2.清須城下
杉原彦七郎と従兄の五郎の葬儀も無事に終わった。 彦七郎の娘、おすみとおふくの二人は、ずっと泣き通しだった。おかみさんが忙しそうに働いているので、藤吉は二人を慰めるのに一生懸命だった。今まで、怖いと思っていたおすみも本当はか弱い女の子なんだと女を見る目がほんのちょっと変わっていた。 二人も何とか立ち直り、藤吉自身の心の傷も癒えると、また、京都への旅が胸の中に膨らんで来た。 京都は遠い‥‥‥京都へ旅立つ前に、まず、尾張の都である清須(清洲町)を見ておくべきだと思った。 藤吉は世話になった皆に別れを告げると、清須に向かって旅立った。 清須の城には 当時の尾張の国の状況は複雑だった。応仁の乱の時、尾張の 清須には祖父がいた。母の父親である祖父は 白髪頭の祖父は、たった一人でやって来た藤吉を見て驚き、目を細くして歓迎してくれた。しかし、藤吉の格好は祖父の気に障ったようだった。いが栗のような頭に 清須はさすがに都だった。大通りには大きな屋敷が建ち並び、様々な人たちが大勢行き交っていた。娘たちは着飾って、しゃなりしゃなりと気取って歩き、若い男たちは今、流行りのかぶき姿で闊歩している。大人たちはその異様な風体に目をそむけるが、藤吉ら子供たちから見れば、それは憧れの姿だった。 かぶき姿に決まった規則はない。人と変わった目立つ格好をして、奇抜な行動をとる事をかぶくと言い、かぶいている者をかぶき者と呼んでいた。若い者たちはかぶき者と呼ばれる事を誇り、競って、人と違う格好をした。 祖父はかぶき者から目をそらし、藤吉を睨むと、「あんな真似は絶対にするんじゃないぞ」ときつく言った。 藤吉はしぶしぶとうなづいたが、カッコいいなあと見とれていた。 清須の城下は五条川に沿って南北に長く、中央に堀と土塁に囲まれた清須城があり、北と南に町人の住む町が形成されていた。祖父の家は南側のはずれにあり、界隈には様々な職人たちが住んでいた。 藤吉は川向こうに見える城の こんなお城に住めたら凄いな。やっぱり、お侍はいいなあ。でも、古渡のお城下を焼いたのは、ここのお侍だ。あんな事をするお侍には絶対になりたくない。 「藤吉、お前、まさか、お侍になりたいと思ってるんじゃないじゃろうな」と祖父は城を見つめている藤吉に聞いた。 藤吉は祖父の方を見ると強く首を振った。 「お侍はいやだ。この間、烏森のおじさんと従兄の五郎さんが戦死したばかりだもん。おばさんが泣いてた。俺はおっ母や姉ちゃんを悲しませたくない」 「そうか。烏森のおじさんも美濃で戦死したのか‥‥‥大勢の者が亡くなったらしいの」 「ねえ、おじいさん、俺、刀鍛冶になれんか」 「ほう、藤吉は刀鍛冶になりたいんか」 「これからは手に職を持つんが一番だと思ったんだ」 「そうか、そうか、新太の奴と一緒に修行せい。立派な鍛冶師になれば、今の世の中、どこに行っても食って行けるわ」 「どこに行っても」 「ああ。今の世の中はどこに行っても戦じゃ。槍や刀はいくつあっても足りんのじゃ。腕がよければ、どこに行っても引っ張り凧じゃ」 藤吉は京都に旅立つ前に清須を見ておこうと気楽な気持ちで出て来た。杉原のおばさんには中村の家に帰ると言ったので、握り飯を貰うわけにもいかず、清須に着いた時には、もう腹ぺこだった。京都に行くには何日も掛かる。このままでは駄目だと藤吉は思った。そこで、腕に職を持てばいいんだという結論に達した。当然、一人前の刀鍛冶になるのに、どれ位の修行が必要なのかまでは考えていない。たまたま、祖父が刀鍛冶だったから、刀鍛冶になろうと思っただけだった。 次の日から、藤吉は従兄の新太郎と一緒に刀鍛冶の作業場に入って仕事を始めた。火が赤々と燃えている暑い作業場で朝から晩まで雑用をやらされ、こんなはずじゃなかったと悔やんだ。一つ年上の新太郎は文句も言わずに雑用をやっている。新太郎に聞くと、一人前になるには十年の修行が必要だという。 冗談ではなかった。十年もこんな所にいられない。自分から刀鍛冶になると言った手前、あまり早く 祖父は残念そうな顔をして、「そうか。お前には向いてないか‥‥‥」とつぶやいた。「わしはお前に立派な鍛冶師になって、鉄砲を作ってもらいたいと思ってたんじゃ」 「鉄砲?」藤吉には何の事かわからなかった。 祖父はうなづいた。 「四年前に薩摩の種子島という所に南蛮人がやって来てのう。鉄砲という新しい武器を伝えたんじゃ。まだ、戦で使われる事はないがの。そのうち鉄砲が弓矢に変わる事となろう」 「鉄砲って何です」 「鉄でできた筒から鉛の玉が飛び出す新しい武器じゃ。飛び出す時に物凄い音がしてのう。弓矢よりもずっと威力があって、その玉に当たると絶対に死んでしまうんじゃよ。しかし、作るのは難しいらしくての。伜の孫次郎が鉄砲を作るために今、 「孫次郎おじさんが鉄砲を作ってるの」 「うむ。小折村の 「生駒殿って?」 「 祖父は鍛冶師が駄目なら刀の 与次郎は祖父の娘婿で、藤吉から見れば叔父だったが会うのは初めてだった。 