酔雲庵

陰の流れ

井野酔雲







早雲登場







 岡部美濃守が早雲庵に来た日の午後、早雲は小太郎と一緒に八幡山内の太田備中守の本陣、八幡神社に向かった。

 雨は上がり、日が出て来て、また蒸し暑くなっていた。

 神社の境内には桔梗紋の描かれた旗が並び、厳重に警戒されていた。早雲は備中守から貰っていた備中守直筆の書状を警固の武士に見せ、備中守のいる宿坊に案内して貰った。

 宿坊には備中守はいなかった。宿坊にいた上原紀三郎の案内で、二人は備中守がいるという河原に向かった。河原なんかで何をしているのだろうと二人は首を傾げながら紀三郎の後に従った。

 阿部川の支流の広い河原では、備中守の指揮のもと、戦の稽古が始まっていた。騎馬武者は一人もおらず、皆、徒歩(かち)武者だった。弓と長槍を持った徒歩武者が二手に分かれ、備中守の掛声に合わせて一斉に動いていた。

「ほう。見事なもんじゃのう」と小太郎が言った。

「うむ。一糸乱れぬ動きじゃな」と早雲も言った。

 紀三郎が備中守に声を掛けると、備中守は隣の武将に軍配団扇(ぐんばいうちわ)を渡して、二人の方に近づいて来た。

「こんな所まで、わざわざどうも」と備中守は笑いながら言った。

「見事ですね」と早雲は兵の動きを見ながら言った。

「いや。早いもので、駿河に来て、もうすぐ二ケ月になりますからな。皆、だらけて来ておるんじゃ。ちょっと気合を入れていた所じゃよ」

「騎馬武者がおらんようじゃが」と小太郎は不思議に思って聞いた。

「ああ。奴らは正規の武士ですからな。怠けておったら首が飛びます」

「というと、あの連中は?」

「あれは、今回のために集めて連れて来た百姓の伜たちじゃ。これからの戦は奴らが主役となろう」

「奴らが主役?」

「うむ」と頷いて備中守は兵たちを眺めながら、「早雲殿は応仁の乱の時、京で活躍した足軽というものを御存じでしょう」と聞いた。

「はい、知っております」と早雲は言った。「しかし、活躍したというよりは都の荒廃をさらに大きくしたと言った方が正しいでしょう」

「うむ、それも聞いた。わしはその噂を聞いて、こいつは使えると思ったんじゃ。今までも百姓たちは戦に参加しておった。しかし、騎馬武者にくっついて戦場を走り回っていただけじゃ。騎馬武者を助けて戦をしていても、騎馬武者がやられてしまえば四散してしまう。戦力とは言えんかった。今までの戦の中心は騎馬武者たちの一騎討ちじゃ。しかし、こう戦が大きくなって、決着も着かないまま長引いて来ると、戦のやり方も変わって来る。のんびりと一騎討ちなどやってる場合ではなくなって来ているんじゃ。これからは個人個人の戦から集団の戦に変わって行くじゃろう。そうなると、奴らが戦の主役となるわけじゃ。奴らの進退一つによって戦の勝ち負けが決まってしまう事になる。奴らを命令一つで自由自在に操る事が重要となるんじゃ。そこで、こうして訓練をしているというわけじゃ」

「確かに、戦の仕方は変わって来ている」と小太郎は言った。「本願寺一揆の戦のやり方は、まさしく、備中守殿の申される通りです」

「本願寺一揆というと加賀の?」と備中守は小太郎を見ると聞いた。

 小太郎は頷いた。「一揆の連中はほとんどが徒歩武者で、一団となって行動し、一々、兜首(かぶとくび)など取りません」

「そうか、兜首も取らんのか‥‥‥うーむ。確かに、兜首など一々気にしなければ、戦もうまく行くかもしれんが、兜首を取る事を禁じれば士気が落ちる事も考えられるのう」

「武士から兜首を取る事を禁じる事はできないでしょう」と早雲は言った。

「うむ。難しい‥‥‥いや、失礼した。こんな所で立ち話もなんじゃ、とにかく、宿坊の方に参ろう」

「こっちの方はよろしいのですか」

 備中守は笑いながら頷いた。

 宿坊の中の広間では、小具足姿の武将たちが何やら険しい顔を並べて評定をしていた。備中守は広間の方には目もくれず、そのまま、早雲たちを奥の方の部屋に案内した。その部屋はちょっとした庭に面していて、襖には絵が描かれ、押板(床の間の原型)の上には花が飾られてあった。

「備中守殿、先程の広間ですが、ただならぬ雰囲気でございましたが」と早雲は腰を下ろすと聞いた。

「ちょっと関東の方で騒ぎが起こってのう。その事について話し合っておるのじゃ」

「そうでしたか‥‥‥備中守殿がこちらに来ている隙を狙われたというわけですか」

「そればかりでもないがのう、困った事じゃ」

「それでは、早いうちに関東に引き上げなくてはなりませんね」

「いや。一応は手を打ったから、ひとまずは安心じゃろう」

「そうですか‥‥‥」

「さて、こちらの事に話を移そうか」

 早雲は頷き、「備中守殿のお陰で、摂津守殿が身を引いてくれる事となりました。ありがとうございました」とお礼を言った。

「そうか、そいつはよかった」と備中守はホッとしたように笑った。「美濃守殿も分かってくれましたか。これで、何とかなりそうじゃのう」

 早雲と小太郎も頷き合った。

「美濃守殿が備中守殿をお訪ねになったとか」と早雲は聞いた。

「うむ。訪ねて参った。美濃守殿は真面目なお方のようじゃの。話せば分かってくれると思っておった」

「はい。自分の考えが小さかったと言っておりました」

「そうか。良かったのう」

「小鹿派の方はいかがでしょう」

「葛山播磨守殿から、しきりに清流亭に戻ってくれとの誘いが掛かっておるんじゃ。播磨守殿も考えを変えたように思えるがのう」

「そうですか‥‥‥しかし、あの播磨守殿がよく同意してくれましたね」

「ちょっとな、威してやったんじゃよ。播磨守殿の本拠地をわしらが頂くと言ってのう。困った顔をしておったわ」

「そうでしたか‥‥‥」

 銭泡がのっそりと顔を出した。

「おう、今日は早かったのう。伏見屋殿もどうぞ、お入り下さい」と備中守は笑顔で迎えた。

 銭泡は早雲と小太郎に挨拶をすると部屋に入って来た。

「伏見屋殿は治部少輔殿に気に入られてのう。最近、毎日のように望嶽亭に通っておられるんじゃよ」

「銭泡殿も何かと忙しかったようですな」と早雲が疲れたような顔をした銭泡を見ながら言った。「最初の日に顔を見せただけで、一度も来ないものじゃから、どうしたんじゃろうと思っておりました」

