第三部
14.捕虜
横にはなったものの、おなかはすいているし、時々、照明弾が上がり、機銃の音も聞こえて来て、ゆっくりと眠る事はできなかった。早く安全な国頭まで行こうと夜明けと共に穴から出た。 小型艇はいなかった。敵の軍艦は静かに浮かんでいた。千恵子たちは足元に気をつけながら、まだ誰もいない海岸の岩場を東へと進んだ。 十分ほど進むと絶壁に出て、進む事ができなくなった。海はかなり深く、まだ新しい死体がいくつも浮いていた。夜のうちに、ここを泳いで行こうとして撃たれたのかもしれなかった。千恵子たちは引き返して、崖の上に出る道を捜した。ようやく登れそうな場所を見つけ、岩場をよじ登った。 上に出るとアダンのジャングルは焼かれて黒焦げになっていた。司令部があると思われるハゲ山は黒い煙を上げていた。その山を囲んで戦車が並び、火を吹いているのが見えた。 千恵子たちは身を低くして焼けたアダンの脇にある細い道を海岸線に沿って進んだ。道は途中でなくなってしまった。艦砲弾にやられて崩れてしまったようだった。 「どうするの」とトミがトヨ子に聞いた。 千恵子は回りを見回した。焼けたアダンはまだくすぶっていて、中を通って行くのは危険だった。下を見ると、波打ち際に岩場がずっと向こうの方まで続いていて、歩いて行けそうだった。 「何とかして、ここを降りるしかないわね」とトヨ子が下を見ながら言った。 「そんなの無理よ」と和江が恐ろしそうな顔して首を振った。 切り立った絶壁ではないが、下までは三十メートル位ありそうで、足を踏み外したら死ぬかもしれなかった。 「ねえ、エッコ、あんた、ロープを持ってるんじゃない」と千恵子は聞いた。 「あるわ」と悦子は手を打った。「捨てようか迷ったんだけど、持って来てよかったわ」 悦子はリュックを下ろして中からロープを取り出した。洗濯物を干すのに使ったロープだった。あまり太いロープではないが、一人づつ伝わって行けば降りられそうだった。 太いアダンの木を捜して、ロープの一端を縛った。崖下に下ろすと下までは届かなかったが、あそこまで降りられれば何とかなりそうだった。まず、トヨ子が足場を気を付けながら降りて行った。途中で足場が崩れて、ヒヤッとしたけど無事に降りる事ができた。トミと悦子も何とか無事に降りて行った。聡子と和江は怖いと言って、なかなか降りようとしなかった。 「下を見なければ大丈夫よ」とトヨ子が下から言った。 「早くしないと敵の戦車が来るわよ」と千恵子は後ろの方を見ながら言った。 和江が意を決して降りて行った。無事に降りられた。聡子も途中、危なかったけど降りられた。最後に千恵子が降りた。飛び出た岩に膝をぶつけてしまったけど降りられた。 ホッとする間もなく、「行くわよ」とトヨ子は歩き始めた。 波打ち際の岩場を進んで行くと、どこから来たのか、ここの岩陰にも避難民や兵隊が何人も隠れていて、死体がいくつも転がっていた。大きな岩を乗り越えたり、時には海の中に入ったりして、千恵子たちはただひたすら東に向かって歩いて行った。喉がカラカラで水が飲みたかったけど水筒は空っぽだった。どこかに清水でも湧いていないかと重い足を引きずりながら歩いた。 八時頃、敵の小型艇がやって来て、また、投降を勧める放送を始めた。千恵子たちは反射的に近くの岩の後ろに身を隠した。空腹のためフラフラしていたので、一休みする事にして隠れる場所を捜した。狭い岩陰にはどこも避難民たちが疲れた顔して隠れていた。 突然、女の悲鳴が聞こえた。振り返ると若い女が背中から血を流しながら倒れていた。刀を持った兵隊が、「この女はスパイだ。スパイの最期はこうなる」と言いながら、苦しんでいる女の顔を目がけて刀を斬りつけた。 千恵子たちは目を背けて、その場から離れた。 やっと狭い岩陰を見つけて隠れた。