酔雲庵

陰の流れ第四部・早雲登場

井野酔雲







孫次郎2







 観智坊が飯道山で武術の修行に励んでいた頃、かつて、観智坊の下男だった弥兵は松恵尼の別宅である農家を義助(よしすけ)と一緒に守っていた。留守を守ると共に、松恵尼の持っている田畑を義助と一緒に耕作していた。加賀の湯涌谷(ゆわくだに)という山の中で育った弥兵は、畑仕事は知っていても稲を育てる事は知らなかった。義助に教わりながら、毎日、観智坊が山を下りて来る一年後を楽しみに待っていた。

 義助の方も、いい連れができたと喜んでいた。義助はもう六十歳を過ぎていた。元気だけはいいが、体の方は昔のようには言う事を利かない。松恵尼に言えば、もう、田畑の仕事はしなくてもいいと言うのは分かっていたが、義助は死ぬまで、この農家を守り、松恵尼の土地で働き続けたかった。松恵尼に弥兵の事を頼まれた時、義助は、はっきり言って嫌々ながら引き受けた。義助にとって松恵尼から留守を任されている、この農家は彼の城と言えた。できれば、他の者を彼の城に入れたくはなかった。

 初めの頃、義助は弥兵に対して必要以外の事は話さなかった。弥兵もまた必要な事以外は話さない。二人は同じ部屋で寝起きしていても、一言も喋らずに一日を過ごす事が何度もあった。松恵尼の農家は広く、部屋も幾つもあったが、義助は掃除をする時以外、それらの部屋に入る事を許さなかった。二人は囲炉裏のある板の間の脇の狭い部屋で暮らしていた。

 弥兵は朝晩、必ず、壁に貼り付けた『南無阿弥陀仏』と書かれた紙切れに向かって、熱心に念仏を唱えていた。義助はそんな弥兵を見て、馬鹿な事をしていると思っていた。義助も念仏くらいは知っている。しかし、義助の知っている念仏は、阿弥陀如来の仏像に対して唱えるものだった。飯道山の本尊である阿弥陀如来像の前で、義助も念仏を唱える事はあるが、こんな紙切れに向かって、同じ念仏を繰り返し繰り返し唱えている弥兵の行動は、義助には馬鹿らしい行為としか目に写らなかった。

 義助も当然の事ながら飯道山の信者の一人だった。念仏よりも真言(しんごん)の方を信じていた。真言の意味は義助にも分からない。意味は分からないが、分からない事がかえって、ありがたさを増していた。真言は念仏のように朝晩決まって唱えたりはしない。唱えるべき場所に行って唱える。壁に貼り付けた、ただの紙切れに向かって、毎日、真剣に念仏を唱えている弥兵の心境が義助には理解できなかった。

 一月経ち、二月と経って行くうちに、無愛想な二人もやがて打ち解けて行った。義助は字が読めなかったが、弥兵は読む事ができた。できたと言っても漢字は駄目で、片仮名だけだったが、観智坊に教わって読めるようになっていた。

 弥兵は観智坊に書いて貰った片仮名で書かれた蓮如の御文(おふみ)を、宝物のように大切に持っていた。何度も読んだり写したりしているため、それらの御文はすでに暗記していた。

 義助は弥兵から字を教わる事となった。義助も字が読めるようになったら、どんなにか、いい事だろうと思っていた。しかし、今まで字を習う機会なんてなかった。この年になって字を習っても仕方がないとも思ったが、弥兵が教えてくれるというので義助は教わる事にした。手本は観智坊の書いた御文だった。初めの頃は義助も、ただの手本としていただけだったが、何度も何度も繰り返し写しているうちに、義助にも蓮如が言おうとしている事が自然と分かるようになって行った。やがて、義助も弥兵と一緒に念仏を唱えるようになって行った。初めは何となく照れ臭かった義助だったが、念仏に没頭する事によって、(わずら)わしい事など何もかも忘れて、心の中が綺麗に洗われるような、すがすがしい気持ちになる事ができた。弥兵から本願寺の事や蓮如上人の事も聞き、義助もだんだんと弥兵の気持ちが分かるようになり、念仏を唱える姿も様になって来た。やがて、念仏を唱える事が義助の日課となり、毎日の楽しみとなって行った。壁に貼ってある紙切れも蓮如上人が書いたものだと知り、その有り難さも分かって、黄金の仏様であるかの様に大切にした。