「ようやく、解放されそうです」と銭泡は苦笑した。

「なに、もう、来なくもよいと申したのか」と備中守が驚いた。

「いえ。そうは申しませんが、わたしの代わりが現れました」

「ほう。どんな代わりじゃ」

「福島越前守殿が京から来た絵師を連れて参りました。小栗宗湛(おぐりそうたん)殿という有名な絵師のお弟子さんだそうです」

「小栗宗湛殿と言えば将軍様の御用絵師じゃのう」と早雲は言った。

「ほう」と備中守が唸った。「将軍様の御用絵師殿のお弟子か。余程の絵を描くと見えるのう」

「はい。まさしく、その通りでございます。まるで、筆が生き物のごとくに動きまして、あっと言う間に素晴らしい絵が現れます。まるで、魔術でも見ているようでございます」

「それで、治部少輔殿は、その絵師に夢中になったという事か」

「はい。さっそく、絵を習っております」

「そうか。これで治部少輔殿は当分、絵に熱中する事になるのう」

「はい。元々、治部少輔殿は絵を描く事が好きだったようですから、大変な喜びようでした」

「銭泡殿、その絵師は何というお名前ですか」と早雲が聞いた。

「狩野越前守(正信)殿です」

「越前守というと、その絵師というのは武士なのか」と備中守は聞いた。

「はい、頭は丸めてはおりません。武士です。伊豆の国の出身だそうで、今回、国元に帰国する途中、福島越前守殿に頼まれて駿府に連れて来られたそうです」

「成程。早雲殿は、その狩野越前守というお方を御存じですか」

「いえ、直接には知りませんが、狩野越前守が描いたという絵を一度、見た事あるような気がします」

「ほう。絵を見ましたか」

「はい。今出川殿(足利義視)が絵に関心を持っておりましたものですから、わたしもよくお供を致しました。その折り、その名を耳にしました。残念ながら、どんな絵だったかまでは覚えておりませんが」

「今出川殿か」と備中守は懐かしい名を聞いたような顔をして、押板に飾られた花に目をやった。「西軍に寝返ったとは聞いておるが、今頃、どうしておられるんじゃろうのう」

「さあ」と早雲は首を振った。「何をしているか分かりませんが、将軍様になれない事は確かでしょう」

「多分な」と備中守も同意した。「将軍家が家督争いを始める御時世じゃ。今川家が家督争いに走るのも無理ないとは言えるが、何とか収まりそうじゃのう」

「お陰様で‥‥‥」

「さっそく、清流亭の方に行ってみるかのう」備中守が早雲と小太郎の顔を見比べながら言った。「早い内にまとめんと、葛山播磨守が、また、何かをたくらむかもしれんからのう」

 早雲と小太郎は頷いた。

 備中守は側近の上原紀三郎に、今から駿府屋形に向かう事を告げ、いつもの連中を連れて来てくれと命じると、早雲、小太郎、銭泡を連れて、先に清流亭に向かった。







 見事な客殿だった。

 あちこちに金が使われ、眩しい程だった。六代目の将軍、義教(よしのり)が四十年程前に来た時に建てられたものだと言うが、見事な御殿だった。三代将軍が鹿苑寺(ろくおんじ)内に建てた金閣に似せて作ったという。金閣のように三層ではなく、外側に金は使われてはいないが、二層建ての内部は、この世のものとは思われない程、美しく飾られてあった。

 清流亭に入った備中守と早雲は、清流亭の留守を守っていた葛山備後守(かづらやまびんごのかみ)に頼み、さっそく、葛山播磨守を呼んだ。

 播磨守は飛ぶような速さでやって来た。

 播磨守は備中守から、竜王丸派と手を結んで駿河に攻め、播磨守の本拠地を攻め取ると威されてから、色々と対抗策を考えてみたが、やはり、いい考えは浮かばなかった。

 扇谷上杉氏が竜王丸派と結び、播磨守の本拠地を攻めて来た場合、播磨守としては扇谷上杉氏と戦うわけには行かない。戦っても勝てる見込みはまったくなかった。小鹿新五郎と共に滅び去るという馬鹿な真似をするわけには行かなかった。となると、降参するしかない。降参して関東軍の先鋒となり、小鹿新五郎を倒す事になる。しかし、上杉氏に降参するという事は、竜王丸派に降参するのと同じで、小鹿派を倒し、竜王丸派の今川家が誕生した場合、播磨守の立場はすこぶる悪いという事になってしまう。そんな事になるのなら、今のうちに竜王丸派と結んだ方が、まだ、ましだった。

 播磨守は備中守が竜王丸派の本拠地、青木城に入ったと聞き、もしや、竜王丸派と手を結ぶのではと気が気ではなかった。定願坊(じょうがんぼう)を青木城に送り、城内の様子を探らせてはいたが、裏で、早雲と備中守がつながっているような気がして不安でたまらなかった。

 こんな思いをするのは播磨守にとって初めての事だった。噂には聞いていたが、備中守という男は本当に恐ろしい男だと思った。策略家としての自分に自惚れていた播磨守だったが、上には上がいるものだと反省をしていた。そして、備中守が自分以上の人物だと気づくと、播磨守は以外にも素直に備中守を尊敬した。

 備中守が青木城を出て、八幡山に戻った事を知ると、毎日のように備中守に清流亭に戻って来てくれと頼んでいた。備後守から、備中守が清流亭に入ったとの知らせを受けると、取るものも取らずに清流亭に向かったのだった。その様は、弟の備後守も呆れる程の喜びようだった。備後守はそんな兄の姿を見るのは初めてだった。いつも苦虫をかみ殺したような顔をしている兄が、まるで子供のように喜んでいる。一体、どうした事かと不思議がりながらも兄の後を追っていた。

 備中守と早雲、小太郎、銭泡は清流亭の二階から眺めを楽しんでいた。

 いくつにも分かれて流れている阿部川の向こうに駿河湾が広がっていた。

「さすがにいい眺めじゃのう」と小太郎は目を細めて言った。

「あそこに治部少輔殿がおられるのですか」と早雲は東に見える望嶽亭を眺めながら備中守に聞いた。

 備中守は望嶽亭を見ながら頷いた。「今頃、あそこで、富士山でも描いておられる事でしょう」

 突然、誰かが慌ただしく階段を上って来る音がしたと思うと、播磨守が現れ、備中守の足元に座り込むと、「よく、いらして下さいました‥‥‥お待ちしておりました」と息を切らせながら言った。

「播磨守殿、いかがなさいました。そんなに慌てて」と備中守が不思議そうに聞いた。

「いや。なに、一刻も早く、お会いしたいと思いまして‥‥‥」

「さようか、わしらも一刻も早く、播磨守殿にお会いしたかったわ」

「それは‥‥‥」と播磨守は早雲、小太郎、銭泡を見た。

「これは、早雲殿に風眼坊殿に伏見屋殿もお揃いで‥‥‥」

 一瞬、やはり、備中守と早雲はつながっていたのか、と思ったが、もう、そんな事はどうでもよかった。先の事はすべて、備中守に任せようと播磨守は決めていた。

 この日の播磨守は、今まで様々な策略を巡らして敵対していた播磨守とは、まるで別人のように素直だった。早雲も小太郎も目の前に座る播磨守が、今まで、ずっと敵として戦って来た男だったとは信じられない程だった。

