酔雲庵

摩利支天の風〜若き日の北条幻庵

井野酔雲

創作ノート




『摩利支天の風』のための北条幻庵(1493−1589)年表





文明18(1486) 京都にて、長兄千代丸、生まれる。母、小笠原氏(24)は死亡。
文明19(1487) 5月 伊勢新九郎、再び、幕府申次衆をやめて駿河に下向する。
11月 9日 新九郎、小鹿範満を駿府屋形に討ち、竜王丸を迎え入れる。
新九郎、興国寺城に入る。
長享2(1488) 新九郎、葛山備中守の娘(1470-1554,19)を嫁に貰う。
新九郎、長兄千代丸(3)を駿河に呼ぶ。
長享3(1489) 次兄、富士千代丸生まれる。
延徳3(1491) 4月 3日 堀越公方政知(57)死す。
7月 1日 茶々丸、異母弟潤童子と継母円満院を殺害する。
三兄、千代松丸生まれる。
明応2(1493) 1月 新九郎、再び、入道となって早雲庵宗瑞を名乗る。
10月 菊寿丸、伊勢早雲の4男として駿河興国寺城にて生まれる。母は葛山備中守の娘。 1歳
10月 11日 早雲、伊豆の堀越御所を攻める。
11月 早雲、韮山城に入り、伊豆国平定に乗り出す。
明応3(1494) 8月 26日 相模小田原城主、大森氏頼(寄栖庵)死す。 2歳
9月 28日 早雲、上杉定正の援軍として武蔵高見原に出陣し上杉顕定と戦う。
早雲、箱根湯本に早雲庵を建て、小田原の情報を仕入れる。
10月 5日 扇谷上杉定正、落馬がもとで死す。
今川氏より早雲が与えられた駿河河東地方を今川氏に返却する。
明応4(1495) 8月 早雲、甲斐に討ち入り武田信縄と和す。 3歳
9月 早雲、大森藤頼の小田原城を攻略する。伊勢弥次郎が入る。
明応5(1496) 7月 相模西郡で上杉顕定の軍勢と戦う。叔父、弥次郎死す。 4歳
千代丸(10)、小田原城主となる。
この年、愛洲太郎左衛門(45)娘蘭(13)を連れて伊豆に来る。
早雲、太郎左衛門に水軍の事を頼む。
妹、生まれる。
明応6(1497) 6月 太郎左衛門、五ケ所浦より弟、兵庫助直忠(37)を連れて来る。 5歳
9月 太郎左衛門、伊豆の山中にて楓(19)と出会う。
9月 30日 足利成氏(64)死す。
明応7(1498) 10月 太郎左衛門の三女、桔梗生まれる。母は楓。 6歳
明応8(1499) 箱根権現の別当金剛王院の喝食となる。 7歳
2月 18日 本願寺蓮如死す。風摩小太郎、山科本願寺に別れを告げに行く。
明応9(1500) 長兄、千代丸(15)、元服し、新九郎氏綱を名乗る。 8歳
明応10(1501) 9月 18日 甲斐吉田へ出陣。10月3日退却する。 9歳
この年、太郎左衛門の娘蘭(18)二代目小太郎(23)の妻となる。
文亀2(1502) 1月 新九郎氏綱(17)、風摩砦に入り二年間修行(一年の予定)を積む。 10歳
初代風摩小太郎(71)死す。愛洲太郎左衛門、二代目の後見となる。
文亀3(1503) 7月 3日 連歌師宗祇(82)死す。 11歳
太郎左衛門の三男、万太郎、浦賀の水軍砦にて生まれる。
12月 新九郎氏綱、風摩砦から小田原に帰る。
文亀4(1504) 8月 22日 早雲、扇谷上杉朝良の河越城を攻める。 12歳
9月 27日 早雲、扇谷上杉朝良救援のため武蔵立河原で上杉顕定と戦う。
10月 4日 早雲、今川氏親と共に鎌倉に入り、熱海で湯治して韮山城に帰る。
この年、東国大飢饉、死者多数。
永正2(1505) 1月 次兄、新六郎氏時、風摩砦に入り、二年間修行。 13歳
3月 29日 両上杉氏、和睦する。
太郎左衛門の孫、風摩太郎(三代目)生まれる。
愛洲太郎左衛門、箱根の風摩砦を去り、浦賀の水軍砦に行く。
