1557年 | 木下藤吉郎秀吉、織田信長に仕える。 | |
1564年 | 信長、尾張を統一する。 | |
1567年 | 9月 | 信長、稲葉山城を攻略し、岐阜城と改めて移る。 |
1568年 | 2月 | 信長、北伊勢を攻略し、三男信孝を神戸友盛の嫡子とする。 |
7月 | 信長、将軍義昭を岐阜に迎える。 | |
9月 | 信長、六万の大軍を率いて上洛する。秀吉、従軍する。 | |
秀吉、京都奉行の一人として京都に残る。 | ||
1569年 | 4月 | 信長、フロイスにキリスト教の布教を許す。 |
8月 | 信長、八万の兵を率いて伊勢の北畠氏を攻略する。秀吉、従軍する。 | |
1570年 | 4月 | 信長、朝倉攻めに着手。秀吉、殿軍として活躍。 |
6月 | 姉川の合戦。秀吉、横山城を守る。 | |
1571年 | 1月 | 秀吉、姉川から朝妻間の海陸の交通を遮断する。 |
5月 | 一向一揆討伐のため長島を攻めるが柴田勝家ら負傷して敗れる。 | |
9月 | 信長、比叡山延暦寺を焼き払う。秀吉、従軍する。 | |
1572年 | 3月 | 信長、浅井攻略を始める。 |
9月 | 秀吉、虎御前山に砦を築き守る。 | |
1573年 | 4月 | 信長、足利義昭と敵対する。 |
4月 | 武田信玄死す。 | |
7月 | 信長、義昭を追放し。室町幕府滅亡する。 | |
8月 | 信長、朝倉氏を滅ぼす。 | |
9月 | 秀吉、浅井氏を滅ぼす。秀吉、小谷城主になる。 | |
秀吉、この頃、羽柴姓を名乗る。 | ||
1574年 | 6月 | 信長、家康の要請により高天神城救援に向かうが間に合わず。 |
6月 | 秀吉、今浜に新城を築き始める。 | |
7月 | 信長、伊勢長島一向一揆討伐に出陣。 | |
9月 | 信長、長島、中江の一向宗徒二万人を焼殺。 | |
9月 | 秀吉、筑前守を名乗る。1581年まで藤吉郎も併用。 | |
1575年 | 3月 | 信長、京都相国寺で今川氏真の蹴鞠を見物。 |
5月21日 | 長篠の合戦。 | |
7月 | 信長、瀬田橋を修築させる。京都の町衆、信長を招き、妙顕寺で能楽興行。 | |
信長、光秀に惟任姓と日向守の官位を与える。長秀には惟住姓を与える。 | ||
8月 | 信長、越前一向一揆を鎮圧する。秀吉、光秀と共に先鋒として加賀に攻め入る。 | |
10月13日 | 信長、上洛する。公家衆の出迎えを受ける。妙覚寺に泊まる。 | |
信長、伊達輝宗の使者を清水寺で饗応する。 | ||
信長、本願寺顕如と和睦。 | ||
10月28日 | 信長、京、堺の数寄者17人を招き茶会。茶頭は宗易が務める。 | |
11月4日 | 信長、朝廷で大納言兼右大将の拝賀式を行う。 | |
11月14日 | 信長、岐阜に帰る。 | |
11月28日 | 信長、家督を秋田城介信忠に譲る。岐阜城は信忠の居城となる。 | |
信長の叔母、秋山信友らと共に長良川にて逆さ磔にされる。 | ||
年末 | 秀吉、長浜城に移る。 | |
1576年 | 1月 | オルガンティーノ、信長の許しを得て、京都四条坊門姥柳町に教会堂を建設する。 |
二万ものキリシタン信徒が集まる。 | ||
1月中旬 | 信長、安土城の普請を惟住長秀に命じ、縄張奉行は秀吉とする。 | |
2月18日 | 光秀、坂本より丹波に出陣。 | |
2月23日 | 信長、安土の仮宿所に移る。 | |
この頃、京都押小路室町の二条晴良邸跡地に本格的な屋敷の造営が始められる。 | ||
