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お鶴は小鳥と話をしていた。 小鳥がピーピーと鳴くと、横笛でピーピーと答える。小鳥がピヨピヨピーと鳴くと、横笛でピヨピヨピーと答えた。 「鳥と何の話をしてるんじゃ?」 「彼、今、悩んでるのよ。好きな女の子がいるんだけどね。その女の子がお頭の所に連れて行かれちゃったんだって」 「へえ‥‥‥それで、お前は何て言ってやったんじゃ?」 「お頭と決闘しなさいって言ってやったのよ。そんな奴、やっつけちゃって可愛い彼女を奪い返せってね」 「お前、いつも、わしに何と言ってる? 喧嘩なんか絶対にするなって言ってるじゃろう」 「好きな女のためだったら、いいのよ。女のためだったら男は決闘くらいしなくちゃダメなのよ。あなたの剣の極意、教えてやったわ。死を覚悟して、お頭目がけて突っ込めって」 「あいつはやるって言ったのか?」 「今、考えてるみたい」 小鳥はピーピヨピーと鳴いた。 お鶴はピッピーと笛を吹いた。 小鳥は飛んで行った。 「行って来るって。死んでらっしゃいって言ってやったわ」 「あの鳥、生きて帰って来るのかのう」 「死んで帰って来るでしょ。女の子と一緒にね‥‥‥ねえ、あなた、あなたは後、何年生きるの?」 「どうしたんじゃ、急に?」 「ねえ、あなたは何年生きられるの?」 「そんな事、わかるわけないじゃろ。いつ斬られて死ぬか、わからん」 「もし、誰にも斬られなかったとしたら?」 「人生五十年て言うからのう。あと二十年位かのう」 「あと二十年‥‥‥たった、それだけ?」 「二十年といえば、まだ大分あるさ」 「でも、二十年したら、あたしたち、別れなくちゃならないのね? 別れたくないわ」 「別れたくないったってしょうがないじゃろ。人間はいつか死ぬんじゃ」 「あなたは死なないで」 「何を言ってるんじゃ」 「どうして、人間はたった五十年しか生きられないの?」 「そんな事は知らん」 「短すぎるわ。短すぎるわよ。一体、誰が決めたの?」 「それが自然の法則っていうもんじゃろ」 「いやよ、そんなの。あなたを死なせたくない」 「どうしたんじゃ? 今日のお前はおかしいぞ」 「実はあたし、人間じゃないのよ」 「お前は観音様じゃろ」 「そうじゃないのよ。あたし‥‥‥」 「どうしたんだ?」 「何でもないわ‥‥‥ねえ、あたしを抱いて、お願い」 「おかしな奴じゃな」 「もっと強く‥‥‥」 「お前、泣いてるのか?」 「‥‥‥」
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「今晩は思いっきり飲むわよ。飲んで飲んで飲みまくって、あなたを困らせてやるわ」お鶴は酒の用意をしながら、楽しそうに言った。 「お鶴、完成したぞ」 五郎右衛門はお鶴と一緒に暮らし始めて以来、夜になるとお鶴の像を彫っていた。 「まあ、素敵‥‥‥あたしが観音様になったのね」 「ああ、お鶴観音じゃ」 「笛を持ってるのね。やだあ、とっくりまで持ってるじゃない」 「それが、お前に一番、似合うじゃろう」 「やあね。あたし、タヌキじゃないのよ。ねえ、今度、あなたを彫ってよ。一人だけじゃ寂しいわ」 「一人じゃないじゃろ。もう一人、観音様がいるじゃろ」 「この可愛いのね。これ子供みたい。あたしも子供、欲しいわ。あなたの子供。きっと可愛いでしょうね。男の子がいいかしら? 女の子がいいかな? 二人とも欲しいわ。一遍に産んじゃいましょ」 「子供みたいなお前が子供を産んでどうするんじゃ」 「一緒に遊ぶのよ」 「そいつは楽しいじゃろうな」
