庵主の紹介
名前は井野酔雲 | 『酔』は勝海舟の親父さんの夢酔から頂きました。ただの酔っ払いとの説もあります。 『雲』は戦国の武将、北条早雲から頂きました。剣豪の針ヶ谷夕雲から頂いたという説もあります。 |
19**年の夏 | 群馬県に生まれる。 |
1985年の夏 | 「酔中花」を出版。 |
1995年の夏 | 「戦国草津温泉記、湯本善太夫」を出版。 |
1998年の春 | 「侠客 国定忠次一代記」を出版。 |
1998年の秋 | 「時は今‥‥」が歴史群像大賞の奨励賞受賞。 |
2000年の7月 |
「草津温泉膝栗毛、冗談しっこなし」があさを社刊の『上州路』に連載される。 |
2004年の夏 | 「草津温泉膝栗毛、冗談しっこなし」を出版。 |
2005年の10月 | ホームページ『酔雲庵』を開設。 |
2006年の春 | ホームページ『沖縄の酔雲庵』を開設。 |
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蒼ざめた微笑 「蒼ざめた微笑」は、1981年、私が最初に書き上げた長編小説です。 その後、1998年に書き直したのが、この作品です。 |
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酔中花
人里遠く離れた険しい山の奥深く、泉のほとりに慎ましく、何千年にたった一度だけ、光り輝く可憐な黄金色の花びらを開き、恍惚の香りを漂わせ、ひっそりと咲き誇る花の事を、人々は酔中花と呼ぶ。未だ、誰も見た者はないという。 |
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陰の流れ 愛洲移香斎 第一部 陰流天狗勝愛洲移香斎は新陰流を開いた上泉伊勢守の師匠です。 応仁の乱を体験した若き移香斎が、強くなければ生きていけないと剣の修行に励み、さまざまな人たちの出会いによって成長して行きます。 「第一部、陰流天狗勝」は移香斎の誕生から、近江の飯道山で修行を積んで、陰の術を編み出すまでの話です。 伊勢新九郎と名乗っていた若き日の北条早雲、風眼坊という山伏だった若き日の風摩小太郎も登場します。 1990年、執筆。 2005年、当ホームページで公開。 2013年、電子書籍になりました。 |
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陰の流れ 愛洲移香斎 第二部 赤松政則「第二部、赤松政則」は妻と子をさらわれた太郎(愛洲移香斎)が、妻子を救い出すために播磨の国に行き、そこでの活躍を描きます。 太郎の命を狙う山伏の阿修羅坊。嘉吉の変にまつわる謎の言葉の意味するものは? 飄々とした連歌師の夢庵、念流の使い手の松阿弥、太郎を助ける薬売りの伊助と研師の次郎吉、金勝座の舞姫、助六、太一、藤若など個性ある人たちが登場します。 1991年、執筆。 2005年、当ホームページで公開。 2013年、電子書籍になりました。 |
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陰の流れ 愛洲移香斎 第三部 本願寺蓮如「第三部、本願寺蓮如」は愛洲移香斎の師匠、風眼坊が昔の仲間だった火乱坊に誘われて加賀の国へと行き、本願寺の法主である蓮如上人と出会い、本願寺の最初の一揆に巻き込まれて活躍する話です。 加賀の国を奪い合っている富樫政親と幸千代の兄弟、本願寺のために戦う蓮如の執事の下間蓮崇、慶覚坊(火乱坊)、富樫政親を仇と狙うお雪、一族を守るために悩む疋田豊次郎。 風眼坊も自分を見つめ直して変わって行きます。そして、飯道山に呼ばれるようにして集まった、太郎(愛洲移香斎)と早雲(伊勢新九郎)と再会します。 1992年、執筆。 2005年、当ホームページで公開。 2013年、電子書籍になりました。 |
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陰の流れ 愛洲移香斎 第四部 早雲登場武士の世界に嫌気がさして、禅僧になって旅に出た早雲(伊勢新九郎)は、妹が嫁いだ駿河の国に腰を落ち着け、気楽に暮らしていました。ところが、今川家の 家督争いに巻き込まれてしまいます。妹が産んだ竜王丸に今川家の家督を継がせるべく、早雲の活躍が始まります。 世に出る事を諦めて、禅僧として生きようと 決心した早雲でしたが、四十半ばにして、ようやく、表舞台に登場する機会がやって来たのです。 お雪を連れて駿河に来ていた風眼坊こと風間小太郎も早雲を助 けて活躍し、江戸の名将、太田道灌も登場します。 1993年、執筆。 2005年、当ホームページで公開。 2013年、電子書籍になりました。 |
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銭泡記 太田道灌暗殺の謎文明18年(1486年)7月、関東の名将太田道灌が相模の国、糟屋の扇谷上杉定正の屋敷で殺されてしまいます。 一体、誰が道灌を殺したのか? 現場に居合わせた茶人、伏見屋銭泡が道灌の配下だった山伏の竜仙坊の力を借りて、道灌暗殺の謎を解明します。 この小説の主役の伏見屋銭泡は「陰の流れ 第四部 早雲登場」でも重要な役として登場しています。 1993年、執筆。 2007年、当ホームページで公開。 2013年、電子書籍になりました。 |
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戦国草津温泉記 湯本善太夫
1994年執筆、1995年刊行、おかげさまで完売です。 |
