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今日はいい天気。 太陽の光を浴びて、積もった雪が光っている。 鼻歌を歌いながら洗濯物を干している久美子。 久美子と同じ歌を歌いながら誰かが山に登って来る。 久美子は首を傾げながら声のする方を見ている。 浩二がのんびりと歌を歌いながら、スダブクロを肩からぶら下げて登って来る。 「あっ!」 浩二は久美子の顔を見ると嬉しそうにニコッと笑った。 荷物を放り出して、久美子の方に駆け寄ると久美子に抱き着き、抱き上げ、久美子をグルグル回した。 久美子を降ろし、抱き合ったまま、見つめ合う二人。 何も言わず、嬉しそうに笑う二人。 キスする。
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山の頂上で久美子と浩二は岩に腰掛け、村を見下ろしている。 「作品はできたの?」 「うん、できた‥‥‥お前、いつまで、ここにいるんだ?」 「あたしがいないと淋しい?」 「ああ、淋しいよ」 「ふうん‥‥‥でも、もう少し我慢して」 「先生が帰って来るまでいるつもりか?」 「ううん。もう、先生には会えなくてもいいの。でも、もう少し、ここにいたいなって思ってるの」 「そうか‥‥‥」 「あなたはどうするの? あなたもここにいない?」 「いてもいいのか?」 「うん、いてほしい」 「へえ、随分、素直になったもんだな」 「こういう自然の中にいると素直になっちゃうのよ」 「そうか。それじゃあ、俺も山の中に籠もるかな」 「それがいいわよ」 「そうしたいんだがな、俺は京都に行くよ」 「えっ、京都?」 「うん」 「次の作品、考えてるの?」 「ああ、取材だ」 「そう‥‥‥」 「悲しそうな顔をすんなよ。すぐ、行くわけじゃない。二、三日、ここでのんびりするよ」 久美子はニコッとして浩二に寄り添った。
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久美子はコタツに入って熱心に絵を描いていた。コタツの回りには描いた絵が散らかっている。 「お久美さん、いるかい?」と寅吉爺さんの声がするが、久美子は気づかずに絵を描いている。 「お久美さ〜ん」と寅吉爺さんはもう一度、呼んだ。 「はい」と久美子は気づき、立ち上がって入口の方に行く。 寅吉爺さんが酒とつまみを持って入って来た。 「やあ、今日は大分、ぬくくなった。そろそろ春じゃな‥‥‥随分、散らかっとるな」 「ええ、ちょっと熱中しすぎちゃって‥‥‥今、片付けます」と久美子は散らかっている絵を片付ける。 「なに、いいんじゃ、いいんじゃ」と寅吉爺さんは部屋に上がってコタツに入る。「先生もいつも、こんな風じゃった‥‥‥その先生から手紙が来たよ」 「えっ!」 「今、沖縄にいるそうじゃ。暖かくなったら帰ると書いてあった。わしもさっそく返事を出して、あんたの事を書いてやったから、もうすぐ帰って来るじゃろう」 「そうですか。先生は今、沖縄ですか」 「うん。あっちは暖かいそうじゃ。それと泡盛がうまいと書いてあった。毎日、泡盛を飲みながら三味線と一緒に尺八を吹いてるそうじゃ。あの先生は酒が好きじゃからな。そして、酒を飲むと気安く、ほいほいと絵を描いてくれる。ほんとに面白い人じゃ」 久美子はコタツの上を片付けて、酒を飲む用意をした。 「あんたがここに来て、もう、どの位じゃ?」 「もう五ケ月です」 「そうか。もう、そんなになるか。もうすぐ半年じゃな‥‥‥こんな山の中によく半年もいられたもんじゃ」 「色々と勉強になりました。本当に来てよかったと思っています」 「そうか。そいつはよかった。村の者もみんな、あんたの事を褒めておる。