酔雲庵


国定忠次外伝・嗚呼美女六斬(ああびじょむざん)

井野酔雲





2.お関の小指




 毎日、雨が降っていた。

 梅雨になるには一月も早いのに今年は異常気象だった。三月の末には大霜(おおじも)が降り、桑の芽が全滅してしまい、養蚕(ようさん)ができないと百姓たちは大騒ぎした。このまま、雨が降り続いたら、他の作物にも影響してしまう。

 四年前から天候がおかしくなって作物ができず、あちこちで一揆や打ち壊しが多発していた。この辺りでも三年前に暴動が起こり、赤城山麓の百姓たちが伊勢崎方面に押し寄せて来るという事件があった。その時は伊勢崎の富豪たちが蔵の米を施して騒ぎを静め、酒井家の役人たちが同調していたならず者たちを残らず捕まえたので、境まで押し寄せて来る事はなかった。その後は暴動が起こる事はなかったが物価はどんどん上がり、この長雨は再び暴動が起こりそうな不吉な予感がした。

 貞利は忠次から『国定一家女列伝』を頼まれ、毎日、雨の中を田部井村や百々村に通って、国定一家の女たちを描いていた。玉村の親分が仙太郎を捕まえる事ができたのは貞利の活躍があったお陰だとわかり、貞利の人気は益々上がった。七小町たちの次の世代の娘たちがキャーキャー騒ぎながら、貞利を追いかけ回していた。

 保泉村に移った久次郎は市日以外は境には出て行かなかった。十五日の最初の賭場は成功しても、まだ、引っ越しも完全ではない。一家を構えるからには体裁だけでも整えなければならなかった。まだ、旅人がやって来る事はないが、一応、それなりの準備はしなければならない。親分の忠次に恥をかかせるような事があってはならないと久次郎は何かと忙しかった。それに加えて、毎日、雨降りときては、何もかもが思い通りにならなかった。

