沖縄の酔雲庵

沖縄二高女看護隊・チーコの青春

井野酔雲





第一部




3.焼け跡から




 廃墟と化した那覇の上空を美しい編隊を組みながら戦闘機が勇ましく、次々と南へ飛び去って行った。その数は五百を越え、朝日を浴びて輝く銀翼には日の丸がはっきりと見えた。沖縄の(かたき)を討つために、台湾へと出撃して行く友軍機だった。それを見送る人々の顔は歓喜にあふれ、手に持った日の丸を振り続け、感極まって万歳を叫ぶ者が何人もいた。

 あの恐怖の日から四日が経っていた。

 祖母の家の屋根の上から友軍機を見送った千恵子は父親、姉の奈津子、弟の康栄と一緒に那覇へ向かった。

 三日三晩燃え続けた那覇の街は青空の下、無残な姿をさらしていた。昼間は煙を上げ続け、夜になると赤い炎があちこちにくすぶっているのが、まるで鬼火のように見えた。その火も昨夜には治まったとみえて、那覇の街が消えてしまったかのように真っ暗になった。

 あの後、幸いにも敵機は現れず、艦砲射撃もなく、敵の上陸もなかった。それでも、弾薬に引火したのか、ガソリンの入ったドラム缶に引火したのか、大きな爆発が何回も起こり、脅えている人々を驚かせ、被害をさらに拡大させた。

 空襲の翌日、我が家の無事を確かめる事もできず、千恵子は佳代を誘って、幸子と一緒に首里高女に行き、避難民たちの炊き出しを手伝った。姉の奈津子も病院に行けず、看護婦として負傷者や病人たちの治療を行なった。弟の康栄と幸子の弟の栄一は一中の寮生が呼びに来て学校に出掛けて行った。

 父親は県庁の職員として街の再建をしなければならないし、とにかく、様子を見て来ると言って真和志(まわし)村の方を通って県庁へと出掛けて行った。

 十時頃、軍司令部の命令で、避難民を含め、首里にいる者たち全員が小禄(おろく)飛行場の修復作業に動員される事になった。沖縄の仇を討つために本土から友軍機がやって来るので、兵隊は勿論の事、近在の住民を総動員して二日間で復旧しなければならないという。

 千恵子と佳代は幸子たち首里高女の生徒たちと一緒に飛行場へと向かった。燃え続けている那覇の街を右手に眺めながら、ぞろぞろと人々の列が飛行場へと続いた。首里だけでなく真和志村、南風原(はえばる)村、豊見城(とみぐすく)村、小禄村からも人々が集まって来て、飛行場は人であふれた。

 飛行場‥‥‥それはあまりにも無残な姿に変わり果てていた。滑走路には大きな穴がいくつもあき、日の丸を付けた戦闘機の残骸があちこちに散らばっている。建物はすべて焼け落ち、まだ煙を上げているのもあった。集まった人たちは呆然として、本当に二日間だけで修復できるのだろうかと不安になった。

 休む間もなく作業は始まった。康栄たち一中の生徒もいた。師範学校男子部の生徒も、工業学校の生徒も、師範学校女子部と一高女の生徒もいたが、那覇にあった二高女、昭和高女、積徳(せきとく)高女、二中、商業学校、水産学校、開南中学の生徒たちの姿はなかった。千恵子と佳代のように、どこかに紛れ込んでいる同級生がいるかもしれないと、作業をしながら捜してみたが見つける事はできなかった。

 復旧作業は昼夜を通して行なわれ、首里に帰る事はできなかった。千恵子たちは首里高女の石川先生に励まされながら作業を続けた。石川先生は若い女の先生で生徒たちに慕われていた。休憩時間には石川先生を囲んで、みんなで歌を歌って疲れを吹き飛ばした。佳代は幼なじみが何人もいたし、千恵子は幸子のお陰で、すぐにみんなと仲良くなった。二高女は焼けてしまったし、このまま首里高女に転校しようかと言い合ったりしていた。

 天気もよかったせいか、復旧作業は順調にはかどり、十三日のお昼頃には完成した。真っすぐに続く滑走路を見ながら、みんなで力を合わせれば何でもできるんだと誰もが思い、これだけの力があれば、必ず、戦争には勝てると確信していた。昼過ぎになって本土から友軍機が次々にやって来た。