 播磨守が、小鹿派としては竜王丸派と手を結ぶ事に同意すると告げると、さっそく、具体的な話へと進んで行った。

 まず、両軍とも兵を納め、それぞれの本拠地に帰る事、小鹿新五郎はひとまず、お屋形様の屋敷から退去する事、竜王丸と北川殿は北川殿に戻る事などが決められた。

 具体的な日取りを決める段になって、播磨守は自分の一存だけでは決められないと言い、福島越前守も呼ぼうと言い出した。

 越前守も備中守が清流亭に入ったと聞くと、すぐにやって来た。

 清流亭の二階に上がり、その席に早雲がいる事に不審の念を抱いたが、播磨守に言われるまま、席に着いた。

「越前守殿、わざわざ、お呼びして申し訳ありません」と備中守はまず、一言言ってから、早雲を竜王丸派の代表として、この席にいる事を紹介した。

「成程、早雲殿が竜王丸派の代表ですか」と越前守は苦笑いをした。

 すでに、小太郎と銭泡の二人は姿を消していた。

「早雲殿は摂津守派も含めて竜王丸派の代表。そして、お二人は小鹿派の代表。ようするに、この場に今川家の縮図があるわけです。そこで、この席において、今後の今川家の事を決めたいと思っております。わたしが立会人になりますがよろしいですかな」

 備中守は皆の顔を見渡した。

 早雲、播磨守、美濃守は頷いた。

「それでは、まず今川家の家督を継ぐお方ですが、先代のお屋形様の嫡男であられる竜王丸殿。竜王丸殿が幼少であられるため、竜王丸殿が成人なさるまで、竜王丸殿を後見していただくお方に小鹿新五郎殿、以上のように決めたいと思いますが、いかがですかな」

「我らには依存はありませんが、早雲殿」と越前守が早雲に聞いた。「摂津守殿は確かに、後見の座から降りたのでしょうな」

「はい。今川家のために身を引いていただきました」

「ほう、岡部美濃守を説得したと申すのか」

「はい」

「うむ。それなら何も問題はないじゃろう」

 その後、具体的な日取りが決定した。

 十日以内に両軍とも兵を引き上げる。今日が八月の十六日なので、二十六日までに引き上げるという事に決まった。そして、小鹿新五郎はお屋形様の屋敷から元の自分の屋敷に戻り、葛山播磨守も北川殿から出て、元の屋敷に戻る。駿府屋形から出て行った竜王丸派の重臣及び、その関係者は駿府屋形に戻り、すべてが、小鹿派がお屋形を占拠する以前に戻る事と決められた。そして、吉日である九月の六日に、両派の重臣たちはすべて、お屋形様の屋敷の大広間に集まり、備中守と上杉治部少輔の立会いのもと、めでたく、一つになるという事に決まった。

 翌日より阿部川に布陣していた両軍の兵が撤退し始めた。

 兵たちは皆、戦にならずに済んだ事に喜んでいた。兵たちから見れば、ただ、上からの命令で睨み合いをしていただけで、どうして、今川家中で戦をしなければならないのか分からない。敵味方に分かれた兵たちの中には知り合い同士もかなりいた。命令だからと言って、知り合いと殺し合いをしたくはなかった。どうして、急に撤退命令が出たのか分からなかったが、皆、良かったと心の中でホッとしていた。

 二十六日には両軍ともすべての兵が国元に帰って武装を解き、家族と共に無事だった事を祝っていた。駿府屋形を守っているのは本曲輪に葛山備後守率いる三番組、二曲輪には蒲原左衛門佐率いる二番組だけとなった。一番組、四番組、五番組の頭は竜王丸派だったため、新たに小鹿派の者に変えられたが、それらは解雇され、以前の頭が迎えられる事となった。

 小鹿新五郎はお屋形様の屋敷を出る事を拒み、播磨守と越前守をてこずらせたが、二人の説得によって元の屋敷に戻り、新たに宿直衆になっていた新五郎の家臣たちは小鹿の庄に帰った。播磨守も半年近く住んでいた北川殿を綺麗にして、二曲輪内の自分の屋敷に戻って行った。

 竜王丸派は、まず、御番衆の頭、木田伯耆守(ほうきのかみ)、入野兵庫頭(ひょうごのかみ)、三浦右京亮(うきょうのすけ)の三人に配下の者を引き連れさせて駿府屋形に入れた。そして、安全を確認した上で、重臣たちの家臣たちが入って来て、半年の間、留守にしていた屋敷を改めた。

 北川殿も、まず北川衆が戻り、安全を確認した上で、北川殿母子と侍女や仲居を迎えた。







 まさに吉日にふさわしく秋晴れの一日だった。

 駿府屋形のお屋形様の屋敷の大広間では、予定通りに今川家の重臣たちが集まって評定が行なわれていた。顔触れは、小鹿派がお屋形を占拠する以前のごとくに全員が集まった。以前と違うのは上段の間に竜王丸と北川殿が座り、竜王丸の執事として早雲の顔があり、立会人として太田備中守と上杉治部少輔の二人が見守っていた。

 上段の間の下には小鹿新五郎が座り、少し離れて、河合備前守、中原摂津守が並んだ。備前守も摂津守も綺麗さっぱりと頭を丸めていた。

 備前守は自分を支持していた天野兵部少輔が竜王丸派に寝返ったために孤立してしまい、仕方なく、小鹿派に今川家の長老として迎えられる事になった時、頭を剃った。誰かに勧められたわけではなく、自分の意志で頭を丸めたのだった。亡きお屋形様の弟である自分を見捨てた重臣たちに、恨みを込めての反抗の表現として頭を丸めたのだった。摂津守も自分を見捨てた岡部美濃守に対する腹いせとして頭を丸めていた。

 備前守は棄山(きざん)入道、摂津守は虚山(こざん)入道と号していた。二人共、入道名に山を付けたのは、亡くなった兄が晩年、桂山(けいざん)と号していたのを真似たのだった。兄は入道になったわけではなく、連歌会の時にその号を使っていたに過ぎなかった。二人共、まさか、自分たちが本当の入道になって、兄と同じように何山と号すとは夢にも思ってもいない事だった。

 以前のごとく、今川家の長老である朝比奈天遊斎と小鹿逍遙の二人の進行で評定は始まり、嘘のように速やかに進行して行った。お屋形様に竜王丸、後見に小鹿新五郎、天遊斎と逍遙の二人は隠居し、新たに、備前守と摂津守の二人が今川家の長老と決定した。駿河の守護職は、改めて幕府に認めて貰わなければならなかったが、竜王丸は先代のお屋形様の嫡男なので、すんなりと認めてくれるだろうと考えられた。

 お屋形様の屋敷で評定の続いていた頃、北川殿の客間では、小太郎、富嶽、多米、荒木らが早雲たちの帰りを待っていた。

「ようやく、終わったのう」と小太郎は柱にもたれながら言った。

「これで、うまく行くんじゃろうか」と富嶽はお屋形様の屋敷の方を眺めながら言った。

「竜王丸殿が成人なさるまで十年はあるからのう」と小太郎は言った。「その十年の間、小鹿新五郎が黙っているとは思えんのう。その十年間の活躍いかんでは、そのまま、お屋形様の座に就くという事もありえるかもしれん」

