佐波郡東村の寺社
- 大東神社(東小保方三二九七番の二)‥‥‥例祭4月10日、10月17日。
- 赤城神社(国定字天神前一五二八)‥‥‥例祭4月10日、7月15日、10月17日。
- 鹿島宮(田部井一一二六番地)‥‥‥例祭4月10日、10月17日。
- 三室神社(東小保方四六三九番地)‥‥‥例祭4月10日、秋季大祭10月17日。明治42年、雷電神社、稲荷神社らを合祀する。
- 法福山海潮院龍善寺(東小保方字台二五五三の一)‥‥‥天台宗山門派。本尊阿弥陀如来。
- 真光山永照院長安寺(西小保方字寺付三〇四の一)‥‥‥天台宗山門派。本尊阿弥陀如来。
- 白狐山浄行院西福寺(田部井字横町1)‥‥‥浄土宗。本尊阿弥陀如来。
- 金城山常楽院養寿寺(国定字寺内出1)‥‥‥天台宗山門派。本尊阿弥陀如来。
- 円明院(田部井)‥‥‥養寿寺の別院。本尊金毘羅権現。六世成玄(1818−83)
- 4月8日‥‥‥赤城山の山開き。この日、地蔵岳に地蔵像が立つ。普段は寝せて置く。
- 8月15日‥‥‥十五夜。若い者はこの夜、遊び歩いた。
- 国定の鎮守、赤城神社の祭りは4月10日と10月17日。
- 東小保方台の観音様の縁日は4月18日、8月18日には盆踊り。
◆東村の字名
- 東小保方‥‥‥ヒガシオボカタ
田部井‥‥‥タメガイ
国定‥‥‥クニサダ
上田‥‥‥カミダ
西小保方‥‥‥ニシオボカタ
大久保‥‥‥オオクボ
八寸‥‥‥ハチス
◆1852年、国定村の戸数は157軒。戸主は次の通り。
- 《西》国定八郎右衛門、同辰右衛門、同豊吉、同亀右衛門、同正兵衛、同伝左衛門、同半兵衛、同梅治郎、同熊蔵、同治兵衛、同おこん、諏訪宇兵衛、同七右衛門、同久兵衛、同藤重郎、同竹造、同宗八、同和兵衛、同庄八、同喜兵衛、同亀蔵、同平作、同金兵衛、同仙蔵、同吉介、同久治郎、同金重郎
- 《東》諏訪嶋吉、同春吉、同勝五郎、同清蔵、同清作、同弁蔵、同秀治郎、同周蔵、同房吉、同六右衛門、同善治郎、同弥蔵、同平四郎、同安蔵、同増治郎、同芳蔵、同彦七、同富蔵、根岸治兵衛、同金五郎、同太郎八、同重兵衛、同惣治郎、同三代蔵、同久介、同金右衛門、同藤蔵、同助兵衛(組頭)、同弥平、同吉五郎、同門吉、同友八、同初太郎、同幸太郎、同幸吉、同甚兵衛、同宮本院、同栄蔵、同助右衛門、同弥介、同浅右衛門、同糸蔵、同丑五郎、同忠太郎、同勘蔵
- 《西》松原清八、同三蔵、同初右衛門、同藤兵衛
- 《東》松原亀治郎、細野市之丞、同瀬太郎、松原又兵衛(名主)、同丈次郎、同孫兵衛、同佐文治、同粂蔵
- 《西》角田小右衛門、松原佐金次、同吉松、同鉄造、同清兵衛、同元治郎、同兵三郎、同甚右衛門、同勇八、長岡市太郎、同源左衛門、同伊勢吉、◎同友蔵、松原与七、船戸喜重郎、同幸治郎、同弥平、長岡喜平、同おひゃく、松原与八、久保田作吉、同平吉、同惣七、同源治郎、同鶴吉、同勘右衛門、同新之丞、同定八、同富蔵、向田多四郎、同弥文治、同善左衛門、同三治郎、新井嘉平、同弥左衛門、同佐吉、同茂治郎、同軍治郎、向田 佐平、同与左衛門、久保田弥四郎、大山小文治、同兵太夫、同八十五郎、同常右衛門、同武兵衛、同六右衛門、同助治郎、同兵吉、同安蔵
- 《東》大山源蔵、同仲右衛門、黒田八右衛門、森田茂平
- 《西》高橋定治郎、同勝蔵、同関蔵、同仁兵衛、同政兵衛、同和吉(組頭)、同要右衛門、金子重右衛門、同仙蔵、岡野宝蔵院、同庄兵衛、同久右衛門、同勘蔵、関口藤作、同源之丞、若林喜曽治、〆157軒。
- 明治の頃まで、麦が七、米が三ぐらいの割合だった。国定は粟どころとして有名だったため、粟飯も食べた。
- やきもち‥‥‥あまりご飯を小麦粉と混ぜて固めにこねて丸めてほうろくで油をひかずに焼く。トウガラシを入れて作ったものは酒のつまみになった。
- くわっぱもち‥‥‥やきもちを桑の葉でくるんで、ほどの中にくべて焼く。
- ほどやき‥‥‥余りご飯と味噌と小麦粉と炭酸を少し混ぜてこね、土ぼうろくで焼き、ほどにくべる。
- じりやき‥‥‥小麦粉を水で柔らかめにこねて、薄めに丸めて、ほうろくに油を少しひいて焼く。
- お盆、正月、祭り、葬式、庚申待ちの時など、不幸の席に行けば米の飯が食えた。
- けんちん汁‥‥‥正月、えびす講、稲荷祭り、庚申待ちの時などに食べた。
- うどん‥‥‥不幸の時にはうどんは出さない。御祝儀にはうどん振る舞いと言って出した。御祝儀の時、赤飯と一緒にうどんを出した。
- そば‥‥‥大晦日とか正月三が日くらいしか食べなかった。御祝儀の時、そばは切れたがるといって出さなかった。
- わらもち‥‥‥飢饉の時、わらの粉を小麦粉と混ぜて増やして作る。
- 千住、板橋の飯盛女の揚げ代は昼600文、夜400文。
- 1776年、1832年、田部井村の名主は尾内弥平次。
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