そこはあまりにも狭く、膝を突き合わせて隠れているしかなかった。 しゃがんだ時、千恵子はモンペの膝の辺りに血がにじんでいるのに気づいた。崖を降りる時にぶつけた所だった。必死に歩いていたので気づかなかったが怪我をしていた。千恵子はモンペを上げて傷を見た。擦りむいただけだったので安心した。聡子も腰の辺りを擦りむいていた。トミは地下足袋に穴があいて、足の裏を怪我していた。包帯はもうないので、ほんの少し残っていた消毒液で傷口を消毒した。 敵の放送に誘われて、子連れの避難民が岩陰から出て来て、東へと歩いて行った。 隣の岩陰に兵隊がいて小声で話をしていた。聞くともなしに聞いていた千恵子は耳を疑った。今朝早く、 「今の聞いた」と千恵子は隣にいるトヨ子に聞いた。 トヨ子はうなづいた。 「本当なのかしら」 「わからないわ」 真相を確かめたかったが、軍隊に関する事を聞いたら、スパイに間違われて殺されるかもしれなかった。千恵子は耳をそばだてて兵隊の話を聞いていた。 司令官殿がいなくなって、この戦争はどうなるんだと一人の兵隊が嘆いた。別の兵隊が、こんなの戦争なんかじゃねえと言った。味方はやられっぱなしじゃねえか、本土からの救援はまったくねえし、沖縄は見捨てられたんだ。畜生、こんな所で死にたくねえ。必ず勝つって言ってたのに、どうして、こんなざまになっちまったんだ。 「ねえ、いつまで、ここにいるの」と悦子が言った。「もっといい場所があるんじゃない」 「昼間は敵も撃って来ないから、別の場所を捜したほうがいいわよ」と和江も言った。 トヨ子がみんなの顔を見回した。出て行こうとした時、「敵だ!」と誰かか叫んだ。 千恵子は岩陰から外を見た。敵の姿は見えなかった。西の方の岩陰からパーンという爆発音がして、小さな煙が立ち登った。誰かが手榴弾で自決したようだった。ダダダダダと自動小銃の音も聞こえて来た。手榴弾の炸裂する音も次々に聞こえて来た。敵に捕まるよりも 千恵子たちも自決したかった。でも手榴弾はない。どうしようとおろおろしていると西の方に自動小銃を手にしたアメリカ兵の姿が見えた。 鬼のように大きかった。赤い顔をしていた。黒い顔をした怪物のようなのもいた。恐ろしい鬼が十数人も近づいて来た。 「デテコイ、デテコイ」とアメリカ兵は言いながら、返事がないと容赦なく自動小銃を撃っていた。悲鳴が聞こえ、「撃たないでくれ」と叫びながら避難民たちが手を上げて出て行った。 「向こうからも来た」とトミが東の方を示した。 四人のアメリカ兵が見えた。五、六人の避難民が両手を上げて投降していた。前からも後ろからもアメリカ兵が迫って来ていた。もう逃げ場はなかった。 「顔を汚すのよ」と悦子が言った。 岩陰にあった濡れた泥を千恵子たちは競って顔に塗り付けた。 「デテコイ、デテコイ」と言いながらアメリカ兵は近づいて来た。自動小銃の音が響いて、悲鳴が聞こえ、手榴弾の音もあちこちから聞こえて来た。 隣にいた兵隊たちも、「大日本帝国、万歳!」と叫びながら自決した。 突然、二人の兵隊が千恵子たちの所に逃げ込んで来た。一人の兵隊が手榴弾を持っていた。神の助けだと千恵子たちは手榴弾を見つめた。 「 千恵子たちはうなづいた。 たった一つの手榴弾で八人も死ねるのだろうかと心配だったが、後は、運を天に任せるしかなかった。千恵子たちは丸くなって一つの手榴弾を囲んだ。 兵隊が安全ピンを抜いて、皆の顔を見回した。 いよいよ、死ぬ時が来た。敵に捕まる事なく死ねるのが嬉しかった。ただ、ここで死んだという事を家族に知らせる事ができないのが残念だった。 「行くぞ」と言って、兵隊は手榴弾の飛び出た所を岩に叩きつけた。 一瞬の内に吹き飛ぶはずだった。でも、手榴弾はカチッと音がしただけだった。兵隊はもう一度、岩にぶつけた。手榴弾は不発だった。 「くそっ」と言って兵隊は手榴弾を投げ捨てた。