上野の国吾妻郡の豪族
- 湯本氏‥‥‥源左衛門(1460-1523)─民部少輔道久(1484-1548)─善兵衛《下総守》(1509-1581)─善太夫(1531-1575)─三郎右衛門(1554-1625)
- 横谷氏‥‥‥左近太夫《源次郎》(1561)鎌原親類─惣右衛門(−1615戦死)─新五郎
- 鎌原氏‥‥‥宮内少輔(1561)武田家臣となる─宮内(1609)、石見守(1615、1637)─伊右衛門(1615)、筑前守(1575戦死)─庄左衛門(1580)
- 羽尾氏‥‥‥治部入道道雲(1561)─源太郎、源六郎(1584)
海野長門守幸光(1508-82)
海野能登守輝光(1511-82)─中務大輔幸貞(1545-82)妻は矢沢薩摩守娘
- 西窪氏‥‥‥治郎左衛門《佐渡守》(−1565戦死)─蔵千代丸
- 大戸氏‥‥‥真楽斎(−1582戦死)妻は羽尾道雲の妹、但馬守(−1582戦死)真楽斎の弟。
- 三島浦野氏‥‥‥三河守(1509)─下野守(1561)─中務太夫─七左衛門(1582)
- 山田蜂須賀氏‥‥‥伊賀守(−1565戦死)─伊賀守(1582)─十兵衛(1622)
- 中之条折田氏‥‥‥豊後守(−1565戦死)─豊後守(1568)
- 中之条鹿野氏‥‥‥志摩守(1564、1582)、和泉(1582)
- 中之条割田氏‥‥‥隼人(1564)─新兵衛(1582)、掃部介(1582)、下総(1582)、孫四郎(1582)
- 中之条佐藤氏‥‥‥豊後守(1564、1581)、三郎兵衛(1582)、軍兵衛(1582)、半四郎(1582)
- 河原氏‥‥‥左京(1565、1581)─左内(1581)、左衛門(1582)
- 厚田一場氏‥‥‥太郎左衛門(1564、1581)、茂右衛門(1582)、源七郎(1609)
- 沢渡唐沢氏‥‥‥杢之助(−1565戦死)─玄審允(1582)
- 植栗氏‥‥‥河内守元吉(1521)─安芸守(1564、1582)─河内守(1581、1609)
- 岩櫃斎藤氏‥‥‥越前守憲次(1521)─越前守憲広(1561)─長男越前太郎憲宗(−1565自害)
◇吾妻の寺社
- 林の大乗院
- 岩下の鳥頭の宮‥‥‥神主は大隅太夫 ・岩下の観音
- 川戸の首の宮‥‥‥別当は武蔵坊
- 平川戸のいわつつみ明神
- 原の観音
- 横尾の和利の宮
- 横尾の八幡宮
- 下尻高の三代明神
- 市城の観音
- 青山の駒形
- 小泉の明神、観音
- 山田の善福寺
- 高戸屋の薬師
- 岩井の玉川堂
- 嶽山の近戸明神
- 赤岩飯綱別当鏡学院‥‥‥京都勝仙院袈裟下
- 竜臥山金剛院‥‥‥不動堂、徳蔵院、修験
- 切沢の善導寺
- 海野長門守は深く修験道を修め、その名を福仙院と号す。金剛院の法弘法印に師事し、祈願の道場を城中平沢に建て、永10貫文の土地を寄進している。厚く、大峯を信仰し戦陣の間にも、鎧兜の上に兎巾、鈴繋衣、袈裟を帯し馬上にあった。当時郡中の有力地侍、地下人に至るまで修験宗の帰依者は多かった。
◎吾妻氏
- 吾妻太郎行盛(−1349戦死)‥‥‥父は下河辺庄司行家、母は吾妻四郎助光の娘。首は川戸の首(かみ)の宮に祀り、胴は矢倉の鳥頭神社に祀られる。
- 家老 秋間泰則、荒尾行貞、
- 藤家一揆‥‥‥吾妻氏、碓井の斎藤氏、大胡氏、赤堀氏ら。
- 竜臥山金剛院、不動堂を建立。矢倉の鳥頭神社再建。
- 斎藤太郎憲行‥‥‥行盛の遺児。妻は斎藤左近憲基の娘。弟小治郎を尻高に置く。
◎岩櫃城
- 元久元年(1204)この頃、吾妻太郎助亮、稲荷城より岩櫃城に移るという。
嘉禎年中(1225〜27)下河辺行家、岩櫃山の妖怪を討伐するという。
康元元年(1256)長尾景煕、白井に入部する。
嘉元年中(1303〜06)吾妻太郎、初めて吾妻市を立つという。
徳治2年(1307)吾妻太郎、竜臥山不動堂建立。
文保元年(1317)吾妻太郎、長福寺を建立。
元亨年中(1321〜24)吾妻太郎、矢倉鳥頭神社を再建する。
建武年中(1334〜35)下河辺朝村、岩井堂城主となる。
貞和5年(1349)吾妻太郎、里見氏と争い戦死するという。岩櫃城に里見氏入る。
延文2年(1357)4月25日、千王丸、岩櫃城を取り戻す。
応永元年(1394)斎藤行禅、応永寺創建する。
〃 12年(1404)斎藤氏、越前より岩櫃に入る。
〃 23年(1416)上杉禅秀の乱、吾妻氏、足利持氏に従う。
永享年中(1429〜40)長尾昌景、上杉顕定を擁して岩櫃城にて足利成氏と戦う。
文安2年(1445)樋口高重、信州伊那郡樋口村より長野原小宿の樋口屋敷に移る。
享徳年中(1452〜54)この頃、長尾氏、岩櫃城築城か?
