酔雲庵


国定忠次外伝・嗚呼美女六斬(ああびじょむざん)

井野酔雲





3.井筒屋のおゆみ




 境宿に帰ると、お関がいなくなった事は町中に知れ渡っていた。久次郎が捜している事も知っているらしく、町の者たちに何度も声を掛けられ、その度に首を振らなければならなかった。

 おりんの居酒屋に顔を出すと、桶松(おけまつ)はまだ来ないと言う。

「どうだったの。お関ちゃん、見つかった」おりんが心配そうに久次郎とお紺を見た。

 お紺が首を振った。「お北って人を捜しに平塚まで行ったけど、駄目だったの」

 お紺がおりんにいきさつを話している間、久次郎は黙って考えていた。

「ねえ、本当にお北がからんでるの」話が終わった後、おりんが久次郎に聞いた。

「あっ、そうか。姉さんはお北を知ってたんだっけ」

「あたしが仕込んだ娘よ」

 六年前、百々一家の親分、紋次が中風(ちゅうふう)で倒れ、忠次が跡目を継いだ時、境宿の三分の二は伊三郎に奪われ、落ち目になった百々一家の賭場に遊びに来る客も減ってしまった。忠次を助けるために客人(きゃくじん)となった日光の円蔵は、女に壷を振らせれば客は集まって来ると提案した。女の壷振りなんて見た事もないと忠次たちは首をかしげたが、円蔵の妻、弁天のおりんは女壷振りだという。今、信州にいるので、すぐに連れて来ると円蔵は旅立って行った。

 円蔵の留守に桐生町のお辰という女渡世人が百々一家に草鞋(わらじ)を脱ぎ、そのまま、忠次の子分になった。百々村に来たおりんはお辰に壷振りを仕込み、お辰は伊勢屋の賭場で壷を振った。お辰の事はすぐに噂となって、溢れんばかりの客が伊勢屋の賭場に押しかけて来た。

 これを見た伊三郎が慌てて、壷を振らせたのが自分の妾の中でも一番の器量よしのお北だった。しかし、賭場の雰囲気に慣れていないお北は何度も失敗して恥をかいた。馴染みの旦那衆もこれでは勝負できないと伊勢屋の方に行ってしまい、伊三郎は頭を抱えた。そんな時、おりんが伊三郎のもとに草鞋を脱いだ。円蔵が伊三郎を倒すために、顔の知られていないおりんを送り込んだのだった。伊三郎は喜んでおりんを迎えて、おりんは伊三郎の賭場で壷を振った。

 一年間、伊三郎のもとにいたおりんは島村一家の内情を探ると共に、お北に壷振りを仕込んだ。お北は一年近く、大黒屋の賭場で壷を振って旦那たちを喜ばせた。もう四年も前の事だった。

「橘屋の女中がお北のようだって言うもんだから、こいつは大変(てえへん)だと平塚まで行ってみたんだが、どうも、よくわからねえ。お北が旅から(けえ)って来た様子は全然ねえ」

 久次郎は冷や酒を飲むと首をかしげた。

「人違いじゃないの。今頃になって、伊三郎の仇を討つなんて、あの娘、そんなに執念深くないと思うけどねえ」

「姉さん、お北は伊三郎の仇を討とうと思う程、伊三郎に惚れてたんですか」

「そうねえ、まあ、惚れてはいたようだね。あの頃は、お北も若かったし、伊三郎も年中、お北を連れ歩いてたよ。だけど、伊三郎って男も好きだからねえ、あの後、何人も若いお妾を作ったらしい。そうなりゃ、お北も相手にされなくなっちゃったんじゃないの」

「弟の話によると、お北は伊三郎に相手にされなくなって、平塚の先生といい仲になっちまったらしい。しかし、それが伊三郎にばれて、ひでえ目に会わされて、さらに、その姿を先生に描かせたらしい」

「へえ、よくそれだけで済んだわね。伊三郎は結構、嫉妬(しっと)深くて、自分の女に手を出した男は半殺しの目に会わせるって聞いたわよ」

「相手が先生だったから、それで済んだのかもしれねえな。伊三郎の奴は先生の腕をかなり買ってたようだからな」

「でも、先生だって辛かったんじゃないの。『美女六斬』の手本にされたって言ってたじゃない」とお紺が顔をしかめた。

「えっ、『美女六斬』の手本?」おりんが驚いて、お紺と久次郎の顔を見比べた。

「そうなんですよ」とお紺がうなづいた。「詳しい事はわからないけど、お北を裸にして(むち)で打ったりして苦しんでる姿を無理やり描かされたに違いないわ」

「ひどいわねえ。でも、あの親分ならやりそうだわ。外面(そとづら)はいいけど、ちょっとした事でも子分たちに八つ当たりする事がよくあったわ。自分に逆らう者が誰もいないから、まるで、お殿様のように振る舞ってたものね」