やはり爆発はしなかった。 アメリカ兵はすぐ側まで迫って来ていた。 「もう終わりだ」と二人の兵隊は軍服を脱ぐと両手を上げて出て行った。 「何よ、もう」とトヨ子が言って、気が抜けたように座り込んだ。 千恵子は首筋の汗を拭いた。緊張したせいか汗びっしょりだった。もう何も考えられなかった。 「どうするの」と悦子が聞いた。 「もういい」とトヨ子は言った。「どうせ死ぬんだから、捕虜になって、みんなと一緒に死のう」 千恵子たちはうなづいて、両手を上げて出て行った。悦子が乾パンの袋を広げて白旗代わりにして先頭に立った。 海岸に、自動小銃を持ったアメリカ兵に囲まれて十数人の避難民がいた。 千恵子たちも自動小銃を持った鬼のようなアメリカ兵に囲まれた。敵に捕まってしまった自分たちが情けなかった。途中で亡くなった留美が羨ましかった。留美はこんな悔しい思いをしなくてもよかった。 アメリカ兵は捕まえた避難民たちの持ち物を調べていた。 アメリカ兵の大きな手が、千恵子の体を叩きながら探った。悔しさで涙が出て来た。リュックを奪って中身を点検した。八重瀬岳を出る時にもらったお金と家族が揃って写っている写真を取られた。 金色の髪をしたアメリカ兵は写真を見ながら千恵子に何かを言ったが、何を言っているのかさっぱりわからなかった。他人の写真なんか持っていても仕方がないので返してくれると思ったのに、アメリカ兵はその写真を自分のポケットにしまってしまった。 トミは腕時計を取られたが、千恵子の時計はガラスにひびが入っていたせいか取られなかった。啄木歌集も取られなかったのでホッとした。 アメリカ兵と一緒に憲兵隊長の姿があった。憲兵隊長はメガホンを持って避難民たちに投降を勧めていた。千恵子たちは目を疑った。どうして憲兵隊長が敵と一緒にいるのだろう。信じられないが、敵のスパイになったのに違いなかった。憲兵隊長は二高女の近くにあった連隊区の司令部にいて、二高女で講演をした事もあった。憲兵隊長ともあろう人が敵のスパイになるなんて情けなかった。 「おや、女学生さんか。御苦労、御苦労。戦争はもう終わったぞ」と憲兵隊長はニヤニヤしながら言った。 千恵子たちは誰も返事をしなかった。戦争が始まる前、厳しく、スパイを取り締まっていた癖に、自分がスパイになってしまうなんて勝手すぎた。日本兵に殺されてしまえばいいと思った。 千恵子たちは避難民たちと一緒にアメリカ兵に連れられて海岸に沿って東へと歩いた。ちょっとした砂浜があって、敵の小型艇が近くに浮かんでいた。 あの船に乗せられるのだろうか。もし、そうだったら海に飛び込んで死のうと思った。でも、違った。細い道を海とは反対の方に連れて行かれた。 岩場の坂道を登って行くと焼けたアダン林の向こうに広場があった。そこに避難民や兵隊が大勢、疲れた顔して座り込んでいた。百人近くはいるようだった。ここに集めて、まとめて殺すつもりなのか。死ぬ前に一杯、水が飲みたかった。 避難民たちは皆、不安な面持ちで黙り込んでいた。 初江たちがいないかと捜してみたが見つからなかった。兵隊と一緒に手榴弾で自決したのかもしれなかった。みんな、見事に自決して、ここにいる六人だけが生き残って敵に捕まってしまったのかもしれない。恥ずかしくて、死んだみんなに会わす顔がなかった。 黒い顔をした大きなアメリカ兵が千恵子たちの側に近づいて来て、黒い手で水筒を差し出した。どうして真っ黒なのか不思議だった。こんな人間が世の中にいる事が信じられなかった。水筒の中に毒が入っているに違いないと誰も受け取らなかった。黒いアメリカ兵は白い歯を剥き出して笑うと自分が飲んでから、もう一度差し出した。千恵子は水筒を受け取りたかった。でも、みんなが敵の水なんか飲めるかと顔を背けていたので諦めた。黒いアメリカ兵は何事か言うと去って行った。 