第三部
5.奈津子
高橋伍長と西村上等兵が交替で見張りに立ってくれたので、千恵子たちはぐっすりと眠る事ができた。相変わらず、艦砲は一晩中、轟いていたが、この近所に落ちる事はなかった。夜中の十二時から見張りに立っていた西村上等兵は、夜中の二時から四時頃まで敵の攻撃がやんで、シーンと静まっていたと言った。敵もそろそろ疲れて来たのだろうと笑ったけど、朝早くから敵機は飛び回っていた。ここも危険になって来たようだと高橋伍長は朝食の乾パンを食べると避難壕を捜しに出掛けて行った。 昨日、高橋伍長と西村上等兵は本隊を捜し回ったが、見つける事はできなかった。 高射砲隊といっても、すでに高射砲はなく、死傷者も多く、部隊として機能できる状態ではなかった。二人のように本隊とはぐれてウロウロしている兵があちこちにいて、好き勝手な事をしていた。武器で住民を脅して防空壕を乗っ取ったり、食糧を奪い取ったり、中には若い娘を炊事婦として働かせるだけでなく、 今日は千恵子たちが炊事班だった。治療班の朋美たちは上原婦長からいただいた衛生材料を持って、張り切って出掛けて行った。昨日、高橋伍長たちが国吉の軍の倉庫からお米を調達して来てくれたので当分はお米の心配はしなくてすんだ。国吉と聞いて、千恵子たちは山部隊の野戦病院の事を聞いたけど場所はわからなかったという。場所がわかったとしても行く気はないが、晴美たちと一緒に佳代たちもいるのか気になっていた。 寝不足の西村上等兵が留守番をしていると言うので、千恵子たちは洗濯物を抱えて井戸に向かった。まず、シラミだらけの頭を洗い、洗濯をしてから、お昼の支度をしようと思っていた。今日もいい天気で早いうちに洗濯しておけば、夕方には乾いてしまうだろう。 上空を飛ぶ敵機は波平を越えて、真壁や真栄平、あるいはもっと東の方を攻撃していて、相変わらず、与座岳と八重瀬岳方面は艦砲弾が炸裂していた。千恵子たちがいた頃でさえ、ハゲ山になっていたのだから、今頃は山の形まで変わってしまったのではないかと思われた。 髪を洗ってさっぱりして、歌を歌いながら洗濯をしていたら、突然、姉の奈津子が現れた。昨日、伊原で会った看護婦さん一人と一緒に、空のバケツをぶら下げていた。 「あんたの小屋に行ったら、知ってる兵隊さんがいたんで、もうびっくりしたわよ」 「えっ、お姉ちゃん、西村さんを知ってるの」 「昨日、国吉の近くで会ったのよ。一緒に軍の食糧貯蔵庫に行って、お米をもらって来たの」 「何だ、そうだったの。国吉に行って来たとは聞いたけど、お姉ちゃんたちと会ったなんて知らなかった」 「お米をかついで帰って来たら、あんたが来たっていうじゃない。すぐに飛んで行きたかったんだけど、詳しい場所もわからないし、暗くなっちゃったんで、今朝になって第一外科に行ったのよ。浩おばちゃんに場所を聞いてやって来たのよ。元気そうじゃない」と姉は明るく笑った。 「お姉ちゃんも元気そうで安心したわ」 「康栄の事は聞いたでしょ」 千恵子はうなづいた。 「きっと大丈夫よ。あたしたちだって、こうして会えたんだもの。きっと会えるわよ」 昨日の夕方、留美が畑で 千恵子と奈津子は南風原で会ったあの日から、お互いの行動を話し合った。 千恵子と会って十日ほど後、奈津子たちは南風原の国民学校から病院壕のある 千恵子も簡単に八重瀬岳の病院壕の様子を話した。姉は真剣な顔して聞いていた。 「そう、あんたも苦労したのね。前に、あんたに看護婦なんか勤まるわけないと言ったけど、あれは撤回するわ。浩おばちゃんから聞いたわよ。民間の人たちの治療をしてるんだってね。立派な事だわ。あたしたち、伊原に来てからはほとんど看護婦としての仕事をしてないのよ。軍医さんたちも、こんな状況では医療活動なんてできないって、もう諦めてるの。でも、こんな状況だからこそ、あたしたちの仕事は重要なんだって、あんたに教えられたわ」 「そんな‥‥‥」 「あたしたちも頑張るわ。看護婦としてやれるだけの事をやるつもりよ」 「お姉ちゃん‥‥‥」と言いながら千恵子の目には涙が溜まっていた。姉から褒められて、泣きたい程に嬉しかった。 「お互いに頑張りましょうね」と姉は笑った。 千恵子は涙を拭いてうなづいた。 「また、遊びに来るわ。