永正3(1506) 7月 18日 側室、春雨(58)死す。南陽院。 14歳
8月 今川氏親の要請で早雲、三河に出陣する。
9月 三河今橋城を落とす。
『早雲寺殿十七箇条』を制定。
この頃、今川氏親、遠江国を完全制圧。
初代『小野屋』主人松恵尼(73)死す。
三兄の新三郎氏広(16)、葛山備中守の婿養子になる。
永正4(1507) 2月 14日 甲斐国守護武田信縄死す。信虎が継ぐ。
3月 菊寿丸、愛洲太郎左衛門に連れられて旅に出る。
永正5(1508) 10月 早雲、今川氏親の要請で三河に出陣。 16歳
永正6(1509) 1月 菊寿丸、荏原三郎を名乗り、風摩砦に入って二年間修行。 17歳
氏綱(24)、北条氏の末孫の娘(16)を妻とする。
12月 連歌師宗長、東海から関東諸国を巡り鎌倉に入る。
永正7(1510) 6月 20日 山内上杉顕定、越後にて戦死。 18歳
7月 19日 上杉憲房、同朝良、早雲方の武蔵権現山城を落とす。
12月 9日 上杉朝良、早雲方の相模鴨沢要害を攻める。
20日 三郎、修行を終え、韮山城に帰る。
氏綱の長女生まれる。後、太田資高の妻となる。
永正8(1511) 1月 三郎、太郎左衛門に連れられ風ヶ谷村に行き、風摩小太郎(33)と会う。 19歳
三郎、風摩党の一員となり、実践しながら修行する。
この年、早雲、上杉朝良と和睦する。
永正9(1512) 8月 9日 早雲と氏綱、三浦義同の相模岡崎城を攻め落とす。 20歳
13日 早雲、鎌倉に入る。
9月 早雲、鎌倉北方に玉縄城を築き、三浦義同を三浦半島に追い込める。
次兄、新六郎、玉縄城主となる。
永正10(1513) 1月 29日 早雲、三浦方と戦う。相模遊行寺、戦火に会う。 21歳
4月 早雲、三浦方の三崎城を攻める。
9月 29日 早雲、三浦方の太田資康を三浦で戦死させる。
氏綱の次女生まれる。後、吉良頼康の妻となる。
永正11(1514) 1月 太郎左衛門の娘、桔梗(17)、風摩砦に入る。
三郎、棒術師範代として風摩砦に入る。
22歳
12月 三郎と桔梗、結ばれる。
永正12(1515) 1月 桔梗、風摩党四番組の砦に入る。三郎、四番組の師範代になる。 23歳
氏綱の長男、伊豆千代丸(伊勢新九郎氏康)生まれる。
永正13(1516) 7月 早雲、三浦義同、義意を新井城に破り、相模を平定。 24歳
8月 桔梗、三郎の長女、葉月を生む。
10月 愛洲太郎左衛門の妻、楓(39)急死する。太郎左衛門、頭を丸めて移香斎と号す。
氏綱の三女生まれる。後、葛山氏元の妻となる。
永正14(1517) 移香斎、韮山を去る。 25歳
移香斎、草津の湯に庵を結んで定住する。
氏綱の次男生まれる。
永正15(1518) 2月 早雲、氏綱に家督を譲る。 26歳
4月 桔梗、三郎の次女アヤメを生む。
7月 小鶴、江戸で殺される。
10月 8日 早雲、初めて虎の印を使う。
10月 桔梗、小鶴の跡を継ぐため、小机城を去る。
11月 三郎、小笹を桔梗の代わりに妻とする。
この年、初代風摩小太郎の妻、雪(63)死す。
氏綱の四女生まれる。後、福島孫九郎綱成の妻となる。
永正16(1519) 4月 28日 早雲、三郎に知行を与える。四千四百六十五貫余。
風摩党の支配権を与えられる。
27歳
7月 2日 早雲、三浦三崎で舟遊びをして病を得る。
8月 15日 早雲(88)韮山城にて死す。早雲寺殿天岳宗瑞。
9月 15日 氏綱、早雲の死後1ケ月の仏会を開き、芳琳乾憧を招く。
氏綱、箱根湯本に早雲寺を建て、以天宗清を招き、その開山とする。
10月 小笹、三郎の三女、小菊を産む。
永正17(1520) 8月 15日 氏綱、早雲の一周忌の法要を盛大に営む。 28歳
