酔雲庵


国定忠次外伝・嗚呼美女六斬(ああびじょむざん)

井野酔雲





8.野州無宿の馬吉




 次の日、たまたま木崎宿にいた関東取締出役の吉田左五郎が道案内の吉十郎(きちじゅうろう)を連れて境宿にやって来た。お常の死体を検分して、町役人たちから事情を聞くと本陣に腰を落ち着けた。やがて、伊三郎が貞利を連れてやって来た。

 左五郎は事件の関係者を集めて話を聞いた後、死体の発見現場を見て回った。桐屋で昼飯を食べると駕籠(かご)に乗って、伊三郎たちと一緒に中瀬の方に向かって行った。

 彦六と助次郎はその日も、お常の左手を捜し回っていたが見つける事はできなかった。

 久次郎は浅次郎、安次郎、茂八を連れて、中瀬より上流にある島村、武州の横瀬(よこぜ)村、宮戸(みやど)村で、一人で操れる小舟を持っている者たちを徹底的に調べていた。

 昨日、浅次郎は木崎に行って、新八と徳次郎が七日の晩に女郎屋に上がったかどうかを調べた。新八は確かに甲州から来たという客人を連れて武蔵屋に上がった。しかし、泊まる事はなく、用があると言って(よい)五つ(午後八時)頃、一人で帰って行ったという。浅次郎はその後の新八の行方も調べたがわからなかった。徳次郎の方はいつもの仲間と一緒に小浜屋に泊まっていた。夜遅くまで、派手に騒いでいたらしい。自分と同い年の若造が湯水のように銭を使っていると浅次郎は腹を立てていた。

 やはり、新八は怪しいと久次郎は思ったが、昨日、朝早くから新八を見張っていた安次郎と茂八の話によると新八は朝五つ(午前八時)頃から伊三郎の子分を引き連れて、利根川に向かい、お常の死体が発見されたと知らせが来る昼過ぎまでずっと、お常を捜し回っていたという。安次郎と茂八が島村の新八の家に着いたのが六つ半(午前七時)頃だったので、それ以前に死体を境まで持って行ったとも考えられるが、あの新八がわざわざ、そんな面倒臭い事をするとは思えなかった。

 島村は北と南を利根川に挟まれた細長い島の中にある。南側の利根川は国境になっていて、川を渡れば武州横瀬村だった。横瀬村の東が中瀬村である。中瀬にある死体を境に運ぶには、島村から利根川を渡って中瀬に行き、バラバラにした死体を舟に積んで、再び、利根川を渡って平塚に行き、死体を荷車に積み直して、境に行かなければならない。昼間ならともかく、夜になって、舟を持っていない新八がそう簡単に死体の移動ができるとは思えなかった。

 下手人は中瀬より上流に住み、舟を持っている船頭か漁師に違いないと久次郎は睨んでいた。伊三郎の子分たちは相変わらず、中瀬村を捜し回っているので、手柄はこっちのものだと密かに笑った。

 その日は久次郎も伊三郎も下手人(げしゅにん)を捜し出す事はできなかった。

 次の日も久次郎たちは朝早くから島村近辺を捜し回ったが下手人らしき者は見つからない。横瀬村、島村と片っ端から捜し回った久次郎たちは利根川を渡って平塚に移った。平塚も中瀬よりもやや上流だった。案外、下手人は平塚にいて、中瀬を捜し回っている者たちを笑いながら眺めているのかもしれないと舟を持っている怪しい奴を捜し回ったが、なかなか見つからなかった。

 夕方近くになって、伊三郎が中瀬で下手人を捕まえたという噂が広まった。久次郎たちは驚き、渡し場まで行くと中瀬から来た者から噂の真相を確かめた。

 下手人は中瀬河岸の人足だったという。その人足は博奕好きで年中、境の賭場に通っていて、お常に目を付け、密かに付け回していた。お常の家を覗いたり、時には家に忍び込んで、お常の持ち物を盗んだりもしていたらしい。人足長屋から、お常の(くし)が出て来たのが決め手となって捕まった。下手人は舟で前島河岸に渡って、関東取締出役がいる木崎宿に連れて行かれたという。何という名の人足なのか知りたかったが、そこまで知っている者はいなかった。ただ、この捕物には浮世絵師の貞利の活躍があったらしかった。

