥‥」

「はい」と銀次は酒を飲み干した。「こいつはうめえな。俺なんか、こんなうめえ酒、滅多に飲めないっすよ‥‥‥その鋳物師ですけどね、善次郎の住んでた職人町じゃなくて、馬場の方に住んでたんで分からなかったんすよ」

「おめえ、酔っ払ったのか?」

「このくらいじゃ、酔わないっすよ。平気です。善次郎の足取りをちゃんと、もう一度、当たってみたんですよ。でも、善次郎から何かを預かったっちゅう者はいませんでした」

「善次郎の住んでた家は、今、どうなってるんじゃ?」

「殺しのあった家ですからね、未だに借り手なんていやしませんよ」

「よし、おめえ、さっそく、その格好のまま、その家を借りろ。そして、天井裏から床下まで、すべて捜してみろ」

「分かりました。あの、夫婦者を装った方がいいでしょ?」

「そうじゃな。その方が怪しまれんじゃろう。おめえ、誰か好きな女子がおるのか?」

 銀次は照れくさそうにうなづくと、「実はおときなんで」と言った。

「ほう、おときか。うまく行ってるのか?」

「ええ、まあ。おときはほんとにいい女子なんすよ。おときの‥‥‥」

「一々、おときの事を説明せんでもいい。おときと一緒に暮らしていいから、絶対に鍵を捜し出せ」

「ありがとうございます」

「うまくやれよ」

「はい、大丈夫です。それと図面にあった南蛮文字も調べましたよ。セミナリオに行って聞いて来たんすよ。若い者がいっぱいいるんすけどね、みんな、頭がいいんすよ。たまげやしたね」

 銀次は懐から走り書きした紙を出した。

「えーと、『M』はエーミと読んで、『J』はジェータと読むそうです」

「エーミにジェータか。どういう意味じゃ?」

「イロハのイと同じようにそれだけでは意味はないんすよ。南蛮文字もいくつか組合わさって意味のある言葉になるんだそうっす。ただ、何かの頭文字を表す時は一字でも使われるとか言ってやしたね」

「頭文字とは何じゃ?」

「何でも最初の文字を頭文字というそうっす。安土の頭文字はアで『A』と書くんだそうっす。何しろ、奴らの言う事は俺にはよく分かんねえんで」

「それで『エーミ』を頭文字にした物ってのは何じゃ?」

「ええと、頭にム、マ、メ、ミ、モがつく言葉だそうっす」

「ム、マ、メ、ミ、モ?」

「はい。マリアの頭文字は『エーミ』っす。そして、『ジェータ』の方はジだけっす」

「ジュリアの頭文字が『ジェータ』なんじゃな?」

「そうなんすよ。驚きやした」

「やはり、あの二人が鍵を持ってるという事じゃな?」

「そうなんす。そこで、俺は山に行って、マリアに聞いてみたんす。何も預かってはいないって言い張りやしたがね、荷物を全部、見せてもらいやした。マリアの奴、恥ずかしがってやしたけどね、下着までちゃんと調べやした。マリアの奴、色んな色の湯文字(腰巻)を持ってやしてね。驚きやしたよ」

