12.見知らぬ女
伊勢崎に送った宇之吉がおりんの店に飛び込んで来たのは二十日の夜、五つ半(九時)を回った頃だった。 「 久次郎は円蔵と酒を飲みながら、お関殺しを再検討していた。一組いた客も帰った後で、二人の他はおりんしかいなかった。 円蔵は宇之吉に水を飲ませて落ち着かせると、おりんに暖簾を仕舞わせて、ゆっくりと話を聞いた。 仙太郎は今日、いつものように午前中、手習い塾を開いて、子供たちに読み書きを教えていた。その後もいつもの通り、家から出る事はなかった。日暮れ頃、紅屋の女中が夕飯を持って来て、しばらくすると帰って行った。 日も暮れ、大通りのあちこちに 何事だと清吉がやって来ると宇之吉は女が出て来た事を告げた。 「馬鹿言うな。女なんかいるわけねえだんべ」清吉は信じなかった。 「早く来てくだせえ」と宇之吉は清吉の袖を引っ張った。 急いで裏口の方に行くと頭巾を被った女が細い裏通りを真っすぐ行くのが見えた。 「あれは仙太郎の奴ですぜ」と宇之吉は言った。 「なに、仙太郎だと?」 「確かです。女が出て来た時、キツネにでも化かされたんかと思ったけど、チラッと頭巾ん中の面が見えたんです。真っ白に化粧してやがったが、仙太郎に間違えねえ」 「そういやア、境の小町をさらったんは粋な女だって言ってたな」 「ええ、そうです。奴に間違えありません。取っ捕めえますか」 「いや、待て。もう少し追ってみるべえ。奴が何をたくらんでるか見届けてからでも遅くはあるめえ」 宇之吉と清吉は隠れながら、その女の後を追いかけた。女は家と家の間を抜けて大通りに出ると南へと向かった。しゃなりしゃなりと歩く後ろ姿はすっかり女に成り切っている。 奴はオカマのけもあったのかと宇之吉は顔をしかめた。かなりの間合いを取りながら二人は女の後を追った。やがて、木戸を抜けて、今泉村に入った。どこまで行くのかと思っていると小さな鳥居の前で、女は急に立ち止まった。 しばらくして、向こうから 誰かを待っているのかと見守っていると女は何を思ったのか、提灯の灯を吹き消した。 また、提灯が近づいて来た。今度は火を借りる事なく、女は木陰に身を隠した。提灯を持っていたのは若い男だった。 奴は こっちから提灯を持った男が通った。女は木陰から出ては来なかった。次に若い女が宇之吉が隠れている前を通って、鳥居の方に向かって行った。宇之吉は清吉に合図を送り、いつでも飛び出せる態勢で待った。 女は木陰から出て来て、若い女に近づき、提灯の火を借りた。そして、若い女に当て身を食らわせると木陰に引きずり込んだ。 宇之吉と清吉は足音を忍ばせながら、鳥居に近づき、 女装した仙太郎を伊勢崎に連れ帰り、番屋に預けて、仙太郎の家の中を捜すといくつもある書箱の中から、玉村で使ったと思われる行商人の着物が出て来た。そして、貞利が描いた美人絵『当世玉村美人』のお八重と『境七小町』のお関の絵に南蛮文字が書かれてあった。宇之吉も清吉も意味がわからなかったが、殺した印に違いないと確信した。 「ようやく、ケリがつきました」と宇之吉は満足そうに言った。 「やはり、奴が女に化けていやがったのか」久次郎は唸った。 円蔵は乾いた口の中を酒で潤すと、「仙太郎の奴は白状したのか」と聞いた。 「清吉さんが玉村の親分を呼びに行きました。今、玉村には八州の旦那もいるそうなんで、一緒に取り調べをするんじゃねえですか」 「奴は番屋にいるんだな」 「へい」 「とにかく、伊勢崎に行って、下手人の面を拝むとするか」 「情けねえ格好ですよ。あんな伜を持って紅屋の旦那も可哀想なこった」 円蔵と久次郎は宇之吉と一緒に伊勢崎に向かった。曇っていた夜空も伊勢崎に着く頃には、 仙太郎は何もかも白状した。 