沖縄の酔雲庵

沖縄二高女看護隊・チーコの青春

井野酔雲





第二部




21.解散




 海軍記念日の総攻撃は失敗に終わってしまったのか、敵の攻撃は激しさを増していた。

 八重瀬岳周辺のサトウキビ畑はサトウキビが全部、吹っ飛んでしまい、剥き出しの土は穴だらけになって、その穴に雨水が溜まっていた。辺り一面に丸い水溜まりが延々と続く光景は、まるで、別世界にでも行ったようだった。いつか、少年雑誌で見た火星だか木星だかの地表のように思えた。

 こんもりと緑の樹木に覆われていた八重瀬岳もハゲ山になってしまって昔の面影はすっかり消えた。吹き飛ばされた大木があちこちに転がっていて、降り続く雨に洗われ無残な姿をさらしていた。病院壕の近くにある大きな水溜まりには、どこも捨てられた患者の死体が(ふく)れたまま放置されて悪臭を放ち、吹き飛ばされた死体の手足、頭や胴が泥まみれになって落ちていた。もはや、可哀想だとか、気持ち悪いだとか、恐ろしいだとか、(くさ)いだとか、誰も感じなくなっていた。

 壕内の状況も悲惨さを越えていた。蛆虫(うじむし)や大便が浮かんでいる溜まり水は二十センチ近くにもなり、もう少しで下段の寝台に届いてしまいそうだった。頭のいかれた脳症患者は増え、隔離病棟に入りきれなくなっていた。あちこちから怒鳴り声や泣き声、大笑いや悲鳴が響き渡り、千恵子たちまで気が狂ってしまいそうだった。倒れる生徒や看護婦、衛生兵も増えて、内科病棟もいっぱいになり、各自の寝台で寝込む者も多くなった。動ける者は休憩時間もなくなり、壁にもたれて立ったまま眠っていた。

 六月になって、首里が陥落(かんらく)したという噂が流れて来た。首里にあった第三十二軍の司令部は南部に撤退したという。千恵子たちには信じられなかったし、信じたくはなかった。きっと、敵が流したデマに違いないと信じなかった。

 三日の夜、新城(あらぐすく)分院に行っていた人たちが八重瀬岳に戻って来た。朋美が第六外科にやって来て、無事だったのね、よかったねと喜び合った後、話を聞いて驚いた。

 敵はすでに、玉城(たまぐすく)村の前川まで来ていて、新城分院を閉鎖(へいさ)して戻って来たという。前川と聞いても千恵子にはどこだかわからなかった。新城の北東一キロばかりの所よと言われ、とても信じられなかった。いつの間に、そんな近くまで敵は迫って来たのだろう。そんな近くまで来ていれば、まもなく、八重瀬岳にも迫って来るに違いなかった。さらに、千恵子は朋美から驚くべき事実を聞かされた。

 新城分院は全長が五百メートルもある大きな自然壕で、壕内には川も流れていたので水には不自由しなかった。ここなら絶対に安全よと喜んでいたけど、前線から次々と負傷兵が運び込まれ、その数は千人近くにもなり、とても看護できる状況ではなくなって行った。治療をしてもらえる患者はいい方で、治療もされずに放置されたまま亡くなってしまう患者も多かった。

 閉鎖と決まり、約半数の歩ける患者たちは退院して壕から出て行ったが、残された半数の動けない患者たちには毒薬の青酸カリを配らなければならなかった。薬を飲めない者たちには衛生兵や看護婦が注射を打って回った。将校の中には拳銃で自殺する者もいたという。朋美も毒薬を配って回り、それを飲み干して、「天皇陛下万歳」と叫ぶ者や、泣きながら軍歌を歌っている者、苦しそうにもがきながら、「殺してくれ」と叫ぶ者たちをいたたまれない気持ちで見ていた。その場から逃げ出したい気持ちを必死に(こら)えて、ようやく、薬を配り終わると生徒たちは雨の中、軍医と一緒に先に引き上げて来た。

