6
山の頂上の岩の上に座って、眼下に見える村々をスケッチしている久美子。 紅葉の山々に囲まれた小さな村。 田畑で働いている村人たち。 走り回って遊んでいる子供たち。 トンビが頭上で輪を描いた。
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7
回りの景色を眺めながら久美子は歩いている。 朽ち果てた山寺が見えて来る。 寺に向かって歩く久美子。 かなり古い寺らしい。寺の回りを一回りしてみる。草ぼうぼうで、あちこちに石塔のような物が倒れている。小さな山寺に似合わず、彫刻はかなり立派だった。古いので、あちこち破損しているが、それでも正面の龍と虎は大した物だと久美子は感心している。 足元に注意しながら、久美子は階段を昇り、中を覗いてみる。 中は薄暗い。目を慣らして、一歩、中に入ろうとした時、「誰じゃ!」と中から声がした。 「キャー」とびっくりして久美子は下に降りた。 「誰じゃ? わしの昼寝の邪魔をするのは」 薄汚れた着物を着た太った老人がニコニコしながら、片手に一升どっくりをぶら下げて出て来た。ラーラである。ラーラが久美子と遊ぼうと思って、まぬけな仙人に化けている。 久美子は唖然として老人を見つめている。 「わしに何か用かな?」と老人は言った。 「‥‥‥いえ、あの、あなたは?」 「わしはこの寺の和尚じゃ」 「‥‥‥」 「もっとも、わしがここにいる事なぞ、みんな忘れてしまったようじゃ。ここに人が訪ねて来るなんて何十年振りかのう」 「はっはっは」と笑いながら和尚は座り込んで酒を飲んだ。「あんたも飲むかね?」 「いいえ‥‥‥ほんとに、このお寺に住んでいらっしゃるんですか?」 久美子は和尚と山寺を比べてみる。いかにも、この山寺にこの和尚ありという感じでおかしかった。 「そうじゃよ。まだ、雨漏りはせんよ。これだって建てた当時は立派な寺だったんじゃ。真っ白なお寺でな‥‥‥おぼこ娘のように、そりゃあ綺麗なもんじゃった。もう何百年も昔の事じゃがの」 「そうですか‥‥‥」 酒をうまそうに飲み、ゲップをする和尚。 顔をしかめる久美子。 「あんたはなぜ、こんな山に来たんじゃ?」 「絵の勉強です」 「絵、くだらん」 「酔雲ていう絵画きさん、知りませんか? このちょっと下に住んでるらしいんですけど」 「さあな、人間には興味ないから知らんな」 「そうですか」 「人間は馬鹿じゃよ。いつになっても同じ事ばかりやっている。わしも初めの頃は興味あったが、もう飽きた。くだらんよ」 「和尚さんだって人間でしょ」 「はっはっは、わしゃ仙人じゃ。人間どもが発生する前から、わしはいる。色んな人間を見て来たがくだらんね。つまらん奴ばかりじゃ。最近じゃあ、もう見る気もせん」 「酔っ払い和尚め、馬鹿らしい」と久美子はつぶやく。 馬鹿の相手はしてられないと久美子は和尚に背を向けた。 「これ、待ちなさい。わしを信じとらんな」 信じられるわけないでしょと久美子は去ろうとする。 「久美子、これ待て!」 久美子、立ち止まって振り向く。 「どうして、あたしの名前、知ってんのよ」 「わしゃ、仙人じゃ。何でも知っとる。まあ、ここに来て座れ」 久美子、戻って来て仙人の前に立つ。 「お前は最近、絵で賞を取った。みんなから褒められ、お前は自惚れていた。そんな時、酔雲の絵を見た。そして、お前はこの山に来た。わしは酒を飲みながら、お前が来るのを待っていたんじゃ」 「どうして、あたしを待っていたんです?」 「気まぐれじゃよ。そんな所に立ってないで、まあ、座んなさい」 久美子は仙人の顔を不思議そうに見ながら隣に座った。 「酔雲は今、旅の空じゃよ。当分、帰って来んじゃろ。どうするね、帰るかね?」 「いえ、しばらく、いるつもりです」 「そうか。山の中でのんびりするのもいいじゃろう。まあ、一杯いこう」 仙人はどこからか茶碗を取り出して久美子に渡した。そして、久美子の茶碗と自分のに酒を注ぎ、うまそうに飲んだ。久美子も飲む。 「うまい!」 「そうじゃろ。わしの一番の楽しみじゃ」
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8
寝そべって肘枕で酒を飲んでいる仙人。 あぐらをかいて自分の茶碗に酒を注いでいる久美子。 御本尊らしい小さな木でできた観音様が笑っている。 「天下泰平じゃのう」 「ねえ、仙人の爺さん、あんた、仙人なら何でもできるんでしょ」 「ああ、できない事はない」 「ならさ、あたし、お爺ちゃんのお父さんに会いたいのよ」 「くだらん。そんな者に会ってどうすんじゃ」 「お爺ちゃんに聞いたんだけど、偉い絵画きさんだったのよ。どんな絵を描いたか知りたいの」 「無駄じゃな」 「あたしは会いたいの」 「会ったってしょうがない」 「お酒、終わっちゃったよ」 「酒ならいくらでもある」 「どこに?」 「そこに」 「これは今、からになったの」 「たっぷり入ってるさ」 「からだってば、ほら」と久美子はとっくりを手に取る。「あら、入ってるわ‥‥‥まるで、魔法使いみたい」 「わしゃ仙人じゃ。わしにもくれ」 二つの茶碗に酒を注ぐ久美子。 「ねえ、会わせてよ」 「誰に?」 「お爺ちゃんのお父さんよ」 「無駄だ」 「そんな事言って酔っ払う事しかできないんでしょ。嘘つきのくそ坊主」 「うるさいな。それより、お前が本当に会いたいのは恋人だろ? 喧嘩したまま飛び出して来て、それでいいのか? 今、ここに呼んでやるぞ」 「あんな奴、どうでもいいのよ。あんなわからず屋、ほっとけばいいの」 「やせ我慢するな、会いたいくせに。呼んでやるから、たっぷりとちちくり合え。お前が男に抱かれてハーハーヒーヒーやるのを見ながら酒を飲んだら、さぞ、うまいじゃろう」 「黙れ、すけべ爺い」 「何がすけべだ。女が男に抱かれるのは当たり前の事じゃ」 「ふん、この酔っ払いが‥‥‥あたしの願い、聞いてくれなくちゃ、もうお酒やらないよ」 とっくりを抱えて飲む久美子。 「はっはっは、うるさい奴じゃ。まあ、いいじゃろう。会ったってしょうがないが会わせてやるか。目をつぶって一、二、三て数えてごらん」 「ほんと?」と茶碗の酒を飲み干してから、久美子は目をつぶった。 「一、二、三」
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