酔雲庵

摩利支天の風〜若き日の北条幻庵

井野酔雲

創作ノート




金剛王院海実僧正(1456−1530)の略歴




1456年 大森信濃守氏頼(1418−94,39)の三男として岩原城にて生まれる。 1歳
1460年 諸国に大飢饉、起こる。 5歳
1463年 1月 箱根権現に入り稚児となる。 8歳
1467年 1月 応仁の乱、始まる。 12歳
1470年 1月 出家し、海実を名乗る。 15歳
1471年 諸国大旱魃。麻疹大流行し死者多数に上る。箱根権現にて、雨乞いの祈祷。 16歳
1477年 11月 応仁の乱、終わる。 22歳
1478年 1月 近江園城寺に修行に行く。 23歳
1479年 この年、大悪年といい奈良中の48堂の阿弥陀仏に参詣する者多し。 24歳
1481年 3月 三年間の修行を終え、箱根権現に戻る。 26歳
1485年 1月 叔父の跡を継いて、箱根権現別当となる。 30歳
1486年 長姉(扇谷上杉高救の妻,48)死す。 31歳
1488年 姪(葛山備中守の娘)、伊勢早雲に嫁ぐ。 33歳
1489年 義兄、扇谷上杉高救(53)死す。この年、諸国に赤痢が流行する。 34歳
1491年 長兄式部少輔実頼(52)死す。次兄信濃守藤頼(43)、小田原城主となる。 36歳
1492年 甥の三浦義同(36)、小田原に逃げて来て出家する。 37歳
1493年 氏頼、孫の道寸が三浦時高を討つ事を応援する。 38歳
10月 早雲、伊豆国を平定する。
1494年 8月 26日 父、氏頼(77)死す。 39歳
9月 箱根権現に来た早雲と会う。
9月 23日 甥の道寸、三浦時高(79)を新井城に攻め殺し、三浦介を継ぐ。
10月 5日 扇谷上杉定正(52)死す。
1495年 8月 15日 大地震起こり、鎌倉では津波により二百人余り戦死する。 40歳
8月 26日 氏頼の一周忌。早雲、小田原城を奪い取る。兄、藤頼、岡崎に逃げる。
9月 大威徳明王を本尊とし、早雲調伏ため一千日間の祈祷を始める。
1496年 7月 早雲の弟、伊勢弥次郎、戦死する。 41歳
8月 26日 氏頼の三回忌。
1498年 1月 甥の海順(15)、京都に修行に行く。 43歳
8月 25日 一千日満願の日、東海道諸国に大地震と津波が起こる。
伊勢大湊では家屋一千戸流失、死者五千人を出し全滅。
鎌倉では溺死者二百余人。遠江国荒井崎が壊れ、浜名湖が外海と通じる。
兄信濃守藤頼(50)、屋敷の下敷になり一族諸とも死す。
1499年 1月 菊寿丸、箱根権現の稚児となる。 44歳
5月 京都に大洪水。諸国、大飢饉。餓死者多数に上る。
8月 25日 兄藤頼の一周忌。
1500年 7月 京都に大火、二万戸焼失する。 45歳
8月 25日 兄藤頼の三回忌。8月26日、父氏頼の七回忌。
1501年 5月 海順、3年間の修行を終え、箱根に帰る。 46歳
1502年 次姉(葛山備中守の妻,58)死す。 47歳
1504年 関東に飢饉、餓死者多数に上る。 49歳
8月 25日 兄藤頼の七回忌。
26日 菊寿丸に真相を話して聞かせる。
1505年 9月 甥の戒円坊(20)死す。 50歳
1506年 義兄、葛山備中守(65)死す。 51歳
早雲の三男、葛山備中守の養子となる。
8月 26日 父氏頼の十三回忌。この頃より、菊寿丸の見方が変わる。
1507年 3月 菊寿丸、箱根を出て行く。菊寿丸に跡を継いでもらうように頼む。 52歳
1508年 2月 弟、法妙坊巌乗(50)死す。甥の智行院海順(23)、死す。 53歳
1510年 8月 遠江国を中心に大地震、津波。死者一万余人。 55歳
8月 25日 兄藤頼の七回忌と地震の被害者の供養をする。
1516年 7月 11日 甥の三浦道寸、早雲に攻められ、戦死する。 61歳
1519年 8月 15日 早雲(88)死す。 64歳
1520年 3月 京都に大風、水害、地震あり。 65歳
1521年 2月 高野山に大火。金剛峰寺大塔、金堂など二百宇焼失。 66歳
1522年 1月 氏綱、本拠地を韮山から小田原に移す。 67歳
諸国に麻疹大流行し、罹病者の大部分が死亡。
1523年 6月 氏綱、箱根権現社殿、僧坊を全面的に新造する。 68歳
1527年 6月 箱根権現別当職を菊寿丸に譲り、隠退する。 72歳
1530年 死す。 75歳






大森氏の系図



大森氏の系図




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