酔雲庵

侠客国定忠次一代記

井野酔雲

創作ノート



今川徳三著『新・日本侠客100選』より



新・日本侠客100選




  • 大前田栄五郎(1793−1974)‥‥‥勢多郡宮城村大前田の名主田島久五郎の次男。1818年、新田郡武井(新里村)の和太郎、月田村の栄次郎と久宮の丈八を殺す。尾張に逃げ、勝五郎と変名する。
  • 国定忠次(1810−1850)‥‥‥佐位郡国定村の長岡与五左衛門の長男。母は綿打村(新田町)の旧家から17歳の時、嫁入りした。

      ・日光の円蔵(1802−43)‥‥‥野州都賀郡落合村板橋生まれの山伏。忠次の軍師。
      ・下植木村の浅次郎(1816−1842)‥‥‥忠次の子分。三室の勘助の甥。
  • 三室の勘助(1800−1842)‥‥‥三室村は旗本の私領で、勘助は村の収納役を務める名主格だった。屋敷跡は一反からある広いもので、屋敷もねり塀に囲まれた立派なものだった。収納役という立場から、十手捕り縄を預かる身分だった。
  • 合の川政五郎(1788−1860)‥‥‥高瀬仙右衛門。1828年、関東取締出役の相談役となる。
  • 飯岡の助五郎(1792−1859)‥‥‥相模三浦郡田戸村の百姓石綿助右衛門の長男。力士を志すが親方が亡くなり、飯岡に流れて漁師になる。度胸を買われ、銚子の五郎蔵の子分になる。30歳前後で飯岡の縄張りを貰い一 家を張る。関東取締出役の道案内。

      ・成田の甚蔵‥‥‥飯岡一家の四天王。
  • 笹川の繁蔵(1810−1847)‥‥‥1842年7月27日、笹川諏訪明神の野見宿禰命の碑を建設するという名目で、関八州の博徒を集めて花会を催す。奥州鈴木忠吉、伸夫の常吉、大前田栄五郎(50)、国定忠次(33)、清水 次郎長(23)らが集まる。1844年8月3日未明、飯岡の助五郎一家と決闘し勝利したが、笹川にいられなくな って旅に出る。2年後に戻るが、1847年7月4日、助五郎の子分、成田の甚蔵、三浦屋孫治郎らに殺害される。

      ・勢力富五郎(1813−1849)‥‥‥繁蔵の一の子分。
  • 三井の卯吉(1783−1856)‥‥‥甲州一円に睨みを利かせた甲府柳町の大親分。柳町は甲州街道の宿場町で、卯吉も旅籠屋の主人だった。関東取締出役の道案内と甲府境町牢の牢屋取締役も兼ねる。
  • 祐天吉松(1819−1863)‥‥‥山伏として祐天を名乗り、吉松は本名。後、新徴組に入り山本仙之助を称す。卯吉の代貸の筆頭。岡っ引も兼ねる。1846年、文吉と共に吃安の食客、桑原雷助という浪人を殺す。
  • 菱山の佐太郎(1826−1906)‥‥‥祐天の弟分。
  • 津向の文吉(1810−1883)‥‥‥卯吉の子分。津向村(西八代郡六郷町鴨狩津向)の名主宮沢家の次男。1849年、博奕で捕まり八丈島に送られる。明治の大赦で甲州に帰る。
  • 吉田の仏の長兵衛(1785−1862)‥‥‥下吉田村中村(富士吉田市)の名主右近之助の息子。温厚な親分で、生涯人を斬った事もなければ喧嘩もした事もなく、どんな博徒も一目おいていた。
  • 竹居の吃安(1811−1862)‥‥‥本名中村安五郎。竹居村の名主、中村甚兵衛の三男として生まれる。竹居村を中心に八代郡一帯を縄張りとした。1862年、江戸屋虎五郎と高萩の万次郎らに捕らえられる。
  • 黒駒の勝蔵(1831−1871)‥‥‥小池勝蔵。黒駒村若宮(御坂町)の名主吉右衛門の次男。