4月1日 | 信長、安土城の石垣の構築にかかる。畿内の侍、職人らを招集。 | |
信長、石山本願寺攻撃中の光秀らに指示を与える。 | ||
5月 | 信長、石山本願寺攻めのため河内の若江城まで出陣する。 | |
5月4日 | 秀吉、下京に到着。 | |
5月5日 | 信長、京都から出陣。秀吉、丹羽長秀、滝川一益らも加わる。 | |
以後、石山本願寺は籠城する。 | ||
5月23日 | 光秀、本願寺攻めの陣中にて病にかかり帰京。 | |
5月26日 | 信長、光秀の病を見舞う。 | |
6月8日 | 信長、安土に帰る。秀吉も長浜に帰る。 | |
7月1日 | 信長、安土城普請の功労者に金銀唐物などを与える。秀吉は大軸の絵を貰う。 | |
信長、秀吉に西国経略を命じる。 | ||
7月15日 | 毛利水軍、信長の水軍を破り本願寺に兵糧を入れる。 | |
9月 | 京都奉行村井貞勝の監督のもと、二条城が解体され、安土に運ばれる。 | |
11月 | 信長、上洛し妙覚寺に陣する。 | |
11月19日 | 秀吉、京都三条町の宿舎に滞在する。 | |
11月21日 | 信長、正三位内大臣に叙任される。 | |
1577年 | 2月 | 信長、紀伊雑賀、根来攻めに出陣。秀吉も参戦。 |
3月15日 | 雑賀一揆の首謀者ら、信長に降伏する。 | |
6月 | 信長、安土城下に条規を定め、楽市とする。 | |
7月6日 | 信長、京都二条屋敷に正式に入る。 | |
伊達輝宗より信長のもとに鷹が届く。 | ||
閏7月 | 秋田愛季より信長のもとに虎の皮が届く。 | |
8月8日 | 信長、秀吉・長秀・一益・一鉄らの武将を謙信に備えて加賀に派遣させる。 | |
8月17日 | 松永久秀、信長に背く。 | |
8月24日 | 安土天主の立柱式。 | |
9月14日 | 謙信、信長方の能登七尾城を落とす。 | |
9月23日 | 謙信、手取川に着陣。 | |
信長、手取川にて上杉謙信と対峙するが決戦を回避して引き上げる。 | ||
10月10日 | 信長、信忠を大将として松永久秀を攻め滅ぼす。秀吉、光秀も従軍する。 | |
10月20日 | 信長、右大臣に任官する。 | |
10月23日 | 秀吉、京都を発ち、播磨に出陣する。 | |
10月29日 | 光秀、藤孝と共に丹波に入り籾井城を攻略。 | |
11月 | 信長、京都東山で鷹狩をする。 | |
11月27日 | 秀吉、福原城を攻め落とす。 | |
12月3日 | 秀吉、上月城を落とす。 | |
12月中旬 | 秀吉、帰国し安土に登城して信長に戦果を報告する。 | |
秀吉、信長より『乙御前』の釜を与えられる。 | ||
この年、京都の教会堂、完成する。南蛮寺と呼ばれ、観光名所になる。 | ||
予算は銀約6貫目。敷地が狭く、三階建てにし礼拝堂の上階を住院にする。 | ||
1578年 | 1月1日 | 年賀のため安土に出仕した信忠、明智光秀、羽柴秀吉ら12名の諸将は信長の御殿御座所を拝見する。 |
信長、盛大な茶会を催す。 | ||
1月11日 | 光秀、坂本城にて茶会。 | |
1月12日 | 堺の津田宗及、信長自身に天主(工事中)などを案内され、移築した御殿で襖絵や黄金一万枚ほど拝見する。 | |
信長、家臣の妻子を岐阜から安土に移させる。 | ||
1月29日 | 安土城下の弓衆の福田与一の宿所、失火する。 | |
2月23日 | 秀吉、播磨に戻り書写山に陣する。 | |