避難民と兵隊に分けられ、ふんどし一丁にされた兵隊たちはトラックに乗せられて、どこかに行った。戦車の所に連れて行かれて、轢かれるに違いなかった。次は女たちが連れて行かれ、裸にされるに違いない。そんな辱めを受けるくらいなら、自動小銃に撃たれた方がましだった。ここから逃げ出せば撃たれるかもしれない。そう思いながら回りを見回した。アメリカ兵は五メートル位の間隔を置いて広場を囲んでいた。逃げる前に捕まってしまいそうだった。 小さな子供がヨチヨチ歩きながらアメリカ兵に近づいて行った。子供はアメリカ兵を見上げながらアメリカ兵のズボンを引っ張った。殺されてしまう。可哀想にと思いながら見ていると、アメリカ兵は子供の頭を撫でながら何かを言った。ポケットから何かを出すと子供に渡した。子供は何かをもらって嬉しそうに避難民たちの中に戻って行った。 今、目の前で起こった事が千恵子には信じられなかった。あれが鬼畜米英なのか。いいえ、騙されてはいけない。優しい振りをしているだけだ。アメリカ兵は鬼だという事を忘れてはいけないと自分に言い聞かせた。 トラックで移動するのかと思っていたら歩かされた。アメリカ兵に囲まれたまま、ぞろぞろと避難民たちの行列が続いた。 どこに連れて行かれるのだろうと不安な面持ちで千恵子たちは一番後ろについて行った。千恵子たちの後ろには銃を構えたアメリカ兵が二人いた。ニヤニヤしながら千恵子たちを見ていて、襲われるのではないかと恐ろしかった。 細い道の両側のアダンは皆、焼けていて、所々に黒焦げの死体があった。戦車があちこちにあって、アメリカ兵たちは上半身裸になって、戦車の上でのんきに日なたぼっこをしていた。牛島司令官が自決したというのは本当のようだった。もう戦争は終わったという雰囲気が漂っていた。 摩文仁の集落に近づくに連れて、道端には死体がごろごろ転がっていた。皆、膨れていて腐臭が鼻をついた。蛆虫が 大通りに出ると道端に驚く程の死体があった。戦車に轢かれて無残につぶれている死体もあった。沖縄の人たちの半数以上が死んでしまったと思える位、どこを見ても死体だらけだった。頭が痛くなる程の死臭が辺り一面に漂っていた。 畑の中にアメリカ兵の陣地があった。テントがいくつも張ってあり、陽気な音楽が流れていた。ドラム缶に溜めてある水を頭からかぶっているアメリカ兵もいた。 千恵子はもう我慢がてきない位に喉が渇いていた。あのドラム缶の所まで走って行きたい衝動にかられた。 どこに連れて行かれるのかわからないまま、炎天下を黙々と歩いた。千恵子たちの前に子連れの母親がいた。赤ん坊を抱いて、五歳位の女の子の手を引いていた。どこから来たのか知らないが、赤ん坊が今まで生きていたなんて奇跡に近かった。突然、女の子が泣き出して立ち止まった。母親も立ち止まったので、後ろにいる千恵子たちも立ち止まった。母親が手を引っ張ったが、女の子は泣きわめくばかりで動こうとしなかった。 千恵子たちは仕方なく、母子を抜いて先に行った。千恵子が気になって振り返るとアメリカ兵が女の子を抱き上げていた。女の子は驚いたような顔してアメリカ兵を見ていたが泣きやんでいた。アメリカ兵は女の子を抱いたまま母親を促して一緒に歩いた。千恵子は首を傾げながら前を向いた。鬼の中にもいい鬼がいるのかもしれないと思い始めていた。 アメリカ兵の陣地はあちこちにあった。どこでも音楽を流していて、アメリカ兵はのんびりしていた。とても戦争をしているとは思えなかった。バレーボールや野球をしている兵もいた。日本の軍隊では考えられない事だった。戦車のような見たこともない機械で穴だらけの道路を直しているアメリカ兵もいた。何もかもが日本軍より優れているように思えた。 破壊された集落を抜けた所で休憩になった。トラックが近くに止まって避難民たちに水を与えた。