 弥兵は観智坊から飯道山に登る事を禁じられていた。観智坊にすれば、飯道山で若い者たちにしごかれている(みじ)めな姿を下男であった弥兵に見られたくなかった。弥兵は観智坊が本願寺を破門になっても、観智坊の事を尊敬している。そんな弥兵に惨めな姿を見せたくはなかった。弥兵は観智坊の約束を守り、祭りの時でさえ飯道山には登らなかった。義助が誘っても、弥兵は山のふもとまでは行ったが、二の鳥居から先には決して登らなかった。しかし、朝晩の念仏の前には、必ず、山の方に向かって静かに合掌をして、観智坊の無事を祈っていた。

 観智坊の山での活躍はすぐに門前町に噂として広まった。井戸の事も、夜遅くまで稽古に励んでいる事も、噂となって弥兵の耳にも入って来た。弥兵は観智坊の事が町人たちの話題にのぼるのを我が事のように喜んでいた。

 いよいよ一年が経ち、弥兵が待ちに待っていた日がやって来た。観智坊が今日、山から下りて来るのだった。弥兵はその日、朝から、そわそわと落ち着かなかった。何度も山の方を見上げたり、町の方まで見に行ったりしていた。松恵尼からも座敷の方を使ってもいいとの許しを得て、座敷の方に御馳走を並べて帰って来るのを待っていた。

 修行者たちは皆、晴れ晴れとした顔をして、ぞろぞろと山を下りて来るのに、観智坊の姿は見つからなかった。日が暮れても観智坊は姿を現さなかった。きっと、観智坊は自分の事を忘れてしまったに違いないと、しょんぼりとしている弥兵を見ているのが、気の毒になって来た義助は、山まで観智坊を捜しに出掛けた。観智坊が師範たちと一緒に『湊屋』にいる事を突き止めた義助は、さっそく湊屋に向かって、弥兵に習った字を使って観智坊に手紙を渡してもらった。観智坊は義助の前に現れたが、今、抜け出す事はできない、宴が終わったら行くと答えた。

 義助はその事を弥兵に告げた。弥兵は義助から観智坊の事を聞くと、じっとしていられず、すぐに湊屋に向かった。義助も仕方なく後を追った。湊屋に向かったが、高級料亭である湊屋には入れない。寒い中、二人は震えながら湊屋の前で、観智坊が現れるのを待っていた。やがて、観智坊が出て来て、弥兵に気づくと近づいて行った。しかし、弥兵には観智坊が分からなかった。観智坊がすぐ目の前に来ても気づかず、まだ、湊屋の門の方を(うかが)っていた。観智坊が声を掛けても、なかなか弥兵は納得しなかった。観智坊は遅くなるから家の方で待て、と弥兵に言うと、高林坊たちの後を追って、遊女屋の方へ去って行った。

 弥兵と義助は家に帰った。

 家に帰ってからも、弥兵には観智坊の変わり様が信じられなかった。人というのは、ああまでも変われるものなのだろうか、夢でも見ているような気持ちだった。弥兵は昔の観智坊の事を思い出しながら、ずっと観智坊の帰りを待っていた。

 遊女屋に行ったのなら、朝まで帰って来ないだろうと義助が言っても、弥兵は寝なかった。もし、観智坊が夜遅くになって来たら困ると言って、座敷の囲炉裏の火を絶やさないように一晩中、番をしていた。

 観智坊が太郎たちを連れて訪ねて来たのは、次の日の朝、しかも、日が昇ってから、かなり経ってからの事だった。

 観智坊は弥兵に謝ると、これから、すぐに播磨に向かう事を告げた。

 弥兵は加賀に帰るとばかり思っていたので、観智坊の言葉にはびっくりした。びっくりしたが、観智坊が行くのなら自分も供をしなければならない。弥兵はすぐに旅支度をした。最後に、壁に貼られた紙を剥がそうとして弥兵は手を止めた。義助がじっと見つめていた。