「まだまだ、前途多難ですな」と荒木が言った。

「竜王丸殿は前のように、ここに住むんじゃろうか」と多米は聞いた。

「お屋形様の屋敷には小鹿新五郎が入るじゃろうからの。やはり、ここに住む事になるんじゃないかのう」と富嶽は言った。

「危険はないのかのう」と多米は心配した。

「分からんな。成人なさる前に病死という事もありえるじゃろうな」と小太郎は言った。

「ここにいたら危険ですよ」と荒木は言った。「朝比奈城にいた方がいいんじゃないですか」

「それはそうかもしれんが、北川殿の住む所を、わしらで勝手に決める事はできん」と富嶽は言った。

「早雲が帰って来たら、この事は改めて考えなければなるまいな」と小太郎は言った。

「早雲殿はどうなるんじゃろう」と多米は聞いた。

「どうなるとは?」と小太郎が聞いた。

「今川家の家臣になるんじゃろうか」

「うむ。竜王丸殿を守って行かなければならんからのう。竜王丸殿が成人なさるまでは、側に仕えるという事になるじゃろうな」

「という事は武士の戻るのですか」

「それは分からん」

「わしらはどうなるんです」と荒木は聞いた。

「それはおぬしら次第じゃろう。おぬしらが竜王丸殿を守りたいと思えば、早雲の奴が何とかしてくれるじゃろう。北川衆の数が足らんから北川衆にでもなったらよかろう」

「まさか、わしらが北川衆になれるわけがないわ」と多米は首を振った。

「そいつは分からんぞ」と富嶽は言った。「早雲殿に頼んでみれば何とかなるかもしれん。しかし、北川衆になったら前のように自由気ままには生きられんぞ」

「そうじゃのう。わしにはちょっと勤まらんわ」と多米は言って、荒木を見た。

 荒木は頷き、「北川衆になるよりは、以前のように早雲殿の家来として竜王丸殿を守っておった方が気楽でいいのう」と言った。

 お雪と春雨の二人が客間に入って来た。

「北川殿はまた、ここに住む事になるの」とお雪が小太郎に聞いた。

「多分な」と小太郎は言った。

「無理だと思うわ」とお雪は首を振った。

「なぜじゃ」

「だって、朝比奈のお城下にいた時、毎日、お城下を出歩いていた北川殿がここに入ったら、ここからほとんど出られなくなるんでしょ。絶対に無理だわ」

「そうか‥‥‥北川殿は以前の北川殿とは違うんじゃったな」

「そうよ。北川殿だけじゃないわ。侍女や仲居の人たちだって、毎日、お屋敷にいるよりは外にいた方が多かったのよ。こんな堅苦しい所なんか嫌だって思っているに違いないわ。口に出しては決して言わないけど、みんな、つまらなそうな顔をしてるわ」

「それは言えるわね」と春雨も言った。「みんな、いい所のお姫様ばかりで、子供の頃からお屋敷の中で大切に育てられて、そして、ここに来たのよ。みんな、お屋敷の中だけで暮らす事が当然だと思っていたから、以前の様に暮らす事ができたけど、朝比奈のお城下では最初のうちは皆、戸惑っていたけど、自由に出歩く事の楽しさを覚えてしまったのよ。今更、このお屋敷内だけで暮らせと言っても無理だと思うわ」

「確かにのう。この屋敷内だけで暮らせといっても無理じゃのう。ここでは弓の稽古もできんしのう。かと言って、ここから出て行くには牛車に乗らなければならん。そんな生活を続ける事は不可能と言えるのう」

「早雲殿に頼んで、また、朝比奈のお城下に住む事ができるようにした方がいいわよ。竜王丸殿のためにも、こんな所にいるより朝比奈のお城下を走り回っていた方がいいと思うわ」

「うむ。それはそうじゃ」と小太郎は頷いた。「立派なお屋形様に育てるにも、こんな屋敷に閉じ込めておいたのではいかんのう。野山を飛び回って、自然から色々な事を学ばなければならん‥‥‥うむ。この事は本気で考えんといかんのう」

「ねえ、あたしたちは、これから、どうするの」とお雪は聞いた。

「ここから出たいのか」

「北川殿が安全なら、あたしもここから出てもいいんじゃないかと思って」

「わしは浅間神社の門前に戻るつもりじゃ」

「また、町医者に戻るの」

「まあな。お前はもう少し、ここにいてくれ」

「うん。迎えに来てね」

 いつの間にか、多米と荒木の二人が消えていた。

「春雨殿はどうするつもりじゃ」と富嶽は聞いた。

「わたしも、そろそろ早雲庵に帰りたいとは思うけど、みんな、いなくなっちゃったら北川殿が淋しがるだろうし、わたしはもう少し、ここにいようと思っているの」

「そうか、それがいいじゃろうの。美鈴殿も淋しがるじゃろうしの」

 北川殿と竜王丸殿を乗せた牛車が戻って来たのは、(ひつじ)の刻(午後二時)頃だった。

 牛車には北川衆の吉田と小田の二人が付き添い、侍女の萩乃が従っていた。その後ろに早雲と長谷川法栄と五条安次郎が付いて来た。

 北川殿と竜王丸を奥の間に送ると、早雲は皆の待つ客間に現れた。

「どうじゃった」と小太郎は聞いた。

「うまく行った」と早雲は笑った。

 早雲は評定の場で、正式に竜王丸の執事となり、竜王丸が継いだお屋形様の直轄地より所領を貰う事に決まった。知行場所や知行高はまだ決まってはいないが、今川家の家臣になる事は決定したとの事だった。以前とは違い、決まった収入が得られる事になったので、早雲は改めて早雲庵にいる者たちを家臣として召し抱える事にした。ただ、小太郎だけは早雲の家臣にはならず、町医者として、お雪と共にのんびり暮らすと言った。ただし、北川殿の御祈祷師(ごきとうし)として、北川殿や竜王丸とは自由に会う事ができるようにすると早雲は約束した。お雪の方も美鈴の笛の師匠として、北川殿に出入りできるようにするとの事だった。

「早雲殿、もしかしたら、お城も貰ったのでは?」と富嶽は聞いた。

「いや、その件はお断りした」

「どうしてです」

「城を持つと、それがどこだとしても、その城に縛られる事になる。竜王丸殿が成人なさるまでは、竜王丸殿の側におりたいのでな、竜王丸殿が成人なさる暁まで、その事は待ってもらい、今のまま石脇の地を法栄殿にお借りするつもりじゃ」