2月末 | 信長、安土にて相撲興行。 | |
3月13日 | 上杉謙信死去する。 | |
3月27日 | 秀吉、三木城を攻める。29日、三木城を囲む。 | |
4月9日 | 信長、朝廷に右大臣、右近衛大将の辞任を願い出て勅許される。 | |
信長、信忠、信雄に石山本願寺を攻撃させる。 | ||
5月1日 | 信長、秀吉救援のため播磨に援軍を送る。 | |
6月16日 | 秀吉、ひそかに上京して信長の指示を仰ぐ。 | |
6月21日 | 秀吉、毛利軍に敗れる。 | |
6月26日 | 九鬼嘉隆率いる甲鉄船六艘が和泉沖で雑賀水軍を撃破する。 | |
7月 | 信長、太田資正に関東出兵が遅れると知らせる。 | |
7月20日 | 光秀、信忠に従い、播磨神吉城を攻略する。 | |
8月 | 信長、安土にて相撲興行。 | |
光秀の娘、玉、細川忠興に輿入れする。 | ||
9月 | 信長、安土にて相撲興行。 | |
10月 | 信長、御所にて相撲興行。信長、近江で鷹狩。 | |
10月15日 | 朝、秀吉、三木城攻撃の付城にて津田宗及を招き茶会を開く。 | |
10月21日 | 有岡城主の荒木村重、石山本願寺方につき、信長に叛意を示す。秀吉、上京する。 | |
11月13日 | 秀吉、安土から入京した信長より指示を仰ぐ。 | |
九鬼水軍、毛利水軍を破る。石山本願寺孤立する。 | ||
12月21日 | 信長、京都東山にて鷹狩。 | |
1579年 | 1月7日 | 光秀、坂本城にて茶会。 |
1月11日 | 信長、津田宗及に天主を案内する。 | |
1月25日 | 京都より伺候した村井貞重、林通勝に天主を見せる。 | |
2月28日 | 光秀、丹波亀山に出陣。 | |
3月 | 信長、郡山、多田で鷹狩。 | |
4月 | 信長、播磨攻略中の秀吉に丹羽長秀らの増援を送る。 | |
常陸の多賀谷重経より信長のもとに馬が届く。 | ||
5月11日 | 信長の誕生日。信長、落成式を行ない、天主に移る。 | |
5月27日 | 信長、城下の浄厳院にて浄土宗と法華宗の法論を戦わせる。法華宗、敗れる。 | |
6月 | オルガンティーノ、信長より安土城下に教院を作る事の認可を得る。 | |
6月13日 | 竹中半兵衛死す。 | |
家康より信長のもとに馬が届く。出羽大宝寺義興より馬、鷹が届く。 | ||
陸奥遠野広郷より白鷹が届く。 | ||
7月 | 信長、安土にて相撲興行。 | |
8月 | 柴田勝家ら加賀へ進攻。 | |
9月4日 | 秀吉、安土に上り信長に会うが追い返される。 | |
9月15日 | 信長の命で徳川家康の子信康、切腹する。 | |
信長、伊丹で荒木攻略中の将兵を見舞う。 | ||
北条氏照より信長のもとに鷹が届く。 | ||
信雄、伊賀を攻めるが敗れる。 | ||
10月24日 | 信長、光秀より丹波、丹後平定の報告を受ける。 | |
11月7日 | 信長、京都東山、一乗寺などで鷹狩。10日まで。 | |
11月19日 | 有岡城、落城する。 | |
12月 | 朝廷、信長の奏請に応じ、本願寺との講和の斡旋に乗り出す。 | |
1580年 | 1月9日 | 光秀、坂本城で茶会。 |
1月17日 | 秀吉、三木城を落とす。 | |
2月半ば | 秀吉、長浜に凱旋する。 | |
2月19日 | 秀吉、津田宗及、銭屋宗訥、牧村長兵衛らを招いて城内にてお茶会を催す。 | |
『四十石』の茶壷。 | ||
2月20日 | 信長と吉乃の娘、徳姫(22)、二人の娘を岡崎に残して、兄信忠のいる岐阜城に帰る。 | |