与次郎の所には様々な刀や槍があった。刀鍛冶の孫太郎の所にも刀はいっぱいあったが、刀身だけなので、どれも皆、同じに見えた。与次郎の所の刀は色々な 次に行った所は祖父の知り合い、大工の善八の所だった。善八は一見しただけだと怖そうだが、面倒見のいい男で、若い者たちに慕われていた。おかみさんは善八より二十以上も若く、娘といってもいい年頃で、綺麗な人なのにツンとしていて近寄りがたかった。いつも身綺麗にしていて、毎日、湯浴みをして、長い髪を洗うのを日課としていた。湯浴みのための湯を沸かし、おかみさんの背中を流すのも藤吉の仕事で、おかみさんは文句ばかり言っていたが、おかみさんの裸を見るのは楽しみだった。 鍛冶師や研師と違って、大工の仕事場は野外だった。狭い小屋の中で仕事をするより、お日様の下の方が何となく嬉しく、家を建てるのも面白そうだった。早く技術を身につけて、おっ母のために大きな屋敷を建ててやりたいと藤吉は張り切っていた。しかし、ここでも雑用ばかりやらされて、一本の釘さえ打たせて貰えなかった。教えてくれないなら、技術を盗んでやれと藤吉は雑用をしながらも、必死になって家の建て方を学んで行った。ところが、後もう少しで家が完成するという時、善八がおかみさんを殺してしまい奉行所に捕まってしまった。 おかみさんが若い男と浮気をしているのを藤吉は知っていた。善八に命じられて忘れ物を取りに家に戻った時、おかみさんが知らない男と一緒にいるのを見てしまった。部屋の中に着物を脱ぎ散らかして、おかみさんも男も裸になって抱き合っていた。藤吉にも二人が何をしているのか、おぼろげながらもわかったが、見て見ない振りをしていた。おかみさんの浮気を知っていたのは藤吉だけではなく、皆、知らんぷりをして、親方に知らせなかった。それでも、とうとう、ばれてしまい、親方はノミで滅多突きにして、おかみさんと男を殺してしまったのだった。 綺麗好きで、いつも磨きをかけていたおかみさんの自慢の肌は傷だらけで血にまみれていた。一緒に死んでいたのは近所の 「子供が見るもんじゃねえ」と誰かがその場から出してくれた後、急に気持ちが悪くなって、 善八が捕まると善八のもとにいた若い大工たちは皆、どこかに行ってしまった。残った藤吉だけではどうする事もできず、未完成の家は他の大工の仕事となり、藤吉は祖父の所に帰った。 祖父に訳を話すと、「とうとうやっちまったか、馬鹿な野郎じゃ」と顔をしかめて言った。「あの女は二度目のかみさんでな、亡くなったかみさんにそっくりなんじゃよ。そっくりなのは外見だけなのに、奴は心までそっくりだと思い込んじまったんじゃ。いつか、こうなる事はわかっていた。わしは何度も忠告したんじゃが、奴は言う事をきかん。あの女は男狂いで、近所の若い者をみんな、くわえ込んでいたんじゃ。知らなかったのは善八だけじゃ」 藤吉はこの時、綺麗好きのツンとした女は気をつけなければならないという事を肝に銘じた。 その後、 鎧師の勘助はいつもニコニコしていて色々な話をしてくれたが、客の侍に仕事振りが気に入らないと腕を斬られて仕事ができなくなってしまった。 紺屋の庄助は真面目で評判のいい男だったが、跡を継ぐべき一人息子を 桶屋の久兵衛は桶作りの腕は一流なのに女癖が悪く、清須城下で一、二を争う 鎧師の勘助の所では、お客を怒らせてはならないという事を学び、紺屋の庄助の所では、酒は飲み過ぎてはならないという事を学び、桶屋の久兵衛の所では、全財産を投げ売っても後悔しないほど価値のある女もいるという事を学んだ。 早く、腕に職を持って旅に出たいと思うが、どこに行っても、つまらない雑用ばかりやらされて、結局、何も身に付かなかった。辛抱強く、色々と世話をしてくれた祖父もとうとう呆れ果て、怒ってしまった。 「おめえは職人に向いておらん。そんな飽きっぽいようじゃ、何やっても駄目じゃ。わしゃもう知らんわ。さっさと中村に帰っちまえ」 藤吉はしょんぼりとうなだれた。中村には帰りたくなかった。あそこに帰ったら、父に小言を言われながら百姓をするしかない。朝から晩まで働いて、高い年貢を取られても文句も言わず、じっと耐えるだけの生活はしたくはなかった。母や姉には会いたかったが、寺を追い出され、職人にもなれない惨めな自分を見られたくはなかった。 「可哀想でしょうに」と祖母が助け舟を出してくれた。「この子は人付き合いがいいから、あたしゃ、商人になったらいいと思いますよ」 「うん。商人の方が向いてるかもしれない」と藤吉もうなづいた。 「わしゃ、商人は好かん。あいつらは銭勘定の事ばかり考えてやがる」 「いいじゃありませんか。一度、試しにやらせてみたらどうです」 「おてるの所か」と祖父は言った。 祖母はニコニコしてうなづいた。 「久し振りに天王様にお参りしたいわね」 「そうじゃのう。おてるんとこの孫の顔も何年も見てないしのう。久々に行ってみるか」 次の日、藤吉は祖父と祖母に連れられて津島へと向かった。
|
清須城下