氏綱の三男、彦九郎為昌生まれる。
永正18(1521) 8月 15日 氏綱、早雲の三回忌の法要を盛大に営む。 29歳
9月 小笹、三郎の長男、笹寿丸を産む。
氏綱の五女生まれる。後、堀越六郎氏延の妻となる。
大永2(1522) 1月 氏綱、本拠を韮山から小田原に移す。 30歳
氏綱の四男、竹王丸(氏堯)生まれる。
大永3(1523) 2月 三郎、多摩川以南を平定し、世田谷の吉良氏を寝返らせる。 31歳
6月 氏綱、相模を平定し、箱根権現社殿を新築する。
大永4(1524) 1月 14日 氏綱、上杉朝興の江戸城を攻め、朝興、河越城に走る。 32歳
氏綱、北条姓を名乗る。
2月 氏綱、都留郡猿橋(大月市)にて武田信虎と合戦。
小笹、三郎の四女、小梅を産む。
3月 三郎、出家して長綱と名乗り、京都に旅立つ。
近江三井寺の塔頭上光院を宿所として勧学院で修学。
この時、塔頭の近松寺にて『一余切』を習得する。
氏綱の六女生まれる。後、足利晴氏の妻となる。
大永5(1525) 2月 6日 氏綱、武蔵岩付城を攻略する。 33歳
3月 上杉憲寛、武蔵菖蒲城を攻める。氏綱、下総葛西城を攻める。
25日 上杉憲房(59)死す。
8月 22日 上杉朝興、武蔵白子原で北条勢に勝つ。伊勢九郎を初め800人以上戦死する。
大永6(1526) 6月 7日 上杉朝興、北条方の武蔵蕨城を攻略する。 34歳
6月 23日 今川氏親(54)死す。氏輝、跡を継ぐ。
7月 30日 北条軍、駿河梨木平で武田信虎と戦う。
9月 扇谷上杉朝興、山内上杉憲寛と共に北条方の小沢城を攻略する。
11月 朝興、玉縄城を攻める。
12月 里見実堯、江戸湾を軍船で渡り三浦半島を来襲、鎌倉に乱入し火を掛け引き上げる。鎌倉は焼け野原となり鶴岡八幡宮も焼失する。
大永7(1527) 氏綱の妻、北条氏(34)、病死する。 35歳
5月 長綱、京都より小田原に戻る。
6月 第三十九世箱根別当、権僧正海実の跡を継ぎ、第四十世箱根別当職に就く。長綱僧正と呼ばれる。
享禄2(1529) 1月 6日 叔母、北川殿死す。 37歳
12月 遠山直景、武蔵秩父郡に出陣する。
享禄3(1530) 1月 6日 上杉朝興、武蔵小沢、世田谷両城を攻略し江戸城を攻める。 38歳
4月 23日 氏綱、甲斐都留郡に出陣、小山田氏を矢壺坂に破る。
6月 12日 氏康(16)初陣し、上杉朝興を武蔵小沢原に破る。
四代目風摩小太郎、生まれる。
享禄4(1531) 4月 桔梗(34)死す。 39歳
8月 18日 次兄、玉縄城主左馬助氏時(43)死す。
氏綱の三男、彦九郎為昌(12)玉縄城主になる。後見は大道寺新次郎盛昌(51)。
9月 太田資頼、岩付城を奪回する。城主渋江三郎戦死。
享禄5(1532) 10月 22日 氏綱、焼け落ちた鶴岡八幡宮に参詣、造営の大概を定める。 40歳
天文2(1533) 2月 氏綱、鶴岡八幡宮を再建するのための風摩党を使い勧進を始める。 41歳
神主大伴晴信と小別当良能。造営総奉行に大道寺盛昌。
3月 冷泉為和、小田原に滞在。氏綱館、為昌館にて歌会。
11月 12日 上杉朝興、相模中郡に出兵する。
移香斎の孫、ナツメ(三郎の姪)生まれる。
この頃、氏綱、従五位下左京大夫に任官され、相模守となり、正式に相模守護職を手に入れる。
天文3(1534) 4月 氏綱、里見義堯に援軍を遣わす。 42歳
氏康(20)、今川氏親の娘(17)を妻とする。
天文4(1535) 小机城主、弥九郎(19)死す。長綱の長男、三郎(15)が跡を継ぐ。 43歳
長綱の三女、小菊(17)、内藤景豊(20)に嫁ぐ。
8月 22日 氏綱、今川氏輝救援のため甲斐郡内に出陣する。
