第三部
12.国吉
松林の中には大勢の避難民たちが隠れていた。皆、追い詰められて来た人たちだった。死体もいくつも転がっていて、千恵子たちが近づくと大きなハエがブーンと飛び回って、また死体の所に戻って行った。松林を抜けて、さらに東へ行きたかったが、暗くて足場がよく見えなかった。岩だらけで危険なので、夜が明けるまで待とうと松林の中で休む事にした。 時々、照明弾が摩文仁の丘の上に上がり、艦砲弾も炸裂したが、昨夜までとは打って変わって、辺りは不気味な位に静かだった。波の音が聞こえ、虫の鳴き声も聞こえて来た。 千恵子たちの側にいる子連れの避難民たちが、明日、港川に行こうか行くまいか、小声で相談していた。 「あたしたちは殺されても仕方がない。でも、子供だけでも何とか助けてやりたい」 「敵もまさか、子供までは殺さないだろう」 「こんな所に隠れていても、いつかは殺されてしまう。どうせ、死ぬのなら捕まってから死んでも同じだ」 敵の放送にだまされるなんて、何て馬鹿なんだろうと思いながら千恵子は聞くともなしに聞いていた。 「馬鹿者が。捕まったら皆殺しだ」とどこからか兵隊が言った。「女はみんな裸にされて、なぶり殺しだ。子供なんか、みんな 兵隊の言う事が正しいと思った。 人がいっぱいで体を伸ばす事はできなかったけど、土の上はお尻が痛くないので岩陰にいるよりは楽だった。それに、時折、涼しい風が吹いて来るので気持ちよかった。千恵子は初江と背中合わせになって、足を抱えて休んだ。 もし、ここに艦砲弾が落ちて来たらどうしようと不安になったけど、もう、どうにでもなれと千恵子は眠った。夜中に何度も目が覚めた。目が覚める度に、誰かが小声で話をしていた。 最初に目が覚めた時、兵隊たちが国頭突破の相談をしていた。山城方面は敵の戦車だらけだ。もう西へは行けない。海岸沿いに摩文仁を越えて行くしかないと言っていた。 二度目に目が覚めた時は、知念の方では捕虜になった人たちが平和な生活を送っているらしいと誰かが言っていた。そんな馬鹿なと思いながら千恵子はウトウトした。 三度目に目が覚めた時は、この 四度目に目が覚めた時は夜明け前で、辺りはいくらか明るくなっていた。千恵子たちの隣にいた子連れの避難民が静かにどこかに立ち去った。本当に捕虜になるために港川に行くつもりなのだろうかと思ったが、他人の事などどうでもいいと千恵子は体を伸ばして横になった。気持ちいいと思いながら、すぐに眠ってしまった。 夢の中に安里先輩が出て来た。安里先輩は首里城の石垣の上で、のんきに昼寝をしていた。陣地作業の帰り、千恵子は安里先輩を見つけて、そおっと忍びよるとワアッと大声を出して脅かした。安里先輩は驚いて、もう少しで石垣から落ちそうになった。 「びっくりしたなあ、もう」と怖い顔をしたけど、千恵子を見ると嬉しそうに笑って、千恵子を抱き寄せた。突然の事に驚いて、千恵子は堅くなった。胸がドキドキして、頭の中が真っ白になったけど嬉しかった。安里先輩が耳元で何かを言った。千恵子には聞こえなかった。 「なあに」と聞き返した時、千恵子の口のすぐ側に安里先輩の口があった。 突然、指笛やヤーヤー冷やかす声が聞こえて、振り返ると晴美、佳代、初江たちと安里先輩の友達たちが二人を見ながら騒いでいた。 千恵子は真っ赤になって安里先輩から離れようとしたけど、安里先輩は回りなど気にならない様子で千恵子を抱き締めたまま、千恵子の目をじっと見つめていた。千恵子は安里先輩に身を任せて目を閉じた。 悦子に揺り起こされて、目を覚ますと夜はもうすっかり明けていた。艦砲の音もなく、波の音が聞こえて来るだけだった。回りを見回すと、松林の中にいた避難民の半数近くがどこかに行ってしまったようだ。