天文10年(1541) | 5月 | 甲斐の武田信虎、奥信濃の村上義清、中信濃の諏訪頼重に海野平を攻められ、敗走する。禰津、望月らは降伏し、真田頼昌、幸隆父子は上州に逃れる。 | 29歳 |
6月14日 | 武田晴信(21)、父信虎を駿河に追放して自立する。 | ||
7月 | 管領上杉憲政ら、頼昌の請いにより村上義清を攻めるために佐久、小県に出兵。 | ||
天文11年(1542) | 夏 | 幸隆、草津の湯に行き、湯本善太夫と出会う。 | 30歳 |
天文12年(1543) | 幸隆、武田晴信(23)に出仕し佐久郡岩尾城代となり、信州先方衆として活躍する。 | 31歳 | |
天文14年(1545) | 幸隆、小県郡の旧領松尾城に帰る。 | 33歳 | |
天文15年(1546) | 5月 | 晴信、佐久内山城を落とし、さらに碓井峠に戦う。幸隆も参戦。 | 34歳 |
天文16年(1547) | 7月 | 管領上杉憲政の兵が佐久郡に進攻する。 | 35歳 |
8月 | 晴信、上杉軍を小田井原(御代田)に破る。ついで上杉方の志賀城を陥れ、城主笠原清繁らを討つ。幸隆も各地に転戦。 | ||
天文17年(1548) | 2月14日 | 上田原の戦。晴信、村上義清に敗れる。幸隆も参戦。 | 36歳 |
板垣信方、甘利虎泰、初鹿野伝右衛門ら戦死。晴信も負傷する。 | |||
天文18年(1549) | 4月 | 晴信、佐久春日城を攻略。望月、伴野ら武田方に降りる。 | 37歳 |
9月 | 佐久平原を焼く。幸隆参戦。 | ||
天文19年(1550) | 7月2日 | 晴信が幸隆に本意の上は小県郡諏訪形等一千貫文の地を与える事を約す。 | 38歳 |
9月 | 晴信、戸石城を攻めるが落ちず、11月退却(戸石崩れ)。 | ||
天文20年(1551) | 2月12日 | 武田晴信(31)、法体となり機山信玄と名乗る。 | 39歳 |
真田幸隆も法体となり一徳斎良心と名乗る。禰津美濃守は松鶴軒と名乗る。 | |||
5月26日 | 幸隆、戸石城を攻め落とす。 | ||
天文21年(1552) | 2月 | 管領上杉憲政の平井城が北条氏康に攻められ落城する。 | 40歳 |
天文22年(1553) | 8月10日 | 三男の昌幸(11)を人質として甲府に在府するのと引き換えに、秋和350貫文の地を与えられる。 | 41歳 |
天文23年(1554) | 3月 | 武田、今川、北条の三国が同盟する。 | 42歳 |
弘治2年(1556) | 8月 | 幸隆、埴科東条雨飾城を攻め落とし、その城代となる。 | 44歳 |
永禄3年(1560) | この頃、幸隆を通じて海野一族が信玄へ随順。海野城築城に幸隆も助力する。 | 48歳 | |
8月 | 越後の長尾景虎、大軍を率いて上野に出陣する。 | ||
永禄4年(1561) | 3月 | 長尾景虎、関東の兵を引き連れて小田原を攻める。 | 49歳 |
永禄6年(1563) | 9月 | 幸隆、西上野に出陣し、岩櫃城を攻める。 | 51歳 |
10月 | 幸隆、岩櫃城を攻め落とし、吾妻郡代になる。 | ||
永禄8年(1565) | 11月 | 幸隆、岳山城を落とす。 | 53歳 |
永禄9年(1566) | 9月 | 武田軍に攻められ、箕輪城、落城する。 | 54歳 |
永禄11年(1568) | 12月 | 武田信玄、駿河に進攻し、駿府を占領する。 | 56歳 |
元亀3年(1572) | 3月 | 幸隆、箕輪城代になる。 | 59歳 |
8月 | 幸隆、白井城を攻め落とす。 | ||
天正元年(1573) | 4月12日 | 武田信玄、上洛の途中、伊那郡駒場で病死。 | 60歳 |
5月 | 白井城が上杉軍に奪われる。 | ||
12月 | 幸隆、箕輪城で病に倒れるが、快復する。 | ||
天正2年(1574) | 4月 | 幸隆、再び倒れる。 | 61歳 |
5月19日 | 幸隆、死す。 | ||
◎真田弾正忠幸隆(1513-74) | ・源太左衛門信綱(源五郎、1537-75) | |
妻、河原隆正妹(1519-92) | ・兵部丞昌輝(1540-75) | |
・安房守昌幸(武藤喜兵衛、1547-1611) | ||
・隠岐守信尹(加津野信昌、市右衛門、1550-) | ||
・宮内介高勝(1558-) | ||
◇一族 | ・河原惣兵衛(1511-)義兄。 | |
・河原丹波守隆正(1532-)妹は昌幸の妻。 | ||
・河原宮内助正良(1551-1575戦死)隆正長男。次男正忠、三男も戦死。 | ||
・河原右京亮綱家(1560-)隆正の四男で家督を継ぎ、昌幸の家老となる。 | ||
・河原左京(1536-1575戦死、1564岳山攻撃)隆正弟。 | ||
・河原左京(1559-) | ||
・矢沢薩摩守頼綱(右馬介、1518-97)弟。 | ||
・矢沢但馬守頼康(三十郎、1540-)甥。 | ||
・常田伊予守俊綱(新六郎、1521-63長野原戦死)弟。 | ||
・常田永助(1543-75戦死) | ||
・常田図書助(1564-) | ||
・禰津美濃守信直(1515-、1563岩櫃戦参加)松鶴軒。義弟。 | ||
・禰津(1536-75戦死) | ||
・禰津宮内大輔元直(1526-、1564岳山攻撃)信直弟。 | ||
・禰津長右衛門尉利直(1548-)元直嫡男。一味斎。 | ||
・禰津助右衛門幸直(1556-)元直次男。矢沢頼綱孫婿。 | ||
・鎌原筑前守幸定(1499-1547)叔父。嫡男宮内少輔幸重(1519-)従弟。 | ||
◇家臣 | ・小草野若狭守(孫右衛門、1521-)春原兄。信玄の第二子海野竜宝の家老となる。 | |
・小草野新左衛門(新三郎、1542-、1563岩櫃攻撃) | ||
・春原惣右衛門(1524-1582大戸攻撃)真田老臣。 | ||
・春原勘右衛門(角八、1548-) | ||
・春原左衛門(1552-) | ||
・丸山土佐守(1522-、1564岳山攻撃、1580,1585)真田老臣。 | ||
・丸山七右衛門(1582) | ||
・矢野半左衛門(1541-、1580) | ||
・深井三弥(1580) | ||
・宮下藤左衛門(1580) | ||
・鞠子藤八郎(1530-、1563長野原城を守る) | ||
・海野左馬允 | ||
・上原藤介(1580)・上原浅右衛門(1580) | ||
・山越(1575戦死)・山越左内(1580) | ||
・小泉(1575戦死) | ||
・木村戸右衛門(1557-)昌幸の奏者。 | ||
・望月甚八郎(-1575戦死) | ||
・河野通秀(-1575戦死) | ||