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泉の水を両手ですくって飲んでいる昭雄。 飲み終わって、しばらく呆然としているが、我に返って荷物を持つと山道を歩いて行く。 鳥の鳴き声。 虫の鳴き声。 川のせせらぎ。
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滝のある風景。 昭雄は石に腰掛け、スケッチをしている。スケッチブックには風景とはまるっきり違う抽象的な絵が描かれてある。 昭雄は子供の頃の自分を見つめていた。 昭雄の祖父、二郎は絵画きだった。子供の頃、昭雄は二郎のアトリエに行っては遊んでいた。それは古い大きな家の中にある薄暗い部屋だった。壁には色々な絵が飾ってあり、テーブルの上には絵の具や筆が散らかっていた。子供の頃の昭雄にとって、あの油絵の具の匂いが、何とも言えず秘密めいた感じで好きだった。 ある日、昭雄が二郎のアトリエに行った時、二郎は滝のある風景を描いていた。 「それ、どこ?」と昭雄は聞いた。 「お爺ちゃんの思い出の場所だよ」二郎は優しい目で昭雄を見ながら言った。 「どこにあるの?」 「お爺ちゃんの心の中にあるんだよ」 「ふうん‥‥‥」勿論、昭雄にはわからなかった。でも、きっと、この風景はどこかの山の中にあるんだろうと思った。 昭雄は壁に掛けてある若い女の肖像画を見た。優しそうで綺麗な人だと思った。 「この人、誰?」 二郎は筆を止めて振り返った。「ああ、それは、お前のお婆ちゃんだよ」 「随分、若いね」 「うん、若い時にね、病気をして死んじゃったんだよ」 「お婆ちゃんもその場所、知ってるの?」昭雄は二郎が描いている絵を指さして聞いた。 「うん」二郎は若い頃の妻の顔を苦しそうに見つめていた。「お婆ちゃんも知ってるよ」 「僕も大きくなったら、そんな山を絵に描こう」 「そうか‥‥‥お前も絵画きになるか」二郎はまた優しい目をして昭雄を見ながら、何度もうなづいていた。 「僕、絵画きになるよ」 二郎が描いていた絵と今、昭雄が見ている風景が重なる。
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「疲れたわ」と椅子に座ってポーズをとっている夕子が言った。 「もう少しだよ」と昭雄は夕子を描いている。 「あたし、うまく描けてる?」 「うん‥‥‥」
秋の海、波打ち際を歩いている昭雄と夕子。 夕子、昭雄に水をかける。 「つめてえ‥‥‥こらっ」 笑いながら逃げる夕子。 追いかける昭雄。 夕子を捕まえる昭雄。昭雄に捕まる夕子。 笑う二人。 抱き合う二人。 海に落ちる夕日。
二十一本のローソクが燃えている。 ローソクの光りに浮かぶ幸せそうな昭雄と夕子の顔。 夕子、ローソクを吹き消す。 「おめでとう」 「サンキュー」 グラスとグラスが「チン」と鳴る。
夕暮れ時の公園。 噴水のそばのベンチに座っている昭雄と夕子。 「今日の映画、よかったわね」 「うん‥‥‥よかった」 「ラストの別れのシーン、素敵だったわ」 「そうかな‥‥‥ちょっと、物足りなかったような気がするけどな」 「そんな事ないわよ‥‥‥映画のような別れ方したら素敵でしょうね」 「現実と映画は違うさ」 「そうね、違うわね。でも、あなた自身、あまり現実的じゃないみたいよ」 「そんな事ないさ」 「でも、あなたはそれでいいのよ」 「夕子‥‥‥お前、やっぱり‥‥‥あいつと一緒になるのか?」 「ええ。あたしとあなたは結局、うまく行かないみたい。きっと、そういう運命なのよ」 「‥‥‥」 「もう、あなたとは二度と会わないと思う」 「‥‥‥わかったよ」 「元気で‥‥‥」 「うん、元気でな」 夕子、立ち去る。 「さよなら‥‥‥」 一人残る昭雄。 辺りは暗くなり、街灯の光の中で一人座っている昭雄。
昭雄は石の上に空を見上げて寝ている。 スケッチブックには夕子の顔が描いてある。 昭雄は起き上がり、スケッチブックの夕子の顔を見つめた。 「馬鹿野郎」と小さく呟くと夕子の顔を破き、丸めて滝に向かって投げ付けた。
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