 義助は、その紙をそのままにしておいて欲しいと思っていた。しかし、弥兵が大切にしている事を知っているので口に出して言う事はできなかった。弥兵には義助の目から、義助の気持ちがよく分かった。その紙は弥兵にとって何よりも大切なものだった。しかし、一年以上、お世話になったお礼として、弥兵はその蓮如自筆の六字名号(ろくじみょうごう)の紙を義助のために残して置く事にした。義助は喜んだ。しかし、それ以上に弥兵は嬉しかった。初め、ただの紙切れとしか見てくれなかった義助が、この紙の価値を分かってくれた。それだけの事だったが、弥兵には涙が出て来る程、嬉しかった。

 弥兵は義助にお礼を言うと観智坊の後に従った。

 観智坊と弥兵を連れた太郎たちは花養院に行き、松恵尼に挨拶を済ますと馬にまたがり、夢庵と花養院の子供たちに送られて飯道山を後にした。今年中に帰らなければならないので忙しい旅だった。

 播磨から飯道山に来ていた『陰の衆』は、新しく加わった鳥居弥七郎も含めて、皆、飯道山の山伏となって、先に帰っていた。さすがに銀の効き目があったと見えて、皆、立派な山伏名を貰っていた。表向きは大河内城下に一番近い笠形山の自在院に所属するという事になっていた。一時、飯道山の山伏が誰もいなかった自在院だったが、今は三人の山伏が守っていると言う。一応、顔見せだけはしてくれとの事だった。







 太郎は馬に揺られながら、夕顔の事を思っていた。

 今回、飯道山の門前町にて、太郎は夕顔と再会していた。夕顔の事はいつも気になっていた。気になっていても、今回、偶然に会うまで捜す出す事ができなかったのだった。

 太郎が最後に夕顔と会ったのは、播磨に行く前、大峯山(おおみねさん)に風眼坊を捜しに行く前だった。もう二年以上も前の事だった。太郎が夕顔と会う時、使っていた名前は火山坊だった。夕顔は太郎の事を剣術師範代の火山坊としか知らなかった。火山坊が飯道山で有名な太郎坊である事など、まったく知らなかった。太郎坊は毎年、年末には飯道山に現れるが、その太郎坊が火山坊だろうとは考えてもみない事だった。火山坊は大峯山に行ったまま帰っては来なかった。誰に聞いても火山坊の行方は分からなかった。大峯の山伏になったのだろうという者もいた。年中、酔っ払っていたから、大峯の山の中で道に迷って死んでしまったのだろうという者もいた。色々な噂は耳にしたが、火山坊の行方は分からなかった。それでも夕顔は、いつか、きっと戻って来ると信じて、火山坊が現れるのを首を長くして待っていた。

 太郎は播磨に行き、赤松家の武将となり、その年の暮れ、八郎を連れて飯道山に来た。夕顔の事は気になったが、『夜叉亭(やしゃてい)』の門をくぐる事はできなかった。会ったからといって、どうなるものでもない。かえって、このまま会わない方がお互いのためにいいのかもしれない。火山坊という山伏は大峯に行ったまま帰って来ないという事にした方がいいのかもしれない。太郎は色々と夕顔と会えない理由を考えて、自分の気持ちをごまかして来た。その年は結局、夕顔と会う度胸はつかなかった。太郎が迷っていた頃、夕顔の方はひたすらに太郎の帰りを待っていた。

 その年は暮れた。夕顔はたった独りで新年を迎えた。心の中では、もう火山坊の事は忘れようと決心していた。正月の忙しい中、夕顔は火山坊の事を忘れようと、わざと陽気に振る舞っていた。二月頃、夕顔は南蔵坊(なんぞうぼう)という山伏と出会った。年齢は火山坊より上だったが、どことなく雰囲気が似ていたのかもしれない。夕顔はだんだんと南蔵坊に惹かれて行った。