「ほう、おめえの好きな色もあったか?」

「はい、ありやした。今度、おときの奴にも桃色のをさせようと思いやしてね」

「好きにしろ。で、マリアの荷物から何か出て来たのか?」

「それなんすよ。善次郎が彫ったというマリア観音があったんすよ。綺麗な観音様でしてね、思わず、うっとりしてしまう程なんす」

「おめえ、前にもそんな事、言ってなかったか?」

「はい。でも、前は湯文字まで調べませんよ」

「湯文字なんかどうでもいいわ。さっさと言わねえか」

「えーと、前に調べた時は鍵の事なんか知らなかったっすからね。今回は仕掛けがねえか、よーく見てみやした」

「ふむ、それで?」

 銀次はお椀を夢遊に差し出した。夢遊は仕方なく注いでやった。

「なんと、仕掛けがあったんすよ」

「ナニ、あったのか?」夢遊は身を乗り出した。

「これです」と銀次は懐から布にくるまれた物を差し出した。

「この馬鹿野郎!」と夢遊は銀次の頭を殴った。

 布の中には、確かに鍵が入っていた。

「すみません。早く知らせようと思ってここに来たんすけど、小太郎の姿を見たら、すっかり度忘れしました」

「うむ、まさしく、これじゃ。南蛮寺の鍵によく似てるわ。でかしたぞ、銀次」

「はい‥‥‥あのう、善次郎の家の件ですが、どうします?」

「なんじゃ?」

「それが見つかれば、あそこに住む必要はなくなったんでしょ?」

「それもそうじゃな‥‥‥まあ、いいわ。おときと一緒に暮らしてえんじゃろ。今回の褒美じゃ。しばらく、のんびり暮らせ」

「ありがとうございます」

「おい。抜け穴の図面の写しは持ってるか?」

「はい」と銀次は返事をしたが、酒のとっくりを抱えていた。

「おめえな、酒も程々にしねえとおときに嫌われるぞ」

「いえ、今日は特別ですよ。鍵を見つけたのが嬉しくって」

 銀次の出した図面を見ると『M』の印のあるのは天主の下だった。

「なんてこった。こいつはあそこの鍵じゃねえ。多分、地下の蔵に入る鍵じゃろう。これがあっても、あそこの扉は開かねえわ」

「アッ、忘れてやした。ジュリアも同じような観音像を持ってるって、マリアが言ってやした」

「やはり、ジュリアを捜さなくちゃなんねえのか」

「ジュリアの方は手掛かりはまったくありませんよ」

「ありませんじゃねえ。二人であそこに住んでもいいから、二人でジュリアの行方を捜し出せ、絶対にじゃ。分かったな?」

「はい、お頭」

 銀次はまた、殴られた。

「すみません、大旦那様」

 謝りながらも、銀次はニコニコしながら酒を飲んでいた。そして、「新堂の小太郎っすけどね、小野屋の女将さんにちょっかい出してるみたいっすよ」と余計な事を言った。

「なんじゃと」と血相を変えて、夢遊は飛び出して行った。




 小野屋に顔を出すと、お澪は夢遊の顔を見るなり驚いた。目を丸くして、何も言わずに夢遊の手を引っ張って、屋敷の裏にある茶室に連れて行った。

 戸を締め切って、誰もいない事を確認してから、「あなた、大丈夫だったの?」とようやく、口を開いた。

「大丈夫だが、一体、どうしたんじゃ?」

「あなたが柏原の砦にいたって噂を聞いて、あたし、とても心配だったのよ。藤兵衛様に聞いても、あなたがどうなったのか教えてくれないし、柏原の砦は皆殺しにされたんでしょ? よく無事だったわネ」

 お澪は夢遊の顔をマジマジと見つめた。

 夢遊は思わず、お澪を抱き締めた。

「柏原の砦が皆殺しにされたって?」

 夢遊はお澪を抱いたまま、不思議そうな顔をして聞いた。

「そういう噂よ、伊賀の忍びは全滅したって。石川五右衛門も殺されたって」

「信長が流した嘘の噂じゃ。砦は皆殺しになんかなっておらん。信長の兵が攻め込んだ時はモヌケの殻だったはずじゃ。比自山の砦だってそうじゃ。信長の兵をさんざ悩ませておいて、最後にはオサラバしたんじゃよ」

「そうだったの‥‥‥よかった」

 お澪は夢遊から離れると、改めて、夢遊の姿を眺めて、嬉しそうに笑った。

 夢遊も嬉しそうに笑ったが、「ちょっと待て」と考え顔になった。「お澪殿、どうして、わしが石川五右衛門じゃと知っておるんじゃ?」

「新堂の小太郎様から聞いたの。あたし、ビックリしちゃったわ。あなたがあの有名な盗賊だなんて信じられなかった。でも、我落多屋さんの性格からすると、あなたが五右衛門様なら、納得がいくと思ったわ」

「そうか、バレちまったらしょうがねえ。だが、お澪殿、この事は内緒にしておいてくれ」

「分かってるわよ。誰にもしゃべってません」

「オブリガード(ありがとう)」

 二人は向かい合って座ると、改めて、お互いの顔を見つめて笑いあった。

「しかし、小太郎の野郎、何でもペラペラしゃべりやがって、許せん」

「小太郎様もつい、しゃべってしまったのよ。あたしが夢遊様の事をしつこく聞いたから、つい、ポロッとネ。小太郎様も砦は皆殺しになって、五右衛門様も死んだかもしれないって言ってたわ」

