酔雲庵


国定忠次外伝・嗚呼美女六斬(ああびじょむざん)

井野酔雲





第二部  境七小町




1.湊屋のお八重




 悲惨な事件から二年が過ぎた。

 島村の伊三郎を殺して国越えしていた百々(どうどう)一家の忠次親分も旅から帰って来て、境宿は以前よりも増して賑わっていた。境宿すべてを取り戻した忠次は堅気(かたぎ)の衆たちの面倒をよく見て、あの事件以来、大した問題も起こさず、縄張りを守って来た。

 忠次の子分、保泉(ほずみ)村の久次郎は五月屋のお政と別れた後、女(つぼ)振りのお紺とうまくやっていた。お政の方は久次郎と別れた後、研師(とぎし)の音吉と仲良くなったが、音吉が井筒(いづつ)屋のおゆみとちょくちょく会っているので、ついに別れ、最近になって久次郎の弟分、下植木(しもうえき)村の浅次郎と付き合い始めていた。

 嫁に行った娘たちも多い。『尾張屋』のお海は武士(たけし)村の富農に嫁ぎ、『大黒屋』のおとしは島村の養蚕長者(ようさんちょうじゃ)に嫁ぎ、『佐野屋』のお菊はお海の兄、勇吉と一緒になって髪結床(かみゆいどこ)を手伝っている。『村田屋』のおたかは伊勢崎の商家に嫁ぎ、『銭屋』のお美奈は久次郎の弟分、神崎(かんざき)の友五郎のかみさんになっていた。民五郎とお栄は久次郎たち同様にうまく行かなかった。民五郎と別れたお栄は女髪結師になって、木崎宿まで出張して飯盛女たちの髪を結っていた。

 浮世絵師の貞利は相変わらず、娘たちにキャーキャー騒がれている。去年の正月、『嗚呼美女六斬』を売り出して正月の話題をさらい、四月には忠次に頼まれて、百々一家の三人の女壷振りを美人絵に描き、『境三美人図』と題して売り出した。吉祥天(きっしょうてん)のお辰、観音のお紺、羽衣(はごろも)のお藤と三人の(いき)な女たちの絵は男たちはもとより娘たちも競って買った。

 江戸の盛り場に詳しい貞利が三人を粋な深川芸者のように描いたため、娘たちがこぞって、その格好を真似したのだった。勿論、深川の芸者なんか見た事もない三人も貞利から髪形から着物の着こなし、歩き方まで習って、境宿を気取って歩いていた。

 今年の正月は境宿の素人(しろうと)娘七人を美人絵にした『境七小町』と前年に続いて玉村宿の女郎を描いた『当世玉村美人』、さらに、武州深谷宿の女郎を描いた『深谷美人八景』を売り出した。

 『境七小町』は桃中(とうちゅう)の旦那を中心とした風流仲間が提案して、忠次が留守だったので、円蔵が後援となって貞利に頼んだ。お常の事があったので、貞利はいい返事をしなかった。絵に描かれた娘たちが男たちに追い回され、また、いやな事件が起こるかもしれないと躊躇(ちゅうちょ)した。しかし、馬吉はもう捕まったし、あんな気違いがそういるはずはない。以前と違って、百々一家としても宿場全体に気を配れるから、何事も起こらないようにすると円蔵が約束したので、貞利も重い腰を上げて引き受ける事となった。

 選ばれたのは、

 一、料理茶屋『桐屋』の娘、お(くめ)

 二、煙草(たばこ)屋『越後屋』の娘、お奈々。

 三、商人宿『(たちばな)屋』の娘、お関。

 四、太物(ふともの)屋『井筒屋』の娘、おゆみ。

 五、干菓子(ひがし)屋『(おきな)屋』の娘、お通。

 六、煙管(きせる)屋『村田屋』の娘、おしん。

 七、建具(たてぐ)屋『五月屋』の娘、お政。

 お政はもう若くはないからと遠慮したが、誰もがお政の美しさを認めたため、照れながらも喜んで引き受けた。

 売り出された『境七小町』は評判がよく、あっという間に売れ切れた。錦絵(にしきえ)を手にした若い者たちが本人を見ようと押し寄せ、小町たちは正月一杯は家から出られない有り様だった。二月になると、その騒ぎも治まって、小町たちも出歩けるようになって来たが、市の立つ日は見物人の絶える事はなかった。忠次は何事も起こらないように、子分たちにそれとなく、小町たちを見守らせた。それが縁で、音吉と別れたお政は浅次郎と仲良くなった。