 南蔵坊は伊賀の国に信者を多く持つ飯道山の先達(せんだつ)山伏だった。ほとんど伊賀で活動しているため、飯道山に来るのは(まれ)だった。しかし、夕顔と出会ってからは、南蔵坊は度々、飯道山に帰って来るようになり、帰って来た時は必ず、夕顔のもとに通っていた。南蔵坊と会っているうちに、夕顔も火山坊の事をだんだんと忘れて行った。

 南蔵坊と出会ってから半年が過ぎた。夕顔は南蔵坊の(めかけ)になる事を承知した。夕顔はもう二十歳を過ぎていた。いつまでも遊女でいられない事は分かっている。夕顔のいる『夜叉亭』にも毎年、若い娘が入って来た。夕顔は一番の年長だった。もし、(やまい)(わずら)ってしまえば、追い出される事になるのは分かっていた。ここを追い出されて故郷に帰ったとしても、もう、今の夕顔には山での生活に耐える事はできないだろう。南蔵坊の妾になった方がいいのかもしれなかった。南蔵坊は財産もあるし、いつか、店でも出してくれるかもしれない。夕顔は決心をして南蔵坊と一緒に伊賀の国へと向かった。

 去年の暮れ、太郎は光一郎を連れて飯道山に来た。師の風眼坊と早雲と再会した。その時、太郎は皆に内緒で夜叉亭に顔を出した。太郎は火山坊として夕顔と会う決心をしていた。あの時のまま別れたくはなかった。もう一度、会って、昔の事を語り合い、もし、夕顔が来ると言えば、播磨に連れて帰ろうと思っていた。播磨には楓がいる。きさもいる。きさの存在を知っただけで楓は怒った。楓に夕顔の事を言う事はできなかった。しかし、もし、夕顔が今でも自分の事を待っているとすれば、太郎は連れて行こうと思っていた。大河内の城下には連れて行けないが、置塩の城下に今、建てている太郎の屋敷に侍女の一人として置こうと思っていた。しかし、すでに、夕顔はいなかった。

 女将(おかみ)の話によると、その年の秋、夕顔は山伏と一緒になって伊賀の国に行ったと言う。山伏の名を聞いたが、女将ははっきりと覚えてはいなかった。南陽坊だったか、南蔵坊だったか、よく思い出せないと言った。女将はせっかく来たのだから、新しい娘を呼んで遊んで行けと言ったが、太郎はそんな気にはならず、遊ばずに帰った。

 夕顔はいなかった。自分を待っていてはくれなかった‥‥‥幾分、がっかりしたが、夕顔の立場になってみれば当然の事だった。一ケ月間、大峯に行くと行ったまま何の音沙汰もなく、一年以上も放って置いたのだった。相手は遊女、待っていると思う方がどうかしていた。太郎は夕顔には会えなかったが、これで良かったのだと思った。相手がどんな山伏だか知らないが、遊女から足を洗えたのは良かったと思った。

 後で、太郎は高林坊から、伊賀の国に関係ある山伏で南陽坊とか南蔵坊とかいうのはいないか、と聞いてみた。高林坊は南蔵坊というのならいると言った。南蔵坊というのは伊賀一円に旦那場(だんなば)を持っている先達だった。

 旦那場というのは一種の縄張りだった。同じ飯道山に所属する山伏といえども、その旦那場の権利を持っている山伏に無断で、布教活動をする事は許されなかった。太郎たち武術の師範たちとは別に、一般の山伏たちは皆、自分の旦那場というものを持ち、そこの信者たちに飯道山のお(ふだ)を配ったり、薬を売ったり、祈祷(きとう)をしたり、一定の人数を集めて飯道山に連れて来たりしていた。旦那場というのは財産と同じで、売り買いが行なわれる事もあり、狭い範囲の旦那場しか持たない山伏は、勢力のある山伏から買収されて旦那場を失い、その山伏の配下になるより仕方がなかった。南蔵坊はその旦那場を伊賀の国一円に持つという飯道山でも勢力のある山伏だった。