 久次郎がイライラしている、そんな時、ずぶ濡れになった鹿安が飛び込んで来た。

「兄貴、大変(てえへん)なんだ。おゆみが消えちまった」

 鹿安は蒼ざめた顔をして久次郎を見つめたが、久次郎の機嫌は悪かった。

「うるせえ、俺はおゆみの()り役じゃねえ。てめえの女の世話まで焼けるか」

「そうじゃねえんだ。おゆみがいなくなったんは三日(めえ)らしいんだ」

「ふん、それがどうした。あの女が三日ぐれえいなくなったからって騒ぐ事もあるめえ。うちの者が騒いでんのか」

「いえ、うちの者たちは騒いじゃいねえんですけど、番頭の常五郎が心配して知らせて来たんです。俺も心当たりを当たってみたんだけど、どこにもいねえんです」

「どこを捜したんでえ」

「えーと、絵草紙屋の新八と‥‥‥」

「新八? おゆみは新八ともできてんのか」

「へい。奴のかみさんはガキができるってえんで、今、実家に帰ってんです。そこで、おゆみの奴が時々、遊びに行ってるようで」

「鬼のいぬ間に、いい思いをしてるってえわけか。他には誰がいるんだ」

「質屋の『井筒屋』の伜の彦太郎です。こいつも二月頃から、おゆみといい仲になって」

「相変わらず、盛んなこったな」

 久次郎は煙草盆を引き寄せると煙管に煙草を詰め始めた。

「それと、民五郎の兄貴も旅から帰って来てから、時々、会ってるようです」

「なに、民の野郎もおゆみに食われたか。(てえ)した玉だ。武士(たけし)村には寄って来たんか」

「へい。知らねえって言ってました」

 民五郎も代貸となり、武士村に一家を張っていた。

「音吉とはもう切れたようだし、今んとこ、おゆみと関係あるのはそのくれえです」

「茂とは切れたのかい」

「茂八は今年になってからは会ってねえと言ってました。とにかく、境にはいねえようで」

「あいつの行動範囲は結構、広えんじゃアねえのか」

「いえ、そうでもねえようで、境以外(いげえ)の男の事は聞いた事もありません」

「平塚の先生はどうなんでえ」

「おゆみも先生を何度か誘ってんだけど、先生だけは相手にしてくれねえって、こぼしてました」

「ほう、先生は相手にしなかったか。お万もそんな事を言ってたな」

「もしかして、先生は役立たずなんですかね」

「馬鹿言うねえ。木崎や玉村には馴染みの女郎衆がちゃんといらア。毎日、別嬪(べっぴん)ばかり見てるから目の付けどこが普通の者とは違うんだんべ」

「兄貴、先生と一緒におゆみを捜してくだせえよ。こういう事ア兄貴に限る。おゆみがまたバラバラにされたら、えれえ事ですぜ」

「馬鹿言ってんじゃねえ。馬吉や仙太郎みてえな気違えがそうざらにいてたまるか。おゆみの奴はどっかのいい男としけ込んでるに違えねえ」

「そんならいいんだけど、何か、やな予感がするんですよ」

「おめえの予感なんか当てんなるか」

 久次郎は煙草に火を点けて、煙りを鹿安に浴びせた。

「そんな事を言わねえで見つけてくだせえよ」

「今の俺アそんな暇じゃねえんだ」

「兄貴、二度ある事は三度あるってえじゃねえですか。おゆみがバラバラにされたら、俺はもう生きていけねえ」

「なに馬鹿な事言ってやがる。仙太郎は江戸送りになったって言ってるだんべ」

 鹿安はしょんぼりしていたが、急に顔を上げると、「兄貴、気になってる事があるんだけど」と言った。

「何でえ」

「お関の小指はどこ行っちまったんです」

「何だ? お関の小指だと」

「へい、この(めえ)、角の兄貴が墓参りから帰って来て、小指がねえんじゃ、あの世に行っても可哀想だって言ってましたよ」

「そういやア、左手の小指がなかったなア。すっかり、忘れてたぜ」

「仙太郎の奴が殺した印に取っといたんですか」

「いや、そこまでは俺も聞いちゃいねえ」

「玉村の女郎も小指を切られたんですか」

「それも聞いてねえ。仙太郎の奴は何で小指なんか切ったんだんべ。女郎が情夫(まぶ)に心中立てすんのに小指を切るってなア聞いた事あるが、てめえで殺しといて小指を切るたアどういうこった」

「ハックショイ」と鹿安がくしゃみをして震えた。

「おい、おめえ、風邪引くぜ」と言ったが久次郎は煙管を持ったまま考え込んでいる。

 鹿安はびしょ濡れの着物を脱ぐと絞った。

「久し振りに平塚の先生んちに行ってみるか」と久次郎は腰を上げた。

 鹿安を着替えさせ、宇之吉に留守を頼むと久次郎は鹿安と一緒に境に向かった。

 おゆみがいなくなったと大騒ぎしているかと思ったが、誰も騒いではいなかった。村田屋の前を通るとおしんが声を掛けて来たので、ちょっと店に寄った。

「まったく、やんなりますねえ、この長雨は」とおしんは顔を曇らせた。

「庄太と遊びに行けねえんでつまんねえか」

「やですよう。そんなんじゃありません」

 おしんは顔を赤らめて、久次郎をぶつ真似をした。

「おゆみがいなくなったって聞いたが、おめえ、何か知らねえか」

「おゆみちゃん、いなくなったんですか。江戸にでも行ったんじゃないですか」

「江戸に行くんなら、俺に一言言うはずだぜ」と鹿安が胸を張る。

「それじゃア、どこ行ったのかしら」おしんは首をかしげた。

「こいつの言う事ア本気にすんなよ。一人で自惚れてるだけだ」

「そんな‥‥‥」

「それにしても、一人じゃア行かねえだんべえ」

「あの人の事だから、すぐに連れを作っちゃいますよ」

「それもそうだな」

 村田屋を出て、おゆみの家、太物屋の井筒屋を覗いてみたが普段と変わらなかった。久次郎の顔を見ると番頭の常五郎が近寄って来た。久次郎と鹿安は客間に通され、常五郎から詳しい話を聞いた。

 おゆみがいなくなったのは三日前の十八日の夜らしい。夕方には家にいた事が確認されている。いつものように、おりんの店にいるのだろうと誰も心配しなかった。朝になって、帰っていない事がわかったが、外泊するのも珍しい事ではないので心配しなかった。十九日も帰って来ない。二十日も帰って来ない。今朝になっても帰って来ないので、ようやく、親も心配しだした。それでも、おゆみの遊び癖は町中に知れ渡っていて、大騒ぎして後で恥をかきたくないので、番頭の常五郎に、久次郎に捜してもらうように頼んだという。

 常五郎は鹿安を呼び、鹿安は心当たりを捜してから保泉村に行ったのだった。

「いなくなる前、何か変わった事はなかったのか」と久次郎は常五郎に聞いた。

「それが、いつ出てったのか誰も見てねえんです。その夜はおりんさんの店にも行ってないらしくて」

「金は持って出たのか」

「それもよくわからねえそうです。ただ、おりんさんの店で働いてたんで、多少の銭は持ってるとは思いますが」

「江戸に行ったとは思えねえか」

「江戸に行くと口癖のように言ってたのは確かです。秋になったら、平塚の先生が連れてってやるって言ったようです。それを楽しみにしてたようですから、急に江戸に行くとは思えません」