「動けない人たちを毒殺したの」と千恵子は信じられないという顔で朋美を見た。

「本当なのよ。あたしたち、泣きながらお薬を配ったのよ。毒薬とは言わなかったけど、みんな、覚悟を決めてるみたいだったわ‥‥‥」

「そう‥‥‥恐ろしいわ」

「貴様ら、俺たちを見殺しにするのかって怒鳴る患者さんもいたわ」

「そうでしょうね。ひどすぎるもの」

「あっ、そうだ。チーコに知らせたい事があったのよ。前線で負傷した一中の人がいてね、安里先輩の事、知ってたのよ」

「えっ」と千恵子は目を輝かせて、「安里先輩も前線に出てるの」と心配した。

 朋美は首を振った。「その人は砲兵隊に入って前線に行ったんだけど、安里先輩は本部勤務なので首里にいるはずだって言ってたわ。でも、今は首里も敵の手に渡っちゃったでしょ。だから、きっと、どこかに撤退したんじゃないかしら」

「そう。前線には行ってないのね」と少し安心したけど、首里で怪我したかもしれなかった。「ねえ、康栄の事は知らなかった」

「聞いてみたんだけど、わからないって。でも、首里にいたんなら司令部と一緒に南の方に撤退したんだと思うわ」

「そうよね‥‥‥」

 近くにいた患者さんが、突然、『戦陣訓(せんじんくん)の歌』を歌い出した。

 日本男児と生まれ来て
     (いくさ)(にわ)に立つからは
   名をこそ惜しめ武士(つわもの)
      散るべき時に清く散り
         御国(みくに)(かお)れ桜花〜 (戦陣訓の歌 梅木三郎作詩、須磨洋朔作)

 心に染みる声で歌っていたのは山内一等兵だった。最近、山内一等兵はこの歌をよく歌っていた。改めて死の覚悟をしているようだった。千恵子と朋美はしばらく歌を聞いていた。

「もしかしたら、ここも閉鎖になるの」と千恵子は朋美に聞いた。

「多分、そうだと思うわ。敵はもう、すぐ側まで迫って来てるんだもの。あっ、途中で、郁代がはぐれてしまったのよ。衛生兵の人が必ず、連れて帰るって言ってたけど戻って来たかしら」朋美はそう言うと本部の方に戻って行った。

 千恵子は手前の方にいた小百合を第二坑道の方に誘って、朋美から聞いた事を話した。

「それじゃあ、首里が陥落したっていうのは本当だったのね」と小百合は驚いた。

「そうなのよ。新城に首里から自力で歩いて来た負傷兵がいて、その人は司令部が撤退するまで首里を守っていた残留部隊の人で、首里城にアメリカの国旗がひるがえっているのを見て、悔しくて仕方なかったって言ってたらしいわ」

「噂通り、司令部は南部に撤退したのね」

「そうらしいわ。首里には弟がいたのよ。おばあちゃんもいたし、従姉妹(いとこ)の陽子ちゃんや幸ちゃんもいたのよ」

「安里先輩もね」と小百合が言った。

「そうよ。みんな、どうしちゃったの。無事に首里から逃げられたの」

 千恵子は泣いてしまった。首里が敵の手に落ちてしまうなんて、考えてもいなかった事が現実となって、もしかしたら、みんな、死んでしまったのではないかと絶望感に捕らわれていた。

「大丈夫よ。きっと、みんな無事でいるわよ。そう信じて生きて行くしかないのよ。あたしだって家族の事を思うと泣きたくなるわ。でも、絶対に生きていると思ってるわ。必ず、再会できると信じてるわ。そう思わなくちゃ、生きて行けないもの」

