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1809年 | 利助、島村の養蚕長者、田島甚兵衛(1781−.29)の次男に生まれる。 | 1歳 | |
1819年 | 島村の金井万戸の長男、左仲太(烏洲)、江戸より帰る。 | 11歳 | |
利助、この頃より左仲太から絵を習う。 | |||
1820年 | ・母親(1784−,37)、病死する。 | 12歳 | |
1822年 | 正月 | 歌川豊国(54)、艶本『逢夜雁之声』を刊行。 | 14歳 |
3月 | ・父親(46)、おちか(20)を後妻に貰う。 | ||
1823年 | 正月 | 歌川豊国、艶本『開中鏡』を刊行。 | 15歳 |
1824年 | 9月 | ・おちか(22)、妹、おかよを産む。 | 16歳 |
1825年 | 正月 | 歌川国貞、艶本『百鬼夜行』『恋相撲十二手』を刊行。 | 17歳 |
3月 | 利助、江戸に行き、歌川国貞(1786−1864,40)の弟子になる。 当時、国貞の弟子に貞秀(1807−1879,19)がいた。 |
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利助は国貞のもとで美人画、役者絵を描き、豪華な艶本を初めて見る。 | |||
1826年 | 正月 | 国貞、艶本『開談夜の殿』『五大力恋の柵』『風俗すい妓伝』を刊行。 | 18歳 |
1827年 | 正月 | 国貞、艶本『恋の楽屋』『泉湯新話』『逢身八契』を刊行。 | 19歳 |
10月 | ・おちか(25)、出産に失敗して死す。 | ||
1828年 | 正月 | 国貞、艶本『仮名手本夜光玉』『三国女夫意志』を刊行。 | 20歳 |
1829年 | 正月 | 国貞、艶本『三體志』『四季の詠』『色日記』『源氏思男貞女』を刊行。 | 21歳 |
1830年 | 正月 | 国貞、艶本『風俗三国志、初編』を刊行。 | 22歳 |
8月 | 百々一家の跡目を国定村の忠次が継ぐ。 | ||
1831年 | 正月 | 貞利、初めて艶本を刊行する(陰号は夜雁亭さね利、内容は明るい)。 | 23歳 |
10月2日 | 島村の伊三郎、女壷振りとして、お北(22)を大黒屋、おみね(20)を桐屋で披露する。 | ||
1832年 | 正月 | 国貞、艶本『風俗三国志、二編』『あきのななくさ』を刊行。 | 24歳 |
2月13日 | 平塚の助八、中島の甚助を殺して旅に出る。伊三郎、平塚に子飼いの留五郎に任せる。 | ||
3月 | 貞利、兄弟子と喧嘩して、江戸から帰り、木崎宿に住み、女郎たちを描く。 | ||
4月 | 木崎の孝兵衛(50)の目に止まり、木崎宿の女郎たちを描く。 | ||
6月 | 島村の伊三郎(43)に呼ばれ、お北(23)お峰(21)おふね(19)ら妾の絵を描く(肉筆)。 | ||
9月 | 伊勢崎の半兵衛、武士の惣次郎を殺して国越えする。 | ||
林屋の飯盛女、お鶴(17)を描く(肉筆)。 | |||
11月 | 林屋の飯盛女、おたか(18)を描く(肉筆)。 | ||
1833年 | 正月 | 貞利、美人画『当世木崎美人(12枚揃)』と木崎宿を舞台にした艶本『婀娜稲荷(半紙本3冊)』を刊行。 美人画絵師として、評判となる。木崎の飯盛女たちが描いてくれと押しかけて来る。 |
25歳 |
広重、『東海道五十三次』を刊行。国貞、艶本『風俗三国志、二編』を刊行。 | |||
2月 | 貞利、伊三郎の勧めにより、平塚に仕事場の新築を始める。 | ||
3月7日 | 小三郎とおふさの心中事件。貞利、伊三郎と共に取材する。 | ||
3月 | 貞利、日光例幣使道を旅する。 | ||
4月 | 美人画『美人例幣使道』を描き始める。 | ||
5月 | 貞利、木崎宿の料理屋の看板娘、おすみ(17)を描く(肉筆)。 | ||
8月1日 | 大風雨。 | ||