      ・塩田村の玉五郎(1825−  )‥‥‥小田原藩の浪人。勝蔵の軍師役。
      ・八代村の綱五郎
  • 女無宿おりは(1830−  )‥‥‥大柄の美人。
  • 鬼神喜之助(1822−  )‥‥‥豪商松坂屋の四男。
  • 大場の久八(1814−1892)‥‥‥森久治郎。
  • 獅子ケ嶽重五郎(  −1864)‥‥‥武州藤久保の親分。川越藩お気に入りの力士だった。1823年、将軍上覧相撲に参加し勝ち星を上げる。木賃宿を表看板とし、岡っ引も務めた。博徒の方は三角一家と言った。万次郎とは反対の江戸寄りを縄張りとした。大前田栄五郎が類五郎という名で隠れていた。
  • 江戸屋虎五郎(1814−1895)‥‥‥身の丈6尺の大男で目玉が大きくギョロッとしているので目玉の親分と言われた。関東取締出役の道案内。
  • 高萩の万次郎(1808−1864)‥‥‥藤久保の重五郎と兄弟分。飯能の旅籠屋鶴屋の主人で本名清水万八郎。関東取締出役の道案内。
  • 小金井の小次郎(1818−1881)‥‥‥万次郎の弟分。津向の文吉と兄弟分。武州小金井鴨下村名主、関平右衛門の次男。1856年、博奕で捕まり三宅島に流される。三宅島に新門辰五郎が流されていて、兄弟分になる。明治の大赦で方面になる。川崎大師が縄張り。墓碑名を山岡鉄舟が書く。
  • 美濃の吉之助(  −  )‥‥‥幕末の大親分。小次郎の子分。
  • 府中の田中屋万吉‥‥‥万次郎の弟分
  • 小川の幸蔵‥‥‥万次郎の弟分
  • 新門辰五郎(1792−1875)‥‥‥下谷山崎町の飾り職人、中村金八郎の長男。幼い時、上野輪王寺の家来町田仁右衛門の養子となる。
  • 岐阜の弥太郎(1805−1868)‥‥‥渥美郡矢島町の医者の家に生まれる。本名水野弥太郎。新選組と行動を共にする。博徒の長老と言われた。
  • 相模屋政五郎(1811−1886)‥‥‥日本橋箔屋町に一家を構え日本橋の相政で通る。
  • 安東の文吉(1808−1871)‥‥‥駿州安東村の長百姓、西谷甲左衛門の息子。駿河代官道案内の筆頭となり、凶悪犯でも当人の更生を考えて、そっと逃がしてやったので、首つなぎの親分と呼ばれた。
  • 清水の次郎長(1820−1893)‥‥‥清水町の美濃輪の船持船頭の雲不見三右衛門の末っ子で、近くの『甲田屋』という米屋で叔父の山本次郎八の養子となる。本名長五郎。次郎八の伜の長五郎が詰まって次郎長と呼ばれる。1839年、いかさま博奕がばれ命がない所を安東の文吉に助けられる。1842年、人を斬って清水を飛び出す。1844年、高萩の万次郎を訪ねる。1845年、三河で博奕で捕まり入れ墨、敲き払いのお仕置きを受ける。1859年、相撲上がりの道案内、保下田の久六を讃岐の金毘羅参りの帰りに、尾張亀崎から1里ばかり離れた乙川の畷で、賭場からの帰りを捕まえて惨殺する。1861年、都田吉兵衛(1828−1861)を殺す。1884年、博奕狩りに引っ掛かって静岡の刑務所に入る。

      ・吉良の仁吉(1839−1866)‥‥‥三河上横須賀村栄の百姓太田善兵衛の長男。
      ・法印大五郎(1840−1919)‥‥‥甲州二宮村の百姓久作の次男。1869年、足を洗い角田甚左衛門と名乗る。
      ・小政(1842−1874)‥‥‥浜松新町の魚屋吉川由蔵の伜。
  • 黒田屋勇蔵‥‥‥下総生まれで桑名に出て一家を張り平新王の勇蔵と言われた。荒神山の縄張りを長吉に奪われる。荒神山の祭日は4月6日、鈴鹿野登り山の祭り。7日、荒神山の御開張。8日、加佐登社と石薬師如来の御命日。9日、四日市、六呂見の海山道神社。宵祭、後祭を加えると6日間に及び、テラ銭の上がりは一日一千両にも及んだ。観音寺裏山から加佐登神社の白鳥塚にかけて十町程の山道の両側にはよしず張りの賭場がびっしりと並び、又、下久保に通じる道の分も合わせると二百に近かったという。東海道は勿論、甲州、信州の博徒が乗り込んだ。
  • 丹波屋伝兵衛(  −  )‥‥‥伊勢古市の大親分だが謎が多い。穴太の徳太郎の親分。
  • 穴太の徳太郎(1823−1874)‥‥‥桑名の黒田屋勇蔵の跡目を継ぐ。
  • 神戸の長吉(1814−1880)‥‥‥下総無宿、伊勢神戸に流れて親分となる。
  • 日柳燕石(1817−1868)‥‥‥讃岐仲多度郡榎井村の質屋兼地主の加賀屋惣兵衛の一人息子。名は長兵衛。子供の頃から学を仕込まれ博徒には珍しい学者。
  • 箱原のおさん(1820頃−1886頃)‥‥‥甲州鰍沢の村名主の娘。亭主に死に別れ、若後家でいたところ、密通の嫌疑をかけられ女牢に入れられる。そこで女無宿と知り合い、渡世の道に入る。前身に大蛇の入れ墨を彫り、 博奕打ちとして流れ歩く。小柄の美人。
  • 追分のお侠(1820頃−  )‥‥‥男装の女侠客。ドスのきいた男声で言葉に東北訛りがあり、剣術の腕は相当だった。武蔵妻沼の祭礼博奕で、縄張り争いの喧嘩に巻き込まれ重傷を負って死ぬ。




  • 文化文政の頃、黒のかけ襟をつけるのが博奕打ちに流行する。
  • 寛政の中頃までは辻博奕が公然と行われていた。
  • 『たこま』‥‥‥六角の回しコマに役者の紋を書き、別にコマと同じ紋を六つに仕切った紙に描いて、賭け銭は一人4文だった。コマを回して紋合わせをし、合った者の手に4倍の16文が入り、残りの4文が胴元のもの になるというもので、全国的に流行した。
  • 岡っ引は犯人逮捕の際の特別手当として200疋が相場。金にしてたったの1分。
  • 一宿一飯の旅人はよれよれの着物でゴザ一枚をくるくると巻いたのを担いで乞食同然だった。
  • 一宿一飯や草鞋銭にありつくと言っても、相手から言葉を掛けてもらうまでは、何時間でも軒下に立ち尽くすか、土下座を続けたものであって、仁義を切ったからといって、おいそれと一宿一飯の恩義や草鞋銭にあずか れるというものではなかった。
  • 博徒の掟

    一、親分の言い付けは絶対である。たとえ白を黒と言われても服従しなければならぬ。
    一、脇差は差すな。
    一、他人の女に手を出すな。
    一、博奕は金を儲ける事を目的とするな。
    一、喧嘩を売ってはならぬ。
    一、酒を飲んで賭場に入るな。
    一、道を歩く時は、肩で風を切るな。





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