 久次郎たちは伊三郎に先を越され、腹を立てながら引き上げた。

 境宿でも伊三郎が下手人を捕まえた事が噂になっていて、さすが、島村の親分だと騒いでいた。お政たちもこれで安心して出歩けると喜んでいた。

「でも、あたし、どこかに行く時は必ず、久次さんに声を掛ける事にするわ」お政は甘えるような声で久次郎に言った。

「おう、任せておけ」久次郎は嬉しそうに胸をたたいた。

 下手人を捕まえる事はできなかったが、お政と知り合えたのはよかった。それだけでも充分じゃねえかと自分に言い聞かせた。

 百々村に帰ると、「伊三郎にやられたらしいな」と円蔵が久次郎を見て苦笑した。

 久次郎は悔しそうな顔をして、「へい」とうなづいた。

「下手人は人足だったそうだが、どんな野郎だったんでえ」

「それがよくわからねえんです。新作じゃなかったようですが、一体、誰だったのか、詳しい事はわかりません」

「そうか‥‥‥おめえが調べてた船頭の方はどうだったんでえ」

「駄目でした。下手人は舟を使ったに違えねえと睨んだんですが、どうも、怪しいような奴は見つかりませんでした」

「伊三郎が捕まえた野郎はお常の櫛を持ってたってえ噂だからな、本星なのかもしれねえ。殺しの現場が中瀬じゃアどうしようもねえ」

「へい、伊三郎のシマ内じゃア好きに動けませんから」

 円蔵はうなづき、「それにしても、やけに速かったな。死体が見つかる前に目串(めぐし)を付けてたとみえるな」と言った。

「へい」と久次郎は言って、「噂によると平塚の先生が活躍したとか」と付け足した。

「へえ、奴がかい。伊三郎と一緒に動き回ってたらしいな。お常の事をまた、艶本(えほん)にでもするつもりだんべ」

「そうか‥‥‥そうに違えねえ。お常の事を艶本にしたら売れる事、間違えねえや」

「絵の腕は(てえ)したもんだ。伊三郎にくっついてんのは気に入らねえがな」

「ええ、でも、いい奴みてえですよ」

「お辰が(つぼ)を振ってるとこを錦絵にして、正月に配ったら、いい宣伝になると考えたんだがな。伊三郎の奴が邪魔するだんべえな」

「お辰の美人絵か、いいですねえ。伊三郎に内緒に頼んだらどうです。先生は描いてくれって言われりゃア描いてやるって言ってましたよ」

「そうか。おめえ、今度、先生に会ったら、それとなく頼んでみてくんねえか」

「へい、わかりやした」

 次の日、お常の身内とお常と親しかったお菊、お海、お政、おとしが木崎宿に呼ばれた。お政に頼まれて、久次郎が付き添って行った。久次郎は下手人に会う事はできなかったが、みんなから話を聞いて、大体の事はわかった。

 下手人は浅次郎が話を聞いた三人の人足の中の一人、馬吉(うまきち)だった。馬吉は野州(やしゅう)(栃木県)生まれで、二年前に中瀬河岸に流れて来た。博奕好きで、境の大黒屋の賭場に始終、出入りしていた。去年の春、お常を見初め、それ以来、密かにお常を付け回していた。お政とおとしは見た事なかったが、お菊とお海は馬吉の顔を何度か見ていた。お常の家の回りをウロウロしていたり、お常、お菊、お海の三人が貞利の家に遊びに行った時、後を付けて来た事もあった。お海が怒って、あっちに行けと言うとコソコソと逃げて行ったという。

図体(ずうたい)ばっかり大きくて、目付きも悪いけど、気の小さい、くだらない男よ」とお海が吐き捨てるように言った。

「そいつが本当に下手人なのか」と久次郎が聞くと、

「そんなの決まってるじゃない」とお菊が憎々しげに言った。「あの馬鹿力でお常ちゃんをあんな風にしちゃったのよ。あの気違いが」

「奴はやはり、気違えだったのか」

「ちょっと目付きが変だったわ。大分、痛め付けられたみたいだったけど」

「そうか‥‥‥お常の櫛を持ってたって」

「持ってたわ。でも、あの櫛はお常ちゃんが去年、なくした物なのよ」とお菊は不思議そうな顔をした。「あれは音吉つぁんからもらった櫛でね、あの美人絵を描かれた時も付けてたの。でも、去年のお祭りの時だったかな、どこかに落としちゃったって騒いでたのよ」