近くにいた兵隊たちの姿も見当たらなかった。 「みんな、どこに行ったの」と千恵子は聞いた。 「ぞろぞろ港川を目指して出て行ったわ」とトヨ子が言った。「みんな、もう逃げ回るのに疲れ果てたのよ。殺される覚悟で行ったみたい」 「情けないわね」と鈴代が言った。「年寄りや子供は殺されるだけだからいいけど、あたしたちは裸にされるのよ。そんなの絶対にいやよ」 「そうよ。あたしたちは絶対に国頭まで逃げるのよ」と朋美も言った。 千恵子たちは荷物を背負うと港川へと向かう避難民たちとは逆の方、海の方を目指した。 「ねえ、あれ、和江じゃないの」とトミが言った。 トミが示す方を見ると若い娘が荷物を抱えて、一人でしょんぼり座っていた。 「まさか。和江がこんな所にいるはずないわよ」と悦子は言ったが、トヨ子が「和江」と声を掛けた。 娘が振り返った。その顔は紛れもなく和江だった。千恵子たちは和江の側に駈け寄った。 「どうしたのよ。和江、どうして、こんな所にいるの」と千恵子たちは和江を囲んだ。 和江は千恵子たちをポカンとした顔で眺め、「みんなに会えるなんて‥‥‥」と言いながら涙を流した。 和江は八重瀬岳に着いて三日目に除隊になり、疎開していた母親のもとへと帰った。しかし、疎開先に敵が迫って来たので近所の人たちと一緒に南へと避難した。千恵子たちと同じように艦砲弾が落ちる中をさまよい歩いた。母親は途中で艦砲弾にやられて亡くなってしまった。近所の人たちと一緒に昨日の夕方、ここまで来た。今朝になって近所の人たちは敵の放送に従って港川に向かったけど、和江は行かずに一人で残った。敵に捕まるよりは、死んで母親のもとへ行きたい。どうやって自決しようか考えていたら、千恵子たちが突然、目の前に現れて、夢でも見ているのかと驚いたという。和江は勿論、千恵子たちと行動を共にする事になった。 松林を抜けると岩場に出た。足元を気をつけながら先に進むと、向こうから来る三人の兵隊と出会った。 「駄目だ。この先は絶壁になっていて先へは進めん」そう言うと兵隊たちは戻って行った。 千恵子たちも兵隊を追って、来た道を戻った。 兵隊たちは険しい岩場を見上げ、ここを登ろうと相談していた。兵隊たちは岩場をよじ登って行ったが千恵子たちには無理だった。さらに戻って別の道を捜した。 ようやく、岩場の上へと続く細い道を見つけて、登って行った。上空をトンボが飛び回っていたので、隠れながら岩だらけの道を進んだ。岩場の上はアダンの林になっていて、大勢の避難民がアダンの葉陰に隠れていた。 海の方を見ると敵の軍艦が当たり前のように並んでいた。不思議と艦砲は撃っていなかった。東風平にいた最後の日、千恵子たちは初めて艦砲の音を聞いた。あれは三月の二十四日だった。あれから毎日、三ケ月近くも艦砲は鳴り響いていた。とても考えられない程の砲弾の数だった。敵もとうとう弾切れになったのだろうか。もし、そうなら、今、総攻撃を掛ければ勝てるに違いない。牛島司令官は何をやってるんだろうと千恵子は思った。 アダンの林の中を千恵子たちは海岸線に沿って南へと歩いた。日差しが強くて暑かった。お昼近くになって、また、敵の放送が始まった。 「ミンナ、ミナトガワニイケ。ムコウヘイッタラ、ミズモショクリョウモアリマス」 敵は繰り返し繰り返し言っていた。千恵子たちはアダンの葉陰に隠れて、どうしようかと考えた。海岸に降りて、東へ向かうつもりだったが、敵の小型艇が海岸近くをウロウロしていたら危険だった。昨日も今日も、敵の小型艇はお昼頃に現れた。夜明けからお昼近くまで行動をして、後は隠れていようと皆で決めた。 突然、空がにわかに曇って、雨がザアーと降って来た。