長尾景虎
真田 尾張守の長男、 大戸氏、羽尾氏と会って、彼らの覚悟を知った尾張守は決心を新たにして草津を訪れた。その時の尾張守は迷い一つないさっぱりとした顔付きだった。 「草津の湯に浸かって鋭気を養い、北条の奴らを片っ端から、なぎ倒してくれるわ」と尾張守は張り切っていた。 善太夫の湯宿の奥座敷に泊まり、日夜、遊女を呼んで豪遊していた尾張守は、一瞬にして転落した。留守にしていた国峰城が同族の小幡 小幡図書助もまた、信濃守の娘婿だった。図書助の後ろに信濃守がいる事を悟った尾張守は武田の軍門に下る決心を固めた。 尾張守から相談を受けた善太夫は、尾張守を 八月の末、側室の小茶が子供を産んだ。今度こそ、男の子だろうと楽しみにしていたのに、またしても女の子だった。善太夫の次女は秋に生まれたので、アキと名付けられた。 アキの誕生を祝っていた時、 越後の長尾 越後の大軍は 白井の長尾氏の被官となっていた伊勢守の弟が伊勢守を名乗って、上泉城主として廐橋にやって来ていた。誰もが不思議がり、伊勢守の弟から理由を聞いたが、伊勢守が病に倒れて、 善太夫は心配になって上泉城に向かった。 伊勢守はいなかった。伊勢守だけでなく、家族は勿論の事、伊勢守の門弟たちも誰もいなかった。伊勢守の家臣の何人かは残っていたが、伊勢守がどこに行ったのか、教えてはくれなかった。善太夫は円覚坊に伊勢守の行方を捜してくれと頼んだ。 上泉伊勢守はどこかに消えてしまったが、上野の国は皆、長尾景虎の支配下に入った。 善太夫は以前、円覚坊と一緒に越後を旅した時、長尾景虎を見た事があった。もう、十年以上も前の事である。 当時、景虎は越後国内を平定するために 十二年振りに見た景虎は三十一歳になり、大軍を率いる大将にふさわしい威厳ある武将になっていた。善太夫は景虎の前に伺候した時、景虎の大きさに圧倒された。 この時、善太夫はこの男なら信じられる。この男なら従ってもいいと心から思った。 善太夫ら吾妻の武士たちは、新たに岩下衆として編成され、 上野の武士たちは皆、長尾氏の 草津の冬住みが始まり、雪の散らつく十一月の事だった。 鎌原宮内少輔が突然、何者かに襲撃された。善太夫はすぐに宮内少輔を助けるために出陣した。宮内少輔を攻めたのは斎藤越前守と羽尾道雲だった。宮内少輔が武田方と通じたため成敗するとの名目だった。善太夫は手を引けと言われたが、浦野 善太夫は斎藤越前守が好きではなかった。今回、岩下衆となって越前守を旗頭にせよと命じられたが、元々、越前守とは同等の立場にあった。部下でもないのに命令口調で威張り散らす越前守に反感を持つ者は多かった。さらに今回の不意打ちは 越前守の襲撃は失敗に終わり、長野信濃守が送った大戸 越前守らが引き上げた後、宮内少輔は苦笑しながら、「まずかったのう」と善太夫に言った。「予想外な事じゃった」 「突然の襲撃でしたからね」と善太夫は言った。 「いや」と宮内少輔は首を振った。「今回の事じゃない。長尾 「簡単に上野を平定しましたね」 「とりあえずはな。弾正が廐橋にいるうちは弾正の天下じゃ。しかし、いつまでも、廐橋に腰を据えているわけにも行くまい。弾正が越後に帰れば、また、北条氏は攻めて来るし、武田信玄殿も攻めて来る」 「確かに」と善太夫はうなづいた。 「善太夫、よく考えてみよ。弾正は三国峠を越えて上野に入り、沼田を落として廐橋を本陣とした。次にどこに行く」 「平井では?」 「多分のう。それで次は?」 「河越か」 「うむ、河越にいる北条の兵を追い出すじゃろう。弾正がこの 「いえ。敵対しなければ来る事はないでしょう」 「じゃろうな。ところで、北条はどうじゃ。北条は河越から平井を攻め、廐橋を手に入れて、沼田も落とした。北条は吾妻郡に来るか」 「いえ」 「うむ、奴らは吾妻郡には来ない。