酔雲庵

陰の流れ

井野酔雲

創作ノート




慶覚坊(火乱坊)の略歴





1433年 6月25日 近江国浅井郷の郷士洲崎次郎右衛門の三男として生まれる。 1歳
1439年 1月8日 大吉寺の僧となる。 7歳
1442年 3月 大吉寺の山伏より、薙刀を習う。 10歳
1447年 4月 大吉寺を飛び出し、伊吹山に登って山伏となり、火乱坊明覚を名乗る。 15歳
伊吹山にて、薙刀の修行に励む。
1451年 飯道山の親爺と会い、飯道山に来る。 19歳
1452年 〜1454年 この頃、『飯道山の四天王』として活躍。
1455年 飯道山を降りる。風眼坊と共に関東を旅する。 23歳
風眼坊と別れ、奥州まで行く。
1456年 近江国に帰り、堅田にて、真宗門徒の娘、つた(17)と出会う。 24歳
1457年 火乱坊、つたと所帯を持ち、湖賊となる。 25歳
火乱坊、金森の道西、堅田の法住らと共に、大谷本願寺に行き、蓮如と会う。火乱坊、蓮如の弟子となり、慶覚という法名を貰う。
1458年 10月 つた、長男十郎(十郎左衛門久吉)を生む。 26歳
1460年 4月 つた、長女あみを生む。・この年、寛正の大飢饉。 28歳
1461年 11月28日 蓮如、親鸞二百回忌を営む。慶覚坊、大谷本願寺に行く。 29歳
1463年 7月 つた、次女ちかを生む。この年、蓮如の共をして、吉野に行く。 31歳
1465年 1月 大谷本願寺を襲われ、蓮如、定法寺に避難する。 33歳
4月 蓮如、近江湖東に移る。
1466年 山門衆徒と専修寺門徒、金森を襲う。慶覚坊、活躍する。 34歳
11月 蓮如、近江金森道西道場にて、報恩講を厳修。
1467年 1月 応仁の乱、始まる。 35歳
2月 蓮如、堅田に移る。
9月 つた、三女いさを生む。
1468年 2月12日 蓮如、堅田から大津に移る。 36歳
3月24日 堅田の大責め。慶覚坊、堅田衆と共に興の島に避難する。
5月 慶覚坊、慶聞坊、下間頼善と共に、蓮如の供をして、北国東国への巡錫に出る。
9月 慶覚坊、蓮如と共に帰る。
1469年 11月 三井寺南別所に顕証寺完成。 37歳
1470年 11月 堅田衆と山門との和平成立、堅田衆、興の島から堅田に帰る。 38歳
12月 蓮如の二人目の妻蓮祐死す(33歳)。
1471年 5月 蓮如、越前吉崎に行く。慶覚坊も、吉崎に行く。 39歳
8月 慶覚坊、蓮如の4男、蓮誓の後見人として、加賀の山田光教寺に行く。
10月 慶覚坊、加賀に家族を呼ぶ。
1474年 5月 大峯山にて、風眼坊と出会う。 42歳
6月26日 吉崎の本願寺門徒、武器を取り、加賀国に侵入する。
10月14日 蓮台寺城陥落、一揆方の勝利。
1475年 1月 十郎(18)、飯道山に行く。 43歳
3月 富樫政親、本願寺門徒を攻め、一揆勢敗れる。
慶覚坊、越中に逃げる。
5月 慶覚坊、湯涌次郎左衛門と共に、蓮如に仲裁を頼みに来る。
6月 一揆勢、盛り返す。
7月 蓮如、越中砺波瑞泉寺に下向。慶覚坊、蓮如と共に吉崎に帰る。
8月21日 蓮如、吉崎を去る。慶覚坊も蓮誓と供に、吉崎を去る。
1476年 9月 本願寺門徒、西軍に近づき、富樫幸千代、加賀半国を賜る。 44歳
11月 本願寺門徒、西郡四郎の語らいを得て、倉月庄に乱入。
1477年 3月 加賀の一揆、能登に攻め入る。 45歳