16日 | 平塚の桑畑の中の仕事場が完成し、貞利、木崎より移る。伊三郎、後援する。 | ||
9月20日 | 伊三郎の妾、お北(24)、貞利のもとに出入りし、絵を描かせる(肉筆)。 | ||
10月 | 伊三郎の妾、おふね(20)を描く(肉筆)。 | ||
10日 | お常、お菊、お海、貞利の家に遊びに行く。 | ||
11月 | 赤城山下の百姓、暴動を起こし、伊勢崎、境に押し寄せる。 | ||
1834年 | 1月7日 | 貞利、美人画『美人例幣使道(16枚揃)』(倉賀野、玉村、五料、柴、境、木崎、太田、八木、梁田、天明、犬伏、富田、栃木、合戦場、金崎、鹿沼)、艶本『開談遊女魔庫(半紙本3冊)』刊行。 | 26歳 |
2月14日 | 伊三郎、平塚の外れに土蔵を買い取り、内装を美しく飾り、秘密の隠れ家とする。 | ||
3月7日 | 高砂屋のお常が行方知れずになる。 | ||
12日 | 境宿の絹市。お常のバラバラ死体が発見される。 | ||
14日 | 伊三郎、お常殺しの下手人として中島河岸の荷揚げ人足を捕まえる。 | ||
4月 | 玉村の玉斎楼の幸兵衛(45)に呼ばれて、玉村の女郎を描く。 | ||
7月2日 | 島村の伊三郎、国定村の忠次に殺される。 | ||
22日 | 百々一家、境宿を取り戻す。 | ||
10月 | 貞利、何度も断ったが、とうとう、島村の平作(18)を弟子にする。 | ||
11月 | 平塚の助八、百々一家の助けを得て、平塚と中島を取り戻す。 | ||
12月 | 貞利、円蔵に呼ばれ、3人の女壷振り、お辰(26)、お紺(21)、お藤(19)を描く。 | ||
1835年 | 1月7日 | 貞利、艶本『嗚呼美女六斬(半紙本3冊)』を刊行、評判となる。 美人画『利根川八景(8枚揃)』『玉村美人八景(8枚揃)』を刊行。 |
27歳 |
国貞、艶本『艶紫娯拾餘帖』『寿栄志らが女夫久舎』を刊行。 | |||
1月 | 貞利、平塚の政吉(17)を弟子にする。 | ||
4月 | 美人画『百々一家の三美人』を刊行。 | ||
5月3日 | 貞利、境宿の織間文左衛門に呼ばれて、『境七小町』を依頼される。 | ||
6月25日 | 関東、奥羽に大地震起こり、多大の被害が出る。 | ||
7月13日 | 忠次、旅から帰って来る。 | ||
8月10日 | お北の弟、尾島の孝吉(23)、旅から帰って来て、貞利を訪ね、姉の事を聞く。 | ||
19日 | 貞利、お政の弟、庄次(16)を弟子にする。 | ||
10月6日 | 忠次の妾、お町(26)を描く(肉筆)。 | ||
吉日 | 貞利、七小町と共に、上中の清蔵とお安の祝言に招待される。 | ||
1836年 | 1月7日 | 貞利、美人画『境七小町(7枚揃)』『当世玉村美人(12枚揃)』、艶本『嗚々利根無常(半紙本3冊)』刊行。 | 28歳 |
2月22日 | 貞利に描かれた玉村宿の女郎がバラバラにされて殺される。 | ||
3月3日 | 雛祭り、貞利、七小町と一緒に、橘屋のお関の家に呼ばれる。 | ||
5日 | 橘屋のお関が行方知れずになる。 | ||
10日 | 富塚の角次郎、旅から帰り、お関を捜し回る。 | ||
13日 | お関のバラバラ死体が境宿に届けられる。 | ||
20日 | 玉村のバラバラ殺人事件とお関殺しの下手人、捕まる。貞利の艶本を所持していた変体男。 | ||
4月9日 | 忠次、本拠地を百々村から田部井村に移し、国定一家を名乗る。 | ||
10日 | この日より、雨が降り続く。 | ||
13日 | 忠次に頼まれ、『国定一家女列伝』を描き始める。 | ||
19日 | 井筒屋のおゆみ、江戸に行く。 | ||
5月8日 | 尾島の孝吉、翁屋のお通を殺し、不流一家の若い者に殺される。 | ||
16日 | お奈々、貞利を訪ね、孝吉は下手人ではないと訴える。 | ||
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