さて、武田はどうじゃ」 善太夫は宮内少輔の顔を見つめ、「武田軍はここ、吾妻郡を通って廐橋に出ると言うのですか」と聞いた。 「信玄殿はのう、三年前、 「ここを武田の大軍が通って行くというのですか」 宮内少輔はうなづいた。「弾正と同じように怒涛の勢いで通って行くじゃろう。邪魔する者は容赦なしじゃ」 「宮内少輔殿、武田軍はいつ、攻めて来るのです。御存じなんでしょう」 「来年じゃ」 「来年‥‥‥それは確かなのですか」 「確かじゃ。来年の雪溶けを待って、越中の一向一揆が越後に攻め入る。弾正は越後に帰らなくてはならなくなる。弾正が帰った後、一徳斎殿の率いる武田の兵が鳥居峠を越えて吾妻郡に攻め込む。弾正が戻って来ないように、信玄殿は川中島に出撃する。弾正は迷わず、川中島に出て来るはずじゃ。弾正を川中島に釘付けにしておいて、吾妻郡を平定するという 善太夫は驚いた。 戦の規模が余りにも大きすぎた。善太夫には想像もできない程、信玄という男は大きな視野に立って物を考えていた。きっと、信玄だけでなく、長尾景虎も北条氏康もその位の規模の事を考えているに違いなかった。その三人にとっては、管領のいなくなった上野の国は、持主のいない土地のようなもので、早い者勝ちで奪い取れる国なのかもしれなかった。すでに、善太夫がどうこうできる状況にはなかった。強い者に従って行くより生きて行く道はないという事をまざまざと知らされたような気がした。 「心配するな」と宮内少輔は言った。「わしに任せろ。わしが一徳斎殿にうまく取り持ってやるわ」 「お願いします」としか善太夫には答えられなかった。
長尾景虎は廐橋城で年を越した。 正月には関東中の武将たちが先を争って新年の挨拶に殺到した。 善太夫も岩下衆と共に廐橋まで行って、景虎に祝いを述べた。 二月になると、いよいよ北条氏 善太夫は留守を義兄の湯本次郎右衛門に頼み、兵を率いて出陣した。 十万近くに膨れ上がった大軍が関東平野を南下して行った。 北条方の城はおとなしく 善太夫ら岩下衆は、また箕輪の長野信濃守の指揮下に入る事となった。 善太夫は鎌原宮内少輔の 「親父は武田方となったが、俺は長尾弾正(景虎)殿に付いて行く。これだけの大軍に攻められたら、いくら武田信玄といえども勝てるまい。親父は早まった事をしたもんじゃ。今回、北条を倒したら、親父には隠居してもらうつもりだ」 筑前守は張り切って、善太夫に話していた。 善太夫は筑前守にうなづきながらも、賛成はしかねていた。河越の合戦の時、善太夫はやはり、これだけの大軍を見ていた。数は多いが、 景虎は二月の末に鎌倉を占拠してから小田原を目指した。 小田原城に近づくと周辺の民家をことごとく焼き払い、その勢いのまま小田原城に総攻撃をかけた。しかし、城中からは一兵も出て来なかった。 十万の大軍は小田原城を完全に包囲して、攻撃を仕掛けたが無駄だった。北条氏は堅く城を守るだけで、挑発に乗って飛び出して来る事はなかった。そして、夜になると闇に隠れて関東軍の陣地を荒らし回り、さっさと引き上げて行った。 「 「北条の 「そうじゃ。奴らは 「陰流を使うのか」 「首領の名を風摩小太郎といい、今は四代目のはずじゃ。二代目の小太郎は愛洲移香斎殿の 「という事は河越合戦の時も風摩党が陰で活躍したのか」 「そうじゃよ。風摩党はただの乱波とは違う。武田の乱波や越後の乱波は雇われた忍びじゃ。情報集めには使うが、裏切りを恐れて戦に使う事は少ない。風摩党は忍びというよりは陰の武士と言った方が正しい。決して表には出ないが、恐ろしい集団じゃ。伊賀や甲賀の忍びでさえ、風摩党には近づかないというからのう」 景虎の包囲戦は一月近く続いたが、小田原城はびくともしなかった。長期戦になれば甲斐の武田が動き出して、不利になると察した景虎は兵をまとめて鎌倉に引き下がった。 