「そうよね。生きているわよね。戦争が終われば、きっと再会できるわよね」

 千恵子は自分に言い聞かせて涙を拭いた。自分の感傷に浸っている暇はなかった。生死の境をさまよっている患者さんたちが千恵子を必要としていた。やらなければならない事はいっぱいあった。千恵子は家族の無事を祈りながら、助けを求めている患者さんのもとへ飛んで行った。

 それからしばらくして東風平(こちんだ)分院も閉鎖になって引き上げて来た。佳代が第六外科に来て、向こうの様子を話してくれた。

 東風平分院は看護教育を受けた国民学校の裏にある丘に掘られた人工壕で本部壕と三ケ所の病院壕があった。各病院壕に五、六十人の患者が収容されていて、佳代たちは休む間もなく働いた。東風平は八重瀬岳よりも前線に近いので艦砲だけでなく、敵の戦闘機や爆撃機が飛び回っていて、機銃に襲われて死にそうになった事もあるという。

「南風原の陸軍病院も南部に移動になったらしいのよ。先月の二十五日頃だったかしら、夜、雨の中をぞろぞろと東風平を通って南の方に移動して行ったの。あたしは直接、見てないけど、師範女子や一高女の生徒たちが負傷兵を連れて高嶺の方に向かって行ったって言ってたわ」

「そう、南風原も閉鎖になったんだ‥‥‥」千恵子は姉と浩子おばさんの無事を祈った。

 東風平でも敵がすぐ近くまで迫って来たので閉鎖となり、独歩患者は無理やり退院させた。動けない患者がどうなったのか、佳代たちは知らなかった。米田軍曹は後から護送すると言っていたが、トラックもないし、衛生兵も充分にいない状況では無理じゃないかと佳代たちは思っていた。千恵子から新城分院では歩けない患者たちを毒薬で処置した事を聞くと佳代は、えっと驚き、「そんな‥‥‥」と言ったまま、どこかに行ってしまった。

 佳代たちは一月近く、東風平にいた。そこで何があったのか知らないが、動けない患者さんの中に知っている人がいたのかもしれないと思った。

「御苦労だった」と誰かが言った。

 振り返ると松本上等兵だった。『タコ八の歌』を歌っていた海軍記念日の次の日から急に熱を出してうなされ続け、突然、目覚めたと思ったら脳症になってしまっていた。右足がないので、ウロウロと歩き回らなくて助かるが、何も言わず、その場で大小便をしてしまうので困っていた。上段の寝台にいたのを下段に移したので、他の患者さんには迷惑が掛からないけど、そのまま放って置く訳にもいかず、後片付けが大変だった。

「諸君らは実によく戦ってくれた。諸君らのお陰で、この沖縄戦もまもなく終結を迎える事となろう。よって、我が松本隊は最後の任務を遂行(すいこう)する。歩ける者は皆、わしに続け。直ちに目前の敵陣に斬り込みを掛ける。いいか、行くぞ!」中隊長にでもなったつもりか、偉そうに演説ばかりしていた。

 千恵子は「中隊長殿」と声を掛けて敬礼をしてから、「斬り込みの前に、尿器および便器の御用はありませんか」と聞いた。松本上等兵は「うっ」と唸ってから、自分の下半身を見て、「そうだな、尿器を持って来てもらおうか」と言った。

 千恵子はもう一度、敬礼をして尿器を取りに行った。

 翌日の早朝、非常呼集が掛かった。生徒は全員、本部に集合しろと言う。こんな事は初めてだった。やはり、ここも閉鎖になるのではと不安な面持ちで皆、本部へと向かった。

 あちこちに土嚢(どのう)が積んであるけど、本部も水浸しになっていた。上の壕で勤務していたトヨ子や初江たちも来ていて、朋美たちから話を聞いているらしく、「これからどうなるのかしら」と小声で話していた。