水汲みに行くって出て来たから、あまり長居はできないのよ」 姉は立ち上がるとトヨ子たちと話をしていた看護婦を呼び、手を振ると帰って行った。 洗濯物を小屋の中に干し、お昼ご飯もできた。今日のお昼はヤファラジューシー(雑炊)だった。野菜たっぷり、しかも卵まで入っていた。千恵子たちが井戸の近くで炊事をしていたら、鈴代と由美が治療のお礼に生卵をもらったけど、持っていたら割れちゃうかもしれないと言って持って来た。千恵子たちは喜んで、さっそく雑炊の中に入れたのだった。 留守番していた西村上等兵はナベの中を見て、「おっ、御馳走だな」と喜び、避難壕を捜しに行っていた高橋伍長も「凄いな」と喜んだ。 「見つかりました?」とトヨ子が聞いた。 高橋伍長は首を振った。 「見つからんよ。どこの壕も皆、人がぎゅうぎゅうに入っている。お墓もだ。一人や二人なら頼み込んで入れない事もないだろうが、十四人ともなると難しい。大きな自然壕は軍が占領してしまって部外者は入れてくれんしな。午後も糸洲の方を捜してみるよ」 治療班が戻って来た。「収穫よ」と言って差し出したのはバケツと 「お礼なんてもらうつもりはなかったんだけど、みんな、喜んでくれて、何かしらくれるのよ」と朋美は嬉しそうに言った。 「避難して来た人なんて、ろくに食べ物も持ってないのに何かをくれようとするの。そんな人からもらえないから断って、逆に乾パンをやるともう感謝して、あたしたちを神様のように拝むのよ」と鈴代は言った。 皆、目を輝かせて、治療の様子を語った。やってよかったと心から思っていた。 治療をしながら糸洲まで行き、陸軍病院の第二外科壕にも寄って来たという。朋美は一高女の友達と会い、美代子は師範学校の先輩に会えたと喜んだ。 お昼ご飯を食べると、治療班は伊原の方へ向かった。第一外科壕や第三外科壕にも知っている人がいるかもしれないと楽しみにして出掛けて行った。高橋伍長と西村上等兵も防空壕を捜しに出掛けて行った。 千恵子たちは小屋に残って玄米の精米をした。一升瓶と水筒の中に玄米を入れて、拾って来た棒で突き続けた。勿論、黙って作業していた訳ではなく、次から次へと歌を歌いながらの作業だった。しばらく歌っていなかった『 「澄江は陸軍病院で出会った谷口軍曹が好きだったのよ」と笑いながら、澄江はどこに行ったんだろうと心配になった。第二外科の新垣看護婦と一緒に出て行ったと朋美から聞いて、苦労を共にした看護婦さんと一緒に行けるなんていいなあと みんなでキャーキャー言いながら、替え歌を歌った後、「あれも歌いましょうよ」と初江が言って、『ああ紅の血は燃える』の替え歌も歌った。東風平の教育隊を思い出して、『マラリアの歌』『可愛いスーちゃん』『愛国の花』も歌った。学校の音楽室を思い出して、『花』『ローレライ』『えんどうの花』、そして、校歌も歌った。なぜか、悲しくなって、皆、涙を流していた。 夕食は塩漬けの豚肉を使った野菜炒めとサツマイモ入りの炊き込みご飯だった。豚肉を食べるなんて久し振りで、皆、夢でもみているようだと感激しながら調理した。油はなかったけど、豚肉の脂身から油を取って、 せっかくの御馳走をこぼさないように小屋に運ぶ時、突然、敵機が北の方から何機も飛んで来た。千恵子たちは慌てて引き返して木陰に隠れた。敵機は糸洲部落の辺りに幾つか爆弾を落として飛び去って行った。波平の南、第一外科壕のある山の向こう側にも爆弾を落としたらしく、黒い煙が立ち昇っていた。 「この辺も危なくなって来たわね」と頭を両手で押さえながら小百合が言った。 防空頭巾は洗ってしまったので被っていなかった。トヨ子と初江だけが鉄カブトをかぶっていた。 「あたしたちも鉄カブトを回収しなくちゃね」と千恵子が言うと、真面目な顔して小百合はうなづいた。 その後、敵機は現れず、静かになった。時計を見ると五時になっていた。相変わらず、敵は朝晩、五時になると攻撃をやめるが、以前のように、攻撃の中断は一時間ではなく、だんだんと短くなっていき、最近では三十分位経つと艦砲の音が轟き始めた。 千恵子たちが小屋に戻って乾いた洗濯物を取り込んでいると、「おーい、大丈夫だったか」と高橋伍長たちが帰って来た。 さっきの爆撃の時、高橋伍長たちは糸洲部落にいて、近くに落ちるのを目撃していた。