沖縄の酔雲庵

沖縄二高女看護隊・チーコの青春

井野酔雲





第三部




2.真壁




 真栄平(まえひら)から真壁(まかべ)へと向かう道の脇には泥だらけの死体がいくつも転がっていた。亡くなってから何日も経っているのか、真っ黒に膨張して、蛆虫のわいているのもあった。小さな子供の死体や赤ん坊をおぶった母親の死体もあった。泥まみれなのでよくわからないが、ほとんどが避難民のようだった。北の方から当てもなく逃げて来た人たちの悲惨な最期だった。

 歌を歌いながら行進して来た千恵子たちはその光景を()の当たりにして、皆、声を失った。兵隊の死体を見慣れていた千恵子たちも、一般の人々の死はショックだった。皆、家族たちの事を思い出して呆然と立ち尽くした。

「ねえ、あれ見てよ」と初江が後ろの方を見ながら言った。

 千恵子たちを先頭にして、避難民たちの列がずっと続いていた。

「何よ、あれ」と皆、驚いた。

「雨がやんだんで、みんな、移動を開始したんだわ」と朋美が言った。

「それにしたってあたしたちの後を付いて来る事ないじゃない。こんなに大勢が列を作っていたら、敵に狙われるわよ」

 トヨ子の言う通りだった。千恵子は空を見上げた。トンボの姿は今のところは見当たらなかった。北の方、与座岳や八重瀬岳は艦砲の集中砲火を浴びて、黒い煙を上げていた。あんな所からよく無事に逃げて来られたものだと思う反面、もしかしたら、助かったのはここにいる十二人だけで、後はみんな死んでしまったのかもしれないという不安がよぎった。

「みんな、行く当てがないのよ」と留美が言った。「おうちに入りきれなくて石垣の陰や木陰で丸くなっていた人が大勢いたもの」

「そうね」と由美がうなづいた。

 千恵子たちが立ち止まっているとなぜか、避難民たちも立ち止まっていた。追い越して先に行けばいいのに、疲れ切った顔して立ち尽くしていた。

「とにかく、早いうちに真壁まで行った方がよさそうね」

 千恵子たちは歩き始めた。避難民たちも動き出した。

 しばらく行くと思った通り、トンボが飛んで来て、艦砲射撃が始まった。千恵子たちは慌てて、サトウキビ畑に隠れて身を伏せた。後を付いて来た避難民たちも一斉に散って行った。続けざまに至近弾が飛んで来て、泥土が舞い上がった。十数発、落ちたら静かになった。千恵子たちは全員の無事を確認して先へと進んだ。避難民たちに被害が出たのかわからないが、千恵子たちが先に進むと、ぞろぞろと道に出て来て後に従って来た。

「あたしたち、小隊長になったみたいね」とトヨ子が楽しそうに言った。

「これだけいれば中隊長よ」と初江が言った。

「中隊長といえば大尉か中尉じゃないの」と朋美が言った。「村田伍長さんがそんな事、言ってたわ」

 村田伍長さんはどこに行ったんだろう。やっぱり、国吉じゃないの。矢野兵長さんも一緒なのかしら、などと話しながら歩いていたら、また、艦砲射撃が始まった。

「ここにいたら危ないわ。あそこまで走りましょ」トヨ子が二十メートル位先にある小さな岩山を指さした。皆、一斉に走り出して、岩陰に隠れた。

 千恵子たちがいた辺りに艦砲が落ちて、泥が舞い上がり大きな穴があいた。危機一髪だった。あの辺りに伏せていたら破片にやられていたに違いなかった。

 さっきの艦砲にやられたのか、道の反対側の草むらの中に倒れている兵隊がいた。血だらけの顔で千恵子たちを見ながら、水をくれと叫んでいた。水をあげたかったけど、艦砲が激しくて近づく事はできなかった。ようやく静かになり、兵隊の側まで行くと、すでに死んでいた。千恵子たちは両手を合わせて冥福(めいふく)を祈った。