9月 上杉朝興、留守をついて、相模中郡に出兵、狼藉の限りをつくし去る。
10月 13日 氏綱、武蔵河越城を攻める。
この年、氏康の長男、新九郎生まれる。
天文5(1536) 2月 5日 今川氏輝、小田原に来る。氏綱、歌会を催す。 44歳
3月 17日 今川氏輝(24)死す。
天文6(1537) 2月 武田と今川同盟し、信虎の娘が義元の妻に迎えられる。 45歳
氏綱、今川と断交する。
2月 26日 氏綱、駿河に出陣する。6月に勝利し、河東地方は北条領となる。
4月 27日 上杉朝興、河越城にて没。13歳の朝定が継ぐ。
7月 16日 氏綱、河越城の上杉朝定を追い落とし、城を手に入れる。
20日 氏綱、松山城を攻める。河越城主に彦九郎為昌(18)を任命。
この年、二代目『小野屋』主人夢恵尼(移香斎娘、63)死す。
葉恵尼(23)、三代目を継ぐ。
天文7(1538) 2月 2日 氏綱、葛西城を攻略。岩付城付近に放火する。 46歳
5月 愛洲移香斎(87)、草津にて死す。
融山を第四十一世として箱根権現別当職を退く。
10月 7日 氏綱、氏康父子、下総国府台で里見義堯、小弓公方足利義明を撃破。
長綱(箱根殿)も一軍を率いて参戦する。
この年、氏康の次男、氏政生まれる。
天文8(1539) 8月 13日 氏綱の娘と足利晴氏の結婚を梁田高助に依頼する。 47歳
氏綱の次男(23)死す。
天文9(1540) この年、鶴岡八幡宮完成する。 48歳
氏綱の六女、足利晴氏に嫁ぐ。
天文10(1541) 7月 17日 長兄、氏綱(55)死す。氏康(27)跡を継ぐ。 49歳
長綱、小田原に戻り還俗して、幻庵を名乗る。氏康の後見役になる。
9月 融山、鶴岡八幡宮別当相承院の住持となる。
10月 上杉朝定、河越城を攻める。
天文11(1542) 5月 3日 氏綱の3男、玉縄城主為昌(23)死す。孫九郎綱成(28)が継ぐ。 50歳
6月 14日 早雲寺、勅願寺となる。
この年、相模、武蔵に検地を行う。
天文12(1543) 幻庵の次男、竹寿丸(新三郎氏信)生まれる。母は松田氏。 51歳
この年、伊豆、相模、武蔵に検地を行う。
天文13(1544) 9月 24日 北条勢、安房で里見勢と戦う。 52歳
幻庵、久野に引退し、屋敷を構える。
天文14(1545) 2月 連歌師宗牧(58)、熱海の湯にて幻庵の母と出会い、小田原に来る。 53歳
26日 幻庵、宗牧を久野の自邸に招き歓待する。
28日 宗牧、小田原を立ち、鎌倉に向かう。
7月 24日 今川義元、上杉憲政と結び、駿河善徳寺に出兵する。
8月 氏康、駿河で今川勢と戦う。
9月 宗牧、下野国佐野にて死す。宗牧の弟子に西之坊(1513−)。
26日 上杉憲政、六万五千の大軍で河越城を包囲する。
10月 27日 古河公方足利晴氏、二万の軍勢で出陣、河越城を包囲する。
29日 武田信玄の仲裁により今川と講和する。駿河河東地方を今川に返す。
天文15(1546) 4月 20日 氏康、河越夜戦で山内、扇谷両上杉と古河公方連合軍を破る。上杉朝定戦死。 54歳
12月 松山城の上田朝直、氏康に応じる。
天文16(1547) 1月 18日 岩付城の太田資正、氏康に帰属する。 55歳
天文17(1548) この年、義兄の二代目風摩小太郎(70)死す。 56歳
天文18(1549) 幻庵、早雲寺の庭園を造る。 57歳
天文19(1550) 4月 1日 氏康、税制を改革。これまで実施していた様々な税を段銭、懸銭、棟別銭の三種に整理する。 58歳
5月 18日 氏康、氏綱の遺志を継ぎ、融山を援助して鶴森明神の遷宮を行い、松原明神と改名させる。