 美人絵だけでなく、勿論、艶本(えほん)も売り出した。誰もが期待していたが、『嗚々利根無常(おおとねむじょう)』と題した艶本はそれ程の反響もなかった。

 忠次が伊三郎を殺した後の島村一家の内部抗争を題材にしたもので、抗争に巻き込まれて殺された平塚の留五郎の(めかけ)、お筆、中島の長平の娘、お伊代、小島の彦六の妾、お(みき)の三人を中心にして、事件の経過を描いていた。やはり、強姦(ごうかん)輪姦(りんかん)、首を切られたり、臓腑(はらわた)が飛び出したりと残酷な場面の多い艶本だったが、内容が渡世人(とせいにん)の世界の事で、取り上げた女たちも誰もが知っている女ではなかったので、大いに売れるというわけには行かず、貞利も、もう残酷絵はやめると言っていた。

 お常の事件の時、貞利と一緒にお常を捜していた島村の新八は島村一家の内部抗争の後、足を洗って境宿で絵草紙(えぞうし)屋を始めていた。『(かり)屋』と号して、貞利の作品を中心に江戸で評判になった錦絵も仕入れて売っている。上州ではなかなか手に入らない艶本も、江戸から仕入れているので旦那衆たちから喜ばれていた。

 お常の事もようやく、忘れ掛けていた頃、玉村宿で恐ろしい事件が起こった。お常の三回忌も近い二月の二十二日の事だった。

 貞利の『当世玉村美人』に描かれた(みなと)屋の飯盛(めしもり)女、お八重がバラバラ死体となって発見されたのだった。二年前のお常の事件そっくりにバラバラになった両手両足、生首が宿場のあちこちで見つかった。ただし、胴体だけは血の海と化した旅籠屋の一室に置きっ放しになっていた。

 関東取締出役の道案内を勤める玉村の佐重郎親分が下手人を捜し回っていたが、なかなか捕まえる事はできなかった。

 旅籠屋の者たちに聞くと、その晩のお八重の客は去年の十一月に初めて来て、今回が二度目の近江(滋賀県)から来た呉服屋の番頭だという。宿帳を改めると、確かに、近江の国、えびす屋の番頭、万五郎と書いてある。しかし、旅籠屋の者たちの話では、(しゃべ)り方は上方(かみがた)言葉というよりは上州弁で、どうも(うそ)臭いような気がするとの事だった。

 お八重を斬った凶器は(なた)のような物と推定された。荷物の中に隠し持っていたに違いない。下手人は夜中にお八重を殺し、生首と両手両足を持って、まだ暗いうちに旅籠屋を出て、あちこちにばらまいて姿を消したに違いない。夜中から朝にかけて、下手人らしき者を見た者はいなかった。

 佐重郎が他の旅籠屋を当たってみると、その男はえびす屋の番頭を名乗って、去年の春頃から一月に一度、必ず現れ、貞利が描いた女郎たちを揚げていた。しかし、その男が取り引きをしている商家はなかった。

 関東取締出役の役人が玉村にやって来て、佐重郎から事情を聞き、人相書を描いて関東一円に手配した。佐重郎は下手人が伊勢崎や境や藤岡の絹市に行く途中、玉村に寄ったのかもしれないと、子分たちに人相書を持たせて調べさせたが、その男を知っている者はいなかった。たまたま、近江から来ていた行商人(ぎょうしょうにん)が伊勢崎の呉服屋にいたので、えびす屋の事を聞いてみると、そんな呉服屋は聞いた事がないと言う。

 下手人が近江の者でないとすれば、玉村近在の者に違いない。二年前のお常のバラバラ殺人を知っている者か、貞利の『嗚呼美女六斬』を見た者に違いない。そして、下手人は計画的に去年の春から、近江の行商人に扮して、あちこちの旅籠屋に上がって下見をし、死体を捨てる場所も確認してから犯行におよんだに違いないと佐重郎は睨んだ。

 佐重郎は『嗚呼美女六斬』を売り出した高崎の版元(はんもと)に行き、(おろし)先を調べて、子分たちに人相書を持たせ絵草紙屋や貸本屋を洗わせた。下手人はすぐに捕まるだろうと思っていたが、『嗚呼美女六斬』を買った者、あるいは借りた者の中から下手人を捜し出す事はできなかった。