「兵隊さん、水筒をお借りします」と悦子が言って、兵隊の手元に転がっていた空の水筒を手に取った。

「エッコ、駄目よ」と美代子が悦子の手を押さえた。

「大丈夫よ」と小百合が言った。「水筒はこの人の物じゃないのよ。軍からの支給品よ。要するにお国の物なのよ。お国のために働いているあたしたちが借りても、少しも変じゃないわ」

「そうか。そうよね」と美代子はすぐに納得した。

「衛生材料とか食料とか持ってないかしら」と鈴代が言ったけど、さすがに、亡くなったばかりの人の荷物まであさる気にはならなかった。

 艦砲弾の落ちる中、伏せては歩き、伏せては歩きで、真壁に着いたのはもう夕方になっていた。真栄平よりも安全だと聞いていた真壁は真栄平よりもひどい状況だった。焼夷弾(しょういだん)にやられたのか、ほとんどの民家は焼け落ち、焼け残った民家には大勢の避難民が入っていて夕食の準備をしていた。部落の中央にある道は崩れた石垣が散らばっていて、歩きにくかった。

「ひどいわねえ」と誰もがつぶやいていた。

 焼け残っている民家はどこも避難民が溢れていて、千恵子たち十二人が入れる余地はなかった。

「どうしよう」と四つ角の所で立ち止まった。

「もう、あたし、歩けないわ」と小百合がしゃがみこんだ。足が相当、痛いようだった。

「とにかく、どこかで休まなくちゃ無理よ」と初江が言った。「少し眠らなけりゃ体がもたないわよ」

 考えてみたら、昨日の午後、少し眠っただけで、二十四時間以上も眠っていなかった。このまま次の部落まで行ったら暗くなってしまう。何とか、ここで安全に眠れる場所を捜さなくてはならなかった。三人づつ、四組に分かれて、休める場所を捜す事に決めた。

 千恵子は小百合と悦子と組んで、北の方を捜す事になった。

「ねえ、小百合はここで待ってる?」と千恵子は足を心配して聞いた。

「大丈夫よ。こんな所で一人にされたくない」と言って小百合は立ち上がった。

 真栄平からぞろぞろと付いて来た避難民たちもいつの間にか、いなくなっていた。それぞれ、安全な場所を捜しに行ったようだった。

 北の方の道の両側には石垣が崩れ落ち、焼け落ちた民家が並んでいるだけだった。ゆっくり休めそうな場所はどこにもなく、村外れに出てしまった。もう少し捜してみようと脇道に入って行ったら、木が生い茂っている中に壕らしい物が見えた。きっと、誰かがいるに違いないと思ったけど行ってみた。

 小さな防空壕で、二家族が十人位入っていた。どこかに空いている防空壕はないかと聞いてみたが、ないだろうという。もう少し北に行った所に千人壕と呼ばれる大きな自然洞窟があって、部落の人たちが避難していたが、日本軍に追い出されてしまい、皆、狭い防空壕に隠れているとの事だった。話を聞きながら小百合は憤慨(ふんがい)していた。その場を離れた後も、友軍はひどすぎると言い続けていた。

「真栄平もそうだったし、ここもそう。大きな壕はみんな友軍が住民から奪い取るのよ。国吉にあるっていう野戦病院の本部も、きっと、そこの住民から奪い取ったに違いないわ」

 そうかもしれないと千恵子も思った。八重瀬岳の病院壕は兵隊や防衛隊が苦労して掘った壕だったけど、国吉まで行って壕を掘る暇もなかったし、皆、前線に行ってしまって掘る人もいなかった。古堅看護婦は村田伍長が国吉から帰って来たと言っていた。もしかしたら、村田伍長が銃で脅して住民たちを追い出したのではないかと不安になった。富盛の民家が焼けた時、住民と一緒に火消しをしていた村田伍長がそんな事をするとは信じられないが、命令となればしなければならない。でも、村田伍長にはそんな事をして欲しくはなかった。

 千恵子たちが四つ角に戻ると南の方に行った美代子、鈴代、由美の三人が戻っていて、

「駄目よ。いい場所なんてどこにもなかったわ」と言った。

「こっちもよ」と千恵子たちも首を振った。

 小百合は泥だらけの地下足袋を脱いで、ふやけた足をさすっていた。皮がむけて赤くただれていた。千恵子の足も小百合ほどではないが、水虫のように皮がむけている。泥だらけの地下足袋を脱いで、足を乾かしたかった。