「はい」と法栄は頷いた。「その事はもう、わしとしても早雲殿にあそこにいて貰った方が心強いのでな」

「よろしく、お願いいたします」

「なに、わしよりも早雲殿があそこから出て行かれる事となれば、あの辺りの村人たちが許すまい」

「確かに、長谷川殿の言う通りですね。村人たちが騒ぎ出す事でしょう」と安次郎も言った。

「必要ならば、あそこを城のようにすればいい」と法栄は言った。

「いえ。今のままでいいでしょう。濠を掘ったり、土塁を築いたりしたら、村人たちが近寄りがたくなってしまう」

「そうですな。あそこは今まで通り、村人たちの寄り合い所みたいになっておった方がいいかもしれんのう」と富嶽も言った。

「早雲。何もかもうまく行っておるようじゃが、一つだけ問題があるんじゃ」と小太郎が渋い顔をして言った。

「問題?」と早雲は小太郎を見た。

「ああ、ここの事じゃ。北川殿は以前のように、ここに住む事になったのか」

「そうじゃが」

「竜王丸殿が成人なさるまでか」

「まあ、そういう事になろうのう」

「それが具合が悪いんじゃ」

「なに? 誰かが竜王丸殿の命を狙うとでも言うのか」

「それもあるかもしれん。が、それ以上の問題があるんじゃ」

「何じゃ、それ以上の問題とは」

「おぬしは竜王丸殿をどのようにお育てするつもりじゃ」

「どのようにだと? 立派なお屋形様にお育てするのに決まっておろう」

「ここでか」

「なに?」と早雲は改めて、部屋の中を見回した。「そうか、そこまでは考えなかったわ。確かに、こんな所に十年も閉じ込められて、立派なお屋形様に育つわけがなかったわ」

「そうじゃ」と小太郎は頷いた。「こんな所におったら、どこに行くにも重臣たちに監視され、のびのびと育つ事もできん」

「かと言って、ここから出て行ったら、また、小鹿派の天下となりえんぞ」

「それは、ここにおっても同じじゃろう。後見となった小鹿新五郎は北川殿など無視して事を決めて行く事は目に見えておる。じゃが、関東の太田備中守殿が睨みを効かせておるうちは大それた事はできまい」

「うむ。確かにのう」

「十年というのは長い。その間に小鹿新五郎が何をしたとしても、竜王丸殿が立派に成長なされば、重臣たちは竜王丸殿に付いて行く事じゃろう。何よりも一番重要な事は、竜王丸殿を立派なお屋形様に成長させる事じゃ」

「法栄殿はどう思われます」と早雲は聞いた。

「確かにのう。先代のお屋形様が生きておられたならば、竜王丸殿はここにいたとしても、のびのびとお育ちになる事じゃろうが、今の状況では、それは難しい事といえるのう。竜王丸殿はこの屋敷に軟禁されているような状況じゃからのう。わしも竜王丸殿の事を考えると、ここからは出た方がいいような気がするわ」

「それに、北川殿の事もあります」と春雨は言った。

「北川殿?」

「はい。まだ、ここに移ってから十日も経っていませんけど、朝比奈殿の御城下を懐かしがっておられます」

「そうか‥‥‥竜王丸殿よりも北川殿の方がこんな所にいつまでも閉じ籠もってはおられんのう。これは考えてみなければならん‥‥‥しかし、北川殿がここから出て行く事を重臣たちが賛成してくれるかのう」

「難しいですな」と法栄は首をひねった。

「備中守殿がおられるうちに、何とかした方がいいと思うがのう」と小太郎は言った。

「うむ、確かに‥‥‥しかし、どうやって重臣たちを納得させるかじゃな‥‥‥」

 竜王丸の命が危ないからと言えば小鹿派を刺激する事になる。かといって、北川殿が堅苦しい北川殿から出たいと言っているからと言っても、今川家のお屋形様の母親として、そんな我がままが許されるわけもない。竜王丸の成長のためには北川殿にいるよりは、もっと、のびのびとした所で育った方がいいと言っても、お屋形様をそんな所で育てるわけにはいかんと反対するに決まっていた。

 その日はいい考えは浮かばなかったが、何とかしなければならなかった。







 九月の十五日、浅間神社の神前において、今川家の重臣たちは竜王丸をお屋形様として盛り立て、団結する事を誓い合った。これで、はるばる関東から来ていた上杉治部少輔、太田備中守の役目はようやく終わった。

 その日の晩、重臣たちが全員参加して、治部少輔と備中守をねぎらう宴が、お屋形様の屋敷の大広間で行なわれた。早雲も勿論、参加していた。

 竜王丸と北川殿が今の屋敷から出る件については、うまく行っていた。評定の席で、早雲は、北川殿が今の屋敷で恐怖に(おび)えていて、顔色もよくないので、別の所に移動したいと提案した。北川殿はあの屋敷にいると、仲居が殺された事や、河原者の襲撃にあった恐ろしい事が思い出されて食事もろくにできず、毎日、脅えて暮らしていると説明した。

 初め、それならば、お屋形様の屋敷に移ればいいとか、道賀亭に移ればいいとかの意見も出たが、竜王丸が成人するまでは、今川家の事は小鹿新五郎殿と重臣たちに任せ、竜王丸は別の所でのびのびと育てた方が、今川家のためにいいのではないかと早雲が言うと、まず、太田備中守がその意見に同意した。小鹿新五郎にしても竜王丸が駿府屋形から出て行った方が、この先、やりやすいので、竜王丸のためにはその方がいいと同意した。葛山播磨守、岡部美濃守も、その意見に賛成すると、皆、同意した。そして、どこに移ったらいいかという事に関して色々と検討した上、駿府からも、そう離れていない斎藤加賀守の城下、鞠子(まりこ)と決められた。すでに、もう、鞠子城下の加賀守の屋敷の南側、日当たりのいい地において、竜王丸のための屋敷の普請(ふしん)が始まっていた。今年中には完成し、来年の正月は新しい屋敷で迎える手筈になっていた。北川衆たちの屋敷も竜王丸の屋敷の回りに並ぶ予定で、執事である早雲の屋敷も建つ予定だった。

 小太郎とお雪は久し振りに、浅間神社の門前町の我家に帰って来た。

 二人は四ケ月間、京の方に旅に出ていた事になっていたので、二人が帰って来た事を知ると、向かいの紙()き屋の隠居が、さっそく遊びに来た。小太郎たちは隠居に作り話をしなければならないと思ったが、風眼坊が早雲と共に、今川家のために活躍した事を隠居は知っていた。そして、町人たちが今回、竜王丸がお屋形様になった事について、どう思っていたかを教えてくれた。事件の真っ只中にいた小太郎たちとは違って、事件を外から眺めていた町人たちは、まったく違った見方をしていた。

 小太郎は風間小太郎の名で町医者を開いたが、北川殿がここに来た時、北川衆の小田が小太郎の事を、京で有名な医者、風眼坊と紹介したため、風眼坊の名の方が有名になってしまった。そして、風眼坊という名のまま駿府屋形に出入りしていたため、風眼坊の活躍が町人たちの話題に上っていたのだった。

 隠居の話によると、先代のお屋形様は遠江の出陣から帰って来た後、急病に罹って、四月に亡くなった事になっていた。それは、当然の事だった。凱旋(がいせん)した時、お屋形様は確かに生きていたのだった。誰もが、お屋形様が本物だと思い、小鹿新五郎がお屋形様に扮していたとは思いもしなかった。

 その後、各地の重臣たちが駿府に集まって来た。徐々に、駿府屋形の警戒も厳重になり、町人たちも何かあったに違いないと思うようになり、恒例の花見も中止となった。この頃から、お屋形様が病を(わずら)ったと思う者が多くなった。そして、お屋形様の病の治療をしていたのが、何と、風眼坊だったという事になっていた。その当時、そんな事を思った者は勿論、誰もいなかったが、その後、北川殿が風眼坊の所に出入りした事が噂になると、当然、お屋形様の病の治療に当たっていたのも風眼坊に違いないと町人たちは噂していた。その頃、風眼坊とお雪は北川殿の側にいて、門前町の家は長い間、留守となっていた。町人たちが勘違いするのも無理なかったが、小太郎とお雪は隠居から、その事を問い詰められて、何と答えたらいいものか戸惑ってしまった。