2月24日 | 信長、京都東山にて鷹狩。25日も。 | |
2月29日 | 信長、山崎西山にて鷹狩。30日も。 | |
この月、滝川一益の取り次ぎで北条氏政、鷹13羽を信長に贈る。 | ||
信長、氏政に虎皮20枚らをお返しとして贈る。 | ||
3月 | 正親町天皇、信長の奏請により和平の勅使を本願寺に下す。 | |
3月15日 | 信長、近江奥の島にて鷹狩。19日まで。25〜28日も。 | |
閏3月5日 | 信長と本願寺の講和なる。 | |
3月16日 | 信長、安土城下の埋立地を宣教師に与える。 | |
城山と城下町の中間地点の小さな入り江を埋め立て、約40坪の敷地を造成する。 | ||
信長は補助金として二百両を与え、瓦の使用も許す。 | ||
柴田勝家、一向一揆の金沢城を攻める。 | ||
光秀、坂本城を修築。 | ||
4月 | 秀吉、播磨に戻り、姫路に新城を築き始める。 | |
4月9日 | 顕如、宗祖親鸞の影像を奉じて雑賀衆の船にて石山本願寺を出る。 | |
4月10日 | 顕如、紀州鷺の森の坊舎に入る。 | |
4月11日 | 信長、近江で鷹狩。24日も。 | |
4月24日 | 秀吉、播磨長水山城を攻める。 | |
5月5日 | 信長、安土にて相撲興行。17日も。 | |
6月5日 | 秀吉、長水山城を落とす。 | |
6月26日 | 信長、安土にて相撲興行。 | |
長宗我部元親、光秀の取り次ぎで信長に砂糖、鷹を贈る。 | ||
7月2日 | 顕如、使者を京都に送る。信長、使者を歓迎し黄金を贈る。 | |
7月中旬 | 教如、抵抗やむなく、信長との講和交渉を開く。 | |
8月2日 | 教如、紀州門徒の船にて石山本願寺を去る。直後、火の手が上がり、本願寺は三日三晩燃え続けた。 | |
8月2日 | 信長、丹波を光秀に、丹後を藤孝に宛行う。 | |
信長、佐久間信盛父子、林通勝、安藤範俊父子を追放する。大和の諸城を破却する。 | ||
秀吉、播磨、但馬を平定する。 | ||
9月 | 信長、大和一国の検地を滝川一益、明智光秀に命じる。 | |
11月 | 柴田勝家、加賀を制圧。 | |
12月19日 | 光秀、坂本城に筒井順慶の訪問を受ける。 | |
1581年 | 1月1日 | 安土城の完成を祝し、山下の水辺の松原に馬場を設け、信長、馬廻衆と共に馬を駆けさせる。 |
1月2日 | 信長、安土町人に雁、鶴を与える。町人は佐々木宮にて御祝言の能を催す。 | |
1月6日 | 光秀、坂本城にて連歌会、ついで茶会。 | |
1月15日 | 安土馬揃え。爆竹の中、馬を駆けさし町中を練り歩く。 | |
信長、武田攻めのため信忠を清須に出陣させる。 | ||
2月 | 安土の教院、完成する。木造3階建ての和風建築で、一階には外来者を宿泊させるための大きな座敷があり、二階は司祭や修道士用の居室、寝室用の部屋があり、三階は神学校(セミナリオ)が作られた。この教会堂は評判になり諸国から多数の見物人が訪れるようになる。 | |
セミナリオには諸国から優秀な資質を持った武家の子弟25人が入学し、校長にはオルガンティーノが任命され、ジョアン・フランシスコ司祭のほか数名の修道士が生徒の教育、指導に当たった。 | ||
2月20日 | 信長、上京、本能寺を宿所とする。 | |
柴田勝家、上京し越前、加賀の平定を信長に告げる。 | ||
2月23日 | 五畿内を巡察中のヴァリニャーノ、フロイスと共に本能寺に挨拶に来る。 | |