 千恵子たちが千人壕の事を美代子たちに話すと、

「あたしたちも聞いたわ」と鈴代が言った。「ひどいわよね。それに、先月の末頃、焼夷弾にやられたんだって言ってたわ。それまでは避難民もそれ程いなくて、朝晩は自宅に戻って来て炊事をしてたらしいの。今月になってから艦砲も激しくなって、この有り様になっちゃったんだって」

「それにね」と由美が言った。「ここにばらまいてある石垣のかけらは、敵の戦車が通れないように、わざとしたんだって言ってたわよ。首里の方から下がって来た兵隊さんたちが住民の人たちに手伝わせてやったんだって」

「えっ、敵の戦車がもうこの近くまで来てるの」と千恵子は驚いた。

具志頭(ぐしちゃん)辺りにいるって言ってたけど、具志頭てどこなの」

 誰も知らなかった。列車事故で亡くなった敏美の家が具志頭にあるのは知ってるけど、実際に行った事はないので、今いる真壁からどの位離れているのかわからなかった。

 しばらくして、東の方に行っていたトヨ子、初江、聡子が冴えない顔して戻って来た。

「駄目よ。二、三人なら何とかなりそうだけど、十二人も入れる所なんてないわ」

「後は朋美たちだけが頼りね」と悦子が言った。どうせ、駄目だろうといった顔付きだった。

「真栄平のあの家に泊めてもらえばよかったわね」と聡子が言って溜め息をついた。「あそこの人たち、親切だったし」

「今更、戻れるわけないでしょ」とトヨ子がきつい口調で言った。

「だって、もうすぐ日が暮れちゃうわ。どうしたらいいのよ」

「それは、朋美たちが戻ってから考えればいいのよ」

 トヨ子と聡子の雲行きがおかしくなりかけた時、うまい具合に朋美たちが戻って来た。

「どうだった」と皆が一斉に聞いた。

「ちょっと壊れてるけどね、みんなが休める所があったわ」と朋美は言った。

「でもね」とすぐにトミが付け加えた。「ちょっと問題があるのよ」

「何よ、問題って」トヨ子はイライラしながら強い口調で聞いた。

 どうかしたの、と言った顔してみんなを見てから、留美が説明した。「そのおうちには兵隊さんの死体が三つもあるのよ。しかも、かなりひどくなってるの」

「遺体の運搬なんてお手の物よ」とみんなしてその家に出掛けた。

 部落の外れの方にある家で、半分近くが焼け落ちていたが、まだ床もある程度、残っていた。遺体をどかせば、何とか、みんなが休めそうだった。三人の兵隊は汚れた包帯を体に巻き付けた負傷兵だった。一瞬、八重瀬岳から来た人たちかしらと思ったけど、死後三日以上は経っていそうなので、南風原から来たのかもしれない。ここで休んでいた所を艦砲弾にやられたようだった。体のあちこちに大きな破片が刺さったままで、家の中の壁にも刺さっていた。その死に方を見て、千恵子たちは恐ろしくなった。艦砲が落ちて来れば、決して安全な場所とは言えなかった。

「運を天に任せるしかないさ」とトヨ子が言った。「どこにいたって、やられる時はやられるんだもの」

 皆もうなづいて、遺体を片付ける事にした。

「みんな、気を付けてよ。ガス壊疽(えそ)を起こしてるから直接さわらないでよ」と手術室勤務だった留美が注意した。

「そんな事、みんな知ってるわよ」と悦子が言って笑った。「あたしたちは皆、ベテラン看護婦なのよ」

「そうよ。あんなつらい仕事、普通の看護婦さんじゃ勤まらないわ」と美代子も笑った。

 戸板があったので、ガス壊疽を起こして膨れている皮膚に触れないように注意しながら、遺体を戸板に乗せて、庭の隅の草むらの中に移動した。遺体の埋葬は慣れているとはいえ、悪臭は物凄く、遺体を動かす度に蛆虫がポロポロと落ちて来た。何とか、三つの遺体を片付けて、床に落ちた蛆虫も捨てた。遺体のあった場所は汚れていたので、このうちにあった古着のぼろきれで綺麗に拭いた。兵隊の荷物から水筒二つと飯盒(はんごう)一つとわずかばかりのお米と乾パン二袋、牛肉の缶詰一つ、缶切りのついたナイフ、マッチ数本を回収して、あとは遺体の側に置いた。