今度こそ、毒を飲まされて殺されるのかと思ったが、その水はアメリカ兵も飲んでいた。避難民たちも首を振る事なく水を飲んだ。 千恵子ももう我慢できなかった。水の入った容器を受け取るとゴクゴクと水を飲み干した。おいしかった。もう、いつ死んでもいいと思った。千恵子が最初に飲むとトヨ子たちも水を飲んだ。皆、生き返ったようにほほ笑んだ。 アメリカ兵はチョコレートも皆に配った。千恵子たちも受け取った。みんなが食べているので千恵子たちも食べてみた。毒が入っていようが、もう、どうでもいいという心境だった。チョコレートはまるで、夢を見ているようなおいしさだった。千恵子は半分近く食べて、後はリュックにしまった。 また歩き始めた。水とチョコレートのお陰か、体中に力が湧いて来たように体が軽くなっていた。 「 敏美の家が具志頭にあったのを千恵子は思い出した。この辺りもひどい有り様で、まともな民家は一つもなかった。敏美の家もなくなってしまったのだろう。家族も亡くなってしまったかもしれない。戦争を知らないで亡くなった敏美は返って幸せだったのかもしれないと思った。 やがて、港川に着いた。港には敵の軍艦がいくつも泊まっていて、アメリカ兵が様々な物資を船から降ろして山積みにしていた。建ち並ぶ兵舎からは音楽が流れ、アメリカ兵は我が物顔で歩いている。まるで、アメリカの街に来たような感じだった。 大きな川には新しい橋も架かっていて、敵のトラックが行き来していた。さらに二キロばかり進んで、着いた所は 疲れた顔した女の人や子供たちが思い思いの所に座り込んでいた。皆、諦め切った顔で呆然としていた。どう考えても、ここから逃げられそうはなかった。千恵子たちもあいている地べたに座り込んだ。 「これからどうなるの」と悦子が聞いた。 「殺されるに決まってるじゃない」とトヨ子が言った。 「波平の民家にあった手榴弾を一つづつ持ってくればよかったね」と聡子が言った。 「手榴弾なんかあったの」とトミが聞いた。 「海軍さんが置いて行ったのよ。いっぱいあったのよ」 「それがあったら、今頃、こんな所にいなかったのにね」 「そんな事、今頃、言っても仕方ないわよ」と千恵子は言った。 「もしもの時は舌を 千恵子は舌を軽く噛んでみた。舌を噛み切るなんてできるだろうか不安だった。でも、裸にされて暴行を受けるよりはましだった。千恵子たちはお互いの顔を見ながらうなづき合った。 「ねえ、もうこれを脱いでもいいんでしょ」と和江が防空頭巾を脱いだ。 トヨ子は鉄カブトを捨ててから何もかぶっていなかったが、他の者たちはボロボロになった防空頭巾を後生大事にかぶっていた。アメリカ兵が大勢いるここには爆弾は落ちて来ないだろうと千恵子たちは防空頭巾を脱ぎ捨てた。 「髪を洗いたいわ」と悦子が髪を掻いた。シラミだらけの髪は掻いたら最後、我慢できなくなる程かゆくなるので千恵子はじっと我慢した。 「ここにいる人だけが生き残ったのかしら」とトミが回りを見回しながら言った。 「なに言ってるのよ。まだ、大勢の人が岩陰に隠れていたじゃない」とトヨ子が言った。 「でも、岩陰から出て来ない人たちはみんな殺されたのかもしれないわ」と聡子が言った。 「それじゃあ、初江たちも死んじゃったのね」とトミが言った。 そんな事、口に出して言ってほしくはなかったのにと千恵子が思っていると、 「二高女で生き残ったのはあたしたちだけなの」と和江が言った。 「今の所はね」とトヨ子が言った。「これからあたしたちも死ぬのよ」 「そうね」と千恵子はうなづいた。ここで殺されるのか、それともどこかに連れて行かれるのか、どっちにしろ、これから先、恐ろしい現実が待っているに違いなかった。
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當山捕虜収容所