 女郎たちは恐れ、玉村宿の女郎屋は勿論の事、木崎宿でも警戒して、客の荷物を調べてから客を揚げるようになった。

 境宿でも玉村のバラバラ殺人事件の噂は女たちを脅えさせ、暗くなってから出歩く者はいなかった。誰もが二年前のお常の事を思い出して、あの馬吉が戻って来たのではとささやき合った。しかし、馬吉が江戸で首を斬られ小塚原(こづかっぱら)(さら)されたのは紛れもない事実だった。皆、その事は百も承知でも、あんな(むご)い事をするのは馬吉以外にはいないと思いたかった。

 そんな時、貞利に描かれた『境七小町』の中の一人がいなくなった。

 桜が満開に咲き誇り、下町の諏訪明神では花見客が賑わっていた三月四日の夕方、久次郎はお紺と一緒に上町にあるおりんの居酒屋で飲んでいた。円蔵の妻、弁天のおりんは三十路(みそじ)(三十歳)になり、もう人前で壷を振るのは恥ずかしいと去年の春から壷振りを引退して居酒屋を始めていた。

「やだねえ。まだ捕まらないらしいよ、玉村の下手人は」とおりんが顔をしかめて言った。

 桜は満開でも陽気にはなれなかった。下手人が捕まらない限り、女たちは安心して出歩く事もできない。まして、貞利に描かれた七人の小町や三人の女壷振りは、もっとも下手人に狙われる可能性が高かった。

「下手人はきっと、平塚の先生の本を見て真似したのよ」とお紺も顔をしかめた。「まったく、どうかしてるわね、あんなひどい事を真似するなんて。そういえば、去年の今頃、世良田(せらだ)の器量よしがいなくなったって騒いでたけど、あの()、あれ以来、見つからないんでしょ。もしかしたら、あれも今度の下手人の仕業じゃないの。お常の時も丁度、今頃だったんでしょ。桜の咲く頃ってどうして、こう気違いが出て来るのかしら」

「お紺ちゃんも気を付けなさいよ」とおりんは心配するが、

「あたしは大丈夫よ」とお紺は平気な顔で言う。「どうせ、あんな事をする奴なんて気の小さい、くだらない男よ。百々一家のあたしに手を出す程の度胸なんてないわ」

「なら、いいんだけどね。久次さん、お紺ちゃんをしっかり守らなくちゃ駄目よ」

「わかってますよ」と久次郎は酒を飲むとうなづいた。「うちの三人より、やっぱり、七小町の方が心配ですよ。お常の時みてえに、男どもが目の色を変えて追っかけ回してますからね」

「何でも、下手人は旅の行商人に化けてるっていうから、知らない人には近づかないように注意した方がいいわよ」

「そいつア大丈夫です。浅の野郎がお政たちにうるせえくれえに言ってます」

「お政ちゃんに言えば大丈夫ね。一番、年長だし、みんなにちゃんと言ってくれるわね」

「でもなア、一人だけ、言う事を聞かねえのがいますよ」久次郎は困ったような顔をして首を振った。

「おゆみちゃんでしょ」とおりんは笑った。「あの娘は大した娘だわ。男たちを手玉に取ってるようね。でも、先月、音吉つぁんと別れてから何となく元気ないわ。色んな男と付き合ってたけど、結局、音吉つぁんが一番好きだったのかしら」

「へえ、音吉はおゆみと別れたのか‥‥‥」

「音吉つぁんも遊び人だったけど、ようやく、お粂ちゃんと身を固める決心をしたみたいね」

「お粂はしっかりしてるからな、音吉の女房にゃア丁度いいかもしれねえ」

「そういえば、角次さんがもうすぐ帰って来るそうじゃない。昨日、お関ちゃんに、その事を言ってやったら飛び上がって喜んでたわ。あの娘はほんとに角次さんに惚れてるようよ。大勢の男たちが言い寄って来ても、みんな追い払って、ただ、ひたすら、角次さんの帰りを待ってるわ」

「角次の方もずっと、お関の事が好きだったからな、二人の仲がうまく行きゃアいいな」

「きっと、うまく行くわよ」とお紺が大丈夫というように笑った。

「あんたたちはどうなのよ。そろそろ身を固めた方がいいんじゃないの」おりんは久次郎とお紺の顔を見比べた。

「俺はそう願ってんだがな」と久次郎はお紺の顔を見る。「こいつアもうちっと壷を振っていてえらしい」

「そうか、お紺ちゃんは中途半端な事が嫌いだったわね。久次さんのおかみさんになるには壷振りをやめなくちゃならないか」

「はい。壷振りをやりながら、おかみさんになるんはいやなんです」

「お紺ちゃんが決心を固めるまで待ってやるのね。あんたなら待てるでしょ」

「ええ」と苦笑しながら、久次郎はうなづいた。

 その時、入り口の戸が開いて、客が店の中を覗いた。商人宿『橘屋』の番頭、梅吉だった。梅吉は久次郎に白髪頭を下げると、「あのう、すんません。ちょっと‥‥‥」とおどおどしながら声を掛けた。

