第二部 夢のまた夢
1
やめてよ、くすぐったいったら。誰よ、人がいい気持ちで寝てるのに。やだったら、もう‥‥‥ 「やあ、元気か?」 この、すけべじじい、また、やって来たの。 「元気らしいな。うまい酒、持って来たから一杯やろうぜ」 あたしね、あんた、嫌いなのよ。 「何を言うか、待ってるぞ」 くすぐったいったら‥‥‥ まったく、いい気なもんだわ。一升瓶と尺八持ってスタコラ山に登って行くわ。 あのね、今の爺さん、酔雲っていうの。絵画きさんよ。もう、かなり前から、この上に小屋を建てて住んでるわ。陽気がいいとああやってフラフラって、どっかに行っちゃうのよ。今度はどこに行って来たんだか知らないけど、また帰って来たわ。面白い爺さんなんだけど、あたし、嫌なのよ。あの爺さんたら、あたしをからかうんだもん。あたしが人間をからかうんならわかるよ。どうして、あたしが人間にからかわれなくちゃならないのよ。あたしと同じで、お酒が好きでね、冗談ばっか言ってんのよ。あたしの方が頭がおかしくなるわ。 最初の出会いの時から、おかしかったんだから。例のごとく、一升瓶をぶら下げてさ、フラフラと山を登って来たのよ。音痴な変な歌を歌いながら昼間っから酔っ払ってんのよ。鳥に声を掛けたり、花としゃべったり、あたし、ここから見ていて、気違いじゃないかって思ったわ。あんな馬鹿にあたしなんか見えるわけないって確信を持ってたわ。案の定、あたしに気がつかないでフラフラっと来て、あたしの隣に尻餅ついたのよ。そして、つまらない俳句なんか作っちゃって、今でも覚えてるわ。 確かね、「大笑い 風の気まぐれ わしを呼ぶ」だったわ。そして、馬鹿みたいに大笑いして、酒をラッパ飲みすんのよ。それがほんとにうまそうに飲むの。あたしも心の中でね、少しちょうだいよって思ったわ。そしたら、あの爺さん、何したと思う? あたしにね、一升瓶から酒をぶっかけたのよ。あたしはもうびしょびしょよ。あの爺さんたら、ニコッとして、あたしを見て、「どうだ、うまいだろう」だって‥‥‥ 畜生、ちゃんとあたしの事、気づいてたのよ。わざと知らんぷりして、酒かけるなんてひどいわ。あたしは言ってやったわ。めったにあたし、花の姿のままで人間に話しかける事なんてないのよ。そんな事したら、人間はびっくりしちゃって、この山には悪魔がいるとか言ってさ、誰も来なくなっちゃうもんね。でも、あの爺さんなら大丈夫だろうと思って言っちゃった。 「何すんのよ、この気違い!」てね。そしたら、爺さん、ニコニコして、あたしの花びらの裏をくすぐるのよ。そこ、あたしの一番弱いとこなの。これ内緒よ。そこ、くすぐられるともう、あたし駄目。 「やめてよ、くすぐったいったら、やだったら」とあたしが言ったら、あの爺さんたら余計くすぐるんだから、もう嫌い。 それから、ずっとよ。あたしに会いに来るといつも、くすぐるんだから、あのすけべじじいが‥‥‥まったく。 しばらく、いなかったから安心してたのに、また帰って来ちゃった。 あ〜あ、これから毎日、憂鬱だわ‥‥‥
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2
酔雲は珍しく絵を描いていた。彼はめったに絵を描かない。特に酒が入らなければ絶対に描かない。どこに行っていたのか知らないが、旅から帰って来て急に絵が描きたくなったのだろう。絵を描くといっても彼の場合は酒を飲みながら筆を持って、さっさっさと一気に描いてしまうので、描き始めると何十枚と描いてしまう。自分で気に入った絵が描けると無造作に壁に貼り付けて、うーんと唸りながら眺める。どうでもいいような絵は、そこらに散らかしておく。だから、部屋中に描いた絵が散らかっている。別に片付けようなどとは考えもしない。狭い部屋の中には、その散らかっている絵とからの一升瓶と、まだ入っている一升瓶と尺八が二本、寝袋とキャンプ用の炊事セットがあるだけである。 「ごめんなさいまし」と女の声がした。 「どうぞ、あいてますよ」と酔雲は筆を動かしながら言った。 入口の戸が少しあいて、若い女が顔を出し、部屋の中を覗いた。 「あのう、すみません」と女は酔雲に声を掛けた。 「何じゃ」と酔雲は女の方を見た。 「道に迷ってしまったんですけど、月見村はどちらでしょうか?」 「月見村? ここからじゃ大分かかるぞ。今から行ったら迷子になるだけじゃ。