娘たちはもう、みんな、あんたの事を先生、先生と言って、何でも相談に来るらしいの。若い者が集まりゃ、みんな、あんたの噂をしとる。あんたっていうのは不思議な人じゃ」 酒を飲んでいる久美子と寅吉爺さん。 「まったく、不思議じゃ。女が酒を飲むというのは何というか、わしゃ、あんまり好かんのじゃが、あんたと一緒に酒を飲んでいても、不思議とそういう気がせん。ごく自然じゃ。そして、あんたと酒を飲んでると何だか楽しいんじゃ。先生と飲んでいても、わしゃ楽しくなるが、何か同じような気分になるんじゃよ。不思議じゃのう」 久美子は楽しそうに寅吉爺さんの話を聞きながら酒を飲んでいる。 「こんばんわ、先生、いますか?」と外で声がした。 「誰じゃ?」と寅吉爺さんは言った。 入口から次郎と博が入って来る。 「何じゃ、お前ら、揃って夜這いか?」 「そんなんじゃねえよ、なあ」と次郎は言った。 「ああ、先生にちょっと相談があってな」 「そんな所にいねえで上がれ」 次郎と博、久美子に頭を下げてから上がり、コタツに入った。 久美子は茶碗を二つ持って来る。 「先生に相談て何じゃ?」 「いえ、その‥‥‥」と次郎。 「はっきりせんか」 「うん。春子と加代の事なんだよ」と博が言った。 「何じゃ、女の事か」 「うん、最近、あの二人、やけに冷てんだよ、なっ」と次郎。 「うん」と博はうなづいた。 「馬鹿か、おめえら、てめえの女の事を先生に相談してどうするんだ?」 「そんな事言ったってさ‥‥‥」 「まったく、だらしねえ。話んなんねえ」 「先生、あの二人に何か言ったんじゃねえのか?」 「ええ、言ったわよ。二人とも、あたしんとこに夜這いに来たって」 「何だと、おめえら、お久美さんに夜這いだと」 「夜這いなんかじゃねえよ」と次郎。 「俺だって、体よく追っ払われたんだ」と博。 「当たりめえだ。おめえらのような情けねえ男なんか、お久美さんが相手にするか」 「先生、他に何か言わなかった?」 「何も言わないわよ。あんたたちこそ、くどくどと言い訳でもしたんじゃないの?」 「そりゃあしたさ。そりゃあもう、おっかねえ顔して詰め寄るんだもんな」 「馬鹿め。言い訳だと? 男たるもの、言い訳なんかするな。情ねえなあ、まったく。てめえの女が思い通りにならねえからってんで、それを人のせいにして、おめえら、それでも男か? キンタマぶら下げてんなら、もっと、しゃきっとしろ、しゃきっと。女の顔色なんか、いちいち窺ってねえで、もっと、でんと構えてろ、わかったか?」 「へえ」と次郎。 「おめえは?」 「うん、わかったよ」と博。 「わかったら、さっさと帰れ!」 もじもじしている二人。 「けえれ!」 二人は立ち上がり、こそこそと出て行った。 「まったく、近頃の若え者はだらしがねえ。娘っ子の方がよっぽど、しっかりしてらあ」 久美子は笑っている。 「寅さんの若い頃はどうだったんです?」 「わしか、わしの若え頃は‥‥‥まあ、似たようなもんだ。人間なんて、昔も今も大して変わっちゃいねえ。みんな、同じような事をして、わしのようなじじいになっていく。偉そうな事を言ったって始まりゃしねえ。みんな、おんなじ人間じゃ。だが、あんたは偉えよ」 「何言ってんです。あたしだって、ただの女よ。あたしがこの山に来たのは、本当は絵なんかどうでもよくて、ただ、変なやきもちを焼いて、むしゃくしゃしてただけなんです」 「そういえば、あんたの彼氏、今、どこにいるんだろうな」 「さあ、京都の女でも引っかけてんじゃない」 「ふむ、あの男もちょっと変わった男だな」 「大分、変わってるわ」 「あんたも変わってるし、似た者同士だな」 笑う久美子。 ニコニコしながら酒を飲む寅吉爺さん。
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