 四月になると関東から軍勢がやって来た。戦が始まるのかと思ったが、その気配はない。そして、四月の六日、お屋形様の葬儀が行なわれ、関東の軍勢が葬儀に参加するために、わざわざ、来たという事が分かった。町人たちも誰が一体、新しいお屋形様になるのだろうと考え、一騒ぎ起こるに違いないと思った。葬儀の喪主は小鹿新五郎だったが、そのまま、すんなりと新五郎がお屋形様に決まるとは町人たちも思ってはいなかった。案の定、今川家は二つに分かれ、いつ、戦が始まるとも分からない状況に突入して行った。浅間神社でも僧兵たちが武装して門前町を練り歩き、町人たちは戸締りをして家の中に籠もっていたと言う。

 その時、突然、出現して、活躍したのが竜王丸殿の伯父、伊勢早雲だと言う。

 駿府の町人たちは今まで、早雲の存在を知らなかった。駿府屋形に何度も出入りしていても、町人たちの噂に上る程の事はなかった。石脇の早雲庵の近辺では早雲の名は有名だったが、その地でも早雲が竜王丸の伯父だという事は知らない。駿府の町人たちにとって、早雲という僧が突然、お屋形様の死と共に出現したように思われた。

 最初に早雲の名が出て来たのは、三浦次郎左衛門尉の寝返りの時だった。四月の末、三浦一族の者が全員、駿府屋形から姿を消すという事件が起こった。普通、お屋形内で起きた事件は町人の噂にはならない。町人の噂にならないように、堅く口止めされる事になっている。北川殿や小鹿屋敷の仲居が殺された事件や、北川殿が河原者たちに襲撃された事件、北川殿が駿府屋形から逃げ出した事など、町人たちはまったく知らなかった。ところが、三浦一族の者が駿府屋形から消えた事件では、事件の後、三番組の頭、葛山備後守が配下の者たちを使って、城下や浅間神社の門前町に早雲の隠れ家があるに違いないとしらみ潰しに捜し回ったため、瞬く間に町人たちに知れ渡り、早雲という名も有名になって行った。早雲には風眼坊という大峯の山伏が付いており、二人は摩訶不思議な術を使って、一瞬のうちに三浦一族を女子供に至るまで駿府屋形から脱出させたという。早雲の名と共に風眼坊の名も城下の隅々にまで知れ渡って行った。名医としての風眼坊の名は浅間神社の門前町だけの噂に留まったが、大峯の山伏、風眼坊の名は駿府一帯に広まって行った。

 その次に早雲の名を有名にしたのは、八月の十六日、備中守と一緒に早雲らが駿府屋形内の清流亭に入った時だった。その時、備中守は早雲、小太郎、銭泡の三人だけを連れて馬に乗り、駿府屋形にやって来た。屋形に入る時、ちょっとした騒ぎが起こった。その時、本曲輪の警固に当たっていたのは三番組だった。南門を通ろうとした一行は門番に止められた。門番の中に、早雲と小太郎の顔を知っている者がいたのだった。備中守が通るのは構わないが、敵である早雲と小太郎を許可なく通すわけにはいかなかった。門番は一行を止め、頭の葛山備後守に伝えに行った。武装した御番衆たちは、早雲、小太郎、銭泡を馬から降ろして槍で囲んだ。

 その場面を目撃していた商人がいた。福島越前守のもとに出入りしている江尻津の『河内屋』という商人で、越前守に頼まれて備中守が陣を敷いている八幡山に差し入れをした帰りだった。河内屋の一行が南門に差しかかった時、目の前で早雲らが囲まれたのだった。河内屋には何が起こったのか分からなかったが、知り合いの御番衆の者から訳を聞いて、囲まれているのが早雲と風眼坊だという事を知った。河内屋も二人の噂は知っていた。小鹿派に敵対している竜王丸派の中心になっているという二人だった。その二人が護衛の者も付けずに、備中守と一緒に敵中に入って行くというのは興味深い事だった。

 やがて、備後守が現れ、備中守と話すと頷き、早雲たちは御番衆に囲まれたまま清流亭に入って行った。御番衆らが清流亭を囲むのを見ると、河内屋は越前守の屋敷へ、今、目撃した事を知らせに走った。

 越前守は河内屋に早雲が来た事を口止めしたが、河内屋のもとで働いていた人足たちによって、その事は(またた)く間に、城下及び浅間神社の門前町に広まって行った。町人たちは敵陣に乗り込んで来た早雲が、今度は何をしでかすのか、期待の目で見守っていた。

 それから三日後だった。阿部川から両軍の兵が撤退して行った。五日後には駿府屋形を囲んでいた兵も帰って行った。そして、十日経った二十六日には、お屋形内にいた小鹿新五郎の兵も去り、御番衆だけが残った。そして、お屋形から出て行った竜王丸派の重臣たちが続々と戻って来た。

 町人たちは、ようやく、今川家が元に戻ったと安心し、喜び会った。そして、今川家を一つに戻したのは、太田備中守の力もあるが、早雲のお陰だと誰もが思っていた。もし、早雲がいなければ駿河の国は戦になり、駿府の城下は灰燼(かいじん)と化していたかもしれないと誰もが早雲に感謝し、町人の中には早雲大明神様、早雲大菩薩様などと呼んでいる者さえいると言う。

 小太郎とお雪は紙漉き屋の隠居から、その事を聞いて、さすがに驚きを隠す事はできなかった。そして、噂というものの恐ろしさを改めて思い知った。

 情報というものは戦に勝つために絶対に必要なものだった。敵を知り、己を知らなければ、戦に勝つ事はできない。武将たちは適確な情報を求めるため、あらゆる手段を使う。武将たちが情報に飢えている事は小太郎も知っていたが、情報に飢えているのは武将たちだけではなく、町人たちも同じだった。町人たちも町人なりに、今、何が起こっているのか知りたがり、その情報はあっと言う間に町人たちの間に流れて行くという事を改めて思い知らされた。

 加賀にいた頃、一つの噂によって蓮崇は本願寺から破門となり、ここでは、小太郎たちの知らないうちに、早雲は町人たちの間で英雄となっている。世の中、面白いものだと思った。勿論、当の本人、早雲もまだこの事は知らないだろう。駿府の町人たちの英雄となってしまった早雲は、この先、益々、回りから縛られる事になる。何物にも縛られないで、自由自在の境地で生きたいと言う早雲は、何かをやる度に、皮肉にも、自ら自分の首を絞めているように小太郎には思えた。早雲はこれから先、町人たちの思う通りの英雄でいなければならなかった。この地を離れない限り、早雲の理想とする生き方はできないだろう。しかし、奴にはそれもできまい。これも、奴の運命なのだろう、と小太郎は思った。