今晩はここに泊まっていきなさい」 「でも‥‥‥」 「いいから、いいから、わしゃ今、退屈しとったんじゃ。さあ、お入りなさい」 「そうですか」と女は戸を開けると静々と中に入って来た。何と、その女は十二単衣を着込んで、うつむき加減に入って来た。 「失礼します」としおらしく言って、しなを作りながら座ると酔雲に微笑んでみせた。 「これは姫様、こんなむさ苦しい所にようこそ、おいで下さいました」と酔雲は言うと、ちゃんと正座して女に頭を下げた。 「いいえ、わたくしはこういうむさ苦しい所が好きでございます」 「生憎とここには姫様のお口に合う物は何もございませんが、今、丁度、ここに南蛮渡来の砂糖がございます。どうぞ、お召し上がって下され」 酔雲は角砂糖を皿に乗せて、姫の前に差し出した。 「美味ですぞ。どうぞ、召し上がれ」 「はい」と姫は言うが恥ずかしそうにしていて手を出さない。 酔雲は自分の茶碗に酒を注ぐと一口、うまそうに飲む。 「あの、それは?」と姫は酔雲の飲み物に興味を示した。 「いえ、これはとても姫様のお口に合うような代物ではありません。下賎の飲み物でございます」 「でも、わたくしはとても喉が渇いているのでございます」 「ああ、そうじゃったか。ちょっと待ってて下され」と酔雲は部屋の隅でお茶の用意をする。 「何もわざわざ、そのような事をなさらなくても結構です。その飲み物で構いません」 「いえ、すぐですよ」と酔雲は酒を飲みながら、お湯を沸かしている。 「姫様、また何で、こんな山の中までいらしたんですかな?」 「はい、実は悪い男に追われているのでございます」 「そりゃそうじゃろうな。姫様くらいお綺麗でしたら、どんな男でも追いかけたくなるでしょうな」 「あら、そんな。綺麗だなんて‥‥‥ほんと、わたくし、やだわ‥‥‥ほんとに綺麗?」 「ああ、綺麗じゃよ。絵にも描けない美しさじゃ」と酔雲はまた酒を飲む。 「あの、その下賎な飲み物、おいしそうですね」 「いや、とてもとても姫様のお口には合いません。それより、その南蛮渡来の砂糖、召し上がって下さい。お茶ももうすぐできますから」 「はい」と姫はしょんぼりする。 「もしかしたら、姫様は王昭君と名乗られるお方ではありませんか?」 「はい、実はそうなのです。わたくしは王昭君と呼ばれております」 「やはり、そうですか。それでは姫様ははるか中国からお逃げになっていらしたのでしたか。それは、さぞお疲れになった事でしょう」 「はい、とても疲れています」と姫は疲れ切った顔になる。 「やはり、飛行機に乗って来られたのですか?」 「はい、飛行機で何時間も掛かりました」 「そうでしょう。まだ、お若いのに可哀想に」と酔雲は酒を飲む。 「あの、それを一口‥‥‥」 「いえいえ、とても姫様のお口には‥‥‥はい、お茶が出来ました。粗茶ではございますが、どうぞ」 「はい」と姫は言うがお茶には手を出さない。 「喉が渇いているんでございましょう。さあ、どうぞ。程よい熱さにしておきましたよ」 「はい」と姫は一口、お茶を飲んで顔を歪めた。 「少し苦いでしょうが、そのお茶が一番、疲れを取るんでございますよ」と酔雲は酒を飲む。 「そうですか‥‥‥」 「ところで、姫様を追いかけている男っていうのは、もしかしたら、世之助とかいう男ではありませんか?」と酔雲は酒を飲む。 「世之助だか伊之助だか、そんなもん、あたしゃ知らないわよ」と姫は言った。「もう我慢できないわ」と姫は手を伸ばして、一升瓶をつかむとラッパ飲みする。「あ〜あ、おいしい‥‥‥」 「とうとう、化けの皮をはがしたな、この女ギツネめ!」 「どうして、わかったのよ」と姫に化けていたラーラは言った。 「お前なあ、人間に化けるのはいいが、もっと人間の事を勉強しろ。今時、そんな格好している女がいるか。しかも、山の中で、そんな格好で歩けるわけないじゃろ」 「だって、この格好が一番、綺麗だと思ったんだもん。でも、これ重いわね。よく人間はこんなのを着てられるわね」 「今時、そんなのはいないってんだよ」 「だってさ、綺麗でしょ」 「ああ、綺麗じゃよ。じゃがな、今はもっと綺麗な格好があるんじゃよ」 「ほんと、どんなの? 教えて」 「それはだな」と酔雲は筆を取って、紙切れに女のヌードを描く。「これじゃよ」 「何も着てないじゃない」 「お前は知らんのじゃよ。今、都会に行ってみろ。みんな裸で歩いとる。