酔雲庵


国定忠次外伝・嗚呼美女六斬(ああびじょむざん)

井野酔雲





6.百々一家




 百々村に帰ると中瀬に潜入していた下植木村の浅次郎と鹿村の安次郎、島村に潜入していた茂呂(もろ)村の茂八(しげはち)が待っていた。伊三郎の子分たちが大勢でお常を捜し回っているので、危険を感じて帰って来たという。

 新八の動きを探っていた浅次郎は、お常を捜し回っていた新八と貞利をずっと追っていた。二人は昨日、貞利が描いたお常の絵を見せながら、中瀬の村中を隅から隅まで歩き回って、片っ端から声を掛けていたが、お常を見たという者はなかなか現れなかった。

 貞利はお常がいなくなった日の格好を思い出して絵に描いていた。色も塗り、頭巾を被っているのといないのと、前向き、横向き、後ろ向きの絵まで描いて見せて回った。やっと、お常が渡し場から中山道(なかせんどう)深谷宿へと向かう江戸道を行くのを見たという老人を見つけた。しかし、その後、江戸道を歩いているお常を見た者はいない。裏通りもくまなく調べ回ったが無駄だった。二人は河岸にたむろする人足たちにも聞いて回った。錦絵になったお常の事は皆、知っていたが、実際に見たという者は三人しかいなかった。浅次郎はその三人の顔を覚えて、今日、中瀬を引き上げる時、話を聞いていた。

 一人は伝公と呼ばれる力士のような大男で、先月の半ば頃、煙管(きせる)を買いに境宿の『村田屋』に行った時、看板娘のおたかに教えられて、通りを歩いているお常を一目見ただけだった。

 二人目は馬吉(うまきち)という博奕(ばくち)好きの男で、暇さえあれば賭場(とば)に通っていた。先月の初め頃、境宿の賭場に行った時、お常を見かけて、声を掛けようと思って後を付けたら、一緒にいた娘に追い払われたという情けない男だった。

 三人目は新作という男で、わざわざ、お常を見るために二、三度、境宿に行っている。しかし、顔付きに似合わず、声を掛ける度胸もなく、一度も話をした事がないという気の小さい男だった。こいつが例のしんさんかも知れないと新八と貞利が色々と問い詰めたが決め手に欠け、二人は諦めたようだった。

 そして、夕方、貞利と新八は土手の下に住んでいる船頭(せんどう)のおかみさんから話を聞いていた。二人の表情から、おかみさんがお常を見たに違いないと思った浅次郎は、二人が土手の方に消えた後、お常の事を聞き出した。お常らしい娘はキョロキョロしながら土手を歩いていた。見た事もない娘なので、あんな所で何をしてるのだろうと不思議に思ったが、チラッと見ただけだったので、その後、どこ行ったのかはわからないという。

 浅次郎は土手に上がり、のんびり散歩をしている振りをして二人を捜した。二人は話をしながら河岸の方に歩いていた。河岸まで行くと表通りに戻って、渡し場の方に向かった。その日はそこで打ち切り、貞利は平塚に帰り、新八は島村に帰った。浅次郎はその後もずっと、新八を見張っていた。新八はまっすぐ島村の家に帰ると、朝まで家から出る事はなかった。今朝、新八はまた中瀬に行き、貞利と落ち合い、昨夜の土手まで行った。土手から河原に下りて、掘っ建て小屋の中で、お常の着物を見つけたのだった。

 その時、土手の陰から二人を見ていた浅次郎には何が起こったのかわからなかった。土手からは小屋が見えない。しばらくして、顔色を変えた新八が急いで土手を上って来ると家並みの中に消えて行った。ただ事ではないと浅次郎は何げない振りをして河原まで下りて行った。川の側まで行って振り返ると、壊れかけた小屋の側に貞利が座っていた。

 浅次郎は貞利に近づき、「顔色が悪いようですが、大丈夫ですか」と声を掛けた。

 貞利はビクッとして顔を上げると、「いや、何でもない」と言ったが、その手には女物の着物があった。

 浅次郎は貞利から離れ、物陰に隠れて様子を見守っていると伊三郎が代貸(だいがし)の中瀬の藤十と共に子分を引き連れてやって来て、河原中を捜し始めた。安次郎と茂八もそれぞれ、信三と万吉を追って河原に来たので、浅次郎は二人を呼び、こんな所をウロウロしていたら伊三郎に捕まるかもしれないと引き上げて来た。