 次の日から、小太郎とお雪は町医者を再開した。毎日、大勢の者たちが小太郎を訪ねて来た。ほとんどの者が患者ではなく、風眼坊の口から直接、早雲の活躍を聞きに来た者たちばかりだった。小太郎も初めの頃は、町人から聞かれるまま事の成り行きを話していたが、毎日、毎日、同じ事を聞かれるとうんざりとして、毎日のように来ていた隠居にすべてを任せて、奥の部屋に籠もってしまった。

 九月の十五日の浅間神社の神前の儀が行なわれた時には、一目、早雲を見ようと町人たちが押しかけ、急遽、御番衆や僧兵たちが町人たちの整理をしなければならない程だった。そして、早雲を見た町人たちは、その事を告げるために、また、小太郎の家に押しかけて来たのだった。わりと我慢強い方のお雪も、いい加減うんざりして、ここから出ようと言い出し、しばらく旅に出ると称して北川殿に入った。

 お雪は北川殿の侍女に戻り、小太郎は富嶽らが住んでいる北川衆の屋敷に入った。富嶽、多米、荒木の三人は殺された大谷の家族が住んでいた北川殿のすぐ前の屋敷に住んでいた。大谷の家族は大谷が殺されてから実家の方に帰り、空き家となっていたため、三人が入ったのだった。以前よりも北川衆は三人少なかった。補充の人員が決まるまで、この三人が代わりとなって交替で北川殿を守っていた。小太郎はこの屋敷で、町人たちから解放されて、のんびりと暮らした。







 浅間神社の誓いの儀に立ち会った後、太田備中守と上杉治部少輔は毎日のように重臣たちから招待を受け、忙しく駿府屋形内を行き来していた。

 備中守としては、関東に騒ぎが起こったため、早く帰りたかったが、長い目で見ると、今、今川家の重臣たちとつながりを持っておけば、後々、援軍を頼む時に有利になるだろうと思い、嫌な顔もせずに、誘いを受ければ気安く出掛けて行った。ただし、今回、引き連れて来た三百騎の内の百騎と徒歩武者のほとんどは、すでに江戸に向かっていた。

 治部少輔には備中守のような政治的な考えはない。ただ、もう少し贅沢を楽しみたいだけだった。伊豆の堀越(ほりごえ)に帰れば、愚痴(ぐち)ばかりこぼしている不機嫌な公方(くぼう)の側に仕えなければならない。ここでの優雅な暮らしなど、もう二度とできないだろう。今の内に、一生分の贅沢を味わってやろうと張り切っていた。

 大将の治部少輔はそう思っていても、付いて来た兵たちにすれば、たまったものではなかった。駿河に来て、すでに半年が経っている。戦があるわけでもないのに、半年もの間、茶臼山の裾野に陣を敷いたままだった。彼らは治部少輔の家来ではない。堀越公方の命によって、かき集められた農民たちがほとんどだった。四月から十月といえば農繁期である。その忙しい時期に、こんな所まで連れて来られ、する事もなく、毎日、遊んでいるようなものだった。出兵したからといって恩賞が貰えるわけでもなく、まして、年貢が減るわけでもなかった。今川家からの差し入れもあって、食う事には困らないが、誰もが、一刻も早く帰りたいと願っていた。

 今川家の重臣たちから見れば、幕府が当てにできない今、現実的に見て、備中守は一番頼りになる存在だった。それぞれが、それぞれの思惑を持って備中守に近づいて行った。また、治部少輔に近づいて行った者たちは、未だに幕府の権威を信じ、将軍義政の弟である堀越公方、政知(まさとも)の関心を買おうとしていた。思惑は色々とあったが、本当の所は名門である今川家の重臣であるという誇りが、備中守と治部少輔を引き留めていたのだった。誰々が備中守を招待して御馳走で持て成したと聞けば、自分はそれ以上に持て成そうと考え、治部少輔を招待したと聞けば、自分も負けじと招待した。こんな風に、備中守と治部少輔は、今川家中の重臣たちの誇りというものに振り回されて、御馳走責めにあっていたのだった。

 竜王丸と北川殿が駿府に帰って来て以来、早雲は早雲庵には帰らず、北川殿の屋敷に滞在していた。正式に竜王丸の執事になっても、早雲にはまだ屋敷がなかった。二曲輪内に空き屋敷があるので、そこを使うようにと言われたが、早雲は断っていた。北川殿母子が駿府から出る事になれば、執事である早雲も当然、ここから出て行く事になる。今、屋敷を貰ってもしょうがなかった。後で、小太郎に、くれると言うものは貰って置けと言われたが、屋敷を貰ってしまえば、小鹿新五郎に仕えなくてはならなくなるかもしれん。なるべく、借りは作りたくはないんじゃと言って笑った。

 駿府に帰って来て二十日が過ぎた。

 竜王丸は朝比奈の城下に帰って、山や川で遊びたいと言い、北川殿は毎日、つまらなそうに溜息を付いていた。朝比奈城下にいた頃の竜王丸は寅之助と一緒に、毎日、泥だらけになって野山を走り回っていた。こんな屋敷内に黙っていられるわけがなかった。毎日のように母親や侍女、仲居たちに、早く山の中に帰ろうと言ってはたしなめられていた。北川殿はここに帰って来てからも弓術や剣術の稽古は欠かさなかったが、朝比奈城下にいた頃と違って、何となく息苦しいと感じていた。

 早雲は今日、鞠子の城下に行くつもりでいた。今、鞠子では鞠子城の城主、斎藤加賀守が中心になって、竜王丸の新しい屋敷を作っていた。北川殿より新しい屋敷には絶対に弓術の稽古をする射場(いば)を作ってくれ、と頼まれていたので、その事を伝えに行こうと思っていた。北川殿のためだけでなく、竜王丸のためにも射場は必要だと早雲は思い、北川殿の意見に同意したのだった。今、地ならしをしている所で、竜王丸の屋敷は濠で囲まれる事になっている。濠を掘ってしまったら屋敷内に射場を作る事は難しくなる。濠を掘る前に縄張りの変更しなければならなかった。

 早雲が台所に顔を出し、仲居に弁当を頼んでいると北川殿が顔を出した。以前の北川殿だったら仲居たちの働く台所に入って来た事などなかったが、今の北川殿は平気な顔をして台所にも来るし、仲居たちの休んでいる部屋にも入って行って、一緒に話し合ったりしていた。ここから逃れ、小河屋敷や朝比奈屋敷で共に苦労したお陰で、以前の主人と使用人というだけの関係から、(へだ)てのない家族的な関係となっていた。