信長、歓待する。信長、黒人を初めて見る。 | ||
2月28日 | 信長、御所にて馬揃え。奉行は光秀。見物人、多数上洛。秀吉、参加せず。 | |
3月 | 秀吉の姫路城完成する。 | |
3月22日 | 家康、高天神城を落とし遠江を平定する。 | |
3月29日 | 秀吉、上京し村井貞勝、松井友閑、松井貞成らと清水寺にて酒宴を張り猿楽を見物。 | |
信長、佐々成政、神保長住に上杉景勝を攻撃させる。 | ||
信長、本願寺参詣の一向門徒の不法行為を禁ずる。 | ||
信長、長岡藤孝に丹後一国の検地を命じる。 | ||
4月10日 | 秀吉、長浜にて、竹生島参詣に赴く信長を出迎える。 | |
4月12日 | 光秀、丹後宮津に招かれ、藤孝父子の茶会に出席。 | |
信長、安土にて相撲興行。 | ||
6月12日 | 秀吉、姫路城内にて津田宗及を招いてお茶会。 | |
6月25日 | 秀吉、因幡に向けて出陣。 | |
滝川一益の取り次ぎで北条氏政、信長に馬を贈る。 | ||
7月12日 | 秀吉、鳥取城を二万の大軍で囲む。 | |
7月15日 | 盂蘭盆会に天主、ハ見寺に提灯を吊るし、堀江には松明を掲げた舟を浮かべる。見物は群衆をなす。 | |
8月 | 信長、高野山が荒木村重を匿ったため見せしめとして高野聖数百人を殺す。 | |
信長、畳刺伊阿弥宗珍に天下一の称号を与える。 | ||
8月14日 | 光秀、津田宗及を丹波亀山城で饗応する。 | |
9月 | 信雄、信包、伊賀を平定。 | |
信長、狩野永徳、岡部又右衛門らの職人頭に小袖を与える。 | ||
10月7日 | 信長、近江で鷹狩。普請中の教会堂を訪れる。 | |
10月17日 | 信長、近江長光寺で鷹狩。 | |
10月25日 | 秀吉、鳥取城を落とし、因幡を平定する。 | |
11月8日 | 秀吉、姫路に凱旋。休む間なく淡路島に上陸。 | |
11月17日 | 秀吉、淡路を平定。 | |
11月20日 | 秀吉、姫路に帰国。 | |
武田勝頼、父信玄の養子勝長を信長に送り返す。 | ||
12月20日 | 秀吉、安土に上り、信長の報告。信長より茶道具12種類与えられる。 | |
12月22日 | 秀吉、安土を去り、27日摂津の茨木城で茶会を開き、姫路に帰国。 | |
信長、武田攻めに備え、遠江牧野城に兵糧を送る。 | ||
1582年 | 1月1日 | 諸国の大名、部将ら年賀のために安土に詰め掛ける。石の築垣が崩壊して死者や怪我人まで出る。 |
ハ見寺毘沙門堂、能舞台から城内へと入り天主下で信長に拝謁。座敷に召された者は黄金で装飾された『御幸の間』を拝見した。 | ||
信長、三毬打、馬揃えを行う。 | ||
1月5日 | 藤孝父子、丹後より入京、坂本城に来訪。 | |
2月 | 信長、武田攻めの進路を決定し信忠を派遣する。 | |
木曽義昌、勝頼に背き信長に通じる。 | ||
3月5日 | 信長、甲斐の武田氏討伐の軍を起こす。 | |
3月11日 | 武田氏、滅亡する。 | |
3月15日 | 秀吉、姫路を発ち備中に向かう。 | |
信長、甲斐、信濃に掟を出し、両国の関所を撤廃する。 | ||
4月3日 | 信長、甲府に移陣し、恵林寺を焼く。 | |
4月4日 | 秀吉、岡山に着陣。 | |
4月21日 | 信長、安土に凱旋する。 | |
5月3日 | 朝廷、勅使を安土に下向させ、信長の意を聞く。 | |
5月7日 | 秀吉、高松城を囲み、水攻めする。 | |
