酔雲庵


銭泡記〜太田道灌暗殺の謎

井野酔雲





11.仲居のお紺




 道灌の葬儀は洞昌院にて、ひそやかに行なわれた。道灌の供をして来た者たちと扇谷のお屋形、上杉修理大夫定正と弟の刑部少輔朝昌、定正の重臣たち数人の見守る中、道灌の遺体は荼毘(だび)に付された。

 道灌の遺骨は洞昌院の片隅に埋葬された。

 葬儀が終わると道灌の家臣たちは涙を拭いて江戸城へと帰って行った。

 銭泡は定正より、とんだ事になってしまったが、二、三日、屋形に滞在して茶の湯を教えて欲しいと頼まれた。こんな時に何を言っているのだ、と銭泡は腹が立ったが、竜仙坊と風輪坊から、その後の事も知りたかったので、もう少し、ここにいる事にした。

 定正と一緒にお屋形に戻ると銭泡はまた、広い客殿に案内された。たった一人で六部屋もある客殿は広すぎた。定正は疲れたから、ちょっと休むと言って奥の方に消えた。

 銭泡はもう一度、道灌がどう殺されて、敵がどう逃げたのか調べようと湯殿の方に行ってみた。行く途中、土塁の側まで行って調べた。

 竜仙坊も風輪坊も簡単に土塁に登ったように話していたが、こんな高い土塁をどうやって登ったのか不思議だった。聞こうとは思ったが、そんなつまらない事を聞くような状況ではなかった。しかし、その謎はすぐに解けた。こちら側からは土塁に上がれるように、あちこちに足場が作ってあった。敵が攻めて来た場合、土塁の上から矢を射るために、こちら側には足場があるのだろう。

 銭泡は土塁の上に上がってみた。土塁の上から濠を見下ろすと、思ったよりも高かった。当然、濠側には上り下りのための足場はない。土塁の下と濠との間が歩ける程度の狭い足場がある。二人の下手人と竜仙坊、風輪坊はあんな狭い所に飛び降り、竹の棒を渡って行ったと言う。とても、銭泡にはできそうもなかった。

 銭泡が下手人が逃げて行ったらしい森の方を眺めていると門番がやって来て、注意された。銭泡は謝り、土塁から降りた。

 湯殿の方に行ってみると渡り廊下とつながっている入り口は板が打ち付けられて、入れないように閉ざされていた。

 無理もない。この中で道灌が殺されたのだ。いくら、祈祷(きとう)をして(けが)れを(はら)ったとしても使う気にはならないのだろう。

 下手人が隠れていたという庭の中に入れないかと思って、塀の回りを歩いていると塀の中から突然、声が聞こえた。銭泡はビクッとしたが、その声は竜仙坊の声だった。

 銭泡は竜仙坊から裏の方に小さな木戸がある事を教わり、そこから中に入った。湯殿の中を覗くと綺麗に掃除してあり、所々に清めの塩が盛ってあった。道灌が殺された形跡などまったく残っていなかった。

 小さな庭園内には大小様々な石が並べられ、竹や丈の低い樹木がうまい具合に植えられてある。庭の中に隠れるような所はなさそうだが、湯殿の窓の下に隠れていれば湯殿からは見えないだろう。

 庭の中には風輪坊もいた。銭泡は二人から、その後の調査の状況を聞いた。

「下手人は、ここのお屋形様の配下ではなかったのですね」

 銭泡は二人の顔を見比べた。

「下手人を殺して、首を奪ったのがお屋形様の配下だったんじゃ。そいつらも何者かに殺されたがな」

「それで、下手人の方の身元はまだ分からないんですね」

「分からんのう」

「道灌殿の首はどこに行ってしまったんじゃろう」

「それも、ちゃんと調べている」

「できれば、首と胴を一緒に葬ってやりたいものじゃ」

「そうじゃな‥‥‥伏見屋殿、こいつを見てくれ」と竜仙坊が庭の隅にある塩の山を示した。

「清めの塩ですか」

「いや。こいつは殿の首を塩漬けにするために使ったものらしい。手ですくい取った跡が残っておる」

「下手人は首を塩漬けにして逃げたのですか」

「そういう事じゃ。今の季節、生首はすぐに腐る。下手人は塩と首桶(くびおけ)まで用意した上で殿を殺したに違いない」

「それと、偽の首を入れた首桶も用意していた」と風輪坊は言った。

「わざわざ、塩まで持って、ここで待ち構えていたのですか‥‥‥」

「多分、塩は首桶に入れて来たんじゃろう。その塩を一旦、出してから、殿の首を入れ、また、塩を詰めたんじゃ。そして、これだけの塩が余ったという訳じゃ」

「道灌殿を殺してから、下手人たちはここで、そんな事をしていたんですか‥‥‥」

「らしいのう。ふてぶてしい奴らじゃ」

「恐ろしい事じゃ‥‥‥」

「ところで、伏見屋殿はいつまで、ここにおられるんじゃ」

「四、五日はここにおる事となるでしょう」

「そうか‥‥‥わしらももうしばらく、ここにいて色々と調べるわ」

 竜仙坊と風輪坊は簡単に塀を乗り越えて、消えて行った。見事なものじゃと感心しながら、銭泡は杖を突きながら木戸から外に出た。木戸を出ると、目の前に下男(げなん)が板を抱えて立っていた。