 人間的にはどんな人かと聞くと、高林坊は怪訝(けげん)な顔付きをした。太郎が、惚れていた遊女が南蔵坊に連れて行かれたと言うと、高林坊は大笑いをして、おぬし程の者でも女子(おなご)に関しては上手(うわて)がおったか、と言った。高林坊が言うには、女に関しての噂はあまり聞かないと言う。当然の事ながら妻子はいる。伊賀での事は知らないが、この門前町で南蔵坊が遊ぶのはあまり聞かないとの事だった。銭は溜め込んでいるだろうが贅沢をしている風でもない。若い者たちの面倒見もいいようだ。その女も結構、幸せに暮らしている事だろうとの事だった。

 太郎も安心して、夕顔の事は忘れた。

 今年、太郎は八郎と孫次郎を連れて飯道山に来た。孫次郎に百日行をやらせ、八郎は孫次郎に付き合った。太郎は夢庵と一緒に『志能便の術』を教えた。昼間、夢庵は智羅天の岩屋の中で、宗祇(そうぎ)の聞き書きをまとめていた。太郎は孫次郎たちの様子を見たり、久し振りに彫り物をしたりして時を過ごした。そして、八つ半(午後三時)頃になると、志能便の術を教えるために飯道山に向かった。いつもなら志能便の術が終わると智羅天の岩屋に帰って来て、そのまま寝てしまった。しかし、今年は夢庵と一緒だった。夢庵がおとなしく寝るはずがなかった。

 普通の者なら暗くなってから智羅天の岩屋から町に出る事はできない。途中は岩だらけで昼間でも危険な所だった。夢庵は夜でもそんな所を平気で歩いて町まで行った。太郎も仕方なく付き合う事にした。町で遊ぶ銭は皆、夢庵が払ってくれた。播磨では色々と世話になったと言って、太郎に払わせてはくれなかった。今度、わしが播磨に行った時は、おぬしに任せる。ここではおぬしはわしの客人じゃと、訳の分からない事を言って太郎には払わせなかった。

 夢庵の遊びは銭に糸目は付けんといった具合に豪勢だった。また、遊び人らしく顔が広かった。太郎の知らなかった色々な店を知っていた。夢庵がどうして、こんなにも景気がいいのか、太郎には不思議でしょうがなかった。飛鳥井屋敷に居候(いそうろう)しているだけで、仕事をしている風でもない。どこから、こんな銭が出て来るのか、まったく分からなかった。そんな事を聞くのも失礼なので聞けなかったが、酔った勢いで聞いてみると、夢庵は書物を売って銭を稼いでいるのだと言った。

 この当時、印刷技術はまだ発達していなかった。書物は皆、手書きによって写されていた。そのため、欲しくても手に入れる事はなかなか難しく、高価な物となって行った。武士たちに荘園を侵略されても、公家たちが生きて行く事ができたのは、一つには書物を写して武将たちに売っていたからだとも言えた。

 ある程度の地位に就いた武将たちは必ず、公家の持っている文化に憧れの念を持っている。それは地方にいる武将たちも同じだった。田舎者と馬鹿にされないためには、京の文化を身に付けなければならない。京の文化というのは公家の文化だった。応仁の乱が始まり、公家たちは京から地方に逃げて行った。公家たちは地方の武将たちに歓迎され、公家の文化を伝えて行った。武将たちの間でも連歌というものが流行り始めていた。連歌の基本となるのは和歌だった。中でも『古今(こきん)和歌集』『新古今和歌集』の二つは武将たちが、どんな大金をはたいても手に入れたい書物だった。それを持っているというだけでも、地方では大きな顔ができる程の物だった。

 夢庵も古今集、新古今集などを写して武将たちに売り、莫大な礼銭を貰っていたのだった。夢庵の生家である中院家(なかのいんけ)は和歌を家業とした家柄だった。また、書の方でも有名で、夢庵が書いた書物は他の公家が書いた物より、かなり高価に取り引きされていたのだった。夢庵が直接に取り引きをしているわけではなかった。公家の中にも商才のある者がいて、その者が武将たちと話をまとめて、公家たちに書物を書かせていた。夢庵はめったに書物を写す事などなかったが、飛鳥井屋敷に居候して宗祇の修行を見ているうちに、自分ももう一度、和歌の勉強をしようと、古今集や新古今集を写し、せっかく写したのだからと書物を売っている公家のもとに持って行った。それが夢庵の思っていたよりも高く売れ、夢庵も銭になるのならと、せっせと書物を写し始めた。見本となる本は飛鳥井屋敷にいくらでもあった。自分の勉強にもなり、銭にもなるのなら一石二鳥だと張り切って書いたのだと言う。