「兄上様、わたしも行きます」と北川殿は言った。

「えっ?」と早雲は驚いた。

「鞠子にいらっしゃるのでしょ。わたしも新しいお屋敷が見たいのです」

「北川殿。もうしばらくの辛抱(しんぼう)です。お屋敷ができるまで、ここでお待ち下さい」

「しばらくとは、いつまでですか」

「あと三ケ月、いや、二ケ月です」

「長過ぎます‥‥‥今日、一緒に連れて行ってくれましたら、二ケ月でも三ケ月でも我慢いたします」

「困りましたな」

「兄上様、お願いです。わたしも竜王丸も、このまま、あと二ケ月も我慢できるとは思えません。今日、一度、外に出る事ができれば、何とか我慢してみます」

 仲居たちも北川殿の意見に賛成だった。仲居たちも北川殿の苦しさは身を持って感じていた。口にこそ出さないが、仲居たちも早く、ここから出たいと思っていたのだった。

 早雲は門前の北川衆の屋敷から小太郎を呼ぶと、さっそく、脱出作戦を開始した。

 北川殿は侍女と北川衆に守られ、牛車に乗って、浅間神社に出掛けた。今川家が一つにまとまり、竜王丸がお屋形様になったお礼参りに行くという理由だった。浅間神社でお参りを済ますと、北川殿は春雨と入れ代わった。春雨は牛車に乗って屋敷に帰り、北川殿と美鈴と竜王丸は町人に扮して鞠子に向かった。供として、早雲、小太郎、お雪、菅乃、淡路、多米、荒木、寅之助が従った。

 駿府から鞠子までは二里と離れていない。ゆっくり歩いても一時は掛からなかった。

 一行は阿部川の渡しを渡り、鎌倉街道をのんびり西に向かって歩いた。阿部川を渡る時から、北川殿も美鈴も竜王丸も顔色が変わり、嬉しそうにニコニコしていた。竜王丸は川の中に身を乗り出すようにして、はしゃぎ、北川殿と美鈴は空を見上げながら体を思い切り伸ばしていた。今まで考えても見なかったが、あの屋敷から出る事がこんなにも楽しいものなのかと、北川殿には不思議に思えた。

「みんなに悪い事しているみたい」と北川殿は歩きながら言った。

「そうですね。今頃、悔しがってるに違いないわ」と菅乃は言った。

「やっぱり、気持ちいいわ」と北川殿は笑った。

 早雲は嬉しそうな妹と姪、甥の姿を目を細くして眺めていた。

 一行は藁科(わらしな)川を渡って、山の中へと入って行った。

 竜王丸と寅之助の二人は走り回っていた。早雲から二人のお守りを命じられた多米と荒木は汗をかきながら二人を追いかけている。

 歓昌院坂(かんしょういんざか)を越えると鞠子の城下はすぐだった。

 城下は山に囲まれた谷の中にあった。

 鎌倉街道を中心にして、東側に町人たちの家が並び、西側に武家屋敷が並んでいる。武家屋敷の奥の小高い丘の上に、山を背にして建っている屋敷が城主、斎藤加賀守の屋敷だった。詰の城である鞠子城はその山の上にある。鞠子の城下はそれ程広くはなく、武家屋敷を抜けると田畑が広がっていた。その田畑の先が、竜王丸の屋敷を建てる土地だった。城下の最も南に位置し、街道と山に囲まれている一画だった。

 人足たちが汗と土にまみれて働いていた。

 一行は普請場(ふしんば)の片隅に建てられた小屋に入った。小屋の中では、普請奉行の村松修理亮(しゅりのすけ)が縄張りの図面に寸法を書き入れていた。

 修理亮は今川家の普請奉行で、駿府屋形内の北川殿を建てたのも修理亮だった。早雲たちが顔を出すと修理亮は恐縮して、こんな所にわざわざ起こしいただいて申し訳ないと頭を下げた。

 早雲が北川殿と美鈴、竜王丸を紹介すると、たまげて土下座してしまった。

 修理亮は北川殿を作ったが、そこに住んでいる北川殿に会った事はなかった。修理亮の身分では、お屋形様の奥方である北川殿は雲の上の人と同じで、目にする機会などあり得なかった。その北川殿とお屋形様である竜王丸が、突然、自分の目の前に現れたのだ。信じられない事だったし、どうしたらいいのか分からず、土下座するしかなかったのだった。

「修理亮殿、この事は内緒じゃ。立って下され」と早雲が言っても無駄だった。

 北川殿が立ってくれと言っても、さらに(かしこ)まるばかりだった。仕方がないので、早雲は小太郎に北川殿たちを城下の方を案内してくれと頼んだ。

 北川殿たちが小屋から出て行くと、ようやく、修理亮は立ち上がった。

「息が止まるかと思いました」と冷汗を拭きながら修理亮は言った。

「すまなかったのう。北川殿がどうしても、ここを見たいとおっしゃって聞かんのでのう。さっきも言った通り、この事は内緒に頼むぞ。今回、北川殿がここにいらしたのはお忍びじゃ」

「はい。畏まりました」

「どうじゃ。進み具合は?」

「はい。幸い、いい天気が続きますので順調に行っております」

「そうか。そいつは良かった。ところで、相談じゃがのう」と早雲は縄張りの図面を覗き、「ここにのう。射場を作って欲しいんじゃ」と言った。

「射場というと弓を射る?」

「そうじゃ。竜王丸殿を立派なお屋形様にするには、武術を仕込まなければならんのでのう」

「射場ですか‥‥‥射場を作るとなると、四十(けん)(約七十二メートル)は必要ですね」

「まあ、そうじゃな」

「ふむ」と言いながら、修理亮は図面を睨んだ。

「どうじゃ。できそうか」と早雲は修理亮の顔色を見ながら聞いた。

「はい。作るとすれば裏の方になりますね」

「うむ。そうじゃろうな」

「南に少し伸ばせば何とかなるでしょう」

「そうか。何とかなるか。そいつは助かる」

「北側は濠を掘りましたが、南はこれからですから、測り直して射場が作れるようにいたしましょう」

「頼むぞ。実は北川殿のたっての頼みなんじゃよ」

「そうでしたか。母君として竜王丸殿を立派なお屋形様にしようと熱心なのですね」

「いや。そうじゃないんじゃ。北川殿が今、弓術に熱中しておられるんじゃ」

「えっ、北川殿が?」

 早雲は笑いながら頷いた。「北川殿もお屋形様がお亡くなりになられてから変わりなすった。頼もしい母君になられた」

「そうですか‥‥‥早雲殿、お屋形の門前の事ですが、こんなものでいかがでしょう」と修理亮は別の図面を早雲に見せた。

 その図面には、竜王丸の屋敷と街道との間の地に屋敷が並び、それぞれの屋敷に名前が書いてあった。大きな屋敷が四つあり、そこに、吉田、小田、清水、そして、早雲の名があり、その屋敷より少し小さい敷地に、小島、久保、村田の名前が書いてある。

「わしの屋敷もあるのか」と早雲は聞いた。

「それは当然です。早雲殿はお屋形様の執事殿であります。お屋敷を持つのは当然の事です」

「そういうものかのう‥‥‥」

「もし、何かあった場合、やはり、お屋敷は必要でしょう」

「うむ、そうじゃのう。そこの所はそなたに任せるわ。まずは、お屋形を作る事が先決じゃ。なるべく、早いうちに作ってくれ」

「はい。畏まりました」

 その後、早雲は修理亮と一緒に普請場を歩き回った。

 その頃、北川殿母子は城下町を散策していた。丁度、神社の前で、ちょっとした市が開かれていた。売っている物はどこでもある野菜や雑貨類だったが、北川殿は珍しい物でも見るかのように眺めていた。竜王丸と寅之助の二人は多米と荒木の目を盗んでは、好き勝手な所に行って遊んでいた。

 北川殿母子にとって、今日は久し振りに楽しい一日となった。





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