裸が一番、綺麗なんじゃ」 「馬鹿言わないでよ。いくら、あたしが人間の事をよく知らないったって、そんな事、信じるわけないでしょ」 「そうか、お前は裸が一番、似合うんだけどな」 「この、すけべ爺いが」とラーラは持っていた扇で酔雲の頭をたたいた。 「それじゃあ、これでどうじゃ?」とヌードにビキニを着せる。 「駄目」とラーラは睨む。 「これでも駄目か。残念じゃ。それじゃあ、これでどうじゃ?」と今度はTシャツにミニスカートをはかせる。 「うん、これならいいわ」とラーラは立ち上がって変身しようとする。 「ちょっと待て。一遍に変わったんじゃ面白くない。せっかく、それだけ着込んでるんじゃから、ストリップでもやれよ」 「なに、ストリップって?」 「踊りながら着物を一枚一枚、脱いでいくんじゃよ」 「そんなの、ちっとも面白くないじゃない」 「お前は踊りがうまいじゃろう。それに踊っている時のお前は本当に綺麗だぞ。わしが尺八を吹いてやるから踊ってみろ」 「そう。それほどまで言うなら踊ったげる」とラーラは酒を一口飲んで御機嫌になる。 「さて、やるか」と酔雲は尺八を構える。「色っぽくやれよ」 「任せといて」 酔雲の尺八に合わせて、しなやかに軽やかに華麗に踊るラーラ。 一枚脱ぐごとに酒を一杯ひっかけて、だんだん、いい気持ちになり、だんだん、大胆に色っぽくなって行く。 酔雲もいい気持ちになって、尺八を吹きながらラーラの踊りを楽しんでいる。 「いいぞ、最後の一枚だ。色っぽく脱げ」と酔雲は囃し立てる。 ニコッとラーラは笑い、最後の一枚を脱ぐと素早く変身、Tシャツとミニスカートになって、「残念でした」と舌を出した。 「何じゃ、つまらん」 「その手に乗るか、このすけべ。でも、この格好、気に入ったわ。軽くて動きやすいもの」 「それも脱げば、もっと軽いんじゃ」 「うるさい‥‥‥さあ、乾杯よ、再会を祝して」 「うむ‥‥‥お前は可愛いのう」 「やだ‥‥‥あまり、おだてないでよ。爺さんだって、わりといい人間だよ」 「その爺さんてのはやめろって言ったろ」 「あっ、そうか、じゃあ、あなた、乾杯よ」 「乾杯!」 「ああ、おいしい‥‥‥ところでさ、さっきのお茶、何あれ?」 「ああ、あれか、わしも知らん。丁度、お茶が切れてたんでな、そこにあった枯れ葉を入れたんじゃよ。大して変わらんじゃろうと思ってな」 「ひどいわね。どんな味がするか、自分で飲んでみてよ。とても飲める代物じゃないわ」 「そうかね。お前の事だから、ぐいっと飲んじまうと思ったんじゃがの」 「ねえ、あなた、もうちょっと、ほんのちょっとでいいから、あたしに優しくしてくれてもいいんじゃないの」 「わしは優しすぎるんじゃよ。お前のお芝居にちゃんと付き合ってやったろうが」 「もう、いいわ‥‥‥ところで、今度はどこ行ってたの?」 「インドじゃ」 「インド? 面白かった?」 「うむ、面白かったぞ。何てったって人間がいい。みんな、いい顔しとる。女なんか、みんな、美人じゃぞ。みんな、サリーっていう派手な服を着ていてな、目がほんとに綺麗なんじゃよ」 「男は? いい男はいた?」 「ああ、男もいいのがいたぞ。クリシュナって名前でな、凄い力持ちなんじゃよ。山を持ち上げたり、悪魔をやっつけたり、怖い物知らずで、笛もうまいし女にはもてる。インドでは人気者で、誰もが彼の事を知っとるよ」 「へえ、そんな男がいるの?」 「お前好みじゃろう」 「うん、会いたいな」 「ラーダーという牛飼いの娘に化ければ、クリシュナに会えるさ」 「あたしも今度、インドに行こう」 「そういえば、インドの音楽もよかったが、お前の横笛が聞きたくなったな。ちょっと一発やってくれ」 「今度はあなた、踊る?」 「わしが踊ってもいいが、お前の友達を呼べよ。その方が面白いじゃろう」 「そうね、最近、彼女たちにも会ってないし、みんな呼んで騒ぎましょうか」 「そうじゃ。酒はみんなで飲んだ方がうまい」 「うん、呼んで来るわ」とラーラは消える。 しばらくして、ラーラは仲間を連れて来る。フェラとローダとユーナである。三人共、ラーラに影響されてか、ミニスカートをはいている。若い女が四人になって、急にやかましくなったが、酔雲はニコニコして酒を飲んでいる。 時の流れも忘れはて、五人は酒を酌み交わしていった。
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