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山の朝。 小鳥たちの歌声。 久美子が山小屋から、のこのこ出て来て、あくびをする。 朝靄がかかっていて、山々はまるで水墨画のようである。
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26
山の中の道を久美子はスケッチブックを抱えて歩いている。 草を踏み分け歩いて行くと目の前に綺麗な沼が現れた。 紅葉に囲まれ、沼は太陽の光を浴びて光り輝いている。 「まあ、綺麗‥‥‥」 かたわらの石に腰掛け、久美子は沼に見とれている。 静寂。 久美子の頭の中に、ふとモーツァルトの幻想曲が流れる。
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流れるモーツァルトの幻想曲‥‥‥ コンサートホールのステージでピアノを弾いている葉子。 客席で聞いている久美子。
子供の頃の久美子と葉子がママゴト遊びをして遊んでいる。 葉子の母が家の中から葉子を呼んだ。 「葉子ちゃん、ピアノのお稽古の時間よ。早くいらっしゃい。先生が待ってるわ」 「いや、今日はいやよ」と葉子は久美子と遊んでいる。 「そんな事、言わないの」 「やだったら、いや」と葉子は駄々をこねる。 母親は庭に出て来て、「久美ちゃん、またね」と言うと嫌がる葉子を連れて行った。 つまらなそうに人形を抱いている久美子。 家の中から聞こえて来る葉子のピアノ。 モーツァルトのソナタ‥‥‥ 負けん気の顔をして聞いている久美子。
祖父が廊下で絵を描いている。 人形を抱えた久美子が泣きながら帰って来る。 「どうした、久美。犬にでも吠えられたのか?」 「お爺ちゃん、あたしもピアノをやりたい」 「そうか、葉子ちゃんはピアノのお稽古か」 「ねえ、お爺ちゃん、ピアノ、買って‥‥‥ねえ、買って‥‥‥」 「久美、それは無理だよ」 「やだ、やだ、やだ、買って‥‥‥」 「そう、駄々をこねちゃいかん。いいか、久美、お前は葉子ちゃんがピアノをやってるのを見て、自分もやりたくなっただけだろ。本当にお前がピアノをやりたいのなら、お爺ちゃんも考えておく。でも、一度やるって言ったら途中でやめちゃ駄目だぞ。いいか、よく考えなさい」 久美子はべそをかきながら、よく考えている。
コンサートホールのステージでピアノを弾いている葉子。 客席で聞いている久美子。 幻想曲、終わる。 割れるような拍手。 ステージに立ち、大勢の客たちに向かって頭を下げる葉子。 大勢の客たちの中で拍手をしている久美子。
喫茶店。テーブルに向かい合って座っている葉子と久美子。 「どうだった?」と葉子が聞いた。 「よかったわ、最高よ」 「ありがとう」 「成功、おめでとう」 「久美もね‥‥‥絵で賞を取ったんでしょ。おめでとう」 「ありがとう」 「久美がピアノをやってなくてよかったわ。もし、やってたら、あたし、完全に負けてた」 「何言ってるのよ。そんな事、あるわけないじゃない」 「でも、久美の描いた絵、凄くよかった」 「ありがとう。でも、どうして、すぐ帰っちゃったの? あたし、葉子が来ないと思って、がっかりしてたのよ」 「だって、久美、みんなに囲まれて嬉しそうにしてたんだもん。なんか、あたし、自分が恥ずかしくなっちゃって‥‥‥」 「何言ってんのよ。立派なピアニストじゃない」 「あたしってね、気が小さいのか知らないけど、すぐ自分に自信がなくなっちゃうのよ。ピアノ弾いててね、今日は最高のできだと思って、自分で満足するの。でも、次の日になってみると、もう駄目、全然、自信がなくなっちゃうのよ。何となく、誰かに笑われてるような気がするの。あたし、モーツァルトが好きでしょ。モーツァルトばかり弾いてるんだけど、やればやる程、難しくなるのよ」 「‥‥‥そう。でも、今日の葉子のモーツァルト、最高だと思うけどな」 「まだまだよ‥‥‥」
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