千恵子たちは飯盒を出して雨水を溜めた。雨はすぐにやんでしまい、それ程、溜まらなかったけどありがたかった。雨がやんだと同時に、北の方から小銃の音が聞こえて来た。敵がすぐ近くにまで迫って来ているのが感じられ、恐ろしくなって来た。 千恵子たちは避難民たちと一緒に、じっとアダンの下に隠れていた。敵の放送を聞いて、アダンの林の中から出て行く者たちもいた。 「敵の言う事にだまされるんじゃないぞ」と兵隊が怒鳴っていた。「出て行く奴は撃ち殺すぞ」とも言っていた。まさか、本当にそんな事はしないだろうと思っていたのに、銃声が二発、鳴り響いて、悲鳴が聞こえて来た。 初江が外に飛び出し、「女の人がやられたみたい」と言った。 千恵子たちも出てみると、倒れた女の人の回りに家族の者が三人、名前を叫びながら泣いていた。 「貴様たちが悪いんだぞ。敵に殺されるよりも味方に殺された方がいいだろう」 女の人を撃った兵隊は拳銃を手にしたまま、刀を杖代わりにして足を引きずりながら南の方へ歩いて行った。刀を持っているからには下士官以上の兵隊だった。 ひどい事をすると思ったが、千恵子は何も言わなかった。敵に殺されるより味方に殺された方がいいと言われれば、その通りのような気がした。捕虜になるよりは日本兵の拳銃に撃たれた方がいいと思った。初江もトヨ子も何も言わなかった。人が殺される場面をあまりにも多く目の当たりにして、何が正しくて、何が悪いのか判断できなくなっていた。艦砲弾で殺されても、敵に捕まって殺されても、味方の拳銃に殺されても、それはただ、早いか遅いかの問題だった。苦しまずに死ねるのなら、それが一番いいような気がした。 夕方近くになって、人々が騒ぎ始めた。敵の戦車が迫って来たという。見ると北の方から戦車が火を吹きながら近づいて来ていた。 千恵子たちは避難民たちと一緒にアダンの林に沿って南へと移動した。
その頃、千恵子たちの知らない所で悲劇は起きていた。それは山部隊第一野戦病院が移動した国吉の外れにあるウテル原と呼ばれる松林の中にある自然壕だった。 国吉の壕には二高女の生徒が十四人集まって、負傷兵の看護活動を続けていた。本部勤務だった晴美、利枝、常子の三人は書類運びを手伝い、本部と共に五日の夕方に移動して来た。病院長、軍医、衛生兵たちと一緒に高良婦長、川平婦長と本部勤務だった看護婦たちも移動していた。 次の日、俊江、マツ、照美、里枝子の四人が国吉にたどり着いた。米田軍曹はよく来たと喜んでくれたが、壕内には入れてもらえず、壕入口の近くにあった 翌日になって、信代、キミ、咲子、朝子、スミ子、留子の六人が国吉に着いて、小屋に入った。同じ日に由紀子と幸江も来た。 由紀子と幸江は東風平分院で共に働いた五人と一緒に八重瀬岳を出た。途中で、ナツがはぐれてしまい、恵美が加わった。真栄平と国吉の中程にある 九日の夜、茅葺き小屋に直撃弾が落ちた。小屋の中で寝ていた生徒たちは危険を感じて、とっさに飛び出したが、逃げ遅れた里枝子が腹部をやられて即死した。里枝子の顔には苦しみの表情はなく、まるで眠っているようだった。今まで一緒に苦労して来た友達が一瞬のうちに死んでしまうなんて考えられなかった。晴美たちは里枝子を囲んで夜が明けるまで泣き続けた。壕の入口近くに埋葬して、野の花を供えて冥福を祈った。 その頃から国吉も敵の攻撃が激しくなって来た。軍医や衛生兵たちが毎晩、斬り込みに出て行き、生徒たちも壕内に入る事ができた。近くに山部隊の歩兵第三十二連隊の本部壕があり、そちらに移って行った軍医や看護婦もいた。村田伍長、笠島伍長、矢野兵長も衛生兵たちを引き連れて斬り込みに出て行った。やがて、前線から負傷兵が次々に運び込まれ、生徒たちは昼夜二交替で勤務を始めた。