「先生もお妾さんに手を出した負い目から、逆らう事ができなかったのよ」

 久次郎は『美女六斬』の生々しい絵を思い出していた。「実際に見ながら描いたから、あんなに迫力のある絵が描けたんだな。しかし、お北が伊三郎にそんな目に会わされたとなると、伊三郎が死んで、喜びこそすれ、仇を討つとは思えねえな」

「お北は関係ないわよ」とおりんは言った。

「たまたま、似てる女だったんかもしれねえな。松の野郎が何かをつかんでくれるといいんだが」

 桶松が来たと思ったら、井筒屋のおゆみだった。久次郎とお紺がいるのを見ると、「兄貴に姉さん、お揃いだね」とニコッと笑った。

 おゆみは時々、おりんの店に手伝いに来ていた。水商売が気性に合っているらしく、客扱いもうまく、七小町に選ばれる程の美人なので評判はよかった。おゆみ目当ての男たちが毎晩のようにやって来て、おゆみを口説いていた。勿論、その中には百々一家の若い者も数多くいた。

「橘屋のお関が消えちゃったらしいね。兄貴が捜してんの」

「ああ。おめえ、何か心当たりはねえか」

「あたしはあまり付き合いないからね。お関はお粂やお奈々と仲良しだろ。その二人に聞いてみればいいじゃない」

「お粂とお奈々か」

鹿安(しかやす)(鹿村の安次郎)がさっき、あたしんちにやって来て、教えてやったから、二人に会いに行ったんじゃないの」

「ほう、鹿安が松と一緒に聞き込みをやってんのか」

「聞き込みをやってんだか何だか知らないけど、桐屋で一杯やってたよ」

「何だと、奴らは酒を食らってるのか」

「そういう兄貴だって飲んでんじゃない」

「俺は一仕事終わった後だ」

 久次郎が桐屋に行こうとしたら、鹿安と桶松がのっそりと入って来た。

「おめえら、何やってんだ」と久次郎は怒鳴った。

 久次郎の剣幕(けんまく)に桶松は黙り込んでしまった。

「何って、色々当たってたんですが」と鹿安が答えた。

「桐屋で酒を食らってたそうじゃねえか」

「えっ、お粂から話を聞いたついでに、昼飯を食ってただけですよ」

 鹿安がおゆみをじろりと睨んだ。おゆみは舌を出して笑っていた。

「まあ、いい。それで、何かわかったのか」

「へい。わかった事もあるんですけど、お関の行方は‥‥‥」

 二人が聞き込んだ所によると、昨日の昼過ぎ、お関が謎の女と一緒に江戸道を平塚方面に向かうのを見たという者が何人かいた。しかし、謎の女がお北かどうかを確認する事はできなかった。それと、日が暮れる頃、木崎の方に急ぎ足で歩いているお関も何人かに目撃されていた。その時は謎の女はいなくて一人だったという。

「てえ事アどういう事なんでえ。昼過ぎに謎の女と一緒に平塚の方に行ったお関はどっかで何かをしていて、夕方になってから、一人で木崎の方に向かったってえのかい」

「へい。一応、渡し場の舟頭にも聞いてみましたが二人を見てません。平塚のどっかにいるだんべえと捜し回ったけど見つからなかったんです」

「何だ、おめえらも平塚に行ったのかい」

「へい。これから木崎の方に行こうと思ってたんです」

「お関の友達から話は聞いたのか」

「へい。桐屋のお粂からは聞きましたが、越後屋のお奈々の方は留守でした」

「お粂は何か知ってたか」

「いえ。謎の女には心当たりはねえそうです。誰かが、その女を使って、お関を呼び出したんじゃねえかって言ってました」

「誰かってえのは」

「角次の兄貴が旅から帰って来て、お関を呼んだんじゃねえかって」

「角の野郎はまだ帰っちゃア来ねえ。もし、角が帰って来て、お関を呼び出して、どこかにしけこんだにしろ、一緒にいる甲斐新(かいしん)(甲斐の新十郎)は真っすぐに帰って来るはずだ。甲斐新が帰って来ねえって事ア、角もまだ帰って来ねえ」

