9
道行く江戸時代の町人たち。 町人の娘姿の久美子と相変わらず汚い着物を着た仙人が江戸の街中を歩いている。 久美子はキョロキョロ、辺りを見回している。仙人はニコニコしながら顎髭を撫でている。 奇妙な二人連れをいぶかし気に見ながら通り過ぎる町人たち。 「ねえ、ちょっと」と久美子は仙人に言う。「これ、江戸時代じゃないの?」 「らしいな」 「あたしのお爺ちゃんのお父さんて明治の生まれよ。おかしいじゃない」 「ちょっと間違ったらしいな。まあ、いいじゃないか。この時代にだって、お前の先祖はちゃんといるよ」 「そりゃあ、いるだろうけど、あたし、絵画きのひいお爺ちゃんに会いたかったのよ」 「そう細かい事を気にすんな。ほれ、あそこに飲み屋がある。ちょっと一杯いこう」 「なに、のんきな事言ってんのよ。戻りましょう。ね、明治時代に」 「まったく、うるさい女じゃな。酒を飲んでからじゃ」 仙人はスタコラと居酒屋に吸い込まれて行く。 「まったく、飲んべ爺いめ!」 久美子も仕方なく、縄暖簾をくぐる。
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職人風の男、鉄蔵がブツブツ言いながら一人で酒を飲んでいる。 店の女、鉄蔵の所に酒を持ってくる。 「これでおしまいよ。あんまり飲めないくせにどうしたの、今日は。しっかりしなさいよ、俵屋宗理の名前が泣いてるよ」 「うるせえ! 俵屋なんかくそくらえ! もう、宗理なんてやめだ!」 「凄い荒れてんのね」 「ねえちゃん」と仙人が呼んだ。 店の女、返事をして仙人の方に行く。 少し離れた所で仙人と久美子が飲んでいる。 「あと五、六本頼む」と仙人は言った。 「はい、はい」と女は去る。 「ねえ、今、いつ頃なのさ」久美子は仙人に聞いた。 「寛政じゃ」 「寛政って?」 「千八百年頃じゃ」 「ふうん‥‥‥ねえ、この頭、何とかなんない? 重くってしょうがないよ」 「文句言うな。なかなか似合っとるよ。浮世絵から抜け出たようじゃ」 「そうか‥‥‥浮世絵よ。この頃、浮世絵が流行ってたんじゃない。ねえ、見に行きましょう。ねえったら」 「うるせえなア、ちったア落ち着いて飲んだらどうだ」 「だって、このお酒、うまくないもん」 「そりゃそうじゃ。まあ、我慢せい。ところで、あの男、どう思う?」仙人は鉄蔵の方を見て言った。 「何かの職人さんじゃないの」と久美子は言った。「いえ、違うわ。どこか、変わってるわ‥‥‥」 「ああ、ちょっと変人だ‥‥‥お前の先祖じゃ」 「まさか‥‥‥」 「本当じゃ」 鉄蔵は久美子の存在に気づいて、久美子を見つめた。 久美子は見つめられて、何となく頭を下げた。 鉄蔵は席を立って久美子に近づき、久美子をあらゆる角度から見つめながら満足そうにうなづいた。 「何よ、何か用なの?」 鉄蔵は何も言わず、久美子を見つめている。 「この人、どうしたの?」と久美子は仙人にささやいた。 仙人は知らん顔で酒を飲んでいる。 鉄蔵は懐から筆と手帖を取り出して、しきりに久美子を描き始めた。 久美子、鉄蔵の手帖を覗こうとする。 「動くな」 久美子、鉄蔵を睨みながら、じっとしている。 店の女、酒を持って来ながら、鉄蔵の手帖を覗き込む。 「どうやら、いつもの鉄さんに戻ったようね」 しばらく、鉄蔵の描く絵を見ているが、女は酒を置いて去って行った。 鉄蔵はあっと言う間に十数枚の絵を描いた。 「駄目だ! ここじゃア描けねえ。悪いが、ねえさん、うちまで来てくれ」 鉄蔵は強引に久美子の手を引っ張って連れて行こうとする。 「ちょっと待ってよ。ねえ、どうする?」 「行って来い」と仙人は言った。「最初からこうなるように決まってんだ。わしはここで酒を飲んでるよ」 鉄蔵は久美子を引っ張って連れ去る。 「ねえちゃん、一緒に飲もう」と仙人は店の女に声を掛けた。
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