第三部 天女乃舞
1.国定一家
お関殺しの下手人が捕まり、境宿も活気を取り戻した。小町を見守っていた者たちも、ようやく任務を解かれ、堅苦しい 半月も小町と一緒にいて、仲良くなった奴もいた。村田屋のおしんと 境の小町がこんな所に出入りしてはいけないと円蔵が注意しても、大丈夫ですと笑って、一向に気にしなかった。 庄太があんな 世間知らずのお嬢さんとばかり思っていたおしんが、これ程までやるとはまったく以外だった。案外、いい 五月屋のお政は相変わらず、浅次郎と仲がいい。桐屋のお粂はさっそく、研師の音吉と二人でどこかに出掛けて行った。お奈々は孝吉の家に飛んで行く。お通は孝吉から借りた人情本に熱中している。そのうち、お奈々とお通が喧嘩を始めそうだと思ったが、そんな事まで、一々、面倒見られなかった。 怖い物知らずのおゆみは騒がしい鹿安から解放されて、のびのびと遊び回っている。貞利の家に行って、しきりに江戸に行こうと誘いをかけているようだが、貞利にも仕事がある。すぐには行けないようだった。 江戸から帰って来た角次郎は毎日、お関の墓参りを続けていた。仙太郎の奴を叩っ斬ってやるとわめいていたが、仙太郎が江戸送りになると諦め、気が抜けたように毎日、ゴロゴロしていた。 三月の末より、恒例となった公家衆の下向が始まった。毎年、四月の十五日から十七日にかけて、日光東照宮で盛大な祭りが行なわれる。その祭りに参加するため、京都から公家たちが大勢の供を引き連れて例幣使街道を通って日光に向かった。そして、四月の十二日、朝廷が東照宮の神前に 例幣使が通行するまで街道沿いは厳重に警固された。百々一家の子分たちも各村々から集められた若者たちと一緒に、何事も起こらないように警固に当たった。八州様や伊勢崎の役人たちも見回るため、手配中の忠次と文蔵はまた身を隠さなければならなかった。 何事もなく例幣使の通過も終わった翌日、忠次は子分たちを 忠次は田部井村の新しい家を本拠地とし、『百々一家』を『国定一家』に改めて、組織も再編成した。田部井村は国定村の隣村で、妾のお町の生まれた村だった。無宿者となった忠次が国定村を本拠地にするのははばかられたので田部井村を本拠地にしたのだった。 百々村の家は文蔵とお辰の夫婦に譲り、軍師の円蔵がおりんと一緒に境宿に住んでいるので補佐させた。国定村には清五郎、田部井村には佐与松、 忠次は十八人の代貸を持つ大親分となり、田部井村から睨みを利かせていた。その頃から忠次は子分たちが自分の事を親分と呼ぶのを禁止して、旦那と呼ばせる事にした。忠次の兄貴分である武州 久次郎は保泉村に本拠地を持つ代貸となった。まだ、子分を持つ事は許されていないので、忠次の子分を預かるという形で一家を開いた。お紺と一緒になる事を考えて、去年の秋、手頃な家を見つけてあったので、すぐに、そこを借りる事にした。 保泉村に引き連れて行ったのは壷振りのお紺は勿論の事、同じ村出身の弟分、宇之吉、 お紺は境の佐野屋の壷振りでもあるので、市日には境に行かなければならないが、保泉村の賭場は五、十五、二十五と月三回だけなので何の問題もなかった。 保泉村に帰った久次郎は縄張りを守るために村を見回り、ならず者たちを追い出して、村人たちの相談に乗ってやったりした。 四月の十五日、保泉村の久次郎の新居で初めての賭場が開かれた。引っ越したばかりで、まだ、家具もろくに揃っていなかったが、次の開催日の二十五日まで待ってはいられない。久次郎たちは無理して準備を進め、何とか賭場を開く事ができた。 その日、雨降りの中、弟分の民五郎、角次郎、秀吉らが手伝いに来てくれた。そればかりでなく、お政と浅次郎、おゆみと鹿安、おしんと庄太、お奈々と孝吉、お粂と音吉、お通と桶松と小町たちも揃い、貞利もお万と一緒にやって来た。 保泉村の旦那衆は勿論、小町たちを見るため村中の若者たちも集まり、貞利を見るために娘たちも集まって来た。村中の者が久次郎の家に集まって、盆と正月が一緒に来たような騒ぎとなった。その騒ぎに驚いたのか、十日から降り続いていた雨も昼頃より上がり、久し振りに晴れ間が覗いた。 「久次さんもいよいよ、親分さんだな」祝い酒を飲みながら貞利が笑った。 「親分だなんて。まだ、子分を持つ身じゃありません。親分から預かってるだけですよ」 「いやいや、これだけの賭場が開けりゃア、もう立派な親分さんだ。保泉村の親分さん、おめでとうございます」 「照れるからよしてくだせえよ。しかし、みんなが来てくれたお陰で、村中の者が集まってくれました。ありがとうごぜえます。相変わらず、朝から雨っ降りだし、誰も来なかったらどうすんべえって心配してたんですよ」 「なに言ってんだい。普段から、久次さんがみんなの面倒を見て来たから、みんな、こうして集まって来たんだ。