「あのね、昔、あたしが踊り子だった頃、面白い人がいたのよ」 「ほう、お前より面白い奴がいるのか?」 「あたしなんか、つまんない女よ。その人ね、幻術使いのお爺さんなのよ。あたしたち、あるお侍さんのお屋敷に招待されたの。あたしたちの踊りが終わった後、そのお爺さんが現れたのよ。痩せ細った骸骨みたいなお爺さんだったわ。頭は真っ白で、長いお髭も真っ白で、話に出て来る仙人みたいだった。そのお座敷にね、海の絵が描いてある 「まさしく、幻術使いじゃな。しかし、新陰流の中にもそういう術があるらしい」 「あなたもできるの?」 「ああ。できるぞ」 五郎右衛門は体を起こすと、側に落ちていた小石を拾った。空中に投げ、落ちて来る小石を素早くつかみ、握った両手をお鶴の前に差し出した。 「さあ、どっちに石が入っている?」 「こっち」とお鶴が言った方の手を開くが小石はない。 「じゃあ、こっちだわ」ともう一方の手も開くが、そこにも小石はない。 「あれ、どこに行ったの?」 「消えたのさ」 「凄い! あなた、凄いわ」 「わしのは単なる目くらましじゃ。お前が話した爺さんは催眠術のようなものを使ったんじゃろ」 「もっと面白い人もいたのよ。口が馬鹿でかい男の人でね。自分の足を口の中に入れちゃうのよ。それだけでも凄いのに、両足を全部、口の中に入れちゃうの。足が全部入っちゃうと、次にお尻も入れちゃって、腰も胸も両手も入れちゃうのよ。何か、気持ち悪かったわ。体をみんな口の中に入れちゃったから、頭しか残ってないの。そして、口から二本の手が出てるのよ。そして、その手も入れちゃって、首も入れて、頭も、目も鼻も入れちゃって、最後には口だけになっちゃったの。その口がね、『ああ、うまかった』って言ったのよ。ね、凄いでしょ?」 「馬鹿な、そんな事できるわけねえじゃろ」 「だって、あたし、この目で見たんだから」 「それで、その口はどうなったんじゃ?」 「食べ過ぎたからって、 「厠に行って、どこから 「そんな事知らないわよ。きっと、ゲーゲー吐き出して、元に戻ったんじゃないの? その人、すました顔して戻って来たもの」 「馬鹿らしい」 「どうせ、あたしは馬鹿よ。すぐ、何でも信じちゃうんだから‥‥‥そうだ、今日、いいお月様が出てるのよ。ねえ、せっかくだから外で飲みましょうよ」 「月見酒か」 「そう。行こ、行こ」
「満月ね。うさぎさんがお餅をついてるわ」 「うさぎは餅が好きなのか?」 「うさぎがお餅を食べたら、喉につかえて死んじゃうでしょ」 「じゃあ、何で餅なんかつくんじゃ?」 「誰がお餅なんてついてるの?」 「うさぎじゃろ?」 「うさぎがお餅なんてつくわけないじゃない。ついたとしても尻餅くらいよ。焼き餅もつくかな? ねえ、他に何とか餅ってない?」 「草餅、牡丹餅‥‥‥いい気持ち」 「いい気持ちっていいわ。どんな味がするのかしら?」 「こんな味じゃろう」と五郎右衛門は酒を飲む。 「いいえ、こんな味よ」とお鶴は唇を五郎右衛門の方に突き出す。 「後でな」 「今」 ブチュ‥‥‥ 「そう、この味よ。もう一回」 ブチュ‥‥‥ム‥‥‥ム‥‥‥ム‥‥‥ 「ああ、いい気持ち」 「お鶴」 「あい」 「わからん」 「何が?」 「今のが極意だそうじゃ」 「今の口づけが?」 「いや。口づけじゃない。あれはやろうと思ってやったからのう‥‥‥そうか、わかったぞ。わしが今、お鶴って呼んだ時、お前は返事をしようと思って返事をしたか?」 「そんな事、一々、考えるわけないじゃない」 「それじゃ、それ。無意識のうちに『はい』と出たわけじゃ」 「それがどうかしたの?」 「それが極意じゃ」 「へえ、何だか、わからないわ。