「全員整列」と米田軍曹の号令が掛かり、千恵子たちは口をつぐんで正面を向いて並んだ。

 書類に目を通していた病院長の安井少佐が立ち上がって、正面に立つと皆の顔を見回してから、「みんな、御苦労だった」と威厳のある静かな声で言った。

「御奉公の一念に燃え、君たちは今までよく働いてくれた。国家に代わって礼を言う。今後とも最後まで皆と行動を共にしたいのだが、戦局はもはや病院管理ができる状況ではなくなってしまった。これより軍医、衛生兵は勿論の事、動ける患者すべての者が戦闘員となって敵陣に突入する。かかる中にあって、君たちをその渦中(かちゅう)に連れ出すのは、どうしても忍び得ないところである。よって、本日をもって学徒隊は解散する」

 ざわめきが起こった。やはり、思っていた通りだった。突然、解散と言われても、皆、どうしたらいいのかわからなかった。

 病院長が引き下がると教育隊の隊長だった廉嵎(かどおか)中尉が現れ、生徒たちが静まるのを待って、「みんな、御苦労だった」と言った。

「残念ながら敵は首里を落とし、那覇も落とした。すでに敵は東風平まで侵入して来ている。我が隊は後方の国吉(くによし)に移動するが、君たちを収容する壕はなく、共に連れて行くわけにはいかない。今後、自由行動を取ってほしい。君たちの幸運を祈る。以上、解散」

 千恵子たちは呆然と立ち尽くしていた。自由行動を取れといっても、敵の攻撃がますます厳しくなっているこの状況で、一体、どこに行ったらいいのか、誰にもわからなかった。

「最後まで、軍と一緒に行動させて下さい」と誰かが言った。

 トヨ子だった。しばらく会わなかったけど相変わらず元気だった。

「あたしたちには帰る所も行く所もありません。あたしたちも戦闘に参加します」と言ったのは晴美だった。

 皆が二人を見習って、一緒に行かせてくれと頼んだけど無駄だった。解散命令が(くつがえ)される事はなかった。

「みんな、静かにして」と高良婦長が言った。

「騒ぐ前に、あなたたちには最後のお仕事があるのよ。歩ける患者さんたちを説得して原隊に復帰させてちょうだい。足のない人にも(つえ)を渡して、できるだけ多くの患者さんを出すようにするのよ。さあ、早くしてちょうだい」

 千恵子たちはうなづいて、それぞれの病棟に引き上げた。

 敵の攻撃がやんだ一時間の間に、歩ける患者たちは次々に出て行った。千恵子たちは泥だらけになりながら、杖になりそうな枝や棒切れを集められるだけ集めて、患者さんに手渡した。

 黒沼伍長と林一等兵は杖にすがりながら、「お世話になりました」と言って第五外科に入院していた小隊長の鵜島少尉と一緒に出て行った。

 開南中学の島袋二等兵は小百合が渡した杖にすがって、「どうもありがとうございました」と丁寧に頭を下げて出て行った。背中の傷も治り切っていないのに、片足で歩いて行く姿は哀れだった。結局、島袋二等兵は一中の事は何も知らなかった。島袋二等兵は一月の半ば頃からずっと、識名(しきな)の馬場で通信教育を受けていて、三月九日、山部隊の司令部に入隊した。開南中学の上級生がどこに行ったのかもよくわからず、他校の事なんて全然わからないと言った。

 第六外科で最初に蛆虫のわいた山内一等兵はその後、破傷風にもならず、左足は順調に回復していた。右足はないけど杖をつけば歩けるようになっていた。

「世話になったなあ。君たちも元気でな」と言って出て行った。

 両腕を失った荒井曹長は、もう使いようがないからと言って、千恵子に腕時計をくれた。千恵子がそんなのもらえませんと断ると、手首の上から切断された両腕で腕時計をはさんで千恵子の方に差し出して、「お世話になったお礼です」と笑った。

 時計を持っていない千恵子は小百合から時間を聞いたり、小百合がいない時は、時計を持っている患者さんから聞いていた。荒井曹長から聞いた事もあったので、時計をくれるというのだろう。本当にありがたかった。千恵子は両手で受け取って、お礼を言った。

