酔雲庵


国定忠次外伝・嗚呼美女六斬(ああびじょむざん)

井野酔雲





10.おりんの居酒屋




 店の中にいたのは鹿安とおゆみだけだった。

「いらっしゃい」とおゆみが明るい笑顔を見せた。「兄貴、下手人は捕まったの」

「まだだ」と久次郎は手を振った。

「早く、捕まえてよ。いつまでも、こんなのがくっついてたら、いい男に逃げられちゃう」

 おゆみは鹿安を見て、フンと鼻を鳴らしながら、久次郎の隣に座った。

「いい男ってなア誰の事だ」久次郎はおゆみの顔を覗き込んだ。

「兄貴でもいいんだけどね、お紺姉さんがおっかないからやめとく。もうすぐ、京の都から、いい男がやって来るかもしれないでしょ」

「あっ、そうか。もうすぐ、例幣使(れいへいし)が来るのか。すっかり忘れてたぜ。例幣使が来る前に下手人を見つけなけりゃアならねえな」

「いらっしゃい」と奥からおりんが出て来た。「今日はお店を開ける気はなかったんだけどね、おゆみちゃんが来たから開けたのよ。でも、お客さんは来そうもないわね」

「いや、平塚の先生と、ここで待ち合わせたんで開いててよかったよ」

「あら、先生が見えるの。そういえば、先生、木島の親分と一緒にお関ちゃんの胴体を見つけたっていうじゃない」

「助次の奴と深谷で調べてたら、中瀬で胴体が見つかったってえ知らせが届いたらしい。今、八州の旦那と一緒に本陣にいるみてえだ」

「あたし知ってるよ」とおゆみが言った。「先生、本陣に行ったよ。それで、帰りにここに寄るかなと思って、ここに来たの」

「おめえ、先生に何か用でもあんのか」

「ほら、この間、言ったじゃない。あたし、先生に江戸の先生を紹介してもらって、江戸に行こうかって思ったのよ」

「本気なのか」

「そうよ。もう、決めたの。あたし、絶対に江戸に行く。ねえ、おりんさんは江戸に行った事あるの」

 おりんは軽く笑いながら、うなづいた。「一度、見物に行った事はあるわ」

「ほんと? 凄い。ねえ、お芝居も見たの」

「そりゃア見たわよ」

「ねえ、聞かせて。成田屋(市川団十郎)、見た?」

「勿論よ。いい男だったわ」

 おゆみは目を輝かせて、おりんから芝居の話を聞いていた。鹿安も興味深そうに聞いている。久次郎も酒をなめながら聞いていた。

 貞利が入って来たのは、おりんが『東海道四谷怪談』の話をしている時だった。

「やあ、まいった、まいった」と言いながら貞利はおりんの話に耳を傾け、「おや、ここでも芝居(しべえ)の話か」と笑った。

 本陣に連れて行かれた貞利は関東取締出役の役人に質問攻めに会って、浮世絵の事やら、芝居の事やら、ずっと話していたという。

「八州の旦那も正月しか帰れねえもんだから、江戸の芝居が見てえって嘆いてたぜ」

「へえ、八州の旦那も芝居好きですか」

「江戸っ子で芝居と祭り、それに吉原が嫌えってえ男は少ねえだろうな」

「吉原の話もしてたんですか」

「ああ、俺も吉原の花魁(おいらん)を描いた事があるからな。花魁の話をしてたら、旦那はもうたまらん、江戸に帰れねえなら、早えとこケリを着けて、玉村の玉斎楼(ぎょくさいろう)に繰り出そうって言ってたぜ」

「お関ちゃんが殺されたっていうのに、そんな話をしてたんですか」おりんが呆れたような顔をして貞利を見た。

「いやいや、そんな話をしたのは一仕事終えてからだよ」

「八州の旦那はお関殺しの下手人の事をどう言ってました」と久次郎は貞利に聞いた。

「変態野郎の仕業だろうって言ってたよ。最近、やたらと、この手の犯罪が多くなって来てるらしいな。先月、玉村で起こったばかりだから、どうせ、同じ奴の仕業に違えねえと言ってた」