「この店の取引先とか、江戸にもあるだんべえ。そういうとこを訪ねてったとは考えられねえか」

「いえ。お嬢さんは知らない所に一人で行ったりはしませんよ」

「そうは見えねえがな」と久次郎は鹿安の顔を見て笑った。

 鹿安は本気で心配しているようだった。

「あれで結構、人見知りするんですよ」と常五郎も真面目な顔をして言った。「色んな男と付き合っちゃアいますが、初めて会った男と仲よくなる事はねえんです。お嬢さんなりに相手をよく見てから付き合うんですよ」

「ほう、そうだったんか。そういやア、よそ者と仲良くなったなんてえ話は聞かねえな」

「ええ。江戸から来た商人もかなりいますけど、そういう男たちには近づかねえんです」

「そうなると一人で江戸に行くなんて、ありえねえって事だな」

「とんでもない」と常五郎は力強く否定した。「好きな男が一緒なら、どんな遠くでも平気で行きますが、一人でどこかに行くなんて絶対にありません」

「となると、三日も留守にしたってえのは男と一緒にどっかに行ったってえ事になるな」

「多分」とうなづき、常五郎は(ふところ)から紙切れを出して久次郎に渡した。

「お嬢さんが今まで関係した男たちです」




 中町の質屋『井筒屋』の彦太郎。

 下町の絵草紙屋『(かり)屋』の新八。

 国定一家の鹿村の安次郎。

 同じく山王道村の民五郎。

 同じく茂呂村の茂八。


 中町の太物屋『井筒屋』の番頭、朝吉。

 同じく『井筒屋』の番頭、常五郎。

 中町の足袋屋『高砂屋』の小五郎。

 中町の太物屋『八幡(やはた)屋』の藤次。

 中町の青物屋『福井屋』の喜作。

 上町の研師、音吉。

 上町の煙草屋『桂屋』の善次。

 平塚の河岸問屋『柳屋』の徳次郎。

 国定一家、田部井(ためがい)村の竹七。

 同じく曲沢(まがりさわ)村の富五郎。

 同じく保泉村の久次郎。

 同じく田部井村の又八。

 同じく下植木村の浅次郎。


 中町の足袋屋『高砂屋』の職人、吉松。

 下町の煙草屋『越後屋』の六郎。

 下町の髪結床『尾張屋』の勇吉。

 平塚村の孝吉。

 国定一家、三ツ木村の文蔵。

 同じく五目牛(ごめうし)村の千代松。

 同じく神崎の友五郎。

 同じく茂呂村の孫蔵。

 同じく保泉村の宇之吉。

 同じく新川(にっかわ)村の秀吉。

 同じく堀口村の定吉。



「これがみんなか」

 久次郎は男たちの数に驚いた。鹿安も覗き込んで、目を丸くした。

「お嬢さんが思い出したのはそれだけでした」と常五郎は言った。

「おゆみから聞いたのか」

「ええ。お関さんがあんな風になって、もし、お嬢さんがあんな目に会ったら大変だと聞いておいたんですよ。下手人が捕まったんで用はなくなったんですが、取っておいてよかったです」

「うちの者が随分と世話になってるようだな」

「はい。わたしも驚きました。おりんさんの店に出入りするようになってから、国定一家の皆さんと仲良くなったみたいで」

「文蔵の兄貴や千代松の兄貴もいますぜ」鹿安が驚いて、久次郎を見つめた。

「後の方に書いてある十一人は一度だけ関係を持った人たちです」

「ほう、そういやア、孝吉の名前(なめえ)もあるな」

「最初の五人は今も続いてる関係で、次の十三人とは、もう切れてるそうです」

「成程‥‥‥番頭の朝吉ってえのは聞いた事アねえが」

「ああ、それはもういません。まだ十三だったお嬢さんにいたずらして首になりました。あれ以来、どこに行ったのか、境には現れてませんよ」

「番頭さんの名もありますね」

「恥ずかしい事ながら、わたしもお嬢さんの魔力には勝てず‥‥‥」常五郎は照れ臭そうに月代(さかやき)を掻いた。「もう、昔の事です。そん中の誰かと一緒だと思うんですが、どうか、調べてください」

「おっ、平塚の徳次郎もあるじゃねえか。おゆみは奴とも寝たのか」

「徳次郎と会ったのは、お奈々さんに誘われたんです。お奈々さんが孝吉さんちに行った時、徳次郎に頼まれたそうです。何度かお奈々さんと一緒に出掛けて行きました」

「そいつアいつの事なんだ」

「二月頃だったと思いますが」

「長く続いたんか」

「いえ、二、三回じゃないでしょうか」

「そうか‥‥‥」と久次郎は紙を見つめながら考えていたが、「これだけの事がわかりゃア、後は何とかなるだんべえ。任せときねえ」と常五郎にうなづいた。

 久次郎は井筒屋を出ると、鹿安に国定一家の者たちを当たらせ、とりあえず、おりんの店に行った。

 お勝手の方で煮物を仕込んでいたおりんは久次郎を見ると、「あーら、珍しいじゃない」と笑った。「保泉村の方はどうなの。うまく行ってるの」

 駄目だと言うように久次郎は首を振った。「まったく、思うように行かねえんで困ってますよ。おまけに、あっちこっちで雨漏りはしやがるし。そんな事アどうでもいいんだけど、姉さん、おゆみがどこに行ったか知らねえですか」