 休む前にやる事はまだあった。炊事班と清掃班に分かれて仕事をした。炊事班は井戸に行って水汲みをして飯盒でご飯を炊く。飯盒は四人が持っていた。亡くなった兵隊から回収したのが一つで、五つもあれば充分だった。清掃班は壁に刺さっている艦砲の破片を取ったり、穴のあいている床に戸板を置いたり、天井の板をはずして置いたりして休む場所を確保した。

 何とか、暗くなる前に食事を済ませて、皆、足を伸ばして横になった。艦砲の音は相変わらず轟いていたが、この村には落ちていなかった。時々、ヒューヒューと上空を飛んで行く音がした。ここで死んでいた兵隊みたいに破片にやられて死んでしまう不安はあったが、もう、ここから移動する元気はなかった。穴蔵の中と違って、たとえ壊れていても家の中で寝るのは気持ちよかった。皆、疲れ切っていて、知らないうちに眠ってしまっていた。

 朝、目を覚ました千恵子は驚いた。知らない家族連れが家の中にいた。老夫婦と母親に子供が三人、隅の方の壁に寄り掛かって眠っていた。千恵子は隣に寝ている初江を起こした。初江はビクッとして目を覚ました。

「どうしたの、艦砲が落ちたの」そう言いながら、寝ぼけて自分の体を見回した。

「そうじゃないのよ、あれ」と千恵子が示すと、「誰なの」と聞いた。

「あたしだって知らないわよ。知らないうちに、あそこにいるのよ」

 千恵子たちが小声で話していたら、初江の隣にいる小百合が、「夜中に来たのよ」と言った。「申し訳なさそうに休ませてくれって言ったんで、どうぞって言ったの」

「へえ、小百合は知ってたんだ」

「うん。物音で目が覚めたの」

「あたしなんか、ぐっすり眠っちゃった」と初江は笑った。「でも、艦砲が来なくてよかったわね」

 老夫婦が目を覚まして、千恵子たちに頭を下げた。

「いいんですよ」と千恵子たちも頭を下げた。

 皆、足がふやけてしまっていたので、もう一日、ここで休む事にした。昨夜、艦砲がなかったので、ここはまだ安全だろうと安心していた。シラミだらけの髪を洗ったり、洗濯したりして久し振りにのんびりと過ごした。

 この家にも避難民たちが次々に入って来た。自分の家ではないので入るなとは言えなかった。避難民たちは皆、疲れ切った顔をしていて、怪我をしていたり、熱のある人もいた。そんな人を追い返す事はできなかった。千恵子たちはできるだけの治療をしてやった。

 敵の攻撃は八重瀬岳、与座岳に集中していて、真壁には艦砲も敵機の爆撃もなかった。時々、偵察に来るトンボに気を付けていれば安全だった。八重瀬岳にいた頃に比べれば、まるで平和そのもののようだった。

 夕方、鉄カブトを葉っぱで擬装した兵隊が、「おーい、学徒はいないか」と叫びながら庭に飛び込んで来た。

 米田軍曹だった。庭で炊事をしている千恵子たちを見つけると、

「おう、お前ら無事だったか。よかった、よかった」と嬉しそうな顔して近づいて来た。

「班長殿」と由美、留美、鈴代が家の中から出て来た。

「おっ、お前たちもいたのか。何人いるんだ」と米田軍曹は聞いた。

「十二人です」と初江が答えた。

 米田軍曹は目で、みんなを確認した。不思議な事に朋美、トミ、美代子以外は皆、第四内務班の者たちだった。今、思えば、東風平にいる頃が懐かしかった。米田軍曹は厳しかったけど、あのひどい状況を乗り切る事ができたのも米田軍曹のお陰のような気がした。わざわざ、捜しに来てくれたのかと千恵子は少し嬉しかった。

