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テレビの画面。
女の声「あなたなの?‥‥‥遅いじゃない」 ドアが開く。健二、中に入る。ドアが閉まる。
女 「あなた、誰?」 健二「‥‥‥」
女 「あなた、誰なの?」 健二「‥‥‥(女を見つめ、ニャッと笑う)」 女 「わたしに何の用です?」 健二「用?」
女 「何の用なの? 早く言ってよ」 健二「いい酒だ」
健二「あなたに死んでもらいたいんですよ」 女 「冗談、言わないでよ」 健二「冗談ではありません。あなたは選ばれたんですよ」 女 「何、言ってんの。どうして、わたしが選ばれなければならないのよ」 健二「それが、あなたの運命なのです。運命に逆らってはいけません」 女 「勝手な事、言わないでよ。わたしはまだ生きていくわ」 健二「それはできません。僕はあなたを殺さなければならないのです。それが、僕に与えられた運命なのです。運命に逆らうわけにはいきません」
女 「あなた、気違いでしょ。病院、抜け出して来たのね?」 健二「僕は正常です。世の中の方が狂ってるんですよ」
女 「そうね、きっと、あなたは正常よ。でもね、わたし、暇じゃないの。あなたと遊んでる時間はないのよ。もう病院にお帰りなさい」 健二「そう急ぎなさんな。のんびりしましょう。ゆっくり座って、このうまい酒を楽しみましょう」
健二「ねえ、あんた、いい女だね」
女 「そう‥‥‥ありがとう」
女 「わかったわ。あなた、小池さんに頼まれたんでしょ。ね、そうでしょ。お金ならあげるわ」 健二「この酒は実にうまいですね。あんたは綺麗だし、音楽も悪くない‥‥‥」 女 「ね、いくら欲しいの? 五十万でいいでしょ。わたし、百万なんて持ってないわ、本当よ」
健二「僕は小池さんなんて知りませんね。それに金なんて欲しくない。欲しいのは、あんたの命だけですよ」 女 「気違い! 警察、呼ぶわよ」
健二「早く、電話したらどうです。僕は止めやしませんよ。ただし、警察だって暇じゃない。あんたがわめいたって、やって来やしませんよ。もっとも、あんたが死んでからなら、サイレン鳴らして喜んで飛んで来ますけどね。死んでから連絡しなさい」 女 「本当に警察、呼ぶわよ」 健二「どうぞ、ご自由に」
女 「お願い、出て行って‥‥‥」
女 「助けて、何でもあげるわ。宝石なら、あそこにあるわ。本当は百万円もあるのよ。ほら、あの中に隠してあるわ。ね、みんな持ってっていいわ」 健二「これは避ける事のできない運命なんですよ。気持ちよく諦めて下さい」
女 「ね、冗談はやめて。あなたに何でもあげるわ。わたしの体も好きにしていいわ」
女 「ね、わたしを抱いて、ね、お願い‥‥‥」
女 「お願い、命だけは助けて‥‥‥」
女 「やめて! 気違い!」
女 「誰か来て!」
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7
「あなた、どうしたの?」と麗子が昭雄を見て言った。 昭雄は頭を抱えるようにして唸っている。突然、昭雄の脳裏にテレビの画面と同じシーンが浮かんで来た。自分がまだ子供の頃、見たシーンなのか、それとも、生まれる前の事なのか、よくわからないが、はっきりと、ある男がある女の首を絞めているシーンが浮かんで来た。しかも、その男の顔も女の顔も確かに見覚えがあった。名前まではわからないが、確かに、その二人の事は知っていた。そして、首を絞められて苦しみもがいている女の顔がありありと見えて来るのだった。昭雄はこんな幻想など吹き飛ばそうと努力してみるのだが無駄だった。 「どうしたの、大丈夫?」という麗子の声が遥か遠くから聞こえて来るような気がした。 「助けて!」テレビの中の女が最期のかすれた悲鳴をあげた。 「やめてくれ!」昭雄は叫んだ。そして、麗子の首を両手でつかみ、自分では意識せずに麗子の首を絞めていた。 「冗談はやめてよ。ね、あなた、どうしたの? 苦しいわ‥‥‥ちょっと、やめてったら‥‥‥」麗子の声が脳裏から消えない女の悲鳴とだぶった。 女はぐったりとして倒れた。 昭雄の脳裏から幻影は消え去った。 健二は倒れている女を無表情に見下ろしていた。静かに流れるショパンのピアノ。 麗子は食卓の上にぐったりと死んでいた。 部屋の隅では赤ん坊が泣いている。 窓の外からは酔っ払いのわめき声と飲み屋から流れる音楽。 昭雄は呆然とテレビを見ていた。 健二はスコッチをラッパ飲みしながら、夜の街をさまよい歩いていた。
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