「あなた方は決して死んでは行けませんよ。絶対に生き延びて下さい」と言って荷物を背負うと入口の方に向かった。あの手では食事も一人では取れないだろうけど、頑張って生き抜いてほしいと思いながら千恵子は見送った。

 傷だらけの腕時計は荒井曹長の両手を粉々にしてしまった砲弾の凄さを物語っていた。ガラスにはひびが入っていたけど、ちゃんと動いていて、五時四十二分を示していた。千恵子は荒井曹長の無事を祈りながら腕時計を左腕にはめた。

 小百合は藤井一等兵から缶切りのついたナイフをもらった。昨日の夜、無理に退院して勤務に復帰していた悦子は、死を覚悟した木村軍曹から飯盒(はんごう)をもらい、和美は同郷の兵隊から手榴弾(てりゅうだん)をもらっていた。

 外に出るより壕にいた方が安全だと動こうとしない患者もいたが、敵がすぐ側まで来ている事を告げ、それでも動かない患者には、ここにいれば毒殺される事を内緒で教えた。患者は驚き、慌てて荷物をまとめると艦砲の炸裂する中に出て行った。千恵子たちはなるべく多くの患者さんを逃がしたかった。両足のない患者さんも、重傷で寝たきりの患者さんも何とか説得して送り出した。皆、渾身(こんしん)の力を振り絞って出て行った。両足のない患者は両手で歩き、重傷を負って立つ事のできない患者は泥んこの中を腹這いになりながら去って行った。

 患者たちを送り出している最中にも亡くなってしまった患者もいた。古堅看護婦に外に出しましょうかと聞くと、もう新しい患者さんも来ないからそのままでいいという。千恵子たちは患者さんの両手を合わせて毛布にくるんだ。

 退院すべき人たちが皆、出て行ってしまうと壕内は急に静かになった。

 第六外科では動けない患者さんが十七人いた。つい最近、入院したばかりの重傷患者が多く、四月に入院した古い患者さんも二人いた。一人は下顎(したあご)を吹き飛ばされて、口の中に蛆虫がわいている田中上等兵だった。右手もなく胸部に深い重傷を負っていて、食事もろくにできないのに入院してから一月余りも生きていた。足の負傷は治っているので歩けない事はないのだが、起き上がる気力もなかった。千恵子が口の中の蛆虫を取ってやると、じっと千恵子を見つめている目から涙がこぼれ落ちた。千恵子も泣きそうになり、何も言ってやる事ができなかった。

 悦子に飯盒を贈った木村軍曹も四月の半ばに入院していた。上半身の傷は大分よくなっているが、右手と右足がなく、退院を諦めていた。右手があれば杖をつけるが、左手では難しかった。這ってでも出て行った方がいいと悦子が説得したけど駄目だった。

「軍曹としてそんなみっともない姿をさらすわけには行かない。大日本帝国軍人として最期は自分でけじめをつける」と強い口調で言った。

 みんなを送り出した後、千恵子たちは疲れ切って、患者さんのいなくなった寝台に腰掛けて休んでいた。

 古堅看護婦が来て、「みんな、御苦労だったわね」とねぎらった。

「いえ、どうも、お世話になりました」と悦子が言った。

「看護婦さんたちも解散になるんですか」と小百合が聞いた。

「そうらしいわね。でも、あたしたちにはまだやる事があるのよ」

「やる事って何なんですか」と小百合が聞いた時、千恵子はもしかして、残った患者さんたちに毒薬を配るのではないかと思った。

「看護婦としてやる事は一つしかないでしょ」と古堅看護婦は言って笑った。

「一つ?」と千恵子は聞いた。

「南に行けば、負傷者はさらに増えるでしょう。たとえ、この病院が解散になっても看護婦としてやるべき事をやらなくちゃね」

「あたしたちも一緒に連れて行って下さい」と悦子が言った。

 古堅看護婦は首を振った。

「何人も一緒になって行動するのは危険なのよ。三人位で移動した方がいいわ。国吉から帰って来た村田伍長さんの話だと、南の方はまだここ程ひどくないらしいから、とにかく、この山の稜線(りょうせん)に沿って南に行きなさい。そうすると真栄平(まえひら)という部落に出るわ。もし、そこで会えたら一緒に行きましょう」