「そうか、十二人もいるのか。よかったなあ。野戦病院の本部は国吉に移った。本部勤務だった上原、屋嘉(やか)津嘉山(つかやま)の三人も一緒だ。みんなも来ないか」

「塩浜美智子はいないんですか」と千恵子は聞いた。

 晴美、利枝、常子の三人と一緒に、美智子も本部勤務だったのにいないなんておかしかった。

「塩浜は大城看護婦と一緒に出て行ったはずだ。国吉には行かないと言ってな」

 大城看護婦は二高女の先輩で、美智子と同じ生物部だった。美智子は先輩を慕って行動を共にしたのかもしれなかった。

「本部勤務者だけは例外だったんですね」と小百合が聞いた。

「そういう訳ではないんだが、本部勤務者には本部の片付けを手伝ってもらったんだよ。重要書類がかなりあって、それを運んでもらったんだ。看護婦たちが運ぶはずだったんだが、看護婦たちも解散した手前、無理は言えんからな、婦長に頼まれて三人が運ぶ事になったんだ」

「看護婦さんは誰がいるんですか」とトヨ子が聞いた。

「二人の婦長と安里、比嘉、宮里の三人だけだ。後は皆、別行動を取った。国吉の壕はあまり大きくないから、みんなを連れて行く訳にはいかなかったんだ。だが、やがて、軍医殿も衛生兵も敵陣に斬り込みを掛ける事になっている。そうすれば、お前たちも入れるだろう。それまで、区長に頼んで近くに壕を見つけてもらう。食糧は充分にあるから大丈夫だ。さあ、みんなで行こう」

 千恵子たちは顔を見合わせた。壕を見つけてもらうと言っても、そんなに簡単に見つかるはずはなかった。どうせ、武器で脅して住民を追い出すのに決まっていた。そんな事をしてまでも、軍と一緒にいるのはいやだと千恵子は思った。軍とは別れ、怪我をした一般住民たちを助けて行こうと決めていたので、皆、黙ったまま返事をしなかった。

「どうした。いつまでも、こんな所にはいられないぞ。ここより国吉の方が安全だぞ」

「行きません」と小百合がはっきりと言った。「もう解散になったんですから、十二人で何とかやってみます」

「そうか」と米田軍曹は残念そうな顔してうなづいた。「その気になったら、来るんだぞ。待ってるからな」と言って出て行った。

「あれでよかったのよね」と小百合がみんなに聞いた。

「いいのよ」とトヨ子が言った。「戻ったら、また負傷兵の看護をやらされるわ。あたしたちがしなくたって野戦病院はいくつもあるもの。それより、怪我した避難民たちを助けてやるべきよ。そうでしょ」

「そうよ」と朋美も力強く言った。「あんなひどい場所で解散するような病院なんて、もう用はないわよ。あたしたちはあたしたちだけで、勝利の日まで頑張るのよ」

 その夜、千恵子たちは体を伸ばして眠る事ができず、膝を抱えたまま眠った。夜中に物凄い爆発音で目を覚ますと、上空にいくつも照明弾が上がっていた。

 危険だった。照明弾が上がっているという事は艦砲に狙われている恐れがあった。家の中にいた避難民たちは慌てて家から飛び出して、石垣の陰などに身を隠した。

「どうしよう」と千恵子はトヨ子に聞いた。

 トヨ子は足を伸ばしながら、「やっと、ゆっくり寝られそうね」とのんきな事を言っていた。

「ねえ、このまま、ここにいるつもりなの」と初江が心配そうに聞いた。

「もう、天に任せるしかないのよ」と小百合ものんきだった。

「もうどうにでもなれだ」と千恵子も自棄糞(やけくそ)になって座り込んだ。

 照明弾が消えて真っ暗になった。すぐにまた明るくなった。近くに落ちている艦砲弾の音が響き渡った。皆、ここに落ちないように祈りながら固まって座っていた。生きた心地もしなかった。照明弾の明かりで腕時計を見たら、一時四十分頃だった。敵の攻撃がやむ五時までは、まだまだたっぷりと時間があった。それまで、ここにじっとしているなんて、とても耐えられそうもなかった。