 伊三郎の子分、信三と藤十の子分、万吉を探っていた安次郎と茂八は、二人をずっと見張っていたが怪しい動きはなかったという。

 信三には妻も子もあった。相当、羽振りがいいらしく、中瀬に(めかけ)を囲っている。去年の暮れに囲ったばかりで、最近は妻子のいる島村の家に帰るよりも妾の家に通っていた。近所の者たちの話だと(うらや)ましい程の仲だという。お常がいなくなった事は知っているはずなのに、そんな事は関係ないといった顔で妾に夢中のようだった。

 万吉の方はお常の事が気になって、自分も新八と一緒に捜し回りたいようだったが、昨日はずっと、人足相手の賭場にいた。夜になってからは仲間と一緒に飲みに出掛け、夜遅くに帰ると朝まで寝ていた。そして、今朝、藤十と共に河原に出掛けて行った。

「おめえの方は何かわかったかい」と忠次が久次郎に聞いた。

 久次郎はうなづいて、「新八の奴ですが、お常がいなくなった日、中瀬の賭場にいて、夜には木崎の武蔵屋にいたそうです」と答えた。

「その日、中瀬にいたってえ事はお常と待ち合わせしたとも考えられるな」

「へい。それと、いつも市日に魚を売りに来てる伸吉ってえ野郎がいるらしいんですけど、そいつは明日、捕めえて話を聞いてみます」

「また、新しいしんさんが現れたのか」と円蔵が顔をしかめた。「しかし、そいつがお常と関係あったとすりゃア、明日は来ねえかもしれねえぞ」

「へい、来なったら捜し出します。それと、浅に聞きてえんだが、お常が土手の上を歩いてたってえのはいつ頃なんだ」

「昼頃ですよ」と浅次郎は答えた。「お常が渡し舟で中瀬に行ってからすぐです」

「てえ事アお常はそこで、しんさんと待ち合わせたってえ事なのか」

「それはわかりません。その先の河岸かもしれません」

「河岸に行くんなら、何も、そんな土手を通ってく事アねえだんべ」

「そうか。となると、あそこで待ち合わせたんかな」

「間違えねえ」と久次郎は力強く言うと、忠次と円蔵を見た。「中瀬の藤十の賭場は『河重』の離れです。そっから、その土手はすぐ側だ。新八の野郎がそこで、お常と待ち合わせたに違えねえですよ」

「うむ」と円蔵がうなづいた。「新八のその日の行動を洗い直した方がよさそうだな」

「へい、奴がその夜、木崎に行ってなかったら、間違えなく、奴の仕業です」

「奴は武蔵屋に上がったんだな」

「へい、お倉を揚げたようです」

「よし」と円蔵はうなづいて、浅次郎を見ると、「浅、おめえ、明日、木崎に行って調べて来い」と命じた。

「へい、わかりやした」

「ついでに小浜(おばま)屋に行って、平塚の徳次郎の奴が来たかどうかも探ってくれ」と久次郎は浅次郎に頼んだ。「それともう一つ聞きてえんだが、人足の新作ってなアどんな奴なんだ」

「へい、何となく間の抜けた野郎で、仲間からコケにされてるようでした。お常に会いに何度も境まで行ったけど、お常はいつも友達に囲まれてて、恥をかきたくねえんで近づけなかったそうです。奴はお常が言ってたしんさんじゃアねえですよ」

「そうか。そんな奴じゃア、お常に声を掛けたとこで振られるんは目に見えてるな」

「さっきも言ってたんだがな」と忠次が言った。「着物が見つかったってえ事ア殺されて利根川に捨てられたとみてよさそうだぜ。場所が利根川筋じゃア、俺たちにゃアどうする事もできねえ。ただ、新八が下手人(げしゅにん)だとしたら、何としてでも捕めえなくちゃアならねえ。伊三郎がもみ消しにかかる(めえ)にな」

「親分」と円蔵が声を掛けた。「その事ア慎重にやらなけりゃならねえよ。新八がしんさんだとしても、お常を()ったんは別の野郎かも知れねえ。新八がお常と会ったとすりゃア、どっか逢い引きに使った隠れ家があるはずだ。もし、奴がお常を殺したとしても隠れ家ん中で、河原なんかで殺すわけがねえ。まして、掘っ建て小屋ん中で、裸にして着物を隠すなんて事アするめえ。そうなると、お常が新八と会う前に何者かに掘っ建て小屋に連れ込まれたと考えた方がいいんじゃねえのか」