「真栄平という所に看護婦さんはみんな集合なんですか」

「そうじゃないわ。もう病院は解散したんだから、家族が島尻にいる人は家族のもとへ帰るわよ。行く所がない人だけよ」

「古波蔵さんは」と小百合が聞いた。

「古波蔵さんは来るわよ。伊良波さんもね」

「あたしたちも行きます」と千恵子は言った。

 小百合と悦子も「絶対に行きます」と言った。

 古堅看護婦はうなづいて、「ここを出る前に少し休んでおいた方がいいわよ」と言った。

「疲れていると判断力が鈍るからね。もし、真栄平で会えなかったら、真壁(まかべ)に出てから糸洲(いとす)を目指しなさい。糸洲に豊見城(とみぐすく)から移動した第二野戦病院があるわ。そこは大きな自然壕で、まだ病院として機能しているらしいの。積徳(せきとく)高女の生徒たちも一緒にいるはずよ」

 千恵子たちは東風平で別れた積徳高女の生徒たちの事を懐かしく思い出していた。敵は港川から上陸すると思っていたので、どうして二高女が前線に近い富盛で、積徳高女が那覇に近い豊見城に行くのよと羨ましく思っていた。しかし、実際は豊見城の方が前線に近くて、ここより先に南部に撤退したようだった。

「真栄平から真壁を通って糸洲ですね」と小百合が確認した。

「そうよ」

「古堅さんたちも、糸洲に行くんですか」

「そのつもりよ。同じ山部隊の病院だものね」

「国吉っていう所はどこなんですか。本部が移動するんでしょ」と悦子が聞いた。

「国吉は真栄平から西の方に行った所らしいわ。そこにも自然壕があるんだけど、それ程、大きくないらしいのよ。多分、行っても入れてもらえないと思うわ。でも、国吉の方はまだ艦砲もなくて、畑にはサトウキビも野菜もいっぱいあって、小鳥も鳴きながら飛び回っていたって言ってたわ。糸洲は国吉よりも南だから、そこもまだ艦砲もなくて平和だと思うわ」

 千恵子は国吉という地名は聞いた事があった。デパートに務めていた秀子おばさんが糸満に嫁いだので、何度か軽便鉄道に乗って糸満まで行った事があり、糸満の近くに国吉という集落があったのを覚えていた。糸満はどんな状況なのか心配になって聞いてみた。

「詳しい事はわからないけど、糸満は艦砲にやられてるらしいわ。でも、南の方には大きな自然壕がいくつもあって、住民たちは皆、その中に避難してるらしいから大丈夫みたいよ」

 すばしっこい秀子おばさんの事だから、きっと、家族を連れて無事に自然壕に避難しているだろうと千恵子は安心した。

 古堅看護婦が本部の方へ行った後、千恵子たちは糸洲へ行く道を確認しあった。真栄平も真壁も糸洲も初めて聞く土地でまったくわからなかったけど、行くべき場所が見つかっただけでもホッとしていた。

「とにかく、真栄平ってとこまで行けばいいのよ。誰かに聞けば教えてくれるわよ」と三人は気楽に考えていた。不安も消えたので、みんなにも教えてやろうと第一坑道の方に帰ろうとして、ふと千恵子は隔離病棟にいる小島軍曹と岩本上等兵を思い出した。

 小百合と悦子を誘って見に行くと、隔離病棟にあった(おり)はなくなっていて誰もいなかった。みんな出て行ったんだわと安心していたら、上田上等兵が声を掛けて来て、「全員、処置されたよ」と言った。