「甲斐新の兄貴はお藤とうまくやってるからな。近くまで来てりゃア飛んで来るな」と鹿安が(うらや)ましそうに言った。

「お粂は角の他にお関を呼び出しそうな奴を知らなかったか」

「わざわざ、女を使って呼ぶ出すような奴はいねえだろうって」

「そうか‥‥‥」

「ただ、いなくなる前の日、お関んちで(ひな)祭りを祝ったらしくて、七小町と平塚の先生が集まって騒いだらしいです」

「あら、それなら、あたしも行ったよ」とおゆみが口を出した。「面白くなかった」

「男は先生だけだったのか」と久次郎はおゆみに聞いた。

「三人のお弟子と『(かり)屋』の新八さんと遊び人の孝吉つぁんも来てたよ」

「新八と孝吉もいたのか‥‥‥おめえ、孝吉が誰といい仲なのか知ってるか」

「今はお奈々じゃないの」とおゆみはちゃんと知っていた。

「前は他の女だったのか」

「そう。孝吉つぁんは七小町全員をものにしようって(がん)かけたんだって」

「何て野郎だ。まさか、おめえも餌食(えじき)になったんじゃあるめえな」

 おゆみは急に笑い出すと、「あたしは餌食になんかならないよ。あたしの方があいつを食らってやったのさ」と当然のような顔をして言った。

「へっ、まったくおめえもしょうもねえアマだ。それで、結局、孝吉の野郎はおめえとお奈々の他に誰をものにしたんでえ」

「他にはお粂だけよ。お関も口説いたけど見事に振られたみたいね」

「お関に振られたか‥‥‥残るはお政、おしん、お通だな。その三人も狙ってんのか」

「難しくなって来たみたい」

「どうして」

「お奈々と深くなりすぎたんじゃない。お奈々がうるさいみたいよ、他の女に手を出すと」

「成程、お奈々はおとなしそうだが、怒らせたらおっかなそうだな」

「そうよ。あの手の女は怒らせると手がつけられないよ。きっと、気違いみたいにわめき散らすのよ」

「孝吉の事アまあいい。その日、お関の様子はどうだった。何か変わった事はなかったか」

「何もないよ。もうすぐ、角次さんが帰って来るって喜んでたくらいかな。ほんとに帰って来るの」

「まもなくな」

「帰って来たら、大変ね」

「ああ、奴の事だ、それこそ、気違えみてえに捜し回るに違えねえ。奴が帰って来る前に捜し出した方がよさそうだ。ところで、お関を恨んでるような奴はいねえのか」

「恨んでる奴はいるでしょ。振られたり、相手にされなかった男は大勢いるんじゃない。あたしだって大勢の男に恨まれてるもの」

 そうでしょと言うように、おゆみは鹿安を見て意味ありげに笑った。鹿安は怒ったような顔しておゆみを睨んでいる。おゆみと鹿安ではおゆみの方が役者が一枚も二枚も上手のようだ。

「おめえが恨まれるんは気が多いからだんべ」と久次郎はおゆみに言った。「あっちこっちで、つまみ食いしてるから男どもが‥‥‥まあ、おめえの事ア今はいい。とにかく、お関に恨みを持ってる奴らが謎の女を使って、お関を呼び出したとも考えられる。お紺、おめえはお粂とお奈々からそんな男を聞き出して、洗ってみてくれ」

「いいわよ」とお紺はうなづいて、「あんたはどうするの」と聞いた。

「俺ア平塚の先生からお北の事をもっとよく聞いて来る。お北が関係してなけりゃアいいが、関係してたら、お関の命が危ねえからな」

 久次郎は鹿安と桶松を木崎方面を探らせ、おりんの店を出ると平塚へ向かった。

 まだ夕暮れには間があるというのに、急に薄暗くなって来た。空を見上げると、どんよりとした雲で覆われ、何となく、いやな事が起こる前兆のように感じられた。






嗚呼美女六斬の創作ノート

1.登場人物一覧 2.境宿の図 3.「佐波伊勢崎史帖」より 4.「境町史」より 5.「境町織間本陣」より 6.岩鼻陣屋と関東取締出役 7.「江戸の犯罪と刑罰」より 8.「境町人物伝」より 9.国定一家 10.国定忠次の年表 11.日光の円蔵の略歴 12.島村の伊三郎の略歴 13.三ツ木の文蔵の略歴 14.保泉の久次郎の略歴 15.歌川貞利の略歴 16.歌川貞利の作品 17.艶本一覧




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