長禄年中(1457〜60)秋間氏と長野氏が争い、秋間氏滅ぶ。
文明5年(1473)春、和利宮城主塩谷氏内訌。この頃、塩谷氏、大野氏と争う。
〃 7年(1475)長尾伊玄、柏原城に退避する。
〃 年中(1469〜87)吾妻の諸氏、平井の上杉顕定に属す。
長享2年(1488)秋、万里、尻高景清の館を訪れる。
延徳元年(1489)樋口高重、上杉顕定に仕え600貫を領す。
〃 2年(1490)越後守護代長尾能景、長野業尚、草津湯治。
明応4年(1495)4月、由良成繁、草津湯治。
〃 7年(1498)8月、大地震、法楽寺倒壊。
〃 9年(1500)樋口高重多胡郡馬庭に移る。
文亀2年(1502)宗祇、宗長、草津湯治。
永正6年(1509)9月21日、宗長、大戸の浦野三河守を訪れる。
〃 10年(1513)長野兼業、大戸攻めの願文を榛名巌殿寺に捧げる。
大永年中(1521〜27)岩櫃城主、大野憲直、植栗元吉を討とうとする。大野氏滅び、斎藤憲次、岩櫃城に入る。
永禄6年(1563)斎藤氏滅び、真田氏、岩櫃城にはいる。
天正10年(1582)湯本三郎右衛門、長野原城、羽尾城を守る。
◇1563年9月、岩櫃城攻略
- 斎藤方‥‥‥沼田憲泰の弟朝泰500騎、白井長尾憲景の家老の牧、矢野200騎、
中山景信、尻高、荒牧らに300騎、次男憲春、植栗800騎。
大戸真楽斎は弟、権田但馬守を人質にして降伏する。
- 真田方‥‥‥禰津、矢沢1000騎、鎌原、西窪、横谷、湯本ら。
◇1563年、岩櫃城(斎藤憲広)の支城
- 岩鼓城‥‥‥次男、斎藤憲春
- 武山城‥‥‥三男、斎藤城虎丸
- 中山城‥‥‥一門、中山斎藤安芸守
- 尻高城‥‥‥一門、尻高左馬介
- 柏原城‥‥‥一門、荒牧斎藤宮内右衛門
- 植栗城‥‥‥一族、植栗安房守
- 仙蔵城‥‥‥諸代、佐藤将監
- 岩下城‥‥‥諸代、富沢但馬守
- 大戸城‥‥‥外様、大戸真楽斎
- 根小屋城‥‥‥外様、浦野入道幸全
- 雁ケ沢要害‥‥‥外様、横谷左近
- 岩井堂城‥‥‥外様、中沢越後
◇1575年、真田昌幸の諸城の配備
- 岩櫃城‥‥‥真田昌幸
- 柏原城‥‥‥植栗河内守、湯本左京進、荒牧宮内少輔
- 岩井堂城‥‥‥富沢伊予守、塩谷掃部助、割田下総、佐藤将監、富沢豊前、唐沢玄審、山田惣右衛門、割田新兵衛
- 大戸手古丸城‥‥‥大戸真楽斎
- 三島及厚田‥‥‥一場太郎左衛門、浦野中務
- 大戸越蜷川嶽要害‥‥‥蜷川入道、同庄左衛門、神保佐左衛門
- 武山城‥‥‥池田佐渡守、桑原大蔵、町田、鹿野
◇1582年、真田昌幸の諸城の配備
- 沼田城‥‥‥城代、本丸に藤田能登守信吉、二の丸に海野能登守輝幸、北条曲輪には金子美濃守、保科曲輪には西山市之丞
- 名胡桃城‥‥‥鈴木主水重則
- 小川城‥‥‥北能登守
- 下川田城‥‥‥山名信濃守
- 上川田城‥‥‥発知治部
- 森下城‥‥‥渡辺左近
- 鎌田城‥‥‥加藤丹波守
- 猿ケ京城‥‥‥矢沢持、栗原肥前守
- 岡崎新田柏原城‥‥‥荒牧宮内少輔、湯本九右衛門
- 岩櫃城‥‥‥真田昌幸、城代、海野長門守幸光
- 鎌原城‥‥‥鎌原宮内少輔
- 村上岩井堂城‥‥‥富沢伊賀守、同大学
- 横尾八幡砦‥‥‥富沢豊前
- 中条小城‥‥‥塩谷掃部、蜷川入道
- 岩下城‥‥‥富沢但馬守、同伊予守、同又三郎
- 蟻川嶽山城‥‥‥蟻川源三郎、割田掃部
- 西中庄要害‥‥‥塩谷将監
- 植栗城‥‥‥植栗安芸守
- 横河辺丸屋城‥‥‥交替、鎌原宮内少輔、羽尾入道、横谷左近、湯本三郎右衛門
- 長野原城‥‥‥湯本三郎右衛門
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