そんな事より、せっかく二人きりなんだから、もっと楽しくやりましょうよ」 「いつも、二人きりじゃろうが」 「そうか、そういえばそうね。ねえ、どっか行こうか?」 「今からか」 「そう」 「どこへ?」 「月にでも行きましょうか?」 「それもいいな」 「あなたと一緒なら、どこに行っても同じね」 「お前の笛、聞かせてくれよ」 「ダメ。今日はそんな気分になれないの。あなた、何か歌ってよ」 「わしは駄目じゃ‥‥‥そうじゃ。お前がいつも歌ってる、『空飛ぶ鳥』っていうのをやってくれ」 「ああ、あれ、もっといいのもあるのよ。 思う人から杯差され、飲まぬうちにも顔赤らめる〜 神代このかた変わらぬものは、水の流れと恋の道〜」とお鶴は歌った。 「うまいもんじゃな」 「まだ、あるわ。 胸につつめぬ嬉しい事は、口止めしながら触れ歩く〜 これ、今のあたしの心境よ」 「ほう、だから、毎日、虫や鳥に触れ歩いていたのか?」 「そうよ。今のあたし、幸せすぎて、幸せすぎて、誰かに言わないと気が済まないのよ‥‥‥さあ、今度はあなたの番よ」 「わしは駄目じゃ、駄目」 「あたしがちゃんと教えたじゃない。あなたが歌った『カスバの女』、あれ、よかったわ。あれはね、悲しい踊り子の歌なのよ。ねえ、歌って」 「あれは難しすぎるわ。『網走番外地』の方がいいのう」 「それでもいいわ。渋い声を聞かせてよ」 「よし、行くか」と五郎右衛門は照れくさそうに『網走番外地』を歌う。 お鶴は横笛を吹いて、合いの手を入れる。 「カッコいい。ついでに『カスバの女』も行っちゃえ」 「よおし」と五郎右衛門も調子に乗って来る。 「次は『コーヒー・ルンバ』行ってみよう」 「何だ、そりゃ?」 「幸ちゃんの歌よ」 「そんなの知らんわ」 「あたしが歌うわ。よく聞いてて‥‥‥」とお鶴は陽気に歌い出す。 「何だか、わけのわからん言葉ばかり出てくるな」 「いいのよ。そんなの、いちいち気にしなくても楽しけりゃ何でもいいの。次は何がいいかな? やっぱり、百恵ちゃんね、ねえ、何がいい?」 「わしが知るか。勝手に歌え」 「ううん、冷たいんだから。いいわ、それじゃあね、『女の意地』がいいわ」 「百恵ちゃんか?」 「違う。今日は百恵ちゃんはどうもね。これも幸ちゃんの歌。悲しい女心を歌ってるの。ね、しんみり聞いてね」 お鶴はしんみりと歌い出した。 五郎右衛門はしんみりと聞いていた。 お鶴は歌い終わると、「哀しい唄ね」とポツリと言った。 「いい歌じゃな」 「‥‥‥」 「‥‥‥」 「あなた、何、しんみりしてるの?」 「お鶴、わしはお前に会えてよかったよ。お前を見てると、なぜか知らんが楽しくなる。わしは今まで、剣という狭い世界に閉じ籠もっていたような気がする。お前と一緒にいるお陰で、わしにはわかって来た。この世の中っていうのは、もっと広くて大きいもんじゃと‥‥‥いくら、剣が強いと威張ってみた所で、所詮、それは井の中の蛙じゃ。もっと、もっと広い世界を見なきゃいかんな。そして、わしのこの剣、この剣を人を殺すだけのものじゃなくて、何か人の役に立つような事に使えるんじゃないかと思い始めて来たんじゃ。これからも、わしに色々と教えてくれ」 「何言ってんのよ。あんた、急に改まっちゃって。やだ、五エ門ちゃんらしくないじゃない。でも、ありがとう‥‥‥ほんとにありがとう‥‥‥」 「ここらでパーッと派手な歌を歌ってくれ」 「そうね。『チャンチキおけさ』でも行こうか」 「よし、それだ」 二人は手拍子を叩きながら、大声で歌い始める。 山の中の夜は静かに更けゆく。
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