「あら、梅さん、どうしたの。まあ、入んなさいよ」とおりんが笑顔で迎えた。

「へい、すんません」梅吉はまた頭を下げると入って来た。

「どうした。泊まり客が何か問題でも起こしたんか」と久次郎は聞いた。

「いえ、そうじゃねえんで。実はこいつアまだ内緒にしてもらいてえんですが、あの‥‥」

一体(いってえ)、どうしたんでえ」

「へい、実はお嬢さんがいなくなっちまったんで」

「お嬢さんてえのは、お関の事か」

「へい」と言って、梅吉はうなだれた。

「どういうこった、詳しく話してみろ」

 梅吉の話によると、今日の昼頃、見た事もない女が橘屋にやって来て、お関を呼んでくれと言ってきた。女中がお関を呼びに行って、女はお関の耳元で何事か言ったらしい。その後、お関はその女と一緒に出て行った。どこに行ったのか、それ以来、戻って来ないという。まだ日が暮れたばかりだから、そのうち帰って来るかもしれないが、玉村の事もあるので両親は心配している。しかし、こんな時期に捜し回ったら大騒ぎになるのはわかっているので両親としてはどうする事もできずに、ただ帰って来るのをじっと待っている。梅吉はいたたまれず、ここにやって来たという。

「すんませんが、内緒で捜してほしいんです」と梅吉は申し訳なさそうに言った。

「内緒と言ってもなア、もう日は暮れちまったし、提灯(ちょうちん)ぶら下げてウロウロしてたら誰もが怪しむぜ」

「そうだんべなア」梅吉は困ったような顔をして(うつむ)いた。

「その女ってえのは一体、誰なんでえ」と久次郎は聞いた。

「それが皆目(かいもく)、わからねえんで‥‥‥何でも、粋な年増(としま)で、どうも堅気(かたぎ)の女じゃねえようで」

「堅気の女じゃねえ?」

「へい。わしが見たわけじゃねえんで、はっきりたア言えませんが、おなんとお勝の話だと江戸から流れて来た女じゃねえかと」

「町の(もん)じゃねえんだな」

「へい。見た事もねえ女だと言ってました」

「その女をお関は知ってたんだな」

「いえ。お嬢さんも知らねえような感じだったと言ってました。誰なのってな顔しておなんを見たそうです」

「となると、その女は誰かに頼まれて言伝を伝えに来ただけだったんかもしれねえな」

「へい。そんな感じだったと言ってました」

「その女とお関ちゃんがどこに行ったのかを探るべきね」とお紺が言った。

「へい。今まで、黙って出掛けるってえ事アなかったんですが」

「知らない人と出掛けて、今まで帰って来ないなんて、やっぱり、おかしいわよ」とおりんは久次郎を見た。

「そうだな。世間体(せけんてえ)を気にしてのんびりしてる場合じゃねえぜ。早えとこ見つけねえと手遅れになるかもしれねえ。とにかく、心当たりを捜してみる事だ」

「しかし‥‥‥」

「大騒ぎしたって見つかりゃアいいじゃねえか。後で謝りゃアすむ。帰って来なけりゃ大変(てえへん)な事んなるぜ」

 久次郎とお紺は梅吉を連れて店を出ると、お関の友達の家を当たってみた。お関がいそうな所を一通り当たってみたが、お関はどこにもいなかった。

 町内にいないとなると、お関と謎の女がどこかに行くのを見た者を捜さなくてはならないが、こう暗くなってからでは無理だった。とりあえず、今晩待ってみて、帰って来ないようなら、明日、手分けして捜してみようと梅吉を帰し、久次郎たちも帰った。






嗚呼美女六斬の創作ノート

1.登場人物一覧 2.境宿の図 3.「佐波伊勢崎史帖」より 4.「境町史」より 5.「境町織間本陣」より 6.岩鼻陣屋と関東取締出役 7.「江戸の犯罪と刑罰」より 8.「境町人物伝」より 9.国定一家 10.国定忠次の年表 11.日光の円蔵の略歴 12.島村の伊三郎の略歴 13.三ツ木の文蔵の略歴 14.保泉の久次郎の略歴 15.歌川貞利の略歴 16.歌川貞利の作品 17.艶本一覧




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