《織田信長は安土城に三千貫の金=六万六千枚を保有》 | |||
1580年 | 2月21日 | 信長、上洛し、妙覚寺に入る。 | |
2月14日 | 信長、一乗寺、修覚寺、松ケ崎山にて鷹狩。 | ||
2月26日 | 信長、本能寺に移り、村井春長軒に普請を命じる。 | ||
2月27日 | 信長、山崎に行く。 | ||
2月28日 | 終日雨降り、信長、山崎に逗留。根来寺の岩室坊、お礼を言いに来る。 | ||
2月29日、30日 | 信長、山崎西山にて鷹狩。 | ||
3月1日 | 信長、郡山に行き、天神馬場、太田路次通りで鷹狩。 | ||
3月3日 | 信長、伊丹城に移り、荒木摂津守の城を見回る。 | ||
3月7日 | 信長、伊丹より山崎に帰る。途中、北山で鷹狩。 | ||
3月8日 | 信長、妙覚寺に帰る。 | ||
3月9日 | 北条氏政より、鷹13足贈られる。本能寺にて取り次ぎは滝川左近。 | ||
3月10日 | 信長、氏政の使いにお礼し安土に帰る。太刀、折紙。披露は佐久間右衛門。 | ||
氏政より使者は笠原越前守、舎弟氏直の使者は間宮若狭守、原和泉守。滝川左近の案内で京都見物。 | |||
3月13日 | 信長、矢部善七郎を使いとして金銀百枚を北条の使者に贈る。 | ||
3月15日 | 奥の島山に鷹狩。舟に乗り長命寺善林坊に泊まる。 | ||
3月19日 | 信長、安土に帰る。 | ||
3月21日 | 信長、笠原越前守に虎皮20枚、猩々皮15枚、他を贈る。 | ||
閏3月6日 | 信長、安土より天王寺へ行く。 | ||
閏3月9日 | 柴田修理亮、加賀へ乱入し本願寺門徒を討つ。 | ||
・石山本願寺の重臣‥‥‥下間丹後、平井越後、矢木駿河、井上、藤井藤左衛門ら。 | |||
閏3月16日 | 信長、菅屋九右衛門、堀久太郎、長谷川竹を奉行として田を埋めさせ、バテレンに屋敷地を与える。 | ||
4月1日 | 伊丹城の御番、矢部善七郎に代わり村井作右衛門がなる。 | ||
4月9日 | 本願寺顕如、大坂を去り雑賀に向かう。 | ||
5月3日 | 中将信忠、北畠信雄、安土に来て、自分の屋敷の普請を始める。 | ||
5月5日 | 信長、安土城内にて相撲興行。 | ||
5月17日 | 信長、国中の相撲取りを集めて城内にて興行。 | ||
6月24日 | 信長、国中の相撲取りを集めて城内にて興行。 | ||
8月2日 | 本願寺教如、大坂を退く。雑賀、淡路島より数百艘の船が迎えに来る。 | ||
検使は矢部善七郎。本願寺、燃え落ちる。 | |||
8月12日 | 信長、京より宇治の橋を見て船にて大坂に行く。 | ||
信長、佐久間右衛門父子、林佐渡守、安藤伊賀父子、丹羽右近を追放する。 | |||
8月17日 | 信長、大坂より上京。 | ||
8月中旬 | 安土城下の八幡宮、完成する。奉行は武田佐吉、林高兵衛、長坂助一。 | ||
11月17日 | 柴田修理亮、加賀一向一揆の首謀者の首を安土に送る。信長、松原町西に晒す。 | ||
1581年 | 1月1日 | 松原町の西に馬場を築く。奉行は菅屋九右衛門、堀久太郎、長谷川竹。 | |
1月2日 | 安土の町人に鷹狩の雁、鶴を配る。佐々木宮にて祝言の能。 | ||
1月15日 | 安土にて馬揃えと爆竹。 | ||
1月23日 | 惟任日向守に京都にて馬揃えをする準備を命じる。 | ||
2月19日 | 北畠中将信雄、中将信忠、上洛し二条妙覚寺に泊まる。 | ||
2月20日 | 信長、上洛し本能寺に入る。 | ||
2月23日 | バテレン、信長に黒人を見せる。 | ||
2月24日 | 越前より柴田修理亮、柴田伊賀守、柴田三左衛門上洛。 | ||
2月28日 | 京都馬揃え。 | ||