零戦(れいせん)だ! 彗星(すいせい)だ! 天山(てんざん)だ! 雷電(らいでん)だ!」

 中学生が友軍機を指さして騒いでいた。千恵子たちもこんな近くで友軍機を見たのは初めてなのでキャーキャー騒いだ。友軍機は次々にやって来て、気持ち良さそうに、できたばかりの滑走路に着陸した。

銀翼(ぎんよく)つらねて、南の前線〜(ラバウル海軍航空隊)」と誰かが歌い出すとすぐに大合唱となった。

 皆、疲れを忘れて晴れ晴れとした顔で腕を振りながら大声で歌った。その歌は首里へ帰る行進中も延々と続いた。そして、今朝、友軍機は勇ましく、我が領土、台湾を空襲している憎き米軍を倒すために飛び立って行ったのだった。

 那覇に向かった千恵子たちは、まず松尾山を目指した。

 安里の駅前商店街は何事もなかったかのように無事だった。千恵子たちの家もこのように残っていてほしいと(はかな)い希望を持った。相思樹(そうしじゅ)並木もその向こうに見える師範学校女子部と一高女も無事だった。

 崇元寺(そうげんじ)町は一部が焼けていたが、梯梧(でいご)並木と昭和高女は無事だった。もしかしたら、二高女も奇跡的に残っているかもしれないと儚い夢を見た。

 前島町は四つ角の周辺が焼け落ち、瓦礫(がれき)の山となっていて、家をなくした人々が呆然と立ち尽くしていた。

 松尾山の東側の松下町はほとんど被害を受けていなかった。松下町から坂道を登って県立病院の敷地内に入ると病院の建物はなかった。黒焦げの柱が何本か立っていて、今にも倒れそうな壁が残っているだけで、その下は瓦礫の山だった。

「ひでえなあ」と康栄が言った。

 医者や看護婦たちが真っ黒になって後片付けをしていた。

「タカちゃん」と姉は知り合いの看護婦に声を掛けて近づいて行った。お互いに無事を喜んでいるようだった。

「あたし、みんなの様子を見てから行く。先に行ってて」姉はそう言うと看護婦と一緒にどこかに行った。

 千恵子たちは無残な病院跡を通り抜け、隣の国民学校の校庭に入った。校庭では兵隊たちが作業をしていた。校舎は焼け落ち、校庭には大きな穴があき、桜や松の木も吹き飛ばされて惨めな姿をさらしていた。

 千恵子は国民学校の校庭を歩きながら隣にあった二高女の方を見ていた。

 白い校舎はなかった。知らずに涙がこぼれて来た。

 二高女は壊れた奉安殿(ほうあんでん)と玄関の石作りの部分が何とかわかるだけで、校舎は影も形もなく、池や花壇のあった中庭も黒焦げの瓦礫が散乱していた。せめて、楽器だけでも無事だったら、焼け出された人たちを励ませると思っていたのに絶望だった。千恵子が吹いていたトランペットも、立派なグランドピアノも二十台もあったオルガンもみんな燃えてしまった。

「チーコ、無事だったのね」と声を掛けられ、ハッとして振り返ると、晴美と小枝子が駈け寄って来た。 

「晴美もサエも無事だったのね」

 三人は手を取り合って喜んだ。二人が来た方を見ると、先生と数人の生徒が焼け跡の片付けをしていた。

「他には誰が無事なの」と千恵子は瓦礫の向こう側を見ながら聞いた。下級生が数人いるだけで四年生の顔は見当たらなかった。

「今の所、梅組はケーコだけ。みんな、ヤンバル(国頭)の方に行っちゃったみたい。他の組では俊江と嘉子と由紀子がいるわ。火事も治まったからだんだん集まって来ると思うけど、家が焼けちゃった人たちは学校どころじゃないでしょうね。チーコのおうちは大丈夫だったの」

「わからない。これから行く所なの」

「そう。無事ならいいけどね」

「晴美とサエのおうちは大丈夫だったの」

 二人は申し訳なさそうな顔してうなづいた。

「よかったね。あたし、見て来る。まだ、ここにいるんでしょ」

 二人がうなづくのを見て、千恵子は手を振り、待っている父と弟の所へ行った。

 父と弟は無言で街を見下ろしていた。

 体から血の気が引いて行き、今にも倒れそうだった。首里から眺めて覚悟はしていたが、近くで見る那覇の街は言葉では言い表せない程、ひどい有り様だった。

 久茂地(くもじ)川の向こう、我が家のある辺り一帯はメチャメチャにやられていた。家を囲んでいた石垣がわずかに残っているだけで、家々は焼け落ちてなくなっている。

 千恵子は澄江から借りていた『風と共に去りぬ』を思い出していた。敵国の本なので読んではいけないのだったが、澄江が面白かったというので借りたのだった。とても長い物語なので、まだ半分も読んでいなかったけど、確かに面白かった。主人公のスカーレットが自分と同じ位の年頃だったので、アメリカの女の子がどんな事を考えているのか興味深く読んでいた。首里に行く時、持って行けばよかったと後悔した。