「えっ、みんな、殺されたんですか」と小百合が聞いた。

「敵に捕まって、何でもしゃべられたら困るからだろう」

 確かにそうかもしれないけど、何も殺さなくてもいいのにと軍隊の非情さを改めて思い知った。やりきれない気持ちになって、何げなく第九外科の方を見ると、衛生兵が残っている患者さんに手榴弾を一つづつ配っていた。敵を攻撃するためではなく自決用の手榴弾に違いなかった。

 午後になって再び呼集が掛かった。今度は何だろうと本部に行くと生徒全員に三ケ月分の報酬として百円が手渡された。百円は大金だったが、今、それがどれだけ役に立つのかわからなかったし、三ケ月の死に物狂いの苦労が、この百円で報われるとも思えなかった。お米と鰹節(かつおぶし)、乾パンが六袋、果物(くだもの)の缶詰、粉の味噌と醤油(しょうゆ)も支給された。

 今、出て行くのは不可能なので、夕方の敵の攻撃がやんだ時、出て行くようにと言われた。古堅看護婦が言っていたように、一時間後には敵の艦砲射撃が始まるので、団体で行動すると一遍にやられてしまう。三、四人づつに分かれて出て行くようにと言われた。支給された物を抱えて、千恵子たちは自分たちの寝台に戻った。上の壕や分院に行っていた者たちは自分の寝台はなかったけど、すでに出て行った衛生兵たちもいるので、空いている寝台に行って、荷物の整理をした。

 千恵子は共に働いた小百合と悦子と一緒に出て行く事に決めた。ほとんどの者が同じ職場で苦労を重ねた仲間と一緒に出て行くようだった。晴美は治療班だった利枝たちと、佳代は東風平分院に行った由紀子たちと、トヨ子と初江は上の壕の勤務者たちと一緒に出て行くという。千恵子たちは古堅看護婦から聞いた事を皆に話して、真栄平で合流しようねと約束し合った。

 荷物をまとめた後、千恵子は少し休もうと横になった。艦砲の中を歩くのは恐ろしかったけど、真栄平まで行けば、みんなと一緒になって糸洲まで行き、また看護婦をやればいいんだと思っていた。南の方は艦砲もなく、緑の樹木もあって、草花も咲いて、畑には作物もあるという。お金もあるし、もしかしたら黒砂糖や豚肉も買えるかもしれない。そして、井戸があったら、髪を洗って体も綺麗に洗いたい。濡れたままのモンペや服も綺麗に洗って乾かして、シラミ退治もしたい。ふやけてしまった足も太陽の下で乾かしたい。そんな事を考えながら、いつの間にか眠ってしまった。

 千恵子は悦子に起こされた。

「チーコ、そろそろ行かなきゃ。米田軍曹が呼びに来て、みんな出て行ったのよ」

「えっ、そうなの。みんな、もう行ったの」

「そうよ。敵の攻撃はやんだのよ」

 そういわれてみれば艦砲の音は聞こえず、壕も揺れてはいなかった。千恵子は左腕の時計を見た。もう五時五分過ぎになっていた。

 第五外科の和美、鈴代、由美の三人が奥の方から来て、「真栄平で会いましょう」と入口の方に向かって行った。

「ええ、真栄平でね」と千恵子と悦子は手を振った。

 千恵子が寝台から降りると下にいるはずの房江はいなかった。

「房江はもう行ったの」と悦子に聞くと、

「さっき、聡子と恭子が来て、一緒に行ったのよ」と言った。

 晴美と利枝もいなかった。

「晴美たちももう行ったの」

「本部勤務の人たちは四時頃、安里さんが呼びに来て、どこかに行ったきり戻って来ないのよ。もしかしたら、本部の後片付けでもやらされてるのかしら」

「ねえ、あたしの地下足袋(じかたび)、知らない。どこにもないのよ」と小百合が言っていた。

 足元に置いておいたという地下足袋はどこにもなかった。寝ているうちに蹴飛ばして落としてしまったのかもしれないと、水の溜まった通路を奥の方まで捜してみたけど見つからなかった。小百合も諦めて、新しい地下足袋を下ろした。