幻庵の四女、小梅(17)、北条氏堯(19)に嫁ぐ。
天文20(1551) 12月 11日 氏康、梁田晴助と盟約する。 59歳
この年、二代目風摩小太郎妻、蘭(移香斎娘、68)死す。
天文21(1552) 1月 氏康、平井城を落とし、管領を追う。 60歳
2月 幻庵、氏堯(21)の後見役として平井城に入る。
3月 氏康、御嶽城を落とす。
21日 氏康の長男新九郎(18)死す。
5月 愛洲ナツメ、上野の情報を集めるため草津の湯に行く。
9月 氏政(15)、叙位任官(従五位下弾正少弼)の返礼のため初めて上洛する。
天文22(1553) 2月 三代目『小野屋』主人葉恵尼(39)死す。ナツメ跡を継ぐ。 61歳
天文23(1554) 1月 早雲寺住持、以天宗清(1472-1554.83)死す。 62歳
2月 氏康、駿河を攻める。
4月 5日 幻庵の母死す。栖徳寺殿華岩信公大禅定尼。
7月 氏康の娘(16)、今川氏真(19)に嫁ぐ。
11月 足利晴氏と藤氏、氏康に反すが敗れる。
12月 氏政(17)、武田晴信の娘(黄梅院、1543-69,12)を娶る。
北条、武田、今川の三国同盟成立。
この年、風摩太郎(五代目小太郎、幻庵孫)生まれる。
天文24(1555) 氏康、厩橋城に入り、沼田に孫次郎康元を置く。幻庵、厩橋城に入る。 63歳
幻庵の五女、琴音、生まれる。
幻庵の義弟、愛洲万太郎(53)死す。
氏康、安房金谷に軍勢を遣わす。
11月 8日 氏政の長男某生まれる。
弘治2(1556) 4月 5日 氏康、結城政勝援助のため常陸に出陣、大島台で小田政治を破る。 64歳
5月 20日 斎藤道三(63)死す。
弘治3(1557) 7月 8日 義父、笠原越前入道信為(87)死す。 65歳
この年、三代目風摩小太郎(53)死す。
弘治4(1558) 4月 11日 氏康、梁田晴助に足利義氏を来6月に葛西谷より下総関宿城に移す事を伝える。 66歳
6月 氏康、下総に軍勢を遣わす。
永禄2(1559) 2月 12日 氏康『北条氏所領役帳』を集大成する。 67歳
12月 23日 氏康(45)、隠居し万松軒と号し、氏政(22)に家督を譲る。
永禄3(1560) 5月 今川義元、桶狭間にて討死。 68歳
9月 越後の長尾景虎、関東出陣。氏康、河越城に出陣する。
北条方の沼田、厩橋城落城する。幻庵、河越に逃げる。
この年、幻庵の長男、三郎死す。幻庵の娘婿、氏堯(39)、小机城主になる。
永禄4(1561) 3月 長尾景虎、北条領に侵入して小田原城を攻め、鎌倉の鶴岡八幡宮にて関東管領に任じられる。 69歳
9月 第4回川中島合戦。
永禄5(1562) 12月 氏康の娘が世田谷の吉良氏朝に輿入れする。幻庵、覚え書を書く。 70歳
この年、氏政の次男、国王丸(氏直)生まれる。母は黄梅院。
永禄6(1563) 2月 4日 氏政、武蔵松山城を攻略する。 71歳
兄、葛山中務少輔氏広(73)死す。
小机城主、左衛門佐氏堯(42)死す。幻庵の次男、新三郎(21)、跡を継ぐ。
8月 5日 氏康の帰依僧、融山(70)死す。
12月 太田康資の代わりに孫次郎康元、江戸城に入る。
永禄7(1564) 1月 8日 氏康、氏政父子、下総国府台で再び里見氏と戦い破る。遠山綱景、富永康景、太田下野守、山角四郎左衛門、中条出羽守ら名だたる武将が戦死する。 72歳
7月 氏政、岩付城の太田資正、氏資父子を攻撃。氏資、内応する。
永禄8(1565) 1月 7日 北条勢、上野新田で由良勢と戦う。 73歳
永禄9(1566) 閏8月 由良成繁、宇都宮、成田ら北条方に寝返る。 74歳
9月 箕輪城、落城する。
永禄10(1567) 8月 佐野昌綱、北条方に従う。 75歳