「あの野郎、嘘ばかり付きやがって」

「でも、よかったわ、あなたが無事で」

「わしが盗賊と分かっても、お澪殿の気持ちは変わらんのか?」

「変わらないわよ。前よりも、ずっと好きになったみたい」

「へえ、そなたは変わってるのう」

「小田原にも、あなたみたいな人がいるのよ。盗賊じゃないけど、北条氏を陰で守ってる凄い人がネ」

「風摩の小太郎か?」

「そう。あなた、知ってるの?」

「会った事はねえが噂は聞いてる。お澪殿は風摩小太郎と会った事あるのか?」

「ないわ。でも、この間、小田原から来た商人がここに来たわ。与兵衛に誰って聞いたら、小声で風摩って言ったの。だから、風摩の人たちがあちこちにある小野屋に時々、顔を出してるって事は分かったけど、小太郎様がこんな所まで来る事はないみたい」

「そうか‥‥‥北条氏は信長とはどんな関係なんじゃ?」

「一応、信長様の機嫌は取ってるみたいだけど、深い付き合いはないわ。ただ、信長様が関東に進出して来る事は警戒してるみたいネ」

「もし、信長の兵が関東まで攻め込んだらどうなる?」

「そうなれば、風摩の人たちが大勢、ここに来るんじゃないの?」

「信長の命を狙ってか?」

「そう思うわ」

「じゃろうな。まだ、風摩は信長の命を狙ってはおらんのじゃな?」

「狙ってないでしょ。北条氏は関東以外の事には興味ないのよ」

「興味ねえか‥‥‥」

「アッ、そうだ、お茶を入れるわネ」

 夢遊はお澪の点てたお茶を飲みながら、信長の事を愚痴っていた。

「ここだけの話じゃが、わしは信長は狂ってるんじゃねえかと思ってるんじゃ」

「そうネ」とお澪はうなづいた。「確かに伊賀攻めはひどかったわ。いくら、忍びが憎いからって、見境もなく皆殺しにするなんてひどすぎるわ」

「上野の小野屋も燃えちまったな。皆、無事じゃったのか?」

「ええ。すぐに逃げたから大丈夫だったわ」

「よかった。帰りが遅かったんで、戦に巻き込まれちまったのかと心配したぞ」

「ごめんなさい。小田原から女将さんが来たので、一緒に播磨の方に行ってたのよ」

「播磨? 藤吉郎に会って来たのか?」

「いいえ、会えなかったわ。でも、姫路のお城下にお店を出す事は許していただいたわ」

「そうか、会えなかったか‥‥‥女将さんていうのはどんな人なんだ?」

「尼さんよ。あたしも跡を継いだら、尼さんにならなければならないの」

「勿体ねえ事じゃな」

「仕方ないのよ。あたしが選ばれちゃったんだから。女将さんはね、あたしの叔母さんなの。もうすぐ五十になるし、あたしが早く、お仕事を覚えなくちゃなんないんだけど、お店がいっぱいあるから大変だわ」

「いつ頃、跡を継ぐんだ?」

「さあ、後一、二年経ってからじゃない」

「そうなったら、小田原に帰るのか?」

「多分、そうなるでしょうネ。あたし、ここに来る前、堺のお店に一年いて、その後、京都に一年いたの。そして、ここでしょ。多分、ここも一年よ。そしたら、今度は姫路に行くかもしれない」

「一年という事は来年の三月までか?」

「多分」

「お澪殿が姫路に行ったら、わしも行こう。ただ、小田原までは付いて行けんな」

「あら、どうして? 小田原に新しいお店を出せばいいじゃない。小田原にも貧しい人たちは大勢いるのよ」

「我落多屋はやれるじゃろうが、五右衛門として北条氏の領内で仕事はできんじゃろう。風摩を敵に回したくはねえ」

「そうか‥‥‥でも、大丈夫よ。北の方で暴れればいいのよ」

「北か‥‥‥陸奥(むつ)に出羽じゃな。お澪殿が小田原に行ったら考えてみよう」

 夢遊はその夜、お澪の屋敷に泊まった。お澪に会って気が緩んだのか、昼近くまで、ぐっすりと眠りこけていた。お澪が運んでくれた朝飯を食べ、鼻歌を歌いながら我落多屋に帰ると藤兵衛が頭から湯気を出して怒っていた。