忠次親分に負けねえくれえ、いい親分になってくだせえよ」 「へい、きっとなってみせます」 「兄貴、いい天気になってよかったね」とおゆみが寄って来た。 晴れ着を着飾ったおゆみは真っ赤な顔をしていた。 「おめえ、飲み過ぎてんじゃねえのか」 「大丈夫、このくらい、へっちゃらよ」 「おめえ、また、鹿安とよりを戻したのか」 「よりなんか戻さないよ。あ〜あ、あたしってどうして男運がないのかしら。好きな男はみんな、他の女んとこに行っちゃうし」 「おめえがあっちこっち、つまみ食いしてるから逃げちまうんだんべ」 「だって、食ってみなけりゃ男なんてわかんないじゃないさ」 おゆみはフラフラしながら、保泉村の若い衆の中に入って行った。 「あの おゆみは若い男たちに囲まれて、楽しそうに笑っている。 「さあねえ」と久次郎は首をかしげた。「そんな男がいるんですかね」 「素直でいい娘なんだけど、思った事は平気で口にするし、何でもやっちまうから娘たちには嫌われてるようだ。ただ、男たちはあの娘に見つめられるとコロッと行っちまうようだな。不思議な娘だ」 久次郎はうなづいて、「あいつに食われた男どもがうちにも結構いますよ」と笑った。 「おゆみから聞いたんだが、久次さんも食われたそうだな」 「いやア、まいった。知ってたんですか」久次郎は照れ臭そうに苦笑した。「あれはお政と別れてムシャクシャしてた時で、つい、あの目に誘われて‥‥‥一月くれえ続いたんだが、俺と付き合ってる間も、つまみ食いをやってやがって、俺の手に負える女じゃねえと別れましたよ」 「そうだったのか。久次さんにも手に負えなかったか。でも、おゆみは久次さんの事は好きみてえだな。この前、いい男は久次さんと音吉つぁんだけだって言ってたぜ」 「そうですか‥‥‥いい女だけど、あの性格は‥‥‥先生はどうなんです」 「俺はとても」と貞利は首を振った。 「兄貴、おめれとうごぜえやす」とやって来たのは酔っ払った鹿安だった。 「おい、おめえも飲み過ぎだぜ」 「大丈夫れすよお。兄貴、この村にも結構、可愛い娘っ子がいるらねえれすか。ねえ、紹介してくらせえよ」 「なに言ってるんでえ。てめえの事ぐれえ、てめえでやれ。おゆみなんか、さっさと男 「ちきひょう。あのアマ、好き勝手な真似ばかりしやがって」 「おゆみが好き勝手なのは今に始まったわけじゃアねえや」 「そりゃそうらけど、ちきひょう、俺もやってやる」 鹿安は娘たちが固まっている中に入って行った。しかし、すぐに戻って来て、「先生、すんませんがちょっと来てくらせえ」と手を引っ張った。「娘たちが先生に用があるらしくて」 「仕方がねえ。あの娘たちも大事なお客さんだ。ちょっと行って来らア」 貞利が行くと孝吉がやって来た。 「さすが兄貴だねえ。 「ありがとうよ。平塚からじゃ、ちっと遠いが遊びに来てくれ」 「なあに、それ程でもねえ。五の付く日は平塚の盆の開帳日だが、必ず、こっちで遊ばせてもらうぜ」 「すまねえな‥‥‥お奈々はどうしたんだ」 「男どもが賭場に行っちまったんで、女同士で話し込んでるぜ。どうせ、悪口を言ってんに決まってらア」 「お奈々とお通も仲良く話してんのか」 「小町たちは結構、仲がいいぜ。一人、とんでもねえのがいるがな」 「そのとんでもねえのとも、うまくやってるようじゃねえか」 「ふん。そんな事アねえ」 「まだ、小町たちをみんな、ものにするつもりなのかい」 「もうやめたよ。お関は死んじまったし、お政に手え出したら、浅の野郎に殺されそうだからな」 「浅はそれ程、お政に惚れてんのか」 「らしいな」 「ところで、おめえ、お通にも手を出したんか」 「兄貴、よしてくだせえ。お通は確かに可愛いが、ちょっと手を出しづれえとこがある。何となく、気軽に付き合えねえって感じだ」 「何を言ってやがる。相変わらず、人情本を貸してるらしいじゃねえか。お通の親父は不流一家の世話人だからな。面倒は起こすなよ」 「わかってるさ」 孝吉は久次郎に手を振ると賭場の方に行った。久次郎も賭場の様子を見に家に入った。 その夜、遅くまで賭場は熱かった。久次郎が代貸を務めた最初の賭場は大成功に終わった。
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1.登場人物一覧 2.境宿の図 3.「佐波伊勢崎史帖」より 4.「境町史」より 5.「境町織間本陣」より 6.岩鼻陣屋と関東取締出役 7.「江戸の犯罪と刑罰」より 8.「境町人物伝」より 9.国定一家 10.国定忠次の年表 11.日光の円蔵の略歴 12.島村の伊三郎の略歴 13.三ツ木の文蔵の略歴 14.保泉の久次郎の略歴 15.歌川貞利の略歴 16.歌川貞利の作品 17.艶本一覧