貞利が描いた美人絵を見て、玉村や木崎に行ったが女郎屋に上がる勇気はなかった。その年の六月、仙太郎は紅屋に出入りしている 顔を変えて、これなら絶対にわからないと自信を持ち、十一月に太田村の外れで娘を手籠めにした。四度目は去年の三月、貞利の『美人例幣使道』に描かれた玉村の美人お花を狙った。行商人に扮して玉村に何度も通って、お花の行動を観察した。お花が時々、男と逢い引きするために、夜になって内緒で家を出る事を知ると待ち伏せして、八幡様の境内に連れ込み、手籠めにした。 その後、七月に 行商人姿で女郎屋通いを続けている頃、貞利の『境七小町』が売り出された。仙太郎はさっそく、七小町を見に行った。変装していないと口を利く事もできなかったが、いつか、小町たちをバラバラにしてやると心の中で誓った。 今年の二月二十二日、仙太郎は行商人に扮して湊屋に上がり、お八重を揚げた。眠ってしまったお八重の首を締めて殺し、体中を傷つけ、バラバラにして、胴体だけを残し、後は大通りに捨てて逃げて来た。最初に殺したくはなかったが、悲鳴をあげられたら困るので仕方がなかった。殺した後でも、手足や首を斬ると生暖かい血がドクドクと流れ出て来て、何とも言えない快感だった。 今度は今までと違って大騒ぎになった。貞利の艶本を持っている者を調べていると言って、玉村から御用聞きもやって来たが、疑っている様子はなかった。しかし、行商人の姿は危険だと思ったのでやめて、女に化ける事にした。 三月四日、女に扮して平塚に行き、角次郎が待っているとお関を呼び出し、あらかじめ用意していた書物を入れる大きな箱に気絶させたお関を縛って閉じ込め、馴染みの人足に運ばせた。伊勢崎に帰って、お関を 仙太郎の家には三つの部屋があり、その中の一室は書物で埋まっていた。書物を入れた 食べ物を運んでやったが、お関は何も食べず、だんだんと衰弱して十二日に死んでしまった。夜中にお関の死体を裏庭でバラバラにして、荷造りした。血を綺麗に流して、翌日、女装して、舟で平塚に運び、胴体は書箱に入れたまま河原の草むらに隠して置き、他の部分は馬子に頼んで境に運ばせた。 深谷まで逃げ、深谷で百姓姿に化けて平塚に戻り、夜になるのを待って胴体を利根川に捨てた。胴体も境に送ろうと思ったが、女の仕業にするつもりなのに、手籠めにした事がわかるとまずいので利根川に捨てた。 一仕事終えたら、疲れがどっと出て寝込んでしまった。それでも、翌日、様子を見に境に行き、誰も自分を疑っていないので安心した。もう一度、誰かをさらって来ようと思ったが、小町たちには見張りが付いているようなので、もうしばらく様子をみようと諦め、他の娘を手籠めにするだけならわかるまいと女装して出掛けたら捕まってしまった。 どうして、自分が捕まったのか、まったくわからない。玉村の親分の後ろに貞利がいたと聞いて、先生にはかなわないと自供する事にした。 仙太郎は取り調べ中に貞利と会った。貞利の顔を見て驚き、あの時、来たのが貞利だとわかっていたら、もう少し警戒したのにと悔やんでいた。そして、自分の事を艶本にしてくれたら、首をはねられても悔いはないと言って笑ったという。
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1.登場人物一覧 2.境宿の図 3.「佐波伊勢崎史帖」より 4.「境町史」より 5.「境町織間本陣」より 6.岩鼻陣屋と関東取締出役 7.「江戸の犯罪と刑罰」より 8.「境町人物伝」より 9.国定一家 10.国定忠次の年表 11.日光の円蔵の略歴 12.島村の伊三郎の略歴 13.三ツ木の文蔵の略歴 14.保泉の久次郎の略歴 15.歌川貞利の略歴 16.歌川貞利の作品 17.艶本一覧