 至近弾が近くに落ちて、千恵子たちのいる家が地震のように揺れた。隣の家辺りから人々の悲鳴が聞こえて来た。隣には大きな赤瓦(あかがわら)の家があって、大勢の避難民がぎゅうぎゅう詰めになっていた。

「やられたのね」と震える声で悦子が言った。

「ここもやばくなって来たみたい」とトヨ子が言った。

「そうね」と言いながら小百合が地下足袋をはいていた。

 小百合以外は皆、いつでも飛び出せるように荷物を抱いて、地下足袋もはいていたけど、小百合だけは足が痛くて、はいていなかった。どこに行くという当てもないけど、誰もがここにいては危険だと感じていた。

 荷物を背負って出て行こうとした時、「おーい、助けてくれ」と誰かが駈け込んで来た。

「ここに看護婦さんたちがいるだろう。怪我人を助けてくれ」

「行くわよ」とトヨ子が言うと、皆、一斉に飛び出した。どこでもいいから、ここから飛び出したかった。

 隣の民家は半分以上が破壊されて、ひどい有り様になっていた。火の手も上がっていて、あちこちから悲鳴や泣き声が聞こえて来る。暗くてよくわからないが、十数人の被害者が出たようだった。

 千恵子たち十二人は艦砲弾も恐れず、怪我人たちの治療をして回った。八重瀬岳の修羅場(しゅらば)をくぐって来た千恵子たちは強かった。おろおろしている避難民たちを励まして落ち着かせ、衛生材料もろくにないのに、てきぱきと治療して回った。ヨーチンがなくなると消毒液の代わりに、誰かが持っていた泡盛や脂味噌(あぶらみそ)で代用し、包帯の代わりには、これも誰かが持っていた着物を破いて代用した。忙しく動き回っているうちに、夜が明けて明るくなって来た。いつの間にか、火も消えていて、艦砲射撃もやんでいた。

 朝の光の中で家の中を見ると血だらけの床に五人の死体が転がっていた。皆、手足や首のない悲惨な死体だった。家族の者たちが死体に近づいて行き、声も出せずに呆然と立ち尽くしていた。

 広い庭には千恵子たちと二十人余りの傷ついた避難民がいた。その中に、何となく場違いのように兵隊の姿が二つあった。何げなく、千恵子がその兵隊を見た時、兵隊もこっちを見て目が合った。どこかで会った事のあるような気がしたけど思い出せなかった。兵隊は千恵子を見てから隣にいる小百合とトヨ子を見て、もう一人の兵隊と何かを話すと近づいて来た。

「君たちは二高女の生徒じゃないのか」

「あっ」とトヨ子がすぐに思い出したらしく、「ガジャンビラの」と言った。

「あっ」と千恵子も思い出した。ガジャンビラの高射砲陣地にいた高橋伍長と西村上等兵だった。西村上等兵はあの『タコ八』の歌を教えてくれた人だった。

「看護婦さんというのは君たちだったのか。驚いたなあ。女学生たちが陸軍病院で看護婦として働いていると聞いてはいたけど、君たちだったとは驚いた。あまりにも手際がいいんで、本職の看護婦さんだと思っていたよ」

 高橋伍長と西村上等兵ははぐれてしまった本隊を捜している途中で、昨日の日暮れ近く、ここまで来た。民家は避難民がいっぱいで入れず、庭の隅にある大きなガジュマルの木陰で休んでいて、艦砲の直撃弾に遭遇した。負傷者を助けようとしていたら、誰かが看護婦を呼んで来て、一緒になって治療を手伝っていたという。そういえば、千恵子もあれこれ指示をしていた二人の声には聞き覚えがあった。

 高橋伍長と西村上等兵の回りにみんなが集まって来て、あっと言いながら、意外な場所での再会を驚いていた。






真壁



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