酔雲庵

陰の流れ

井野酔雲

創作ノート




下間蓮崇の略歴




1435年 越前国浅水(あそうず)に生まれる。父は安芸(あげ)左衛門尉、母はおせん。 1歳
1441年 越前和田本覚寺の小僧となる。心源を名乗る。 7歳
1449年 心源、加賀二股本泉寺に行く。 15歳
1457年 木目谷の高橋新左衛門、本泉寺の門徒となる。 23歳
6月18日 存如死す(62)。蓮如、本願寺を継ぐ。
1458年 湯涌谷の石黒孫左衛門、本泉寺の門徒となる。 24歳
1459年 心源、下間玄信の娘、妙阿(1438-,17)を嫁に貰う。 25歳
1460年 本泉寺如乗死す(1412-,49)。蓮乗(15歳)跡を継ぐ。 26歳
1461年 心源の長女あや、生まれる。 27歳
11月28日 大谷にて、親鸞二百回忌。蓮綱(12)と蓮誓(7)、本泉寺に来る。
1462年 心源、湯涌谷の道場を任される。 28歳
1463年 心源の長男、乗円、生まれる。 29歳
1465年 心源の次女、すぎ、生まれる。 31歳
1467年 長女あや、病死する(7歳)。 33歳
1468年 5月 蓮如と出会い、弟子となり、共に東国へ旅をする。 34歳
蓮如と共に大津に行き、蓮崇という名を貰う。
1471年 5月 蓮如、吉崎に進出する。蓮崇、加賀湯涌谷に戻る。 37歳
7月27日 吉崎別院完成する。
蓮崇、湯涌谷道場を妻の弟、下間信永に任せ、家族を連れて吉崎に移る。
蓮如の奏者となる。
1473年 蓮崇、湯涌谷に屋敷を建てる。 39歳
1474年 3月28日 吉崎御坊火事。 40歳
6月 蓮崇、一揆の指揮を執り活躍する。
10月14日 幸千代の居城、蓮台寺城陥落。高田門徒一掃される。
1475年 3月 一揆勢、富樫政親に敗れる。 41歳
6月 蓮崇、国人たちをまとめ、政親に対抗するが敗れる。
7月 蓮如、越中砺波瑞泉寺に下向する。
8月8日 蓮如、蓮崇に親鸞影像及び絵伝四幅を下付す。
8月19日 蓮崇、掟を破ったかどで破門となる。
8月21日 蓮如、吉崎を去る。
蓮崇は風眼坊と共に本泉寺に寄って家族に別れを告げ、湯涌谷を通って越中に行く。そのまま、甲賀まで行き、飯道山に登る。
9月15日 風眼坊、早雲と蓮崇を連れ、百日行をする。
12月24日 蓮崇の百日行満願。蓮崇はそのまま山に残り、山伏、観智坊に生まれ変わる。
1476年 12月25日 飯道山を下り、大坂に行って蓮如と再会し、湯涌谷に帰る。 42歳
1477年 蓮崇、湯涌谷にて、陰の組織を作る。 43歳
1478年 蓮誓、慶覚坊と共に越中土山道場に入る。 44歳
1481年 8月 越中砺波の一揆。 47歳
蓮悟(1468-1543)、蓮乗(1446-1504)の養子となり、本泉寺に入る。
1482年 次女、すぎ、越中の本願寺寺院に嫁に行く。 48歳
1483年 8月 山科本願寺完成する。 49歳
1484年 11月 越前河口庄で、朝倉氏景と甲斐党が対陣し加賀一揆越前に入国せんとす。 50歳
1486年 蓮誓、加賀山田光教寺に戻る。 52歳
7月 富樫政親、本折、槻橋等を伴い上洛。
1487年 蓮悟、本泉寺を若松に移す。 53歳
1488年 富樫政親、本願寺門徒に敗れる。 54歳
1489年 蓮崇、細川政元の仲裁で蓮如に詫びるが許されない。 55歳
蓮如、山科本願寺南殿に退隠し、住持職を実如に譲る。
1497年 11月 大坂坊舎完成、蓮如、移る。 63歳
1499年 2月 蓮如、山科に上がり、病室を構える。 65歳
蓮崇、本願寺の近く、山科八町に住む。
3月 蓮如は、実如(42)、蓮綱(50)、蓮誓(45)、蓮淳(36)、蓮悟に遺言する。
3月20日 蓮崇、蓮如からを許される。
3月25日 蓮如、死す(85)。
3月28日 蓮崇、死す(毒を飲んで自殺)。




創作ノートの目次に戻る



inserted by FC2 system