「同じ奴ですか‥‥‥」

 貞利が来た事で、おりんの話は中断したが、貞利に酒を出すと、おゆみは再び、話をせがんで、おりんは続きを話し始めた。邪魔が入らないうちに、久次郎は貞利と本題に移った。

「先生はお関の胴体を見ましたか」

「ああ」と貞利は顔をしかめた。「水膨れになって、ひでえもんだったよ。勿論、お関に間違えねえ。切られた手足や首とピッタリとは合わなかったが、切られた場所は一致している」

「やはり、傷とかあったんですか」

「あった。傷だらけだ。川に流された時にできた傷もあるが、それ以前につけられた刃物の傷もあった」

「下手人は先生の艶本をそっくり真似したわけですね」

「そういう事になる。まったく、こんな事になるとは‥‥‥」貞利は苦そうな顔をして酒を飲んだ。

 おりんはお岩を演じた尾上(おのえ)菊五郎の事を話していた。

「助次はまた、深谷に行ったんですか」と久次郎は聞いた。

「八州の旦那に頼まれてな、お万の話から例の女の似絵(にせえ)を描いたんだ。それを持って、また、深谷に飛んでった。木島の親分も八州の旦那から直々に頼むぞと言われて張り切ってるようだ。ただ、深谷を捜しても無駄だとは思うがな」

「そうですね。深谷からどこに行ったのか‥‥‥八州の旦那が言う通り、玉村の件と同じ下手人なんでしょうか」

「それなんだが、一人、思い当たる奴がいるんだよ。八州の旦那と話してて気がついたんだかな」

「えっ、そんな奴がいるんですか」久次郎は思わず、身を乗り出した。

 貞利はうなづいた。「昨日、俺は玉村に行って角万(かくばん)屋の親分と会った。そん時、親分は俺の艶本をすべて持ってる者を洗い出して、俺に教えてくれた。十数人もいたんで俺も驚いたが、そん中に、お関とも関係のある男がいるんだ」

「平塚の徳次郎、耕作、為吉、その三人の他にもですか」

「ああ、いた。伊勢崎の仙太郎だ。玉村の親分が調べたとこによると、徳次郎、耕作、為吉の三人は玉村の事件とは関係ねえそうだ。(みなと)屋のお八重が殺された晩、玉村には来られなかった事がわかってる。仙太郎はその夜、いつものように遅くまで本を読んでたと言ってるが、一人住めえなんで、それを証明してくれる奴はいねえ。仙太郎のようにその夜の行動が曖昧(あいめえ)な者が六人いて、親分はその六人に見張りをつけて尻尾を出すのを待っている。ところが、仙太郎だけは怪しいとこがねえんで白だろうと見張りを解いちまった。仙太郎は女郎屋なんかに近づいた事もねえような男なんで関係ねえと決めつけちまったんだ。親分としても、お八重の事だけに拘わってるわけじゃアねえんで、人手が足らねえのかもしれねえが残念だ。昨日、仙太郎を見張ってりゃア、奴が下手人かどうかはっきりしたのにな」

「玉村の親分ばかり責められねえ。俺も徳次郎たちの見張りを解いちまった」

「誰もこんな事になるたア予想もしてなかったからしょうがねえ。逆に考えりゃア、見張りがいなくなったんで、下手人は現れたんかもしれねえ」

「そうか、そうなると見張ってた中に下手人がいるってえ事か」

「もう一度、見張りを付けた方がよさそうだな」

「ええ、それは考えてます」

「仙太郎の方ももう一度、見張った方がいいと玉村の親分には言ってやったんだが、俺もそん時ゃア確信が持てなかった。しかし、二つの事件が同じ奴の仕業だとすると仙太郎の奴もはずせねえ。とりあえずは、明日、もう一度、伊勢崎に行ってみるか」

「そうですね、あの野郎がそんな大それた事をするたア思えねえが、先生の艶本をすべて、持ってたとなると確かに怪しいな」

「頭のできは全然、違うが、性格が例の馬吉に似てるようだ」

「確かに、好きな女に声も掛けられねえ程の小心者だ。そういう奴が思い詰めたら何をやり出すかわからねえ。しかし、深谷に逃げてった女は何者です? 仙太郎のために危ねえ橋を渡るような女がいるたア思えねえが」