「落としたのか」

「そう言ってたけど」

「それじゃア、奴はその櫛を拾っただけなのか」

「そうかもしれないけど、お腰は盗んだのよ」お海が顔をしかめて言った。

「何だと、野郎はお常の湯文字(ゆもじ)を盗んでたのか」

「そうよ。行水(ぎょうずい)してたら盗まれたって、いつか言ってたわ。それを持ってたのよ、あの男。きっと、お常ちゃんが行水してるの隠れて覗いてたんだわ。いやらしい」

「お常ちゃんのだけじゃないのよ」とお菊が言った。「誰のだか知らないけど何枚も持ってたわ」

「何て野郎だ。変態に違えねえ」

「気違いよ。あんな奴に殺されちゃったなんて、お常ちゃん、可哀想‥‥‥」

「苦しかったでしょうね」とおとしがしみじみと言った。

「しかし、よく捕めえたもんだな」

「平塚の先生がね、人足たちを調べた時、目を付けてたんですって」とお政が説明した。

「あの男、お常ちゃんがいるかもしれないって、先生のうちも時々、覗いてたらしいの。最初に見た時、すぐにわかったそうよ。でも、その時はしんさんを捜してたから、馬吉じゃアどう考えても違うって、ちょっと話をしただけだったらしいわ。お常ちゃんの後を付けたりしてたのは馬吉だけじゃなかったから、別に気にも止めなかったみたい。その後、着物が見つかって、先生は島村の親分に任せて手を引いちゃったでしょ。そして、死体が見つかって、もう一度、調べ直した時、馬吉の事が気になって色々と調べたら、お常ちゃんの櫛とかお腰とか出て来たんですって。さすが、先生よ。島村の親分も今回の捕物は先生の大手柄だって言ってたわ」

「成程な。その馬吉とやらが死体の見つかった十二日の午前、境に行った事は確かなのか」

「本人は行ってないって言い張ってるらしいわ。前の日の夕方、木崎に来て、十二日の昼過ぎまで、ずっと遊んでたって言ってるの。でも、木崎中を調べたけど賭場には顔を出してないし、旅籠屋にも馬吉が来たという形跡は見つからなかったんですって」

「お常がいなくなった七日はどうなんだ」

「七日の日はずっと境の大黒屋の賭場にいたって言うんだけど、それも嘘みたい。彦六さんの話だと馬吉は確かに大黒屋に来たけど、昼前にちょこっと顔を出しただけで、すぐにいなくなっちゃったんだって。きっと、お常ちゃんの後を付けてったのよ。そして、中瀬で捕まえて殺しちゃったのよ」

「殺した現場は見つかったのか」

「さあ、そこまでは聞いてないけど、先生が見つけたんじゃないの」

 それから二日後、馬吉は唐丸籠(とうまるかご)の乗せられて江戸に送られた。その次の日、久次郎はお政たちと一緒に平塚に帰った貞利を訪ねて、事件の経過を詳しく聞いた。

 馬吉は七日、朝早くから境宿に行き、市場をブラブラしてから大黒屋の賭場に行った。大した銭も持ってなく、銭をすってしまうと大黒屋を出て、お常の家の回りをウロウロしていた。するとお常が出て来たので、こっそりと後を付けた。

 お常が貞利の家に寄った時、貞利はチラッと馬吉の顔を見た。貞利が追い払おうとしたら、コソコソと逃げてしまった。しかし、馬吉はどこかに隠れていて、貞利の家から出て来たお常の後を追って利根川を渡った。

 舟頭は馬吉の事を覚えていた。お常が渡ってからすぐに来て、早く渡してくれと言ったが舟頭は断り、客が五人になるまで待たせていたという。お常を見失ってしまい、気落ちして河岸に帰ろうとしたが、土手でしんさんを待っていたお常を見つけ、回りに誰もいなかったので、お常に襲い掛かって気絶させ、例の小屋に運んで手籠(てご)めにしたに違いない。その時、お常が島村の親分に訴えてやるとでも言ったんだろう。馬吉はそのまま帰すわけには行かなくなり、お常の着物を脱がせて、裸にして縛っておいた。きっと、逃げられないように裸にしたのだろう。

 夜になって、馬吉はやって来て、お常を連れ去った。多分、小舟を使って移動したと思われる。その時、着物を持って行かなかったのは着物からお常の正体がばれるのを恐れたのかもしれない。馬吉はお常を殺して利根川に捨てるつもりだったに違いない。土左衛門が上がっても、着物を着ていなければ誰だかわからないだろうと思ったらしい。しかし、馬吉はすぐにお常を利根川に捨てなかった。