 太郎は毎晩のように夢庵と飲み歩いていた。結局、いつも、どこかに泊まり、次の日の朝、岩屋に帰るという毎日だった。

 夢庵は岩屋に帰ると、机に向かって仕事を始める。前の晩の馬鹿騒ぎなんか、すっかり忘れたかのように書き物に集中していた。その気持ちの切り替え方は見事というより他に言いようがなかった。前の晩、見ていて可笑しくなる位、必死になって女を口説き、結局、振られて、やけ酒を飲んで眠ってしまっても、うまく行って鼻の下を伸ばして、女と共に一夜を過ごしても、次の朝には昨日の事など、すっかり忘れてしまったかのように、前の晩の事を口に出す事はなかった。昨日の晩、いい思いをしたからと言って、次の晩、また同じ店に行く事もなかった。何事にもこだわらないと言うか、夢庵は毎晩のように女に惚れていたが、次の日には、けろっと忘れていた。いつも飄々としていて、とても、太郎に真似のできる事ではなかった。

 そんなある晩、太郎は『夕顔』という暖簾(のれん)を目にした。『すみれ』という店の隣にある小さな店だった。以前、こんな店はなかった。店はあったが、夕顔という名ではなかった。夢庵に知っているかと聞くと、ここの女将はいい女子(おなご)じゃ。この前は失敗したが、今夜こそ、ものにしてやると言って暖簾をくぐった。太郎も夢庵の後に従った。

 狭い店の中には客は誰もいなかった。奥の方から女将が出て来て二人を迎えた。

 その女将は、まさしく夕顔だった。

「いらっしゃい」と言ったまま、夕顔は太郎の顔を見つめて立ち尽くした。

 太郎も夕顔を見つめたまま立ち尽くしていた。

 夢庵が二人を見比べ、訳ありのようじゃな、と笑った。夢庵がいたお陰で二人の緊張もほぐれた。夢庵がいなかったら湿っぽい雰囲気になっていただろうが、夢庵がいたお陰で、その場の雰囲気も明るくなり、太郎は素直な気持ちで再会を喜ぶ事ができた。夕顔の方も同じだった。太郎が一人だったら何を言い出していたか分からない。愚痴をこぼして泣いて、あげくには追い出してしまったかもしれなかった。

 夕顔がここに店を出したのは夏の事だった。店の名を『夕顔』としたのも、もしかしたら、太郎に会えるかもしれないと、心の片隅で、太郎に未練があったからだった。南蔵坊の妾となって伊賀に行ったが、南蔵坊の妾は夕顔だけではなかった。南蔵坊には大勢の妾がいて、夕顔に熱中していたのは、伊賀に行ってから半年ばかりの事だった。南蔵坊はまた別の新しい女に熱を上げ、夕顔の所にはあまり来なくなった。南蔵坊がめったに来てくれなくなると、やはり、思い出すのは太郎の事だった。せめて、もう一度、会いたい。元気でいるのなら、一目、その姿が見たいと南蔵坊に小さい店でいいから、飯道山の門前町に店をやらせてくれと頼んだ。

 南蔵坊はしばらく考えていたが、夕顔の頼みを聞いてくれた。飯道山に自分の妾がやっている店があれば、信者たちを飯道山に連れて行った時、何かと便利かもしれないと南蔵坊は考えた。南蔵坊は夕顔を大きな料亭の女将にしようと思って、空いている店を捜したが、なかなか見つからなかった。商売をするのなら、やはり、盛り場である観音町か不動町がいい。しかし、手頃な値段で売ってくれる者はいなかった。ようやく手に入れたのが、この小さな店だった。とりあえずは、この店で我慢しようと思った。夕顔の商売振りを見て、うまく行ったら段々と店を大きくしようと南蔵坊は思っていた。