「お客様、困ります」と下男は言った。

「あ、すまなかったな。ここをふさぐのか」

「へい」

 銭泡は客殿に戻った。

 客殿では仲居が待っていた。風呂の用意ができているので入れと言う。

「風呂? 別の風呂があるのか」

「はい。普段、わたくし共が使用していたものですが、お屋形様もご利用になりますので綺麗にいたしました」

「おう、そうじゃったか‥‥‥やはり、あの湯殿は取り壊すのか」

「そのようでございます」

「そうか‥‥‥」

「伏見屋様、わたくし、伏見屋様のお世話を命じられた紺と申します。御用の時は遠慮なさらずにお呼び下さい」

「お紺さんか、よろしくお願いします」

 風呂から上がり、さっぱりして客殿で一人、床の間の絵を眺めながら銭泡は考え事をしていた。

 江戸の事だった。

 道灌には嫡男である源六郎資康(すけやす)がいるが、まだ十六歳だった。十六歳で家督を継げない事はないが、道灌には岩付城主である彦六郎資家という養子もいた。資家は道灌の甥で二十七歳だった。

 資家は道灌の弟、資常の長男で、十五歳の時、父親が戦死したため道灌の養子となり、二十歳の時、同じく道灌の養子となっていた従兄の資忠が戦死したため岩付城主となった。

 道灌が生きていれば当然のごとく、資康が太田家の家督を継ぐ事となったが、死んでしまった今、資康と資家の間で家督争いが始まるかもしれないと、ふと思った。扇谷のお屋形様としても戦の経験も少ない十六歳の資康よりは、戦に何度も出て活躍している資家の方を選ぶに違いない。

 もし、太田家の家督が資康ではなく、資家に決まってしまえば資康はどうなるのだろう。銭泡は十年前の資康しか知らないので、今、どんな若者になったか分からないが、足利学校に行っているからには道灌の嫡男としての誇りもあろう。資家のもとに留まり、太田家のために資家を助けて行くとは思えない。もしかしたら、長尾伊玄のように反乱を起こすかもしれなかった。

 伊玄(景春)は管領家の執事であった長尾家の嫡男でありながら、家督を叔父の尾張守忠景に奪われ、管領に背いて反乱を起こした。太田家も扇谷家の執事である。太田家の家督を継ぐという事は扇谷家の執事職(しつじしき)を継ぐ事になる。もし、太田家の家督が扇谷のお屋形様によって資家に決まってしまえば、資康は伊玄のように扇谷家に背いて反乱を起こすという事も充分に考えられた。

 奥方様が留守の時に、とんでもない事になってしまったと改めて感じていた。

 人の気配で振り返ると縁側にお紺が座っていた。

「そなたか。いつから、おったんじゃ」

「ただ今です」とお紺は頭を下げた。

「そうか‥‥‥気づかなかったわ」

「お考え事ですか」

「いや」

 お紺が笑った。

 初めて気づいたが、お紺はかなりの別嬪(べっぴん)だった。仲居というよりはお屋形様の侍女(じじょ)、あるいは側室(そくしつ)と言ってもいいような女だった。こんな美女を仲居にしておくとは、お屋形様は余程の美人を揃えているとみえる。

「お屋形様がお茶室でお待ちでございます」

「なに、お屋形様が」

「はい。伏見屋様をお呼びでございます」

「そうか。すぐ行く」

 派手に飾られたお茶室にて、定正は待っていた。縁側の隅に眉目(みめ)麗しい小姓(こしょう)が控えている。その小姓を見た時、お紺が仲居でいる訳を銭泡は納得した。お屋形様は女よりも男色(なんしょく)好みだったのだと。

 風炉釜(ふろがま)の中の湯はすでに沸いていた。

 銭泡は縁側に上がると(かしこ)まった。

「伏見屋、遠慮はいらん。さあ、入ってくれ」

「失礼いたします」

「せっかく、楽しみにしておったのに残念な事をした」

「‥‥‥」

「事もあろうに、わしの屋形内で道灌を殺すとは‥‥‥伏見屋、一体、誰の仕業じゃと思う」

「さあ、わたしには‥‥‥」

「遠慮せずに言ってくれ。伏見屋はあっちこっち旅をしておる。旅をしておれば様々な噂も耳にしよう。道灌の命を狙っていたような者に心当たりはないか」

「わたしは十年振りに関東にまいりました。ずっと、西の方におりましたので関東の様子はよく存じません」

「そうじゃったか、十年振りか‥‥‥そうか、それじゃあ、分かるまいの」

 定正はお茶を点て始めた。

「一体、何者の仕業かのう。今、わしの配下の者が探っているはずじゃが、どこに行ったのか姿がみえん」

 銭泡は定正の手捌(てさば)きを眺めていた。お世辞にも、うまいとは言えない点前(てまえ)だった。

 扇谷家の執事であった道灌が、自分の屋形内で何者かに殺されたというのに、のんきにお茶を点てている定正という男が分からなかった。何事にも動じない大物なのか、先の事など考えられない馬鹿なのか、銭泡には判断できなかった。

「伏見屋、茶の湯というものはいいのう。こうしていると嫌な事などすべて、忘れられる」

 定正は点てたお茶を銭泡に差し出した。

「わしは、これからどうすればいいのかのう。道灌が死んでしまうとは考えてもみん事じゃった。道灌がいなくなってしまったら扇谷上杉家はどうなるんじゃ」

 銭泡はどう答えたらいいか分からなかった。黙って、お茶を飲んでいた。

 定正は銭泡に、やたらと道灌の事を誉め、道灌の戦での活躍を話して聞かせた。それは、銭泡が江戸を去ってから十年間の道灌の活躍だった。銭泡が思っていた以上に、道灌は関東中を走り回って、戦に明け暮れていた。

 定正は道灌の活躍を話しているうちに、自分の話に酔って涙ぐんでいた。その時の定正は本気で道灌に感謝していたようだった。

 銭泡の点てたお茶を飲みながらも、定正の話はいつまでも続いた。





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