 中瀬の対岸、平塚のはずれに古い空き家がポツンと一軒だけある。なぜか、馬吉はその事を知っていて、お常をそこに連れ込んだ。馬吉はそこでお常の両手両足を縛って、手籠めにしたり、傷つけたりして楽しんでいた。お常がいなくなったと騒ぎ出し、新八と貞利が中瀬中を捜し回っていたが、平塚なら大丈夫だと安心していた。ところが、十一日の朝、お常の着物が発見されて、伊三郎の子分たちが利根川の捜索を始めた。

 馬吉は見つかる事を恐れて、お常を殺した。死体を利根川に捨てようと思ったが、伊三郎の子分たちがいてできなかった。そのままにして逃げようと思ったが、空き家の近くで顔を見られた事を心配した。次の日が境の市の立つ日だと気づいた馬吉は、お常をバラバラにして、荷車に乗せ、死体をばらまいた。これで、絶対に見つかるはずがないと安心していたら、伊三郎と一緒に貞利が下手人を追っていたため、何もかもばれてしまった。

「その空き家にはお常を殺した形跡はあったんですか」と久次郎は貞利に聞いた。

「いや、血の跡とかは見つからなかった。多分、処分しちまったんだろう」

「でも、殺してからとはいえ、あんなにバラバラにすりゃア、相当な血が出るでしょう」

「うちん中じゃなく、庭でバラバラにしたのかもしれねえ。この前の雨で、血はすっかり流れちまったのかもしれん」

「そうですか‥‥‥そこにお常がいたってえ形跡はあったんですか」

(かんざし)が落ちていた。馬吉の奴も櫛は処分したらしいが、簪を一本、見落としちまったようだな。その簪は間違いなく、お常の物だった。行方知れずになった日、髪に差してたのを身内の者も大黒屋のおとしも確認している。俺もその日、会ったんだが、残念ながら簪までは覚えていなかった」

「そうでしたか。それにしても、早く、下手人が見つかってよかった。あんな気違えがウロウロしてたら、みんなが安心して出歩く事もできませんでした」

「ほんとよ」とお政たちもうなづき合った。

「お常の死体が見つかったと聞いた時は、とんだ事をしてしまったと後悔したよ」と貞利は言った。

 えっと言うように、久次郎たちは貞利を見た。

「俺がお常の絵を描いたばっかりにこんな事になっちまった。俺の責任かもしれねえってな。人足たちの部屋に行った時、お常を初めとした『美人例幣使道』の絵が壁に貼ってあるのを見てな、ますます責任を感じたぜ」

「馬吉の部屋にも貼ってあったんですか」

「ああ、あった」

「櫛とか湯文字とか、どうやって見つけたんですか」

「馬吉から話を聞いてる時、何かを隠してるなって感じたんだ。やたらと部屋の隅の方を気にしてたんでな、何かあるなと敷いてあった茣蓙(ござ)をめくってみると床板(ゆかいた)がはがれるようになっていて、中に木箱が隠してあったってえわけだ。色んな物が入ってたぜ。櫛や簪、使いかけの白粉(おしろい)や匂い袋、湯文字も何枚かあったな。そん中に見覚えのあるお常の櫛があったんだ」

「馬吉は前にもあんなひでえ事をやった事があったんですか」

「島村の親分が問い詰めたら、以前、野州で娘を手籠めにしたらしい。本人は違うって言い張ってるが、その事で無宿者(むしゅくもん)にされて村から追い出されたようだからな、ひでえ事をやったんだろう」

 一件落着だった。

 馬吉がお常を付け回していた事を知っていた貞利だからこそ、馬吉を捕まえる事ができた。もし、伊三郎が貞利を連れていなかったら、まだ、下手人は捕まらなかっただろう。まさしく、今回の事件は貞利の大手柄だった。伊三郎ではなく、貞利の手柄だった事に久次郎は幾分、満足していた。






嗚呼美女六斬の創作ノート

1.登場人物一覧 2.境宿の図 3.「佐波伊勢崎史帖」より 4.「境町史」より 5.「境町織間本陣」より 6.岩鼻陣屋と関東取締出役 7.「江戸の犯罪と刑罰」より 8.「境町人物伝」より 9.国定一家 10.国定忠次の年表 11.日光の円蔵の略歴 12.島村の伊三郎の略歴 13.三ツ木の文蔵の略歴 14.保泉の久次郎の略歴 15.歌川貞利の略歴 16.歌川貞利の作品 17.艶本一覧




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