4月 廐橋城の北条高広、下総の梁田晴助、持助父子が北条氏に内通。
18日 氏政、梁田晴助、持助と盟約を結ぶ。
8月 氏政、上総に出陣し久留里城を攻める、三船台で里見勢と戦う。
太田氏資、戦死する。善九郎康成(32)、岩付城主になる。
永禄11(1568) 12月 9日 氏照、上杉輝虎に武田信玄の駿河侵攻に伝え、盟約を打診する。 76歳
12日 氏政、駿河に出陣する。
氏政、氏康の命で妻の黄梅院(26)を甲斐に送り返す。翌年6月死す
永禄12(1569) 1月 20日 氏康、里見氏との同盟を計る。 77歳
26日 氏政、三島を出陣、薩土垂山に着陣。
3月 14日 上杉輝虎、同盟に同意する。使僧天用院、これを氏康に報告する。
4月 27日 北条、上杉双方の使者、上野新田に会し、越相同盟の条件を討議する。
5月 17日 今川氏真、遠江掛川城を開城する。
23日 氏真、氏政の嫡子氏直を養子とし、駿河を氏政の処分に任せる。
9月 10日 武田勢、鉢形城に迫る。
10月 1日 武田信玄、北条領に侵入し小田原城を攻める。
6日 三増峠で北条勢、武田勢に破られる。
11月 28日 信玄、駿河に出陣、今川氏真を攻める。
12月 6日 信玄、蒲原城を攻める。幻庵の次男新三郎氏信、三男長順戦死する。
幻庵、氏康の子を婿養子に迎え、三郎を名乗らせる
永禄13(1570) 2月 18日 氏康、氏政、佐野在陣中の輝虎に起請文を送る。 78歳
3月 幻庵の婿養子の三郎が上杉氏への人質に選ばれる。
4月 10日 三郎、沼田に到着。11日、輝虎に対面。
25日 三郎、輝虎の養子となり、景虎の名を与えられる。
6月 4日 信玄、駿河深沢城を攻める。
8月 この頃より、氏康の病が重くなる。
元亀2(1571) 1月 10日 氏政、小田原を出陣し、深沢城を後詰めする。 79歳
16日 北条綱成、深沢城を開城する。
9月 15日 武田勢、北武蔵にて氏邦と戦う。
10月 3日 氏康(57)中風にて死す。氏政(22)跡を継ぐ。
12月 27日 甲相同盟成立する。氏忠、氏光、人質として都留郡上野原城主加藤氏に預けられる。
元亀3(1572) 閏1月 武田軍と北条軍、上杉軍と利根川を挟んで対陣。 80歳
12月 29日 氏政、下野多功原で佐竹、宇都宮両氏に敗れる。
元亀4(1573) 4月 12日 信玄、西上の途中で没す。 81歳
7月 27日 氏照、関宿城を攻める。
8月 姉川の合戦。
天正2(1574) 4月 氏政、上野に出陣、利根川を挟んで謙信と対陣。 82歳
閏11月 18日 氏政、小田氏治に羽生城攻略と関宿城の明日開城を伝える。
天正3(1575) 2月 氏政、下野小山城を攻略する。 83歳
5月 21日 長篠の合戦。
天正4(1576) 8月 6日 氏政、足利義昭の命に従い甲相越三国同盟に同意するが成功せず。 84歳
天正5(1577) 1月 氏政の娘、桂林院(14)武田勝頼(32)に嫁ぐ。 85歳
5月 20日 足利義氏、氏直の初陣(常陸攻め)を祝す。
6月 氏舜、鬼怒川にて佐竹、宇都宮氏等と対陣する。
閏7月 氏政、常陸国に進攻、小山、結城、佐竹と戦う。
11月 15日 義氏、氏政、氏直に里見義弘との和睦を祝す。
天正6(1578) 3月 謙信、病死する。御館の乱、始まる。 86歳
5月 26日 氏政、弟景虎援助のため越後に向かい出陣、河越に着陣する。
6月 11日 氏政、河田重親に沼田攻略を伝える。
天正7(1579) 3月 24日 上杉景虎、自害する。 87歳
9月 氏政、徳川家康と手を結び、駿河に出陣、武田勝頼と対陣する。
10月 勝頼の妹(菊姫)、上杉景勝に嫁ぐ。