「流れ者の仕業でしょうか」と浅次郎が円蔵に聞いた。

「そいつア何とも言えねえな。土地の者が土手でしんさんを待ってるお常を見つけて、小屋まで引っ張り込んだんかもしれねえ。やっちまってから殺して川に投げ込んだに違えねえ。新作ってえ間の抜けた人足だってやりかねねえぜ。たった一人でいたのを見つけて、声を掛けたが相手にされず、カアッとなって乱暴したのかもしれねえ。奴なら河原の掘っ建て小屋の事ぐれえ知ってるからな」

「すると、奴の仕業なんですか」浅次郎が首をひねった。

「例えばの話だ。人足の仕業かもしれねえって事だ。流れ者かもしれねえし、万吉ってえ事もありえるし、堅気(かたぎ)の衆の仕業かもしれねえ。どっちにしろ、お常を引っ張り込んだんは真っ昼間だ。手籠(てご)めにして殺したにしろ、死体を捨てたんは夜になってからに違えねえ。河原に人気がねえとはいえ、対岸は平塚河岸だ。船も通ってたんべえからな」

「下手人はその小屋で夜になるのをずっと待ってたって言うんですか」

「小屋ん中で待ってたかどうかは知らん。死体をそのままにしといて、夜になってから捨てに来たんかもしれねえ」

「どうして、着物を脱がせたんでしょう」

「後で売るつもりだったんじゃアねえのかい。しかし、質屋に持ってきゃア面を見られる。危険を犯すのを恐れて、そのまま、石の下に隠したってえとこじゃねえか」

「今頃ア伊三郎の奴がお常の土左衛門(どざえもん)(水死体)を見つけたかもしれねえな」と忠次は苦笑した。「奴の手柄がまた一つ増える事になりそうだ」

「ちょっといいですか」と久次郎が口を挟んだ。

「何だ」と忠次が久次郎を見た。

「その着物の事なんですけど、見つけたんは新八です。前の日の夕方、土手まで行ったけど、その日は河原には下りずに帰って、次の日の朝、着物は発見された。新八が夜になって着物を隠したとは考えられませんか」

「どうして、そんな事をするんでえ」

「俺の考えなんですけど、新八はどっかの隠れ家でお常と逢い引きした。そこで何があったんかは知らねえが、お常が死んじめえます。どうしたらいいかわからねえうちに、お常がいねえと大騒ぎになっちまった。幸い、自分がお常捜しに命じられたんで隠れ家には近づかねえようにしてたけど、だんだんとやばくなって来て、みんなの視線を河原に向けるために着物を河原の小屋に隠した。伊三郎の子分たちが河原を捜してる隙に、新八はどっかに死体を片付けるってえのはどうだんべえ」

「うーむ」と忠次は唸りながら円蔵を見た。

「ありえねえ事もねえが、どうして、そんな風に考えたんだ」と円蔵は久次郎に聞いた。

「やはり、中瀬のしんさんです。お常がしんさんに会うために中瀬に行ったのは事実です。そして、お常がしんさんの事を好きだったのも事実です。しんさんとの事を友達に隠してたにしろ、お常は嬉しくて、その事を言いたかったに違えありません。でも、しんさんからは口止めされてる。それでも、お常は何も言わずにゃアいられなくて、去年の暮れ、お菊とお海にしんさんてえ名を告げてます。お常は謎を掛けたんです。誰だか当ててみろってえ感じで、しんさんの名を出したんだと思います。多分、しんさんてえなアお菊とお海の二人が知ってる誰かです。そして、行方知れずになる日、大黒屋のおとしに中瀬のしんさんとこに行くと言います。中瀬を付けたんは、ただ、中瀬で会うから付けただけじゃねえかと思うんです。お常は面食いだそうです。今まで、お常がいい仲になったんは、お海の兄の勇吉、研師の音吉、そして、しんさんです。勇吉も音吉もいい男と言えるだんべ。お海たちが言うには魚屋の伸吉よりゃア新八の方がいい男だそうです。浅の話だと人足の新作もいい男たア言えねえ。そうなるとやっぱり、新八ってえ事になります。それに小屋で見つかったってえお常の着物です。さも見つけてくれって言わんばかりに石の下に隠しとくってえのが、何となく妙に思えるんです。掘っ建て小屋ん中で、お常を殺して、死体(してえ)を川に捨てた奴が、死体から剥がした着物をその場に隠しとくなんてするだんべえか。質屋に持ってこうとして着物を剥がしたけど顔を見られるんが怖くなってやめたとしたら、着物も川に流すんが普通じゃねえですか」