3月5日 | 禁中の所望により再び、馬揃え。 | ||
3月9日 | 堀久太郎を和泉国に遣わす。 | ||
3月10日 | 信長、京都より安土に帰る。 | ||
3月25日 | 徳川家康、高天神城を落とす。 | ||
3月28日 | 菅屋九右衛門、能登国七尾城代として遣わす。 | ||
4月10日 | 信長、竹生島に参詣。長浜より舟。侍女らを成敗。 | ||
4月20日 | 堀久太郎、和泉槇尾寺を攻め落とす。 | ||
4月21日 | 信長、安土城内で相撲興行。 | ||
5月10日 | 槇尾寺、堀久太郎の検使のもと、焼き払う。 | ||
6月5日 | 北条氏政より馬3ツ贈られる。滝川左近取り次ぐ。 | ||
6月25日 | 羽柴筑前守(秀吉)、二万の兵を率いて因幡に出陣。 | ||
7月11日 | 柴田修理亮、越前より安土に来る。 | ||
7月15日 | 安土天主、ハ見寺に提灯数多吊らせ、馬廻衆に松明を持たせて舟を浮かべる。山下輝き、水に移りて言語道断、面白き有り様、見物群集。 | ||
8月1日 | 五畿内隣国の衆、安土にて馬揃え。 | ||
8月14日 | 信長、秘蔵の馬3疋を羽柴筑前に贈る。使者は高山右近。 | ||
8月17日 | 高野聖を数百人捕らえ、安土にて処刑。 | ||
9月3日 | 三介信雄、伊賀国に発向。寺社、城砦はすべて破壊。 | ||
10月7日 | 信長、鷹狩の帰りにセミナリオに寄る。 | ||
10月9日 | 信長、伊賀見物に出掛け、甲賀の飯道山に泊まる。 | ||
10月10日 | 信長、伊賀一の宮に着く。国見山に登り国中の様子を見る。 | ||
10月11日 | 雨降り、逗留。 | ||
10月12日 | 信長、奥郡小波多という所まで見舞いに行く。 | ||
10月13日 | 信長、一の宮より安土に帰る。 | ||
10月17日 | 信長、長光寺に鷹狩。 | ||
10月20日より | バテレンのために足入沼を埋め立て、屋敷地とする。 | ||
10月25日 | 羽柴筑前守、因幡鳥取城を落とす。 | ||
11月8日 | 羽柴筑前守、姫路に帰陣。 | ||
11月17日 | 羽柴筑前守、淡路島を平定。 | ||
11月20日 | 羽柴筑前守、姫路に帰る。惟任日向守(光秀)、安土に赴く。 | ||
12月20日 | 羽柴筑前守、姫路より安土に上る。小袖を二百枚を進上する。 | ||
12月22日 | 信長、羽柴筑前守に茶道具12種名物を贈る。 | ||
1582年 | 1月1日 | 隣国の大名、御連枝の衆、信長に新年の挨拶に訪れる。一番、一門衆。二番、他国衆。三番、在安土衆。 | |
・礼銭百文を取り、安土城を見物させる。ハ見寺毘沙門堂御舞台見物→表門より三の門の内→天主の下、白洲→座敷の内→御幸の間→白須→台所→廐。 | |||
1月7日 | 惟任日向守、坂本城にて山上宗二、津田宗及を招きお茶会。 | ||
1月15日 | 安土の馬場にて爆竹を鳴らし馬揃え。 | ||
1月27日 | 雑賀の鈴木孫一、土橋平次を殺す。 | ||
2月1日 | 木曽義昌、信長に寝返る。 | ||
2月2日 | 武田四郎勝頼、木曽の謀叛を知り新府城より一万五千の兵を率いて諏訪に陣する。 | ||
2月3日 | 信長、武田退治のための出陣を命じる。北条氏にも頼む。 | ||
信忠、先陣として岐阜から出陣。 | |||
2月8日 | 土橋平次の子、千職坊の首が百々橋詰に晒される。見物集まる。 | ||
3月5日 | 信長、出陣。柏原上菩提院に泊まる。 | ||
3月6日 | 信長、岐阜に着く。7日、雨降り逗留。8日、犬山。九日、金山泊まり。 | ||
3月10日 | 信長、高野に陣す。11日、岩村に着陣。 | ||
3月11日 | 武田氏滅亡。 | ||