天正8(1580) 1月 25日 氏政、伊達輝宗の家臣遠藤基信に書状を送る。 88歳
2月 12日 氏政、武田勢と深沢で戦う。
3月 27日 氏邦勢、上野で武田勢と戦う。
天正9(1581) 6月 氏政、信長に馬3疋を進上する。 90歳
7月 氏政、氏直に家督を譲る。
9月 武田勢、伊豆に侵攻する。
11月 10日 笠原政堯、勝頼に内応する。
12月 15日 氏政、三島に出陣する。
天正10(1582) 1月 幻庵の孫(新三郎の長男)菊千代を元服させ彦太郎氏隆と名乗らせ、家督を譲る 91歳
2月 28日 戸倉、三枚橋城を攻略する。
3月 11日 武田家、滅亡する。
6月 2日 本能寺の変。織田信長死す。
19日 氏直、上野に出陣し神流川で織田勢を取る。
7月 氏直、小諸城に大道寺政繁を入れる。
8月 1日 氏直、甲斐に進軍。
7日 氏直、家康と甲斐若神子で対陣する。
12日 氏忠、黒駒で徳川勢と戦う。
10月 27日 北条勢、上野津久野で真田勢と戦う。
29日 氏直、家康と和睦する。
天正11(1583) 8月 15日 家康の娘督姫、氏直に嫁ぐ。 92歳
12月 北条勢、佐竹勢を破る。
天正12(1584) 3月 28日 北条勢、足利表にて長尾氏と戦う。 93歳
4月 22日 北条勢、小山にて佐竹勢と戦う。
天正13(1585) 4月 氏直、下野に出陣。宇都宮、佐竹氏と戦う。 94歳
9月 8日 氏直、家康の要請で沼田城を攻める事を原胤長に伝える。
11月 氏直、下総佐倉に出陣する。
12月 10日 佐倉城の普請を終え、氏直。関宿に着陣。
天正14(1586) 2月 26日 氏政、家康に対面のため駿府に入る。 95歳
4月 25日 猪股邦憲、上野仙人ケ岩屋を攻略する。
天正15(1587) 5月 北条綱成(73)死す。 96歳
この年、四代目風摩小太郎(58)死す。五代目(34)継ぐ。
天正16(1588) 4月 山上宗二(45)、小田原に来る。 97歳
5月 21日 家康、氏政父子に起請文三ケ条を送る。
8月 7日 氏規、小田原を発つ。22日、聚楽第で秀吉に謁見する。
天正17(1589) 1月 北条勢、足利城を攻める。 98歳
3月 21日 氏邦、足利城を破却し帰城する。
6月 5日 氏直、妙音院と一鴎軒に氏政の上洛は12月上旬の予定を伝える。
7月 21日 氏忠、沼田城を受け取る。氏直、氏邦に管理させる。
10月 10日 秀吉、兵糧料奉行長束正家らを東国に派遣し米の買い占めを行わせる。
24日 沼田城将猪股邦憲、名胡桃城を奪う。
11月 1日 幻庵死す。金龍院殿明岑哲公大居士。久野中宿に葬られる。
24日 豊臣秀吉、氏直に宣戦布告。
12月 7日 氏直、富田知信、津田信勝に書状を送り、氏政の上洛や名胡桃奪取につき弁明する。
9日 氏政、氏直、家康に秀吉への執り成しを依頼する。
天正18(1590) 3月 9日 氏政、沼田城の守備を堅くするよう猪股邦憲に命じる。
15日 大道寺直昌等、碓氷峠を越えた真田、芦田勢と戦い、戦功を挙げる。
29日 山中城落城、松田康長戦死。
4月 20日 松井田城落城。
5月 20日 岩付城落城。
6月 17日 氏直、松田直秀の忠信を賞す。
23日 八王子城落城。
24日 韮山城開城。
7月 5日 氏直、氏房、小田原城を出て投降する。
秀吉、氏政、氏照、松田憲秀、大道寺政繁に切腹を命じる。
11日 氏政、氏照、切腹する。
21日 氏直等、小田原を発ち高野山に向かう。






『摩利支天の風』のための北条幻庵の系図


北条幻庵の系図




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