「そう言われてみりゃア、久の言う通りだな」と忠次はうなづいた。「わざわざ、死体から着物を剥がした奴がそんなとこに着物を隠すなんておかしいな。死体を川に捨てた奴が現場に着物を残したりするわけがねえ」

「そうなんです。お常を手籠めにして、誤って殺しちまい、恐ろしくなって、死体をそのままにして逃げてったってえのならわかりますが、死体を川に投げ捨て、何事もなかったかのように装おうとしてた奴が現場に着物を隠すなんて不自然です。現場は別んとこで、みんなの目を河原に引き付けるために、わざと小屋ん中に着物を隠したんじゃアねえでしょうか」

「でも、新八は昨日の夜、うちから一歩も出ちゃアいませんよ」と浅次郎が言った。

「絶対に出なかったと言えるか」久次郎は強い口調で聞いた。

「それは‥‥‥裏口からこっそり出てったとすりゃアわかりませんけど」

「考えられん事もねえが‥‥‥」と円蔵が腕を組んだ。「おめえの言う通りだと、新八はお常の死体をどっかに隠してるってえ事んなるぞ。七日に死んだとして、今日は十一日だ。もう四日も経ってる。四日も死体を隠しとくかのう。お常がいなくなったと騒ぎ出したんは九日だ。騒ぎ出す前に片付けるってえのが普通じゃねえのか」

「確かに軍師の言う通りだぜ」と忠次も言った。「いくら惚れてた女にしろ、死んじまった女をいつまでも隠してるたア思えねえ」

「しかし‥‥‥」と言ったきり、久次郎は口ごもった。

「中瀬のしんさんが新八だったにしろ、お常を殺ったんは別の野郎だと考えた方がいいんじゃねえのか」と円蔵は言った。「確かに着物の件はおかしいが、おめえの考え過ぎじゃアねえのか。ほとぼりが冷めるまで着物を隠してただけかもしれねえ。どうせ、お常の死体が上がるんは下流の方だ。死体が見つかりゃア、その小屋に隠しといた着物なんか見つかるめえと思ったんじゃねえのか。まあ、お常の死体が利根川じゃなく、別んとこで見つかったとしたら、おめえの言う通り、新八の線も考えられるがな。だが、親分、新八の奴ア調べ直した方がいいな。奴が(から)んでたら、伊三郎の弱みを握る事ができるからな」

「そうだな」と忠次はうなづいた。「確かな決め手を握る事ができりゃア、伊三郎を境から追い出す事ができるかもしれねえ。明日、鹿安(しかやす)(しげ)は中瀬に行って、新八の野郎を見張ってくれ。ただし、無茶はするなよ。伊三郎に捕まったら、お常殺しの下手人にされるかもしれねえからな」

「へい、気を付けます」

「久、おめえは明日、賭場の方はいいから、魚屋のしんさんとかを頼むぜ」

「へい」

「ところで、おめえ、例の色っぺえ後家(ごけ)とは別れたんかい」

 忠次の予想外の質問に久次郎は驚いたが、その件はすでに解決していた。

「去年の暮れにちゃんと別れましたよ」とはっきりと答えた。

「そうか、そんならいいんだけどな、おめえが五月屋の娘と町中をウロウロしてるって評判が立ってるぜ」

「それは、お政がお常の事を心配して、色々と手伝ってくれるだけです」

「そうかい。相手は素人娘だ。泣かすような事をすんじゃねえぞ」

「わかってますよ」と久次郎は頭を下げた。






嗚呼美女六斬の創作ノート

1.登場人物一覧 2.境宿の図 3.「佐波伊勢崎史帖」より 4.「境町史」より 5.「境町織間本陣」より 6.岩鼻陣屋と関東取締出役 7.「江戸の犯罪と刑罰」より 8.「境町人物伝」より 9.国定一家 10.国定忠次の年表 11.日光の円蔵の略歴 12.島村の伊三郎の略歴 13.三ツ木の文蔵の略歴 14.保泉の久次郎の略歴 15.歌川貞利の略歴 16.歌川貞利の作品 17.艶本一覧




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