3月13日 | 信長、岩村より禰羽根まで陣を移す。 | ||
3月15日 | 雨降り、信長、飯田に移る。 | ||
3月18日 | 信長、高遠城に移る。 | ||
3月20日 | 木曽義昌、出仕する。 | ||
3月21日 | 北条氏政より端山という者使者にて馬、江川酒、白鳥など進上。 | ||
3月23日 | 滝川左近、上野国ならびに信州の内二郡を賜る。 | ||
3月26日 | 北条氏政、馬の飼料として米一千俵を届ける。 | ||
4月2日 | 北条氏政、雉五百余り進上する。 | ||
4月3日 | 信長、古府に陣し、惟住五郎左衛門、堀久太郎、多賀新左衛門に暇をやり、草津へ 湯治に行かせる。 | ||
4月3日 | 信長、恵林寺を破壊。 | ||
4月14日 | 信長、駿府に着く。16日、浜松に着く。19日、清須。20日、岐阜。 | ||
4月21日 | 信長、安土に帰る。 | ||
5月11日 | 神戸三七信孝、住吉に参陣、四国に渡る用意をする。 | ||
5月14日 | 家康、穴山梅雪とばんばの仮宿に泊まる。 | ||
5月15日 | 家康、梅雪、安土に着く。宿は大宝坊。饗応役は惟任日向守。 | ||
5月17日 | 惟任日向守、安土より坂本に帰城し出陣の用意。堀久太郎、使者として備中に向かう。 | ||
5月19日 | 信長、ハ見寺において幸若八郎九郎大夫に舞をまわせる。 | ||
5月20日 | 丹波猿楽、梅若大夫に能をさせる。高雲寺御殿にて家康に御馳走を振る舞う。 | ||
5月21日 | 家康、上洛。案内は長谷川竹。織田七兵衛信澄、惟住五郎左衛門は大坂へ参着。 | ||
5月26日 | 惟任日向守、坂本を発つ。 | ||
5月27日 | 惟任日向守、亀山より愛宕山へ参詣。一宿参籠。 | ||
5月28日 | 惟任日向守、西坊にて連歌会。丹波亀山に帰城。 | ||
5月29日 | 信長、小姓2、30人召し連れ上洛。本能寺に入る。 | ||
・安土本城留守衆‥‥‥ | 津田源十郎、賀藤兵庫頭、野々村又右衛門、遠山新九郎、世木弥左衛門、市橋源八、櫛田忠兵衛 | ||
・安土二丸御番衆‥‥‥ | 蒲生右兵衛大輔、木村次郎左衛門、雲林院出羽守、鳴海助右衛門、祖父江五郎右衛門、佐久間与六郎、蓑浦次郎右衛門、福田三河守、千福遠江守、松本為足、丸毛兵庫頭、鵜飼、前波弥五郎、山岡対馬守 | ||
6月1日夜 | 惟任日向守、亀山にて逆心を企てる。 | ||
6月2日早朝 | 惟任日向守、本能寺を攻める。 | ||
・本能寺討死の衆‥‥‥ | 森乱、森力、森坊、小河愛平、高橋虎松、金森義入、菅屋角蔵、魚住勝七、武田喜太郎、大塚又一郎、狩野又九郎、薄田与五郎、今川孫二郎、落合小八郎、伊藤彦作、久々利亀、種田亀、山口弥太郎、飯河宮松、祖父江孫、柏原鍋兄弟、針阿弥、平尾久助、大塚孫三、湯浅甚介、小倉松寿 | ||
・二条御所討死の衆‥‥‥ | 津田又十郎、津田源三郎、津田勘七、津田九郎二郎、津田小藤次、菅屋九右衛門、菅屋勝次郎、猪子兵介、村井春長軒、村井清次、村井作右衛門、服部小藤太、永井新太郎、野々村三十郎、篠川兵庫頭、下石彦右衛門、下方弥三郎、春日源八郎、団平八、桜木伝七、寺田善右衛門、塙伝三郎、種村彦次郎、毛利新介、毛利岩、斎藤新五、坂井越中、赤座七郎右衛門、桑原助六、桑原九蔵、逆川甚五郎、山口小弁、河野善四郎、村瀬虎、佐々清蔵、福富平左衛門、小沢六郎三郎、土方次郎兵衛、石田孫左衛門、宮田彦次郎、浅井清蔵、高橋藤、小河源四郎、神戸二郎作、大脇喜八、犬飼孫三、石黒彦二郎、越智小十郎、平野新左衛門、平野勘右衛門、水野宗介、井上又蔵、松野平介、飯尾毛介、 賀藤辰、山口半四郎、竹中彦八郎、河崎与介、村井新右衛門、服部六兵衛、水野九蔵。 | ||
6月2日 | 明智日向守、坂本へ帰る。 | ||