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摩利支天の風 若き日の北条幻庵小田原北条家の長老と呼ばれた北条幻庵の若き日の物語です。 伊勢早雲の四男に生まれた菊寿丸は7歳の時に喝食として箱根権現に入れられます。そのまま僧侶になるはずでしたが、早雲は考えを変えて、15歳になった菊寿丸を修行の旅に出します。 早雲が菊寿丸の師に選んだのは愛洲移香斎でした。菊寿丸は移香斎に連れられて各地を旅しながら、見聞を広め、武術を身に付けて行きます。旅から帰った菊寿丸は山の中にある静かな村に連れて行かれます。そこは北条氏の陰の組織、風摩の拠点でした。 風の摩利支天を意味する風摩とは何なのか‥‥‥お楽しみ下さい。 1995年、執筆。 2006年、当ホームページで公開。 2013年、電子書籍になりました。 |
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無住心剣流 針ヶ谷夕雲針ヶ谷夕雲は陰流の流れを汲みながら、無住心剣流を編み出した江戸時代初期の剣豪です。自分の剣術に疑問を持った夕雲は山奥の岩屋に籠もって、独り、厳しい修行に励みます。そこで出会ったお鶴という不思議な女性とのふれあいによって、少しづつ悟りを開いて行き、ついに剣禅一致の境地に達します。 1995年、執筆。 2006年、当ホームページで公開。 2013年、電子書籍になりました。 |
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藤吉郎伝 若き日の豊臣秀吉
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時は今…石川五右衛門伝
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侠客 国定忠次一代記 赤城の山も今宵限り‥‥‥あれから150年。からっ風に吹かれて、あの親分が帰ってきた。 |
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国定忠次外伝 嗚呼美女六斬 天保5年(1834年)、上州境宿で境小町といわれた美しい娘が行方知れずになります。娘の家族に頼まれ
て、百々一家の親分、国定忠次が捜索に乗り出しますが、娘は無残な姿になって発見されます。下手人は一体、何者なのか? 忠次の子分、保泉村の久次郎は浮
世絵師の歌川貞利の力を借りて、下手人を追い詰めます。 2007年、当ホームページで公開。 2013年、電子書籍になりました。 |
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草津温泉膝栗毛 冗談しっこなし @草津よいとこ、一度はおいで〜 |
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天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記天明3年(1783)旧暦の7月、群馬県と長野県の県境にある浅間山が大噴火を起こしました。 大量の火山灰を吹き上げて、軽井沢では2メートルもの灰や焼石が積もって家々は潰れ、江戸でも昼間に提燈が必要な程、暗くなったそうです。 北麓の鎌原村は一瞬のうちに火砕流にのまれてしまい、500人近くの村人が亡くなりました。このような大惨事を二度と繰り返さないようにと願い、当時の資料をもとに当時の状況をできるだけ忠実に再現してみました。 2000年、執筆。 2007年、当ホームページで公開。 2013年、電子書籍になりました。 |
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戦国草津温泉記 湯本三郎右衛門草津の領主湯本善太夫の跡継ぎになった三郎右衛門は山伏、東光坊に連れられて諸国修行の旅に出ます。北条氏康の本拠地、小田原を見て、上杉謙信の本拠地、越後府中を見て、武田信玄の本拠地、甲府も見て、京都では上泉伊勢守の道場で新陰流を学びます。 善太夫が長篠の合戦で戦死した後、湯本家の家督を継いで、真田昌幸に従い、草津温泉を守るために戦国の世を駆け抜けて行きます。 「戦国草津温泉記・湯本善太夫」の続編です。 2001年、執筆。 2005年、当ホームページで公開。 2013年、電子書籍になりました。 |
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沖縄二高女看護隊 チーコの青春沖縄県立第二高等女学校は琉球松の生い茂っていた松尾山の高台の上にありました。白壁の美しい近代的な二階建て校舎だったようです。 昭和19年10月10日、突然の大空襲で那覇の街は焼け野原と化し、二高女の校舎も焼け落ちてしまいます。その後、焼け残った建物を仮校舎として授業を続けますが、翌年の3月になると米軍の攻撃が迫って来て、四年生は補助看護婦として、お国のために働く事になります。二高女は山部隊(第27師団)の第一野戦病院に配属されました。 戦後になって、師範学校女子部と一高女は校友会誌の名前から「ひめゆり学徒隊」と呼ばれ、二高女は白梅の校章から「白梅学徒隊」と呼ばれるようになります。他にも、首里高女は「ずいせん学徒隊」、昭和高女は「梯梧学徒隊」、積徳高女は「積徳学徒隊」、三高女は「なごらん学徒隊」と呼ばれ、皆、看護婦として働いて、犠牲者を出しています。 2002年、執筆。 2006年、当ホームページで公開。 2013年、電子書籍になりました。 |