「大旦那様、いい加減になさった方がいいですよ。大旦那様とお澪様の噂で城下は持ち切りなんですよ。ここと長浜を行き来してる者は多いんですからね、おかみさんに聞こえても知りませんよ」

「噂になってるのか?」

「当たり前でしょ。二階から大声で叫んだり、夫婦気取りでフラフラしてれば、すぐに噂になりますよ。そうでなくても、大旦那様は目立つのに」

「そうか、まずいのう。機嫌を取りに長浜に行かんといけんな」

「ちゃんと行って下さいよ。いつも、わたしが悪者になるんですからね」

「分かった、分かった」

 夢遊が二階に行こうとすると、藤兵衛は夢遊の袖を引いて、「雑賀の孫一が現れました」と小声で言った。

「奴がまた来たのか?」

「それが、鉄砲隊を率いて、堂々とやって来たんですよ」

「なんじゃと? 一体、何を考えてるんじゃ」

「噂ではどうも、奴は信長に降伏して部下になるために挨拶に来たとか」

「奴が降伏?」

「どうも、噂は本当らしいですね。孫一の家来が堀久太郎の屋敷に出入りしています」

「そうか、奴が降伏したのか‥‥‥それで、今、どこにいるんじゃ?」

「玉木町の紀州屋です」

「分かった」

「行くんですか?」

「有名な孫一殿の面を拝見しにな」

「気を付けて下さいよ」

「うむ。小太郎の奴を連れて行くわ」

 新堂の小太郎は大津屋にいなかった。

 池田町に行くと小太郎はすでに有名になっていて、居場所はすぐに分かった。遊女たちの話によると、小太郎は夢遊の弟を名乗って豪遊しているという。

 『紅葉亭』という遊女屋で小太郎はススキと野菊という二人の遊女を相手に御機嫌だった。孫一が来たと言っても驚くわけでもなく、夢遊の事を兄貴と呼んで歓迎した。裸同然の二人の娘とイチャつきながら酒を飲み続けていた。

 夢遊は無理やり、小太郎を連れて遊女屋を出た。

「どうして、わしが一緒に行かなけりゃならねんだ?」小太郎はブツブツ言いながらついて来た。

「孫一に世話になったんじゃろ?」

「まあ、世話になったには違えねえが‥‥‥奴は今頃、何しに来たんじゃ?」

「それを確かめに行くのよ」

「まあ、いいか。奴もなかなか面白え奴じゃからな。一緒に飲もう」

 紀州屋は孫一の家来でいっぱいだった。小太郎が孫一に会いたいと言うと、孫一は簡単に顔を出した。

 以前、安土に来た時とは違い、白い革袴(かわばかま)に赤い陣羽織という派手ないで立ちで、口ひげだけ残して、無精ひげも綺麗に剃ってあった。小太郎の顔を見て、懐かしそうに、「おぬしもここにおったか?」と再会を喜んだ。

「伊賀は大変じゃったらしいの」と小太郎の事も心配したが、「悪いが今、ちょっと忙しいんじゃ。夜になったら来てくれんか」と言った。

「分かった。わしは今、池田町にいるんじゃが、また、来るわ」

「ナニ、遊女屋におるのか。それなら、わしの方から行くわ。確か、この道を真っすぐ行った所じゃったな?」

「おう。さすが、遊ぶ所は知っておるのう」

「ナニ、惚れた女子がおってのう。実を言うとその女子に会いたくなって、こうしてやって来たというわけじゃ」

「なんじゃ?」と小太郎は首をかしげた。

「詳しい話は後じゃ。『祇園』で待っていてくれ」

 夢遊は小太郎と一緒に池田町に戻ると祇園に入った。祇園は紅葉亭の向かいの店だった。小太郎はさっそく、馴染みの葛城(かつらぎ)を呼んで酒の用意をさせた。夢遊の馴染みの鈴鹿も嬉しそうに顔を出したが、考え直して帰る事にした。昼間っから遊女屋で遊んでいたとお澪に知られるのを恐れていた。