7月 加賀守護代槻橋兵庫允、上村入道秀慶の買得せる加賀上土室を横領する。
1478年 慶覚坊、蓮誓の供をして、越中土山道場に行く。 46歳
蓮綱、松岡寺に戻る。
慶覚坊、松根道場を任される。
この年、あみ(19)、河合藤八郎(23)の嫁になる。
8月 蓮如の妻如勝(31)死す。
1479年 この年、十郎(22)、安吉源左衛門の娘、峰(17)を嫁に貰う。 47歳
12月 堅田法住(83)死す。
1480年 9月 山城に土一揆起こる。 48歳
11月 蓮如、山科本願寺にて報恩講を行なう。
1481年 7月 朝倉孝景(54)死す。 49歳
8月 越中砺波郡一揆。本願寺領国成立。慶覚坊、活躍する。
11月 蓮悟、本泉寺に赴く。
1482年 7月 山科に土一揆起こる。 50歳
1483年 5月29日 順如(42)死す。 51歳
1484年 11月 越前河口庄で朝倉氏景と甲斐党が対陣し、加賀一揆、越前に入国せんとする。 52歳
11月21日 蓮如、六ケ条の掟の御文を発行。
1485年 9月 幕府、摂津氏領加賀倉月庄内の地を富樫政親の横領するを禁じ、松岡寺蓮綱に摂津氏に合力すべき事を命じる。 53歳
10月 慶覚坊、臨川寺領宮腰に乱入。
11月23日 蓮如、八ケ条の御文。
12月 山科の国一揆。
1486年 1月 蓮如、能美郡四講中へ御文を与え、門徒の質的向上を計る。 54歳
7月 富樫政親、本折、槻橋等を伴い上洛する。
蓮誓、越中にて中田坊を開き、山田光教寺に帰る。
11月 幕府、林光院領加賀横北庄の年貢不納につき、代官立町伊豆守、松岡寺蓮綱、米郡一揆中、当所名主百姓の参洛を命じる。
11月26日 蓮如、八ケ条の御文。
この年、孫の孫八郎生まれる。
1487年 3月 越中守護畠山政長の請により、青蓮院尊応、本願寺蓮如に加賀越中の門徒に制止を加えさせる。 55歳
9月 横北庄より立町伊豆守退出する。
蓮悟、本泉寺を若松に移す。
閏11月 加賀守護代山川三河守、粟津保に兵糧米二百石、人夫百人を課し、蔭涼軒集証の請により、これを十五貫二百文に減らす。
12月 富樫政親、加賀一国の守護に補任され、本願寺門徒に備えて帰国する。
1488年 4月 鹿苑院瑞智、蔭涼軒集証に加賀河北庄の一向衆番頭十人の年貢横領を訴える。 56歳
斎藤御園筑前守、横北庄の代官職を望んで違乱、ついで、槻橋に契約し、槻橋また傍輩に申し付ける。
5月 加賀一揆起こり、富樫政親の城を包囲する。
幕府、越前の朝倉、越中の畠山に命じて富樫を援護させる。
6月 加賀一揆、富樫政親を攻め滅ぼす。
一揆勢、富樫康高を守護に取り立てる。
7月 蓮如、細川政元の斡旋により、将軍義尚の怒りを和らげ、加賀門徒を破門するのをやめ、専光寺、光徳寺にお叱りの御書を下す。
8月25日 堅田の善従(道西、90)死す。
1489年 8月 蓮如、隠居し、実如、本願寺を相続する。 57歳
1490年 10月 蓮如、再度、実如に譲状をしたためる。 58歳
1494年 慶覚坊、北野社領豊田庄代官となる。 62歳
1495年 2月 慶覚坊、二条家領(大乗院に一部寄贈)、河北郡小坂に乱入する。 63歳
1509年 死す。 77歳




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