 南の方に目を移すと久米(くめ)町、上之蔵(うえのくら)町、西本町と港に至るまで全滅だった。所々に焼け残った大きな建物の残骸があるだけで、赤瓦(あかがわら)の家々は皆、焼けてしまった。道路だけが白く残り、あとは何がどこにあったのか、すっかりわからない程、真っ黒な焼け跡になり果てていた。辻原(つじばる)の墓地だけが大火にも耐え、焼け残っていた。

 これが那覇の街なの‥‥‥これが戦争というものなの‥‥‥子供の頃から戦争はやっていた。でも、それは遠い所の話で、沖縄には関係ない事だと思っていた。それが突然、沖縄にも戦争がやって来た。学校はなくなり、我が家もなくなり、那覇の街もなくなった。何もかもなくなってしまった。これからどうしたらいいのだろう。

「あれは上之山国民学校だな」と焼け残っている建物を指さしながら康栄が言った。

 景色がすっかり変わってしまったのでわからなかったが、確かにコの字形の校舎は上之山国民学校だった。回りに何もないのに焼け残っているなんて不思議だった。鉄筋コンクリートだったので焼けなかったのかもしれない。

天妃(てんぴ)国民学校も残ってる。その向こうは郵便局かな。市役所も山形屋(デパート)も消えちまった。新天地(劇場)は残ってるぞ」

 千恵子は呆然としながら康栄の言う事を聞いていた。

「行くぞ」と父が言った。

 千恵子は涙を拭いて顔を上げた。父親を見上げると厳しい顔をしていた。弟を見ると弟の目にも涙が浮かんでいた。

 重い足取りで坂道を降り、汚れてはいても焼け残っている家々を羨ましそうに眺めながら久茂地川に出た。

 久茂地橋は焼け落ちていた。川向こうにある電気会社も久茂地国民学校も焦げた残骸を残していた。空襲のあった十日の日、久茂地国民学校の学童が疎開する予定だったのを思い出した。子供たちを乗せた船もやられてしまったのだろうか。

 川の中を見ると焼けた樹木や電信柱などが落ちているが、最近、雨がまったく降らないので川の水は少なかった。

 川の中を通って渡り、家へと向かった。焼け落ちた自分の家の前でうなだれている近所の人が何人かいた。お互いに声を掛ける事もできず、目を交わしただけだった。

 千恵子の家も見事に焼け落ちていた。崩れた石垣の中、黒焦げの柱や板切れの中に、壊れた赤瓦が散乱していた。

 ひどい、ひどすぎる。生まれてからずっと暮らして来た家がなくなってしまった。これから一体、どうしたらいいの。何もかも失って、これからどうやって生きて行けばいいの。お母さん、あたしたち、どうしたらいいの‥‥‥

「畜生! 畜生!」と叫びながら康栄が焼け跡の中に入って行き、棒切れを拾うと瓦のかけらをどかし始めた。

「気をつけろ。まだくすぶってるかもしれんぞ」父が言って、弟の側に行った。

「金目の物は回収しなければならんからな」と父は弟に言っていた。

「こんな中から金目の物を捜すだって」

「そうだ。そう決まったんだよ」

「決まったって言ったって、どうやって、これを片付けるんだよ。飛行場みたいに大勢の人がいればすぐに片付くだろうけど、たった四人でこれを片付けるのか」

「隣組で協力してやるしかない。おうちだけじゃないんだ。みんなで協力してやるしかない」

「片付けた後、どうするんだよ。みんなで協力して、おうちを建てるのか」

「そのうちそうなるだろうが、今は無理だ。おうちを建てる資材がないからな。かなりの船がやられちまって輸送手段もままならない状態なんだそうだ。多分、軍の施設が優先される事となろう。民家は後回しになる」

