酔雲庵


酔中花

井野酔雲





38




 酔雲は山小屋にいた。

 ラーラはお鶴の格好をして入って行った。

「爺さん、久し振りね」

「何が久し振りだ。昨夜(ゆうべ)、みんなで大騒ぎしたじゃねえか。寝ぼけるな」

「あれ? あれは昨夜だったの? なんか変だな」

「何言ってんだ。おっ、お前、随分、綺麗じゃないか」

「わかる?」

「ああ。お転婆娘から急に色っぽくなったぞ」

「あたしね、恋をしちゃった」

「ほう‥‥‥お前でも恋をすると綺麗になるのか」

「ねえ、聞いて。あれから、色々あったのよ」

「あれからって、昨夜からか?」

「そう。あれから、あたし、人間界に行って踊りの先生になったのよ。帰って来たら、爺さん、死んでるんだもん。まったく、ずるいんだから。そして、その後、あたし、恋をしたの。それが、あたし、人間に恋をしちゃったの。いい男よ」

「ほう、そいつはきっと、わしの若い頃じゃろ」

「何を言ってんのよ。爺さんに若い頃なんてあるわけないじゃない」

「馬鹿もん。わしだって、ちゃんと若い頃があったんじゃ。わしの若い頃をお前が見たら、お前は間違いなく惚れるよ」

「冗談ばっかし。あたしは爺さんなんかに惚れないわよ」

「そうか。まあ、わしの事はいい。お前が惚れた奴ってのは、どんな男じゃ?」

「剣術使いなの。強いんだから。ねえ、爺さん、五エ門さん、知ってるでしょ?」

「五エ門? 石川五右衛門か?」

「違うわよ。針ケ谷五郎右衛門よ。知ってるでしょ?」

「ああ、知っておる。お前、針ケ谷夕雲(せきうん)に惚れたのか?」

「せきうん?」

「ああ、針ケ谷五郎右衛門夕雲ていうんじゃよ。お前も大した男に惚れたもんじゃな」

「当たり前じゃない。あたしが惚れたくらいだもん。大した人よ。やっぱり、爺さん、あたしの五エ門さん、知ってたのね。さすがよ、話がわかるわ。いい男でしょ?」

「ああ、いい男じゃ。お前が夕雲に惚れたか‥‥‥お前もいい女じゃな」

「そんな事、決まってるじゃない。ね、お酒飲もう、お酒飲もう。今のあたしの気持ち、わかるでしょ。切ないのよ。この小さな胸が張り裂けそうに苦しいの。もう、あたし、二度と、あの人にと会えないのよ。わかる? このあたしの気持ち‥‥‥」

「わかる、わかる」

「だから、あたし、爺さん、好きよ」

 ラーラは切ない胸の内を酔雲に打ち明けながら酒を飲んだ。

 飲んで、飲んで‥‥‥

 泣いて、泣いて‥‥‥

 自分の涙だけで足りなくなると雨まで降らせて、

 朝まで泣き続けた。







39




 思い切り泣いたら、何だか、すっきりしたわ。

 あたしね、しばらく、旅に出る事にしたの。恋の痛手を癒すには旅が一番ですものね。

 酔雲爺さんがまた、インドに行くって言うんで、あたしも一緒に行く事に決めたの。

 インドにはクリシュナっていういい男がいるらしいし、あたしの五エ門ちゃんにはかなわないだろうけど、ちょっと彼と遊ぶのも面白そうだしね。

 でも、ここでちょっと問題があるのよ。あの爺さん、もう、いい年じゃない。どうやったって、あたしとは釣り合わないのよね。若くて綺麗なあたしとあんな爺さんが一緒に旅してるなんて、何か変じゃない。かと言って、あたしの方が爺さんに合わせて、お婆ちゃんに化けるわけにもいかないもんね。そんな事したら、誰も相手にしてくれないし、どう見てもマンガよね。お爺さんとお婆さんが杖ついて旅してるなんて、昔話にも出てきやしないわ。

 だから、ここでちょっといたずらをするの。あの爺さんを若返らせちゃうのよ。

 これは内緒よ。あの爺さん、わしの若い頃を見たら、あたしが惚れちゃうだろうなんて言ってたけど、どんなもんだか見ものだわ。

 あたしにはとても想像もできない。面白いでしょうね。

 悔しいけど、今の爺さんには、あたし、かなわないわ。でも、若い頃なら何とかなりそうよ。

 あたし、若き日の酔雲爺さんを思いっきり、からかっていじめてやるわ。今に見てらっしゃい‥‥‥

 と言うわけで、皆さん、しばらく、さよならね‥‥‥

 あっ、それと、皆さん、あたしの遊びに付き合ってくれてありがとう。

 そして、遊んで下さった葛飾北斎さん、針ケ谷夕雲さん、その他の色々な人たち、色々な自然の方々、ありがとうございました。

 また、いつか、会いましょうね。

 バイバイ。





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