酔雲庵


酔中花

井野酔雲





21




「さっきから黙り込んで、何を考えてんの?」とラーラは昭雄に言った。

 二人は森の中の細い道を歩いている。

「あんたはさ、何でもわかっているようだけど、俺の考えてる事はわからないのかい?」

「わかるわよ。どうやって、あたしを口説こうかって考えてたんでしょ」

「馬鹿、そんな事、考えちゃいないよ」

「あら、そう。こんな美人を目の前にして、あんた、口説こうともしないの?」

「口説いてどうするんだよ。あんたを抱いて、俺は凍死するのかよ」

「それ、いいわ。美女を抱きながら死ぬなんて最高よ」

「俺はまだ死なないよ」

「そうよね。あなたはこれから麗子って女と一緒になって平和な家庭を作るんですものね。そして、子供を生んで‥‥‥」

「ちょっと黙っててくれないか。頭が混乱してるんだよ」

「そう、つまんないの」とラーラは酒を飲む。「あなた、今、頭の中を一生懸命になって整理してるんでしょ」

「ああ」

「混乱してるものはほっときなさい。自然と落ち着く所に落ち着くものよ。無理に考えをまとめて、自分で納得なんかしたって、どうなるわけでもないわよ」

「そうかもしれないけどさ、混乱していて何も頭に入らないよ」

「気にするからいけないのよ。頭なんか、ほっとけばいいのよ。必要なものはちゃんと頭に入るし、用のないものは自然と忘れていくものよ」

「簡単に言うけど、あんたには頭なんてないんだろう」

「そうよ。心だけよ、わたしは」

「心、心っていうけど、心なんて一体、どこにあるんだよ?」

「心に形なんてないわ。心はあなたの体の中、どこでも自由に動いているのよ。頭を使っている時には頭に、手を使っている時には手に、また頭の先から足の先まで全身に広がっている時もあるわ。まれには体からはみ出して回りに影響をおよぼす時もあるのよ」

「ますます、頭が混乱してきた」

「それは、あなたの心が頭の方に行き過ぎてるからよ。もっと下に下げなさい、心を」

「どうやったら、そんな事できるんだ?」

「やめるのよ、考える事を」

「俺は考えをまとめないと落ち着かないんだよ」

「そう。それじゃあ、あなたの未来を見る前に、いい所に連れてってあげる」

「どこだい?」

「どこでもいいでしょ。わたしとデートできるんだから」

「それは嬉しいんだけどさ、その冷たい体、何とかしてくれよ。せめて、人間と同じ体温にさ」

「黙って」

 ラーラは後ろから両手で昭雄の目をふさいだ。

「ワイイワカ、ドケダン、ゲンニナ、カバワタナア」と呪文を唱えるとラーラは消え、昭雄は気を失ったまま立っている。




地球




22




 何もない広い砂漠の上に三日月が出ている。

 ラーラと昭雄が突然、現れる。ラーラは昭雄の目から両手を離す。昭雄は辺りを見回す。

 二人の影はない。

「ここはどこだ?」と昭雄はラーラに聞いた。

「月の上よ」

「嘘つくなよ。月はちゃんとあそこにあるじゃないか」

「あれは地球」

「地球があんなに小さいわけないだろう」

「あれは地球よ。あなた、地球を見た事あるの?」

「ないけどさ。地球はあんなに小さいのかよ」

「そうよ。地球なんて小さいものよ。人間はあんな小さな地球にいて、つまらない事にくよくよしてるんだわ」

「ここは本当に月か?」

「そうよ」

「月の砂漠って歌はあるけど、月に砂漠なんてあったか?」

「あなた、月に来た事あるの?」

「ないけど、写真で見たよ。確か、岩ばかりだったぜ」

「岩もあるけど、砂もあるのよ。わたしを信じなさい」

「月には空気もあるのか?」

「ないわよ」

「でも、俺は生きてるぜ」

「今のあなたは魂だけよ。わたしと同じにね」

 昭雄は自分の体を見る。そして、両手で体に触ってみる。

「肉体だって、ちゃんとあるじゃないか」

「そう思っているだけよ。あなたの肉体はあそこよ」とラーラは地球を指さす。「森の中にあるわ。今頃は犬に食われてるわ」

「冗談はよせよ。俺はまだ生きていたいよ」

「大丈夫よ、心配しないで。それより、あなた、あの地球を見てどう思う?」

「ほんとに、あんな小さな星の中に人間が住んでいるのか?」

「人間がどんなものか、わかったでしょう。人間なんて、いたっていなくたって、この宇宙の中では全然、問題じゃないわ。たとえ、地球がなくなったとしたって大した事じゃないのよ」

 昭雄は空の星を見渡している。「うん。大した事ないな。でも、何で人間なんているんだろう」

「地球には空気があるわ。空気を吸うためにいるんじゃないの」

「うん。多分、そんなところだろう」

「人間はちっぽけなものよ。でも、大きさや形なんて無意味なものよ。宇宙全体から見れば太陽だって目に見えない程、ちっぽけな存在でしかないわ。その宇宙だって、もっと大きなものから見れば、ちっぽけな存在なのよ。でもね、人間の心は無限に広がる事ができるのよ」

「うん、わかるよ。何だか急に自由になったみたいだ」

「肉体がなくなったからよ。頭がなくなったからよ。頭っていうのは色々な物を記憶してるわ。色々な知識をね。でも、そのお陰で、人間は不自由になっているのよ。色々な事が固定観念として頭にくっついているの。そのいい加減な固定観念を組み合わせて、物事を考えたりするから、余計、変な結果になるの。それと感覚っていうのもあるわ。あれも大して役に立たないのに、人間はそれを信じきって使っているわ。確かに、使い道によっては素晴らしい道具よ。でも、人間はそれを充分に使ってないわ。目なんて見ようとしなければ何も見えないし、耳だって聞こうとしなければ何も聞こえないわ。それに言葉の問題もあるわ。人間は言葉っていうものを信じすぎるのよ。単なる記号に過ぎないのに。言葉なんて不自由なものよ。何かを表現してるようで、何も表現してないのと同じよ。人間は感覚を充分に使いきっていないくせに、その感覚の代わりになる物を色々と作り出しているわ。心なんて形がないから信じない。感覚は大切にしまっておく。考える事も動く事も機械に任せておく。人間はそのうち、植物のようになるわ。それも一番みにくい植物にね」

「そうだな。でも、人間がこんな風になったのも自然が決めた事だろう?」

「人間も自然の一部なのよ。人間にも責任があるわ」

「人間はどこで間違った方向に進み出したんだろう」

「わからないわ。でも、人間は行き着く所まで行くわ。人間が滅びる所までね。絶対に途中では気がつかないわ。滅びる時になるまで、絶対に気がつかないと思うわ」

「うん」

 三日月の形をした地球を見ているラーラと昭雄。

「さあ、今のあなたはまったくの自由よ。どこにでも好きな所に行けるわ。魂の散歩に出掛けましょう」

 ラーラ、昭雄の手を取る。

 消える二人。





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