 夕顔はその日、店を閉め、三人だけで、ゆっくりと話した。夢庵が二人の間に立って、狂言(きょうげん)回しの役をやってくれ、二人は言いたかった事を素直な気持ちで語り合った。

 夕顔は太郎の話を聞いて驚いていた。太郎が、あの有名な太郎坊だったとは信じられなかった。太郎坊の噂なら夕顔も耳にたこができる程、聞いていた。あの頃、遊女たちの憧れの的だった。遊女たちは皆、もし、この店に太郎坊が来たら、どうしよう、などと話していた。毎年、暮れに師範たちが集まって、湊屋で飲み会をする事は誰でも知っていた。その中に太郎坊がいる事も知っている。しかし、太郎坊がその宴会の後、どこかの遊女屋に上がったという事は聞かなかった。太郎坊はその宴が済むと、すぐに、どこかに消えて行った。誰も太郎坊の素顔を知らなかった。その太郎坊が、自分が待っていた火山坊だったとは‥‥‥そして、さらに驚いた事には、今は播磨の国に城を持つ赤松日向守という名の武将だと言う事だった。

 夢庵の口から、太郎の奥さんが播磨の守護大名、赤松兵部少輔(ひょうぶしょうゆう)の姉だと聞かされ、太郎が、もう、夕顔の手の届かない所に行ってしまった事を思い知らされる事となった。夕顔にとって、火山坊は火山坊のままでいて欲しかった。太郎坊でもなく、赤松日向守という武将でもなく、ただの火山坊という山伏でいて欲しかった。会えた事は嬉しかったが、会わなければよかったと後悔もしていた夕顔だった。

 夢庵は二人がお互いに過去の事を話し終わると気を利かせて、どこかに消えた。

 残された二人は、しばらく無言でいた。

「すまなかった」と太郎は言った。

「何で謝るの」と夕顔は聞いた。

「俺が大峯に行った、その年の暮れ、俺はここに来た。しかし、お前の所に行かなかった‥‥‥行けなかったんだ‥‥‥」

「そう‥‥‥あたし、その時、何となく、あなたが側にいるような気がしたの‥‥‥あたし、あなたが来ると思って、ずっと待っていた」

「例の勘か」

「そう。あたしの勘は当たるのよ。やっぱり、あなた、あの時、側まで来てたのね」

「うん。すぐ、側まで来ていた。でも、行けなかったんだ」

「いいわ、もう。あなたは遠くに行ってしまったのよ」

「遠くか‥‥‥確かに遠くだな」

「遠くよ‥‥‥遠過ぎるわ」

「うん‥‥‥」

 二人はまた無言になって、酒を飲んでいた。

 通りで酔っ払いの騒ぐ声が聞こえて来た。

「帰る」と太郎は言った。

「また、来てね」と夕顔は言った。

「うん‥‥‥」太郎は立ち上がって店を出ようとした。振り返ると夕顔は俯いたままだった。

 太郎はもう二度と来ないだろうと思いながら戸を開けようとした。

 夕顔が突然、太郎の背中に抱き着いて来た。夕顔が泣いているのが分かった。

「行かないで‥‥‥」と夕顔は言った。

 太郎は振り向き、夕顔を抱き締めた。

 太郎はその晩、町外れにある夕顔の家に泊まった。

 次の朝、岩屋に帰ると夢庵はいつものように仕事をしていた。いつものように前の晩の事は何も聞かなかった。その後、太郎は夢庵と一緒に夕顔の店に二度、行った。太郎も夕顔もお互いに心の中をすっかりとぶちまけ、お互いの立場を認め合うようになっていた。あの一夜を最後に、二人の心の中に止まったままだった思い出は消えた。二人共、現実に戻って、お互いの立場を認め、付き合う事にしていた。二人共、あの頃より、いい意味でも悪い意味でも大人になっていた。

 馬に揺られながら夕顔の事を思っていた太郎だったが、播磨の国が近づくに連れて、夕顔の事も忘れて行った。飯道山では武術の師範に過ぎないが、播磨での太郎は大勢の家臣を抱えている殿様だった。家臣たちのためにしなければならない仕事が山程、待っているのだった。





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