酔雲庵


酔中花

井野酔雲





26




 山の中、昭雄が身動きもせずに立っている。

 ラーラが姿を現し、昭雄の目から両手を離す。

 昭雄、ゆっくりと目を開いて、辺りを見回す。

「どう、気分は?」

「俺、どうしたんだろ。何だか、頭の中がもやっとしてるよ」

「やっぱり、無駄だったようね」

「何か変な気分だな」

「あなたはさっき、あそこにいたのよ」とラーラは雲を指さす。

「変な事、言わないでくれよ。頭の中が混乱してるんだから」

「わかったわ。あなたの未来でも見に行きましょう」

 ラーラ、さっさと歩いて行く。

 昭雄は頭を振りながらついて行く。




酔中画3-E013




27




 草むらの中で若い男女が抱き合っている。

 側に置いてある小型カセット・レコーダーから流れる電子音楽。

 抱き合う二人の上では三日月が笑っている。

 ラーラと昭雄が森の中から出て来て、二人を見る。

「おっ」と昭雄は言う。「やってる、やってる」

「ゆっくり見物しましょう」とラーラは草の上に腰を下ろした。

「見るのはいいけど、こんな所にいたら、二人に見つかっちゃうぜ」

「大丈夫よ。彼らにはあたしたちは見えないの」

「どうして?」

「時間的次元が違うのよ。彼らはね、今のあなたから見れば二十年後の人たちよ。二人共、あなたの子供なのよ」

「何だって! あの二人が俺の子供? 馬鹿言うなよ。兄妹で抱き合ってるわけないだろう」

「ところがそうなのよ。男の方はね、あなたと麗子の間にできた子で英雄っていうの。女の方は、あなたが麗子を殺してから一緒になった女との間にできた子で涼子っていうのよ。二人共、よくあなたに似てるわ」

「よせよ」

「まあ落ち着いて」とラーラは昭雄に酒を渡す。

 昭雄は一口飲むとラーラの隣に座る。

「という事は、俺が麗子っていう女を殺す。そして、新しい女を作る。そして、麗子の子供と新しい女の子供が、血のつながった兄と妹がああやって抱き合っている。それを父親の俺が眺めているというわけか?」

「そういう事ね」

「嘘だ! こんな事、あるわけない」

「信じたくないでしょうけど事実なのよ。麗子の生んだ子と夕子の生んだ子がああやって愛し合ってるのよ」

 苦い顔をして昭雄は英雄と涼子を見ている。

「あんた、今、夕子って言わなかったか?」

「言ったわ」

「夕子って、あの夕子か?」

「そう。あなたが学生時代に付き合っていた娘よ」

「彼女はどこかの男と結婚したはずだ」

「しなかったのよ。結婚する前に男の方が死んじゃったのよ」

「奴が死んだ?」

「確か、殺されたのよ、女の人に。よく知らないけど」

「そうか、奴は女に殺されたのか‥‥‥ざまあみやがれ‥‥‥それも自然が決めた事なのか?」

「ええ」

「なぜ、自然は人と人を殺したり、殺させたりするんだ?」

「それはね、だんだんと人間が心っていうものを忘れてしまったからなの」

「また心か。心と殺人がどう関係あるんだよ?」

「いわゆるショック療法ね。人間ていうのは、すぐ、何にでも慣れちゃうのね。毎日、誰かが誰かを殺しても、自分だけは大丈夫だって思っている。他人の事だから、自分には関係ないと思っている。心なんかなくても物質的に満足できれば、人間、生きて行く事はできるわね。他人が殺されたって平気よ。たまたま、あなたに関係ある人が殺されたとする。あなたは悲しむでしょう。でも、他人は悲しまないわ。あなた自身もすぐに忘れてしまうかもしれない。人が人を殺す事は昔から人間が繰り返し繰り返しやって来た事よ。それをやめさせる事ができるのは人間の心だけ」

「人間の心は、自然に逆らう事ができるのか?」

「それはできないわ。でも、心というものがわかれば人間は自由になれるわよ」

「自然の支配から逃れられるのか?」

「そうね。自然と一体化しちゃうの。でも、そんな人間はいないでしょう」

「でも、いる可能性はあるんだろ?」

「可能性はあるわ。人間の心までは自然だって支配できないから」

「俺にその心ってやつがわかれば、あの二人の関係はなくなるんだな」

「それは不可能ね。あなたは自然が決めた通りに生きて行くのよ、死ぬまで」

「うるさい! なぜ、こんな風にならなけりゃいけないんだ。自然ていう奴は何で、こんな風に決めたんだ?」

「これにもちゃんと理由はあるのよ。過去にさかのぼってみればわかるわ」

「過去に何があったんだ?」

「五百年位前の事よ。戦国時代の頃ね。実の兄と妹が愛し合っちゃったのよ」





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