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五郎右衛門はお鶴の墓を相手に酒を飲んでいた。 酔いが回り始めて来た頃、お鶴は墓の中から現れた。 「元気出しなさいよ、五エ門ちゃん」 「お鶴、やっぱり、出て来てくれたのう」 「出て来ると思った?」 「ああ。ろくに別れも告げずに行っちまったからの」 「御免ね」 「あの世は面白いか?」 「うん。どこでも同じよ。楽しくやってるわ」 「相変わらず、あの調子か?」 「そう、あの調子で遊んでるの。ねえ、あなた、今日限りで、あたしの事は忘れてね。あなたにはやるべき事があるわ。それをちゃんとやらなくちゃ。いつまでも、あたしの事を思って、くよくよしてたら、あたし、あなたの事、嫌いになっちゃうわ。ね、お願いよ」 「ああ」 「でも、絶対に、あたしの事、忘れちゃ、いやよ。わかる? あたしの事は忘れなくちゃダメだけど、決して、忘れちゃ、いやよ」 「わしにも、ようやく、そういう事がわかりかけて来た」 「じゃあ、今晩は別れの酒盛りね。あたし、もう二度と、あなたの前には現れないわ。その代わり、あたしはあなたの刀の中にいると思ってね。あなたの刀は人を斬るために使ってはいけないわ。仁王様の刀と同じよ。人の心の中の悪を断ち斬るのよ。そして、世の中のために使ってね。もし、あなたが、その事を忘れて、人を斬るために刀を抜いたら、あたし、その刀を折っちゃうわ。そして、あなたは死ぬのよ。でも、そんな死に方をした、あなたなんかに、あたし、会いたくない。相打ちもダメよ。自分を殺して、相手も殺す。一見、正しいように思えるけど、よくない事だわ。死んだ二人はいいかもしれないけど、必ず、悲しむ人たちがいるはずだわ。あたしが死んで、あなたが悲しんだように、きっと、誰かが悲しむのよ。だから、人を殺しちゃダメ。御免ね、あたしらしくないわね、こんなお説教なんかして‥‥‥あなたなら、ちゃんとわかってくれるわよね。だって、あたしが惚れたんだもの。五郎右衛門様‥‥‥」 「お鶴‥‥‥」 「あたし、もう、しゃべる事、何もなくなっちゃった」 「何もしゃべらなくてもいいさ。一緒に酒を飲もう」 「うん」 二人は無言に酒を酌み交わした。不思議な程、お互いの気持ちは通じ合っていた。 「ひとつ、気になってるんだが、お前を殺した、あの浪人は何者なんじゃ」 「やっぱり、気になる?」 「ああ」 「知らない人よ」 「そうか、知らない人か」 「うん」 「そうだ、最期にお前の横笛を聴かせてくれないか」 お鶴はうなづいて、横笛を吹き始めた。 夜のしじまに、優しい笛の音が流れた。
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五郎右衛門は目を覚ました。 夜が明けようとしていた。 お鶴はもういなかった。 お鶴が座っていた所に、小さな草が生えていた。 一輪の花が、今にも咲きそうだった。 つぼみがほころび始めている。 五郎右衛門は、その花をじっと見つめた。 花は少しづつ、少しづつ、ほころび、ピンという音を立てて力強く開いた。 可憐で、綺麗で、可愛い、その小さな花は、お鶴そっくりだった。 五郎右衛門は、その白い そして、触れようとした時、花の中から一滴のしずくが、五郎右衛門の手のひらにこぼれ落ちた。 五郎右衛門は、その時、何かが、パッとはじけたような気がした。 もう一度、花を見つめた。 花はそこに咲いていた。 何も言わず、ただ、無心に咲いていた。 五郎右衛門は刀を取ると、素早く一振りしてみた。 「これじゃ! これじゃ!」 五郎右衛門はもう一度、刀を振り下ろしてみた。 「これじゃ! お鶴、やっと、わかったぞ。活人剣。そして、お前が言う仁王様の剣」 五郎右衛門は刀を そして、気がついた。 刀の 鶴が気持ち良さそうに空を飛んでいる。 それだけではなかった。 その刀には刃が付いていなかった。 綺麗に刃引きしてあった。 「お鶴め、やりやがったな‥‥‥これで、いいんじゃ。今のわしには刀の刃なんて必要ない。お鶴、ありがとうよ。お前は死んでまでも遊んでいやがる」 五郎右衛門は花を見た。 何となく、その花が笑ったような気がした。
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