景虎は前管領上杉憲政から上杉姓と『政』の字を贈られ、これより関東管領上杉政虎と名乗りを改めた。 五月の末、廐橋に戻った政虎は、廐橋城の守りを河田 政虎が廐橋城を発った頃、箕輪城では城主、長野信濃守 信濃守は小田原に出陣する以前から体調を崩していた。しかし、 「わしの死はしばらくの間、隠しておけ。そして、管領になられた上杉政虎殿を助けて、上野の国を敵から守るんじゃ。いいな」と信濃守は右京進に遺言を残すと、無念そうに息を引き取った。 政虎が越後に帰るのを、今か今かと待っていたのは鎌原宮内少輔だった。伜を政虎のもとに送り、おとなしくしていた宮内少輔は政虎が消えると同時に行動を開始した。 宮内少輔は 新十郎は斎藤越前守の家老だった富沢 宮内少輔は新十郎から、やはり越前守に不満を持っている越前守の 準備が整うと宮内少輔は家臣の黒岩伊賀守を信州松尾城(真田町)の真田一徳斎のもとに送った。伊賀守が一徳斎から返事を持って帰って来ると、伜の筑前守を説得して、一徳斎のもとに送った。 一徳斎が 宮内少輔は得意顔で案内役として先頭を進んだ。 善太夫も宮内少輔から連絡を受けると直ちに家臣を引き連れて、一徳斎の旗下に入った。 羽尾城の羽尾道雲、長野原城の海野長門守も武田の大軍の前に、なす術もなく軍門に下った。 宮内少輔は岩櫃城内にいる斎藤弥三郎、富沢新十郎らとひそかに連絡を取り、一気に斎藤越前守を倒すつもりでいたが、あっけなく、越前守は 越前守は武田信玄には何の恨みもないので刃向かうつもりは 越前守が頭を丸めたのは一徳斎に対して詫びるためではなかった。越後の上杉政虎に詫びたのだった。越前守は武田の軍門に下ろうとは全然思ってもいない。しかし、この場は降参する以外、勝てる見込みはなかった。政虎が武田軍に降参した事について、何か言って来た場合の逃げ道として頭を丸めたのだった。隠居した自分が仕方なく降参したが、斎藤家を継いだ伜は飽くまでも、政虎に忠実であると思わせるための芝居だった。 当然、一徳斎も越前守の心は読んでいた。しかし、一徳斎の方でも、険しい岩山の中にある岩櫃城を落とすのは容易ではないと考え直し、もう一度、出直した方がよさそうだと思っていた。一徳斎は越前守の言い分を認め、とりあえず和睦したのだった。 善太夫は兵を率いて信濃に帰る一徳斎を見送りながら、去年、草津に来て、帰る時に言った言葉を思い出していた。 「また来る」と一徳斎は笑いながら言った。あれは、今度来る時は大軍を率いて来るという意味だったのだと、ようやく気づいた。 「わしの思った通りになったじゃろう」と宮内少輔は言った。「今、管領殿(上杉政虎)は川中島で信玄殿と合戦中じゃろう。関東遠征の後じゃ、兵も疲れている。もしかしたら、信玄殿に敗れるかもしれん。決着が着かなかったとしても、今年の冬は関東に出て来る事はあるまい」 宮内少輔は得意そうに笑った。「おぬしの事は一徳斎殿によく言っておいた。これからは武田の 善太夫の背中をたたくと、大笑いしながら宮内少輔は武田の兵の後を追って行った。 宮内少輔を見送りながら、「このままでは済むまい」と円覚坊が言った。「吾妻郡が武田方となったと知れば、管領殿も黙ってはいまい」 善太夫は厳しい顔付きでうなづいた。「それに、斎藤越前守も黙ってはいないでしょう」 「うむ。箕輪の信濃守殿が亡くなったらしいからのう。越前守も信濃守には頭が上がらなかった。その信濃守がいなくなったとなると越前守も欲を出す。管領殿のもとで西上州を支配しようと考えているかも知れんのう」 「岩櫃の動きを探った方がよさそうですね」 円覚坊はうなづき、「鎌原もな」と付け足した。 善太夫はうなづくと馬にまたがり、草津へと登った。
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小田原城跡
岩櫃城跡