「それは伊勢崎に行ってみねえ事には何とも言えねえな。それと、去年の夏頃から、行商人に扮した男に手籠(てご)めにされたってえ娘が伊勢崎の周辺に何人かいるらしい。その行商人てえのも、お八重を殺した奴と同じようだ。下手人は俺が描いた『遊女魔庫(ゆめまくら)』を見て、強淫(ごういん)がやりたくなって実行し、『美女六斬』を見て、バラバラ殺人を実行したんだろう」

「玉村でうまく行ったんで、境の小町を狙ったっていうんですか」

「そうだ。人相書が出たんで、行商人に化けるのはまずいと思って、今度は、女に化けたのかもしれねえ」

「成程、女に化けたか‥‥‥そうか、奴ならやりそうだな。おい、おゆみ」久次郎が呼ぶと、おゆみはうっとりとした顔で振り向いた。「おめえ、伊勢崎の仙太郎を知ってるか」

「えっ、誰?」

「紅屋の伜の仙太郎だ」

「誰よ、それ。そんな男、知らないよ」

「時々、随憲先生んとこに顔を出してた奴だ。随憲先生んちはおめえんちの隣だ。見た事あるんじゃねえのか」

「ああ、あのなよなよした奴か。あいつなら見た事あるよ。興味ないけどね」

「そいつがお関に惚れてたのを知ってるか」

「さあ、知らない。そうだったの。それで、そいつがどうかしたの」

「下手人かもしれねえ」

「まさか。あんなひどい事ができるような奴じゃないよ」

「もし、そいつに女の格好をさせたら、どうなると思う」

「えっ、あいつが女の格好? そうね、結構、いいかもね」

「うまく女に化けられそうか」

「うん。いい女形(おんながた)になれそうだよ。馬鹿安なら惚れるかもね」おゆみはゲラゲラ笑った。

「馬鹿安って言うなって言ったろ」鹿安はおゆみを睨んだが、おゆみの笑いは止まらなかった。

「ねえ、それって、お関を連れてった女が、あいつだってえ事?」おゆみは急に真面目な顔をして久次郎を見た。

「かもしれねえって事だ」

「まさか。そんなの嘘よ。女に化ける事はできても、あんな残酷な事できっこない。血を見ただけで気絶しちゃうんじゃないの」

「まあ、そんな感じの野郎だがな、とにかく、明日、もう一度、会ってみる」

「早く、捕まえてよ。ねえ、先生、あたしを江戸に連れてって」

「何だと」貞利は突然のおゆみの申し出に目を丸くした。

「あたし、絶対に江戸に行く事に決めたの。ねえ、連れてって」

「江戸か‥‥‥久し振りに江戸に行くのもいいかもしれねえな。まあ、下手人が捕まったら考えてみるか。うちの弟子たちにも江戸を見せた方がいいかもしれねえしな」

「ほんと? うれしい」おゆみは飛び上がって喜んだ。「ねえ、みんなで行きましょ。馬鹿安、あんたも行くでしょ」

「行きてえけど、親分が何と言うか‥‥‥」

「あたしが親分さんに頼んであげるよ。任せといて。これからの渡世人は江戸を見なけりゃ駄目だって」

 おゆみは嬉しそうに、はしゃいでいた。

「勿論、あんたは荷物持ちよ」






嗚呼美女六斬の創作ノート

1.登場人物一覧 2.境宿の図 3.「佐波伊勢崎史帖」より 4.「境町史」より 5.「境町織間本陣」より 6.岩鼻陣屋と関東取締出役 7.「江戸の犯罪と刑罰」より 8.「境町人物伝」より 9.国定一家 10.国定忠次の年表 11.日光の円蔵の略歴 12.島村の伊三郎の略歴 13.三ツ木の文蔵の略歴 14.保泉の久次郎の略歴 15.歌川貞利の略歴 16.歌川貞利の作品 17.艶本一覧




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