 荷物を背負って第七外科に入ると、動けない患者さんが泣きながら、連れて行ってくれと声を掛けて来た。すみませんと謝りながら、千恵子たちは急いで入口に向かった。

 入口の所に歩哨兵と一緒に梅田軍医がいて、東風平分院の佳代たちが出て行く所だった。

 佳代たちは千恵子たちに、「お先に」と手を振って出て行った。

 いつの間にか雨はやんでいて、雲の間から青空が顔を出していた。

 千恵子たちも出ようとしたら歩哨兵に止められた。

「待て。トンボが飛び回っているから気をつけろ」

 トンボという言葉を聞くのも久し振りだった。雨がずっと降り続いていたので姿を見せなかったトンボがまた出て来たらしい。そんな中を飛び出して行くなんて、急に恐ろしくなって来た。

「決して敵に捕まるんじゃないよ」と誰かが言った。

 振り返ると村田伍長だった。古堅看護婦は村田伍長は国吉に行っていたと言っていた。しばらく姿を見なかったのは、本部の移動先を捜していたのかもしれなかった。

大和撫子(やまとなでしこ)としての誇りを捨てるんじゃないぞ」と村田伍長は優しそうな目で三人を見ながらうなづいた。

「はい、わかりました」と悦子が言って、千恵子と小百合も村田伍長に向かってうなづいた。村田伍長も国吉に行くのだろうか聞こうとしたら、高良婦長に声を掛けられた。

「あななたたちが最後ね」

「そうだと思います」と千恵子は答えた。

「気をつけて行くのよ」

「はい」と三人はうなづいた。

 高良婦長は病院全体の事を見ていたので、直接、指導を受けたのは最初の頃だけだったけど、時々、見回りに来て、励ましの言葉をかけてくれた。頭がよくて思いやりがあって、看護婦として尊敬すべき人だった。千恵子はお世話になりましたと心の中で(つぶや)いた。

「美里さんは本当なら今頃、看護婦養成所に入っていたのよね」と高良婦長は言った。

 そう言われて、そうだったんだわと千恵子は気づいた。今頃、県立病院の看護婦養成所で勉強しているはずだった。でも、県立病院も今はもうなかった。

「ここでの働き振りはもう立派な看護婦よ。勿論、真栄城さんも平良さんも、ここにいた人たちは全員よ。戦争が終わったら、また会いましょう」

「はい、ありがとうございました」

 高良婦長に立派な看護婦だと言われて、千恵子はうれしくなって涙がこぼれそうになった。今までの苦労が報われたような気がした。小百合も悦子も同じ気持ちだったらしい。目を(うる)ませて、高良婦長にお礼を言っていた。

「決して、死んではならんぞ」と梅田軍医が言った。「捕虜(ほりょ)になっても生き残るんだぞ。いいか、危なくなったら軍隊にいた証拠になるような物はみんな捨てろよ。もし、敵に捕まっても軍隊にいた事は絶対に言うな。玉城(たまぐすく)知念(ちねん)方面は安全だから、そっちの方に向かって白旗を(かか)げて行くんだぞ」

 千恵子たちは返事をしなかった。あたしたちに捕虜になれなんて、もう、何て事を言うのかしら。捕虜になるくらいなら死んだ方がましよ、と誰もが思っていた。いい人だと思っていたのに、あんな事を言うなんて、今まで、こんな非国民な軍医と一緒に仕事をしていたのかと思うと腹立たしくなって来た。

「よし、行け」と歩哨兵が言った。

「気をつけて行けよ」という村田伍長の声を背中に聞きながら、千恵子たちは上空を見上げ、足跡だらけの泥んこ道へと飛び出した。







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