1540年 | 雑賀十ケ郷平井で鈴木佐大夫の長男として生まれる。 | 1歳 | |
1558年 | 雑賀庄の鈴木孫一(土橋平次の婿)、中郷との紛争に登場する。 | 19歳 | |
1562年 | 日高の湯川家と雑賀衆が取り交わした起請文に孫一の名がある。 | 23歳 | |
雑賀郷 本郷、源内大夫。岡、三郎大夫。湊、森五郎。湊、宮本藤内大夫。宇治、藤右衛門。 市場、五郎右衛門。三日市、左衛門大夫。中嶋、的場平内大夫。土橋、平次。 土橋、太郎左衛門。福嶋、次郎右衛門。孤嶋、嶋本左衛門大夫。狩取、与三大夫。 中郷 岩橋、源大夫。岡崎、藤右衛門。栗栖、四郎大夫。野上郷 若林、治部。和佐、九郎大夫。 山本、刑部左衛門。加納、刑部大夫。十ケ郷 平井、鈴木孫一。楠見、藤内大夫。 坂井谷、源次郎大夫。松江、左近大夫。賀田、助兵衛。木本、横庄司源内大夫。南郷 大野、稲井。且来、松江。多田、神主。吉原、林。安原、五郎右衛門。吉礼、次郎大夫。三葛、田所。 本和多、利左衛門。社家郷 中嶋、嶋田。神崎、中務。 |
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1565年 | 3月 | 本願寺顕如、武田信玄と同盟を結ぶ。 | 25歳 |
1568年 | 10月 | 顕如、信長に将軍家再興の資として五千貫を納める。 | 29歳 |
1570年 | 8月 | 三好三人衆と結び、織田方の河内古橋城を落とす。 | 31歳 |
9月 | 顕如、紀伊、近江門徒及び三好、浅井等と謀り、諸国に檄して信長に対して挙兵。 | ||
11月 | 伊勢長島一向門徒、織田信興の拠る小木江城を落とし、信興自殺。 | ||
1571年 | 5月 | 浅井長政、一向一揆と共に姉川に出陣。 | 32歳 |
6月 | 加越和解の証しとして朝倉義景の娘と教如の婚約なる。 | ||
1572年 | 1月 | 六角承禎、近江金ケ森、三宅両城で一向門徒と共に信長に抗す。 | 33歳 |
3月 | 顕如、信長に万里江山の軸と白天目を進上。 | ||
4月 | 信長に叛旗を翻した三好義継、松永久秀が畠山の河内交野城を攻めた際に、畠山方に、根来の岩室坊清祐、杉坊覚春、雑賀衆の鈴木孫一、土橋平次、岡崎三郎大夫らがいる。 | ||
10月 | 信玄、甲府を発し、浅井、朝倉、本願寺に連絡して西上の途につく。 | ||
1573年 | 2月 | 義昭、浅井、朝倉、武田、本願寺と謀り、信長を討たんとし、一向門徒を糾合して石山、今堅田に拠る。 | 34歳 |
柴田勝家等石山を降ろし今堅田を破る。 | |||
4月 | 武田信玄死す。 | ||
7月 | 義昭、山城槙島城を出て河内若江に移る。 | ||
8月 | 朝倉義景滅び、ついで、浅井長政自殺。 | ||
9月 | 信長、長島の一向門徒を討つ。 | ||
11月 | 信長に追放された義昭が紀州日高郡由良に来る。 | ||
11月 | 顕如、信長に白天目を贈り、講和する。 | ||
1574年 | 4月 | 本願寺、挙兵する。 | 35歳 |
9月 | 信長、伊勢長島を攻め落とす。 | ||
1575年 | 4月 | 三好康長、信長に降伏し、河内国は信長の支配下に入る。 | 36歳 |
4月 | 信長、石山本願寺に向かって出陣するが、大戦はなし。 | ||
5月 | 信長、雑賀党を分裂させる。宮郷、中郷、南郷を味方に付ける。 | ||
8月 | 信長勢、諸方より越前を攻略して加賀に進む。 | ||
10月 | 本願寺、信長に和を乞う。 | ||
1576年 | 2月 | 義昭、備後の靹へ移る。 | 37歳 |
4月 | 雑賀党、石山本願寺に入城する。 | ||
大将は中ノ島の的場源四郎、雑賀の孫一、木ノ本横の庄の庄司加仁右衛門。 | |||
5月5日 | 信長、雑賀党相手に苦戦する。 | ||
5月9日 | 孫一の偽首が京都にさらされる。孫一の名が一躍有名になる。 | ||
5月 | 雑賀宮郷に太田村に信長の禁制が掲げられる。 | ||
7月12日 | 孫一、毛利水軍を迎えるため淡路島に渡る。 | ||
1577年 | 2月 | 根来杉坊と雑賀三からみ衆、上洛して信長に忠節を誓う。 | 38歳 |
3月 | 信長、十万の大軍で雑賀を攻めるが勝敗つかず。 | ||
信長方‥‥‥雑賀三組(宮郷、中郷、南郷)、根来杉ノ坊。 本願寺方‥‥雑賀二組(雑賀庄、十ケ郷)、根来泉識坊。 |
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閏7月 | 孫一、信長の味方をした三からみ衆を倒す。 | ||
8月 | 信長、佐久間信盛らに雑賀を攻めさせるが失敗に終わる。 | ||
1578年 | 3月13日 | 上杉謙信死す。 | 39歳 |
4月4日 | 織田信忠、石山本願寺を攻める。 | ||
5月 | 孫一、雑賀五ケ庄を一つにまとめる。 | ||
6月26日 | 九鬼嘉隆、信長の命により鉄船を造り、雑賀水軍を破る。 | ||
10月 | 摂津の荒木村重、信長に背き、本願寺に通じる。 | ||
1579年 | 11月 | 有岡城落ち、本願寺と信長の和談進む。 | 40歳 |
1580年 | 1月 | 播磨の三木城落城する。 | 41歳 |
閏3月 | 勅命により、本願寺と信長、和睦する。紀伊雑賀衆、講和に反対する。 | ||
4月9日 | 本願寺、信長と和睦し、顕如、祖像を奉じて雑賀鷺森に下る。孫一も従う。 | ||
7月 | 教如、本願寺を出る。本願寺炎上。 | ||
11月17日 | 柴田勝家、加賀一向一揆を鎮圧する。 | ||
1582年 | 1月 | 十ケ郷の鈴木孫一、信長の後援を得て雑賀郷の土橋若大夫を倒す。 | 43歳 |
4月 | 教如、越中五ケ山で活躍する。 | ||
5月 | 信長、孫一の忠節を褒める。 | ||
6月 | 本能寺の変。 | ||
湯川氏の所領内に逃げていた土橋は明智光秀と組み雑賀に復帰し、孫一を追放。 | |||
1584年 | 孫一、小牧の戦いに秀吉の鉄砲頭の一人として現れる。 | 45歳 | |
1585年 | 秀吉の紀州攻めの時、雑賀庄、十ケ郷の者は孫一のように秀吉に付くか、 土橋、湊衆のように土佐に逃げている。宮郷、中郷、南郷の者は太田城に籠城。 | 46歳 | |