酔雲庵

天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記

井野酔雲

創作ノート







岩井伝重著『軽井沢三宿と食売(めしもり)女』より




 ◇追分節

  • 浅間根腰の小砂利の中で、あやめ咲くとはしほらしや
  • 浅間山さん、なぜ焼けしゃんす、腰に三宿持ちながら
  • 西は追分、東は関所、せめて峠の茶屋までも
  • 浅間押せ押せ六里が原を押せば追分近くなる。
  • 浅間山から飛んで来る烏、金も持たずにかうかうと。
  • 追分油屋の掛行灯に冷やかしゃ御免と書いてある。
  • 碓氷山から坂本見れば、女郎が化粧して客を待つ。
  • 碓氷峠の水沢様(峠町の神主)はおんべ振り振り杓子売る。
  • 碓氷峠の権現様は、主のためには守り神。
  • 碓氷峠のあの風車、誰を待つやらくるくると(風車は明暦3年に奉納された)。
  • 旅籠屋に泊まりて見れば、町の名のお玉杓子の飯盛の顔。
  • はした女の盛る弁当の中くぼく使う定規の杓子町かな。
  • 右は更級、左は吉野、月と花とを追分の宿。
  • 追分一丁二丁三丁四丁五丁ある宿で中の三丁目がままならぬ。



  • 天保年間には酒造舗、酒小売店、質屋、水車屋(製米兼製粉業)、薬湯屋、髪床、女髪結、按摩、太物屋、仕立屋、小間物屋、雑貨屋、賃貸し屋(損料屋)、京菓子舗、東菓子店、魚屋、豆腐屋、油屋などがあった。
  • 追分の子持ち地蔵は安永6年(1777)建立。
  • 文化年間に追分宿には62軒の旅籠屋があり内、飯盛女のいる宿が49軒あった。茶屋は19軒。
  • 享保年間、昼間の揚代は200文、泊まりは一夜500文。
  • 追分宿の油屋、大国屋にはいつも30人以上の飯盛女がいた。永楽屋、甲州屋、小林屋、井幹屋には20人前後いた。外に橘屋、大菱屋、大林屋、平野屋あり。


  • 文久元年、追分宿の旅籠屋
大旅籠屋 油屋助右衛門、永楽屋喜右衛門、大黒屋新太郎、小林屋半右衛門、越後屋伝兵衛、鶴屋作右衛門、現金屋五郎左衛門、甲州屋治郎左衛門。
中旅籠屋

つちや庄左衛門、日野屋平助、井幹屋清次郎、若菜屋吉兵衛、駒屋又兵衛、嶋屋源之丞、十一屋小左衛門、三浦屋六右衛門、桐屋恒五郎、大湊屋兵右衛門、柳屋市兵衛、正木屋万兵衛、藤田屋金七。

小旅籠屋 布袋屋宗四郎、明石屋佐兵衛、米屋卯兵衛、上総屋宗蔵、古久屋宗左衛門、橘屋五左衛門、東土屋政右衛門、大菱屋半兵衛、亀屋与兵衛、○○屋清兵衛、近江屋藤五郎、和泉屋庄吉、小湊屋新五郎、堺屋源左衛門、○○屋平四郎、加賀屋善四郎、三河屋忠右衛門、萬屋平蔵、東米屋文右衛門、神田屋兵左衛門、平戸屋新吉、内田屋金右衛門、清水屋勇助、丸屋治兵衛。


  • 寛政の末から飯盛女たちは芸名を使うようになり、安政期には男名も使うようになる。
  • 安政6年の油屋の飯盛女は40人。
 寿賀(29)、藤井(よの28)、たけ(27)、仙山(なみ26)、千年(つる25)、かほる(よか24)、ふく(24)、春(24)、吉春(はま23)、梅枝(たい23)、里(きく23)、染吉(とき22)、寿(いよ22)、と年(とよ22)、豊吉(つた20)、粂里(ちよ20)、菊司(たみ20)、亀吉(かう20)、つる(かん20)、小梅(うめ19)、初音(きよ19)、翠(志ん19)、粂之助(げん18)、粧(いく18)、代々春(みと17)、雛町(はつ16)、浜吉(よ志16)、仲吉(まさ16)、妻吉(そち16)、まん(15)、たき(14)、可津(12)、たつ(12)、藤吉(里登12)、とら(12)、花(すい11)、まさ(11)、岩吉(ちい11)、みと(みて9)、せん(まと8)
  • 天明の浅間噴火以前は小田井宿にも飯盛女はいた。柏屋、尾台屋、丸屋、大丸屋、大黒屋、十二屋、すはま屋、中屋、つた屋、吉田屋など。
  • 文化文政の頃、岩井粂三郎一座が追分宿に来る。開演中、桝形の大茶屋、伊勢屋善兵衛で遊び、林助といい仲となる。
  • 綾丸(歌麿か?)が追分宿の飯盛女たちの名を読みこんだ狂歌が残っている。
  • 宝暦11年(1761)、軽井沢宿の戸数は169戸、男595人、女847人、計1442人。
  • 安永年間(177280)、沓掛宿の戸数は168戸、男307人、女366人、計673人。旅籠屋127
  • 明治5年の飯盛女の出身は愛知98人、岐阜24人、長野19人、新潟16人、富山13人、東京13人、静岡6人、群馬5人、石川3人、三重2人、山梨1人。
  • 追分宿の東北約5町の一里塚の東から北に入る追分高原に祀られていた『鬼門よけの稲荷神社』が飯盛女に信仰されていた。外に黒助稲荷社、寿命稲荷社(上滝沢)があった。
  • 享保年間、追分の諏訪神社に江戸吉原の遊女たちが御神輿を寄進した。
  • 泉洞寺‥‥‥禅寺。如意輪観世音菩薩座像に飯盛女たちは参詣していた。
  • 自性院‥‥‥修験行者の道場。昭和10年に取り壊される。


  • 飯盛女の手紙
かへすかへすはやく まち入まいらせ候 かしく
はや文とは御なれなれしく候へとも 一ふて志めしまいらせ候
さてとや せんしつハ御こころつけ下されうれしくおもひまいらせ候
とふそやとふそや御よふす みやはしてこんはん御こし候様のほと まち入まいらせ候
そして たかたや(高田屋)いまいり御まいり おんまちもふし候ゆへ
はるくち御やめなされて候て はやく御こし候様たのみあけまいらせ候
もふしあけたき御事ハたんとたんと御さ候へとももふしのこし まいらせ候 かしく
  初より せへ様 御もとへ


  • 飯盛女の客引き‥‥‥『大黒屋でごわす』『油屋でごわす』『今晩はぜひ油屋で』『大黒屋でお泊まり願いやす』『どうか鶴屋で泊まってくらっしゃい』『どうしてもうちで泊まらっしゃい、静かでよい所でごわす』





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