民家もやられて、中にいた負傷兵や避難民たちが吹き飛ばされ、家の中は血だらけになっていた。すぐに、陸軍病院の看護婦たちが飛んで来て治療に当たったが、十数人は亡くなったらしい。師範学校の生徒も一人犠牲になり、生徒たちが悲しんでいたという。 糸洲の第二外科壕には名城先輩がいたし、親切だった安村さんもいた。もしやと心配して聞くと、「確か、吉川さんて呼んでいたな」と西村上等兵が思い出して言った。 「あっ、あの人だ」とトヨ子が言った。「あたしたちを第二外科の壕まで連れて行ってくれた人だわ」 「安村さんと一緒にいた人?」と千恵子はトヨ子に聞いた。 「そうよ。チーコは安村さんと話してたでしょ。あたしたちは吉川さんと話してたのよ。胸に吉川って書いてあったわ」 「そうよ。トヨちゃんの言う通りよ」と聡子も言った。「あの人が亡くなっちゃうなんて」 「艦砲じゃなくて爆撃だからな。今晩は大丈夫だと思うが、ここも危険になって来た。残念ながら糸洲の方にも入れる壕はなかった。もし、今夜、艦砲が来たら、そこの山に隠れるしかない」と高橋伍長は言って、東の方を指さした。そこには小さな岩山があった。 「今朝、登ってみたが、自然壕はなく、所々に岩陰があるだけだったが、ここにいるよりは安全だろう」 伊原に行った治療班の帰りが遅いので心配していたら、日が暮れる頃、ようやく無事に戻って来た。 「どうしたの。遅いじゃない」と初江が言うと、 「大変だったのよ」と皆が口を揃えて言った。 話を聞くと伊原の部落で負傷者の治療をしていたら、突然、爆撃が始まって、慌てて石垣の陰に避難した。幸い、近くに爆弾は落ちなくて助かった。帰り道、伊礼の井戸の所まで来たら、爆弾にやられた負傷者が大勢いた。六人だけではとても手に負えそうもなかったので、第一外科壕まで行って、衛生兵や看護婦たちを連れて来た。被害者の中に那覇の県立病院の医者や看護婦たちもいて、上原婦長たちは驚いていた。みんなで必死になって治療したけど、ほとんどの者が亡くなってしまった。院長先生だけは重傷だけど助かって、陸軍病院の本部壕の方に運ばれて行った。県立病院にいた浩子おばさんも知り合いの医者や看護婦の死を悲しんでいたという。 「きっと、あの人たちも負傷した人たちを治療しながらここまでやって来たのよ」と美代子が言った。「それなのに、どうして、こんな所で死ななくちゃならないの」 皆がメソメソ泣いていたら、「そろそろ、飯にしようぜ」と高橋伍長が言った。 ナベを囲んで食事をしているうちに自然と皆の顔に笑みが戻って来た。亡くなった人もいるけど、今、この一時は千恵子たちにとって 「ねえ、誰かに会えたの」と小百合が朋美に聞いた。 「あたしの知ってる人はいなかったわ。でも、留美が首里高女のお友達に会ったのよ」 千恵子は幸子が近くにいると言った陽子の言葉を思い出して、「首里高女の壕に行ったの」と留美に聞いた。 「違うのよ。第三外科の場所がわからなくて行き過ぎちゃったの。ウロウロしてたら、偶然、出会ったのよ。いつも一緒に汽車通学してた人たちでね。六人組の仲良しだったんだけど、一人が 話をする度に、誰かの死という言葉が出て来た。死というものが確実に自分たちの近くに迫って来ているのを誰もが感じていた。 「あっ、忘れていた」とトミが立ち上がって、土間に置きっ放しだったナベの中から 「治療のお礼にもらったの。お米のお礼です。飲んで下さい」と高橋伍長に渡した。 「おっ、こいつは泡盛じゃないか。酒なんて久し振りだ。すまんなあ」ニコニコしながら、皆に頭を下げた。 空き缶をコップ代わりに、二人は酒盛りを始めた。こいつはうまい。はらわたに染み渡るうまさだと二人とも御機嫌だった。 「タコ八の歌を歌って下さい」と千恵子は西村上等兵に言った。 「タコ八の歌か‥‥‥そういえば、ガジャンビラで君たちにタコ八の歌を教えて、中隊長殿にこっぴどく怒られたっけ。懐かしいなあ。あの頃、まさか、こんな事になるとは思ってもいなかった。よし、久し振りに歌うか」 西村上等兵の歌を聞きながら、千恵子は久美を思い出していた。亡くなって神様になったに違いない久美に、みんなの無事を見守っていてちょうだいと祈っていた。
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陸軍病院第二外科壕