5月11日 | 信長の誕生日。ハ見寺の祭り。 | |
信孝、津田信澄、惟住長秀と共に摂津住吉に出陣。 | ||
5月14日 | 光秀、家康の饗応役を命じられる。 | |
信忠、信濃より凱旋。 | ||
5月15日 | 家康と穴山梅雪、信長に招かれ安土に到着。宿所は大宝坊。 | |
5月17日 | 信長、秀吉より救援の報を受ける。光秀、中国出陣を命じられ、坂本に帰る。 | |
5月19日 | ハ見寺にて幸若八郎九郎大夫舞う。家康見物。 | |
5月20日 | ハ見寺にて丹波猿楽、梅若大夫に能。梅若下手くそで信長に怒られる。家康見物。 | |
5月21日 | 信忠、長益と共に京都二条妙覚寺に入る。 | |
家康、長谷川秀一の案内で上洛。茶屋四郎次郎宅に泊まる。 | ||
5月26日 | 光秀、坂本を発し丹波亀山城に入る。 | |
5月27日 | 光秀、愛宕山に参詣し、一宿参籠する。 | |
5月28日 | 光秀、太郎坊にて百韻連歌会を催す。 | |
5月29日 | 信長、小姓衆30人ばかり連れて本能寺に入る。家康は堺に着く。 | |
6月1日 | 信長、本能寺にてお茶会を開く。夜、妙覚寺の信忠を呼び歓談、信忠は夜中に帰る。 | |
家康、今井宗及と朝会、天王寺屋宗及と昼会、松井友閑の晩会。 | ||
6月2日 | 早暁、光秀、本能寺の信長を襲う。 | |
家康、信楽の多羅尾光俊宅に一泊。 | ||
6月3日 | 蒲生賢秀、変の報を聞き、安土城を木村高重に託して、信長の妻子を連れて日野に退去。 | |
午後十時、秀吉、信長の死を知る。 | ||
柴田勝家、魚津城を落とす。 | ||
6月4日 | 光秀、観音寺城を落とす。 | |
秀吉、安国寺恵瓊を使者として毛利氏と和睦する。 | ||
家康、三河岡崎城に帰る。 | ||
6月5日 | 光秀、安土城に入り、宝物などを部下に分け与える。 | |
光秀、京極高次に長浜城を占拠させ、斎藤利三を入れる。 | ||
6月6日 | 秀吉、高松を発ち備前の沼城に入る。 | |
6月7日 | 吉田兼見、勅使として安土に来て、光秀と対面。 | |
夕方、秀吉、暴風雨の中、姫路に帰る。 | ||
6月8日 | 光秀、安土城に秀満を守将として留め、摂津に向かう。 | |
信雄、伊勢より安土に到着。 | ||
6月9日 | 光秀、上洛し、兼見、紹巴、昌叱、心前と夕食を共にする。 | |
秀吉、明石に着く。 | ||
6月11日 | 信雄、安土城を攻める。 | |
秀吉、尼崎に着く。 | ||
6月12日 | 秀吉、摂津の富田に着陣。 | |
6月13日 | 秀吉、明智光秀を破る。 | |
6月14日 | 秀吉、近江に入り光秀の残党を一掃。 | |
6月16日 | 光秀の首が本能寺に晒され、屍は粟田口に磔される。 | |
秀吉、安土に入り、次いで長浜に帰る。秀吉の家臣たちは伊吹山麓の広瀬に難を逃れていた。 | ||
7月 | 秀吉、山崎に城を築き居城とする。 | |
10月 | 秀吉、大徳寺にて信長の葬儀を行なう。 | |
1583年 | 3月 | 秀吉、滝川一益の亀山城を陥れる。 |
4月 | 秀吉、柴田勝家を破る。 | |
9月 | 秀吉、大坂の新城と京都の屋敷を築き始める。 | |
1584年 | 3月 | 織田信雄、家康と結び、秀吉に叛旗を翻す。 |
4月 | 小牧、長久手の合戦。秀吉、家康に敗北する。 | |
8月 | 秀吉、大坂の新城に移る。 | |
11月 | 秀吉、信雄と和睦。 | |
11月 | 秀吉、従三位、権大納言に叙任する。 | |