「それじゃあ、この先ずっと、みんなして、ばあちゃんちの世話になるのか」

「いや、そうもいくまい。お前たちの事は頼むつもりだが、わしはここに小屋を建てて、近所の者たちを助けるつもりだよ」

「ここに小屋を建てるのか」

「とりあえずは雨露さえしのげりゃいい。防空壕が無事ならそこで寝泊まりすりゃいいさ」

「あたしもここで暮らすわ」黙って二人の話を聞いていた千恵子は言った。疎開した母や祖父母のためにも、ここを守らなければならないと思った。家はなくなってしまったけど、みんなが帰って来るまで、ここに小屋を立ててでも待っていなければならないと思った。

「チー姉ちゃん」と康栄が驚いた顔して千恵子を見た。

「だって、学校だって片付けなくちゃならないし、首里から通うのは大変よ」

 父が反対すると思ったが何も言わなかった。康栄は棒切れを焼け跡に投げ捨てた。

「畜生め、チー姉ちゃんがここで暮らすなら早いとこ片付けなきゃならねえや」

「今日明日とわしも休みを取ったから、二日間でやれるだけの事をやろう」

 三人で片付けをしていると姉がやって来て加わった。病院は宜野湾(ぎのわん)村の国民道場に移る事が決まり、明後日(あさって)の月曜日に移動するという。姉も患者さんたちを連れて行かなければならないので、しばらくは向こうにいて、帰って来られないかもしれないと言った。

 お昼頃、晴美と小枝子がやって来た。(すす)で真っ黒になった千恵子を笑いながら、おにぎりを差し出した。

「お昼どころじゃないと思って」

「ありがとう」

 二人が差し入れを持って来てくれたので一休みする事にした。始める前はどうなる事かと思っていたけど、火の勢いが強かったせいか、燃える物はほとんど炭か灰になっていた。重い柱もほとんど燃えてしまい片付けるのは思っていたよりも楽だった。ただ、何かが焼け残っているかもしれないという期待は破れ、衣服や書物、布団などは全部、灰になっていた。お米や野菜も黒焦げになっていて、奇跡的に無事だったのは鉄のナベとブリキのバケツ、湯飲み茶碗が一つにご飯茶碗が二つ、お酒好きな父が防空壕の中に隠しておいた泡盛の入った(かめ)だけだった。祖父が大事にしていた三線(さんしん)も祖母の銀の(かんざし)も焼けてしまった。

 学校に戻っても、もう、あたしたちの手には負えないと言って、晴美と小枝子も手伝ってくれた。学校の方は明日の日曜日、以前、二高女に駐屯していた山部隊(第二十四師団)の兵隊たちに頼むらしかった。

 日暮れ近くまで頑張り、何とか目処(めど)がついてきた。明日もやれば片付け終わるだろう。父は焼け残った廃材を利用して小屋を建てるつもりだったが、利用できる物はほとんどなかった。首里に帰って、かき集めるしかないなと言っていた。

 千恵子は晴美と小枝子にお礼を言って、明日会う約束をして別れた。焼け跡を抜け、牧志(まきし)町を通って安里に向かった。

 牧志町もやられていた。振り返ると那覇の街は真っ暗で、ひっそりと静まり、まるで原野の中を歩いているようだった。




 後に十・十空襲と呼ばれるこの空襲で被害を受けたのは、小禄飛行場と那覇の街だけではなかった。

 北(読谷)飛行場、中(嘉手納)飛行場、南(仲西)飛行場、小那覇(西原)飛行場、伊江島飛行場と本島の飛行場はすべて破壊され、宮古島、石垣島、奄美大島、徳之島の飛行場も爆撃された。

 糸満は船舶と共に街もやられ、与那原(よなばる)は船舶と兵舎、瀬底(せそこ)島の船舶、渡久地(とぐち)では弾薬庫が大爆発して街は火の海となった。魚雷艇部隊と特殊潜航艇部隊が配備されていた運天港も集中爆撃を受け、船舶や港に積んであった軍事物資が全焼した。慶良間(けらま)座間味(ざまみ)の船舶も爆撃され、離島は本島との連絡を断たれて孤立した。飛行機や船舶だけでなく陸上輸送のトラックも数多く破壊された。

 軍人の死亡者は陸海軍合わせて218人、軍夫が120人、負傷者が313人。民間人の死亡者は330人、負傷者が445人、そのうち那覇市民の死亡者は225人、負傷者が358人で、死亡者の七割近くは那覇市民だったと記録されている。







日本の戦闘機

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1/32 零戦五二型     1/48 彗星四三型     1/48 天山12型   1/32 雷電21型



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