23
「へえ、あんたも絵画きさんかい」と寅吉爺さんは久美子に言った。「わしも先生に習って絵を描いてみたが、全然、駄目じゃ。わしのなんか、みんなの笑いもんじゃ。だが、絵を描くのは楽しいからな、わしは今でも描いとるよ。それと、尺八も先生に教わった。わしは色々と先生に教わっとる。先生のお陰で、わしは毎日、楽しいよ。本当だったら、わしなんか、こんな小さな村のただの百姓じじいじゃ。それが先生のお陰で、何か急に自分が大きくなったように思える。わしゃ幸せじゃよ」 「先生は尺八もおやりになるんですか?」 「ああ。やるなんてもんじゃない。凄いよ。先生の尺八を聞いてると、もう胸がジーンと来るね。専門的な事は何も知らんが、先生は尺八の方だって立派に先生になれる。何というかな、自然の偉大さっちゅうのか、そういうのがジーンと響いて来るんじゃ」 「おじさんもやるんでしょ?」 「わしなんて駄目だ。ただ、音が出るっちゅうだけじゃよ」 「お願い。聞かせて、ね、お願い」 「いや、駄目、駄目」 「尺八、あそこにあるわ。ね、お願い」 「そうか。じゃあ、ちょっとだけな」と寅吉爺さんは壁に立て掛けてある尺八を手に取ると姿勢正しく座り、構える。三回、音を出してから、久美子にうなづき、吹き始めた。
寅吉爺さんの尺八の曲、終わる。
久美子は酔雲の絵を見つめている。 寅吉爺さんはもういない。
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24
久美子の家の庭。 植木いじりをしている祖父。 久美子がスケッチブックとカバンを抱えて帰って来る。 「お爺ちゃん」 「何だ、久美子か。馬鹿に早いな。もう学校は終わりか?」 「ねえ、この間の酔雲ていう人の絵を見せて」 「どうしたんだ?」 「なぜか、あの絵の事が気になってしょうがないの」 久美子の顔を見つめる祖父。 「そうか」と言って家に上がる。 久美子もついて行く。
祖父は押し入れから、絵を取り出して久美子に渡した。 久美子は何枚もの絵から酔雲の絵を捜し出して、じっと見つめる。 「お前にも、その絵のよさがわかるようになったか‥‥‥」 「‥‥‥この人、どういう人なの?」 「わしの兄弟子だ。事故で奥さんと子供を亡くしてから、ずっと旅をしていた。旅をしながら絵を描いていた。あの人は日本だけでなく、世界中を絵を描きながら旅をしている。どうやら、最近はやっと落ち着いたらしい」 「今、どこにいるの?」 「山に囲まれた小さな村にいるらしいな」
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