酔雲庵


酔中花

井野酔雲







第三部 無住心







 ねえ、元気?

 毎日、色々と忙しいから疲れてるんでしょ。

 そういう時はね、何も考えずに横になるのよ。そしてね、両脚を揃えて、うんと伸ばして、吸った空気を臍下の下腹から腰、腰から足、足から土踏まずまで、ずっと通すような気持ちで、ゆっくりと呼吸するの。

 それを何回か繰り返すんだけど、その時ね、

『わたしは綺麗で可愛いラーラが大好きで〜す』

『わたしは綺麗で素直なラーラと一体になりま〜す』

『わたしは健康で素直なラーラ、そのもので〜す』ってね、心の中で繰り返し思うのよ。

 それを一週間位、続けてごらんなさい。疲れだけじゃなくて、体の病気、心の病気、何でも治っちゃうわ。

 これをやって、みんな、元気にならなきゃ駄目よ。元気になれば陽気になるし、陽気になれば余裕も出てくるわ。余裕が出てくれば、結構、毎日毎日が楽しくなるものよ。せっかく、人間様に生まれたんだから、楽しくやらなきゃ損よ。

 ところで、あたしが人間界で踊りの先生やったの、覚えているわね。一応、あたしだって芸術家だったのよ。それでさ、酔雲爺さんに自慢してやろうと思って待っていたのよ。それなのに、なかなか来ないじゃない。

 おかしいなって思って、爺さんの山小屋に行ったら誰もいないの。それがさ、部屋の中がやけに綺麗に片付いてるのよ。あの爺さん、いつも散らかしっぱなしじゃない。おかしいのよ。

 壁には爺さんの絵が額に入って並べてあったわ。どうも変よね。あたし、しばらく考えてたわ。そしたらね、雪の積もった庭の片隅にお墓があるじゃない。回りに一升瓶をずらっと並べてね、綺麗な花と線香が立ってたわ。酔雲先生之墓だってさ‥‥‥やだ、まったく、あの爺さんたら、とぼけて墓石なんかに化けてんのよ。

 コラッて、あたし、墓石をたたいてやったわ。手が痛かった。まったく、あの爺さんたら、いつも自分勝手なんだから‥‥‥いつも、あたしの知らないうちにいなくなっちゃうんだもん。もう嫌いよ。

 人間の命って短いのね。あたしがちょっと人間界で遊んでいたら、もう、爺さんたら死んじゃって‥‥‥つまんないの。

 すけべじじいだったけど面白かったわ。また、一緒にお酒飲みたかったのに‥‥‥

 馬鹿! どうして、もう少し待っててくれなかったのよ‥‥‥

 あれ、あたし、何を考えてんだろ。あたしは人間じゃないんじゃない。爺さんが生きていた頃に戻れば、また会えるのよ。そうよ、何も、こんな墓石なんかとお酒を飲む必要なんかないんじゃない。馬鹿みたい。

 あたし、ちょっくら、爺さんと会って来るわ。










 あら、何か変ねえ。

 爺さんのお墓がなくなったのはいいんだけど、山小屋までなくなっちゃって、回りの景色まですっかり変わっちゃったわ。また、戻りすぎちゃったのかしら?

 よくわかんないけど、ここに山小屋がないって事は、あの爺さんはまだ、この山に来てないのよね。 来るわけないわ。道なんかどこにもないし、まるで森の中じゃない。

「エイッ! ヤァー!」

 あれっ、人間の声だわ。こんな雪山の中に人がいるのかしら?

 ついでだから、ちょっと見て行こう。

 あっ、綺麗な川が流れてる。

 あっ、いたいた。雪の中で刀を振ってるわ。何を切ってるんだろ。空気でも切ってるのかしら?

 よくわかんないけど、真剣な顔して空気を切ってるわ。空気ってそんなに切りにくいのかしら?

 でも、いい男じゃない。背も高くて、スラッとしてて体格もいいし、カッコいいわ。人間の年はよくわかんないけど、三十前後ってとこかな。

 あれっ、今度は目をつぶって座り込んだわ。何か考えてるのね。きっと、悩んでるんだわ。

 うん、決めた。彼と遊ぼう。





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