「そういえば、ここんとこ見ないわね。鹿安さんなら知ってんじゃない」

「奴も知らねえんだ」

 久次郎は常五郎から聞いた話をおりんに聞かせた。

「へえ、おゆみちゃんがいなくなっちゃったの。もしや、お関ちゃんみたいに‥‥‥」おりんは顔を曇らせて、久次郎を見た。

「姉さんもそう思うかい」

「そんな事あるわけないじゃない。下手人はもう捕まったんだし」

「確かに、仙太郎は捕まった。しかし、おゆみがいなくなったと聞いた時、何となく、やな予感がしたんですよ」

「また、誰かが馬吉の真似をしたって事?」

「もしくは、玉村の女郎とお関の下手人が別だったか‥‥‥」

「まさか。だって、仙太郎はちゃんと自白したんでしょ」

「自白した。でも、お関を殺したってえ証拠は何もねえんだ。行商人の支度はあったが、お関を連れ去った時の女の着物はなかった。平塚の先生によって着物の模様など詳しく絵に描かれたから、やべえってんで捨てちまったんかもしれねえが、証拠がねえってのは気にくわねえ」

「考えすぎよ。どうやって、お関ちゃんをさらったかをちゃんと白状したんでしょ」

「まあ、辻褄(つじつま)は合ってんだがな。それに、小指の事も気になるんだ」

「小指?」

「お関の小指がねえんですよ」

「そういえば、小指が切られてたって言ってたわね。仙太郎は小指を集めてたの」

「そうだんべえな。わざわざ切ったんだから」

「その小指はどうなったの」

「その事を聞きに先生んちに行こうと思ってんです。先生は来年の艶本に仙太郎の事を描くって言ってたから、玉村の親分さんから詳しく聞いてるはずです。小指の事もわかるだんべえ」

「また、残酷なのを描くんだ」とおりんは顔をしかめた。

「仕方ねえみてえですよ。版元が是非、描いてくれって言ってるらしいです。それに、玉村の親分さんも乗り気のようだし」

「そう。お関ちゃんの御両親が可哀想だわね」

「ええ‥‥‥姉さんに頼みがあるんだけど」

 久次郎は常五郎から預かった紙を見せた。

「何、これ?」

「おゆみに食われた男どもです」

「へえ、やるもんね‥‥‥国定一家の男たちが随分いるじゃない」

「お得意様だな」

「あら、あんたの名前もあるわよ」

「俺も一時、お得意様だったんだ」

「へえ、そうだったの」とおりんは久次郎の顔をまじまじと見てから、また、紙に視線を落とした。「文蔵さんと千代松さんの名前もあるわ。あの二人があの娘を抱いたとはねえ、まったく、男ってわからないものね」

「うっとおしい雨だ」と言いながら、浅次郎が入って来た。「あれ、兄貴、どうしたんです」

「おお、浅か、丁度いいとこにやって来た」

「あんたの名前もあるわよ」おりんが浅次郎に紙を見せた。

「何です、これア」

「おゆみちゃんのお得意様なんですって」

「へえ、兄貴が調べたんですか」

「馬鹿言うな。俺アそんな暇人じゃねえ」

 久次郎は浅次郎におゆみがいなくなった事を教え、国定一家以外の男たちを調べてくれと頼んだ。

「ねえ、あたしに頼みってえのは」とおりんが聞いた。

「もういいんです。誰かが来たら、その事を頼んでもらおうと思ったんです。丁度いいとこに浅が来たってえわけで。俺はちょっと平塚まで行って来ますよ」

「帰って来たら、また、寄って。あたしも小指の事が気になるから」

「ええ、わかりました」

 久次郎は雨の中、平塚へと向かった。






嗚呼美女六斬の創作ノート

1.登場人物一覧 2.境宿の図 3.「佐波伊勢崎史帖」より 4.「境町史」より 5.「境町織間本陣」より 6.岩鼻陣屋と関東取締出役 7.「江戸の犯罪と刑罰」より 8.「境町人物伝」より 9.国定一家 10.国定忠次の年表 11.日光の円蔵の略歴 12.島村の伊三郎の略歴 13.三ツ木の文蔵の略歴 14.保泉の久次郎の略歴 15.歌川貞利の略歴 16.歌川貞利の作品 17.艶本一覧




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