水汲み、炊事、負傷兵の看護と忙しく働いた。 山部隊の第一野戦病院が使用していた壕は二つあって、下の壕、上の壕と呼ばれ、百メートル位離れていた。下の壕は本部であると共に負傷兵を収容する病棟となり、上の壕は食糧や弾薬の倉庫だったが、非番の生徒の仮眠場所となった。 十一日に糸満に侵攻して来た米軍は、十六日に国吉の隣にある 十八日、米軍は戦車を先頭に国吉に侵攻して来た。 二十一日、ウテル原の第一野戦病院、下の壕が敵に発見されて馬乗り攻撃を受けた。敵は日本語で、出て来なさいと何度も言ったが、誰も返事をしなかった。やがて、入口から手榴弾がいくつも投げ込まれ、入口近くにいた衛生兵や負傷兵が何人も吹き飛んだ。次に投げ込まれたのは 晴美はここに来る途中、真栄平の民家の生け垣の上に音楽帳を置いて来ていた。なぜ、そんな所に置いたのかわからないが、後から来た和美がそれを見つけて、晴美は無事にここまで来たんだなと安心した。晴美は国吉の壕でも皆を励まして、元気よく歌を歌って勤務に励んでいた。 生き残った者たちも数人いた。夜になって壕を脱出したが、入口を見張っていたアメリカ兵に撃ち殺され、ほとんどの者が殺された。奥の方にいた病院長の安井少佐も生き残り、全滅の責任を取って拳銃で自決を遂げた。 米田軍曹は一日近く経ってから生き返った。入口から差し込む明かりの中で、黒焦げになった死体が散乱しているのが見えた。髪がなくなって男だか女だかわからない顔が苦痛に歪んでいた。米田軍曹は右足を負傷していたが大した事はなかった。喉がカラカラに渇いていたので、水の入っている水筒を捜して飲んだ。気が落ち着くと生存者を捜した。生き残った者たちはすでに壕から出て行ったので誰もいなかった。米田軍曹は全員が死んでしまったと思った。病院長は自決していた。生徒たちも皆、死んでいた。生徒たちを死なしてしまった責任を取って自決しようとした。その時、黒焦げの死体の中から「水」と言う者があった。兵隊の死体の下から誰かが手を伸ばしていた。死体をどけると由紀子だった。 「お前、生きていたのか」 米田軍曹が水を飲ますと由紀子は生き返った。左手に軽い火傷を負っただけだった。生徒が生きていたからには自決するわけにはいかなかった。何としてでも親元に送り届けなければならないと思った。暗くなるのを待って由紀子を連れて壕から出た。壕の外には死体がいくつも転がっていた。生徒たちがいる上の壕に行きたかったが、敵が見張りをしていて近づく事はできなかった。きっと、上の壕も馬乗りされただろうと諦め、二人は敵のいない方へと逃げて行った。十日近く掛かって 米田軍曹が思った通り、下の壕が馬乗りされた翌日には上の壕も馬乗り攻撃を受けていた。八重瀬岳にいた頃からアメーバ赤痢に罹って衰弱していた照美と、こちらに来てから体調を崩して、胸を患って静養していた信代が火炎放射にやられて焼死した。留子は頭部に火傷を負って思わず壕から飛び出し、アメリカ兵に保護された。利枝は背中に大火傷を負い、数日後、アメリカ兵に助けられて米軍の病院に送られた。朝子と常子は軽い火傷ですみ、二日後に、生き残った 国吉の上下の壕では二高女の生徒が八人も亡くなった。 国吉に向かった由紀子と幸江と別れて、新垣に残っていた佳代は十日頃、壕の入口で艦砲弾の破片に腹部をやられた。小百合と同じ 佳代を埋葬した後、妙子と恵美は兵隊たちと一緒に国頭突破に出た。真栄里の近くでアメリカ兵に見つかり、妙子が負傷した。恵美は妙子をおぶって南へ逃げたが
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国吉の壕(白梅の塔)