 銀次が今日、引っ越しをしているのを思い出して、善次郎が住んでいた職人町に向かった。

 おときが手拭いをかぶって部屋の掃除をしていたが、銀次の姿は見当たらなかった。

「大旦那様、ありがとうございます」

 おときは顔を赤くして頭を下げた。

「銀次はどうしたんじゃ?」

「今朝、二日酔いで頭が痛いって愚図ってましたけど、あたしが怒ったらジュリアを捜しに出掛けました」

「ほう。おめえ、わりとしっかりしてるな。銀次とうまく行くかもしれんのう」

「そうですか。でも、あたし、まだ、お仕事、続けたいし‥‥‥」

「まあ、二人でよく考えるんじゃな」

「はい‥‥‥」

 夢遊は家の中を一通り眺めるとおときと別れた。

 お澪の所に戻りたかったが、お澪も今日は関東からの荷が届いたといって忙しそうなので、仕方なく、我落多屋に帰った。

「どうでした?」とおさやが聞いて来た。

「おめえ、銀次とおときの事、知ってたか?」

「銀次さんとおときさんがどうかしたんですか?」

「一緒になりそうじゃ」

「エッ、そうなんですか? 知りませんでした。でも、この前、あたし、銀次さんに誘われましたよ」

「何て?」

「一緒に多賀神社にお参りに行こうって」

「奴は何を考えてるんじゃ?」

「さあ? 大旦那様の真似してるのかしら」

「なんじゃと?」

「みんな、真似してますよ。そのマンタ(襟巻き)を」

「そうらしいの」

 夢遊は自分の首に巻きつけた浅葱(あさぎ)色の布切れを眺めた。

「あたしも真似してもいい?」

「おう、あったけえぞ。藤兵衛はどうした?」

「お茶室です。天王寺屋の御隠居さんが突然、お見えになったんです」

了雲(りょううん)殿か?」

 おさやはうなづいた。

「相変わらず、元気な爺様じゃな」

「行かれますか?」

「いや。わしに用があって来たわけでもあるめえ。藤兵衛が得意になってお茶を点てているのを邪魔する事もねえ。淡路島からの荷物は届いたか?」

「はい。届いてます」

「蔵の方か?」

「はい、そのまま、蔵に入ってます」

「手伝ってくれ」

 夢遊は日暮れまで、おさやと一緒に淡路島で奪い取った盗品の整理をしていた。

「小太郎様はどうでした?」とおさやが急に聞いて来た。

「どうとは?」

「何か変ですよ」

「確かに浮かれ過ぎてるようじゃの」

「小太郎様、この間、泣いてました」

「小太郎が泣いてた? いつじゃ?」

「このお店に来た時、旦那様に頼まれて、小太郎様の後をつけて行ったんです。大津屋さんに入って行くのを見て、お部屋の場所も調べた方がいいと思って、裏口から忍び込んだんです。そしたら、小太郎様、部屋の中で泣いてたんですよ。その時は地味な薬売りの格好だったんです。でも、その後、大旦那様みたいな格好をして遊び回ってます。一体、何があったんです?」

「そうか、奴が泣いてたか‥‥‥奴はな、伊賀の戦で妻と子を亡くしたんじゃ。十五の女の子、十一の男の子、六つの女の子と三人の子供がいたらしい」

「そうだったんですか‥‥‥」

「奴は家族を失い、死ぬつもりなのかもしれんのう‥‥‥悲しみをごまかすために、あんなにはしゃいでるのかもしれん」

「辛いんでしょうネ」

 夢遊は暗くなってから『祇園』に向かった。

 孫一はすでに来ていて、小太郎と一緒に馬鹿騒ぎをしていた。以前、孫一と一緒に安土に来た三人の若者も、お目当ての遊女を隣にはべらせて浮かれていた。

 小太郎は夢遊を見ると、「わしの兄貴じゃ」と孫一に紹介した。

 遊女たちは、「夢遊様だわ」とキャーキャー騒ぎ出した。

「ほう、おぬしの兄貴はなかなかの人気者じゃのう」

「この安土にいて、兄貴を知らねえ奴はモグリじゃ」

「ほう、そいつは頼もしいのう」

 小太郎のお陰で夢遊はスンナリとその場に溶け込み、孫一と飲み交わした。

「わしはのう、本願寺の門徒じゃ。ここの殿様と長年、戦って来たが、この度、めでたく和睦する事に決めたわ」

 孫一は唐糸を抱きながら豪快に笑った。

「それはよかったですな。わしもそなたの噂はよく聞いておる。噂では本願寺が信長と講和を結ぼうが、雑賀の孫一だけは最後まで信長と戦うじゃろうと聞いておったが、あれは間違いじゃったのか?」

 孫一が怒るかどうか、夢遊は試してみたが、孫一はニヤッと笑っただけだった。

「ナニ、気が変わったんじゃよ。わしは先月、コッソリとここに来た。華麗な天主を見上げているうちに、わしの中の何かが弾けたんじゃ、パーンとな。本願寺の事ばかり見て来たお陰で、世間の事が見えなくなっていたんじゃよ。本願寺にいれば居心地もよかったしのう。しかし、時代は変わった。上人様は石山を追い出され、雑賀に来た。そこまでは良かったが、そこからが大騒ぎじゃ。あっちこっちから、わけの分からん奴らがやって来て、上人様の取りっこをしておる。戦の時、前線に立って来たわしらをのけ者にしてのう。今の本願寺はもう、ここの殿様と戦う力など残ってはおらん。わしが孫一であり続けるためには、鉄砲を撃っていなくてはならんのじゃ。本願寺が戦をやらねえなら、戦をやる所に行くだけじゃ」

「それで、ここの殿様に頭を下げたのか?」

「まあな、上人様に下げていた頭をここの殿様に下げただけじゃ」

 孫一はそう言ったが、少し傷ついているようだった。顔を歪めて、一息に酒をあおった。

「孫一は何をやっても孫一か‥‥‥」

 夢遊は隣に来ていた鈴鹿に酒盃を差し出し、酒を注いでもらった。

「兄貴、難しい話はもうやめじゃ。せっかく、安土まで出て来たんじゃから、孫一を充分に楽しませてやろうぜ」

「そうじゃのう。野暮な事を聞いてすまなかったな。今夜はわしの奢りじゃ。久し振りに大騒ぎするか」

「そう来なくっちゃな」と小太郎は手を打って喜んだ。

 夢遊は孫一を大広間に連れて行き、大勢の遊女を呼び集め、あちこちから御馳走を取り寄せ、孫一を驚かせた。次から次へと現れる綺麗所に目を奪われ、次から次へと現れる豪華な料理に腰を抜かしそうになった。

「本願寺でも贅沢な思いをした事はあるが、これ程の贅沢は初めてじゃ」

 孫一は夢遊の(けた)外れな豪快さに呆れた。

「生きていてよかった」と小太郎も遊女に囲まれながら、大きな海老をほお張っていた。

「わしらだけでは食い切れん。我落多屋の連中を呼んで来てくれ」

 夢遊は店の者に頼んで、皆を呼んだ。

 藤兵衛が天王寺屋了雲を連れてやって来た。番頭の久六も手代の孫三、与太も皆、ニコニコしながらやって来た。扇屋の後家の家にいた新五も銀次を連れてやって来た。そして、お澪までがおさやと一緒に来たのには驚いた。

「どうしても遊女屋という所を見たいと言うんでな」と大黒頭巾(だいこくずきん)をかぶった了雲はニタリと笑うと、遊女の方へスタコラと歩いて行った。

 藤兵衛も嬉しそうにニヤニヤしながら了雲の後を追った。

 店の者が呼びに行った時、藤兵衛と了雲はお澪の屋敷にいた。夢遊が遊女屋にいる事を知ってしまったお澪は、夢遊の豪遊振りを見に来たのだった。

 夢遊はお澪を歓迎し、遊女たちを紹介した。遊女たちもお澪を歓迎し、様々な芸を披露した。飲めや歌えと騒いでいたが、お澪とおさやがいるので、男たちは遊女たちとふざける事ができなかった。お澪もその事に気づいて、「楽しかったわ」と一時(いっとき)(二時間)程経つと夢遊にコッソリと言った。

「送って行こう」と夢遊は言ったが、「ダメよ。主役が消えたら白けるわ。お月様も出てるし、おさやさんがいるから大丈夫よ」とお澪はおさやと一緒に帰って行った。

 夢遊は門の所まで送った。

「さすが、やる事が大きいわネ。でも、お支払いが大変でしょうに」

「ナニ、天王寺屋の御隠居に払ってもらうさ」と夢遊は平気な顔をして言った。

「エッ?」お澪はおさやと顔を見合わせて驚いた。

「御隠居が前から欲しがっていたお茶入れが手に入ったんじゃ」

「成程ネ」とお澪は笑った。

「でも、他の女なんて抱いたら許さないわよ」ときつく睨んだ。

 お澪の隣でおさやがクスクスと笑っていた。






安土城天主抜け穴の図




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